毎日食べたい天使のお恵み⑤
「ねぇ、才木君」
朝も昼もちゃんとご飯を食べることが出来たからか、久々に一日を元気に過ごせたなぁと感慨深く思っていた、放課後のこと。
今日はさっさと教会へ向かおうと思って席を立とうとした俺を、隣の席の小日向が呼び止めてきた。
「ど、どうした?」
放課後になると小日向はいつの間にか姿を消していることが多く、放課後に彼女から声をかけられたのなんて初めてだったため、俺は少し緊張してしまっていた。
小日向の天使のような微笑みを見ていたなら、尚更だ。
「ねぇ、お腹減ってない?」
「いや、あまり」
どうして突然そんなことを聞いてくるのだろうと俺は疑問に思ったが、俺が正直に答えると小日向は困ったような表情をしていた。
「……本当に?」
「お昼に小日向から弁当分けてもらったし……」
「私、才木君にお弁当分けたりなんてしてないよ?」
と、小日向はとぼけるように首を傾げていた。
「え? でもお昼、弁当が分裂したとかどうとか言ってただろ?」
「お弁当が分裂するわけないでしょ? 才木君、夢でも見てたんじゃない?」
「え、マジで……?」
まぁ、確かにそうだ。鞄の中に本当にあるのかも増えているのかもわからないシュレディンガーのお弁当なんて存在するわけがない。
じゃあ、お昼に購買のパンを買い損ねた俺は、一体何を食べて空腹を満たしたんだ? とうとう夢の中で飯を食って満腹中枢が満たされるように進化してしまったのか?
と、俺が現実と夢の境目がわからなくて困惑していると、小日向はおかしそうにふふっと笑ってから言う。
「才木君って、今日も教会に行くの?」
「あぁ、そうだな」
「その用事って、何時ぐらいに終わる?」
「まぁ、今日は六時過ぎぐらいには終わると思うが……」
そういえば、俺が放課後に足げく教会に通っていることを小日向に知られていたんだったか。
しかし、どうして小日向がそんなことを気にするのかと思っていると、彼女は何か数えるように指を一本一本折って、うんと頷いてから口を開いた。
「じゃあ、七時に櫻ノ島駅に来れる?」
「行けるとは思うけど、どうしてまた?」
「レイドボスを一緒に倒してほしいの」
どうなってんだよ、この世界観は。
「れ、レイドボス? なんか強いドラゴンとか出てくるのか?」
「ううん、永世七冠」
「いや、将棋に大人数でよってたかっても勝ち目ないだろ」
「大丈夫。こっちには三冠王がいるから」
「競技を揃えろ競技を」
近所の駅に永世七冠と三冠王が来るのなら、是非ともお目にかかりたいものだ。
しかし、永世七冠は一人しかいないとして、三冠王ってどの三冠王のことなんだ……?
「ま、とにかく来てみて。面白いもの見せてあげるから」
「あ、あぁ……」
俺は小日向の勢いに押されて、というか小日向のお願い事だから気になってしまってつい承諾してしまい、彼女は満足した様子で教室を去ってしまった。
もしかしてデートのお誘い……なわけがないか。いや、そんなはずがないと自分に言い聞かせようにも、やはり気分が浮かれている自分がいたのだった。
◇◇◇
俺は教会の手入れを終えると、そのまま松楠海岸沿いを走る櫻ノ島電鉄、通称サク電の櫻ノ島駅へと向かった。
本当は懺悔室で謎のシスターと少しお喋りしていこうかとも思ったのだが、今日はどこかに出かけているのかシスターは不在で、俺は小日向との待ち合わせに心を踊らせながら歩いていた。
夕日も沈んで辺りもすっかり暗くなった頃、教会が建つ丘を下って踏切を渡ると、駅の改札口に天使……じゃないじゃない。帰宅する学生やサラリーマンなどが多く行き交う中でも一際目立つ、銀色の髪の少女が本を読みながら佇んでいた。
「よぉ、小日向」
俺が声をかけると、小日向は読んでいた本を閉じて、ニコッと小さく微笑んで言う。
「来てくれたんだね、才木君。じゃあ行こうか」
「行くって、一体どこに行くんだよ。まさか、本当にレイドボスがいるわけじゃないよな……?」
俺がそう聞くと、小日向は鞄についていた黒猫のアクセサリーを俺に見せながら言った。
「猫を探しに」
「ね、猫?」
「うん。最近ね、ここら辺に珍しい野良猫が現れるらしいから」
俺が猫派なのはこの間の子猫の件で小日向にバレているし、小日向も猫柄の小物を使っているぐらいには猫派らしい。
まさか、レイドボスの正体は猫だったのか。
「でも、わざわざこんな暗くなってからやらなくても」
「ううん、その猫は夜にしか現れないんだって」
「へぇ。何か特徴とかあるのか?」
「全体的に何か青っぽくて、人の言葉を話すんだって」
「それは猫じゃなくて猫型ロボットだろ」
仮にロボットじゃなかったとしても人の言葉を話す猫なんて妖怪の類だとしか思えない。いくら猫が好きと言えど、俺は妖怪と触れ合うつもりはない。
……いや、どれぐらい人間で、どれぐらい猫なのか、その割合次第でちょっと悩むが。三割ぐらい猫……いや、逆に七割ぐらい猫でも結構……って、何を考えているんだ、俺は。
「その猫と出会うと良いことが起こるらしいし、せっかくだから一緒に探そうよ。才木君って不運そうだし」
「俺ってそんなアンラッキーな奴だと思われてたのか? ま、まぁ別に構わないが……」
理由は少し素っ頓狂な気がするが、せっかくの小日向からの頼みだし、彼女と一緒にぶらぶら出来るなら役得である。俺も猫は好きだし、良い息抜きにもなりそうだ。
俺はその青くて人の言葉を喋るらしい、猫型ロボットか妖怪としか思えない猫の噂なんて全く知らないが、早速探しに行こうと一歩踏み出した時──小日向が何か思い出したかのように「あっ」と呟いた。
「ねぇ、お腹空かない?」
「へ?」
「才木君、お腹空いてない?」
「ま、まぁ多少は空いてるが」
途中でコンビニとかに寄る暇も無かったから何も腹ごしらえはしていない。それなりにお腹は好いているが、小日向との用事もあるし、最悪家に帰ってからでも良いかと俺は考えていた。
すると、小日向は駅前の通り沿いに建つ、年季の入った建物を指差して言う。
「じゃあ、猫探しは腹ごしらえしてからにしない? そこに良さげな定食屋さんもあるし」
そこは『みかど家』という、櫻ノ島駅前の狭い小道に面している、中々歴史を感じられる大衆食堂だった。
そばに近づくと美味しそうな料理の香りが空腹感を誘い、店内も賑やかで一体どんな美味しい料理を提供してくれるのだろうと期待させてくれる雰囲気だ。
今まで何度も櫻ノ島には訪れたことがあるから見かけたことはあるお店だが、実際に入ったことはない。こういう個人経営のところは、一人で入るには勇気がいる。
「いや、でもあまり時間ないし……」
「腹が減っては戦は出来ぬって言うでしょ? 美味しそうだし入ってみようよ」
「って、引っ張るな引っ張るな」
俺は小日向に腕を引っ張られて、食堂の中へと誘われたのだった。
「いらっしゃいませー!」
小日向がガラガラと扉を開けると、ガヤガヤと騒がしい店内でも一際通る女の子の元気な挨拶が聞こえてきた。
見ると、黒いエプロンとバンダナを身につけた、俺達と同年代ぐらいのツインテールの女の子がいて──。
「って、雪ちゃんだ! それに才木君も!?」
来店した俺と小日向の姿を見て驚く彼女の名は、三門海夏。俺達のクラスメイトであり、小日向の友人でもある。特に三門は皆が恐るる天使たる小日向に物怖じせずに、スキンシップが激しいタイプだ。
「海夏。才木君がお腹を空かせて私のことを食べちゃいそうだから助けて」
「まぁ確かに雪ちゃんって美味しそうだもんね……」
「何を関心してるんだ。席は空いてるか?」
「あ、そっちのテーブル席が空いてるよ! 二名様ごあんな~い」
店内の席は殆ど埋まっている程の盛況だったが運良く隅っこのテーブル席が空いていて、俺と小日向が席につくと三門がお冷を持ってきてくれた。
「じゃ、これウチのメニューね。注文決まったら声かけてね!」
「メニューたくさんあるな……何が一番人気なんだ?」
「お冷だよ」
「飯を寄越せ飯を」
「あとはディープインパクトとかかなぁ」
「そりゃ一番人気だろうけども」
俺は三門とあまり交流はないが、彼女が陽気でフレンドリーな性格であることは、学校での彼女の姿から伺える。そんな明るい性格を接客にも活かしているのだろう。
まさかこんなにもボケられるとは思わなかったが……三門はケラケラと笑ってるし、小日向もクスクスと笑っていやがる。
「おすすめはね、この日替わり定食だよ」
「へぇ、そんなのあるのか」
「今日は唐揚げ定食だね。それでね、定価は千円なんだけど学生さんは半額になるから、才木君達におすすめだよ!」
学生としては一度の食事に千円以上出すのは中々勇気がいることだが、五百円でそれなりの量の定食が食べられるなんて、なんて学生に優しいサービスなのだろう。
「じゃあ俺は日替わり定食にしようかな。小日向はどうする?」
「私はフランス産仔羊の骨付きローストを旬の春野菜とモン・サン・ミッシェルを添えて」
「何か急にフレンチになったぞ」
「あー、今日はフランス産の仔羊肉を仕入れできてないんだよねー。代わりに国産おむすびにたくあんを添えてならあるけど」
「じゃあそれにしようかな」
国産おむすびって、そりゃ日本国内で握ったおむすびならそりゃ国産になるんじゃないのか?
あと、しれっと料理に世界遺産が添えられようとしてなかったか?
「そういえば、一応学生証とか見せた方が良いか?」
「あー、一応知ってるけどルールだから一応ね」
「じゃあ確認頼む」
「どーもー。えーっと、才木君の住所は桂岡市葵ヶ谷一丁目……」
「今すぐ返せ俺の学生証を」
「ごめんごめん」
「海夏、私のも」
「あいよー。えーっと、雪ちゃんの住所は東京都米花市米花町二丁目……」
「小日向ってそんな治安悪い所に住んでたのか!?」
小日向が学生証にどんな住所を書いているのか定かではないが、三門は俺と小日向の注文と学生証を確認した後、何故か俺にチョイチョイッと手招きして、俺を小日向から引き離して彼女に聞こえないように小さな声で俺に囁いた。
「ねぇ、才木君。雪ちゃんと付き合ってるの?」
三門にそんなことを聞かれた俺はびっくりして声が出そうになったが、必死に堪えてから息を整えて言う。
「ち、違う。なんかよくわからんが誘われたんだ」
「じゃ、じゃあつまりデートってこと!?」
「なんでそうなる!」
「それにさ、雪ちゃんからお弁当分けてもらったって聞いたけど……」
「あれは何故か一個増えていたシュレディンガーのお弁当を貰っただけだ」
「ど、どういうことなのそれ……?」
ぶっちゃけ俺にだってわからないぐらいだが、きっと小日向を問いただしてもはぐらかされるだけだろう。
まさか三門に勘違いされるとは思っていなかったが……いや、傍から見ればそういう風に見えるのかもしれないがなんとか三門の誤解は解けたようで、彼女は軽やかに厨房の方へと向かい、俺も小日向のいるテーブル席へと戻ったのだった。
「しかし、三門の家が定食屋だったなんてな。初めて知ったよ。小日向は知ってたのか?」
「うん。何度か来てるよ。値段もお手頃だし美味しいからおすすめ」
「それに、あんな元気な看板娘がいてくれると元気を貰えるだろうしな」
実際、そのフレンドリーさから三門は男子達からの人気が結構高いはずだ。俺は二年生になって初めて三門と同じクラスになったぐらいで殆ど関わり合いはないが……なんて考えていると、小日向が俺をからかうような笑みを浮かべていた。
「才木君って、海夏みたいな子がタイプなの?」
一体、小日向がどういう意図で俺にそんな質問をしてきたのかはわからないが。
何となく、俺の動揺を誘っているように思えたのだった。
「べ、別に、そういうわけじゃない」
「じゃあ、どういう子がタイプなの?」
「秘密だ、秘密」
「脊索動物?」
「せめて人間ってところまでは絞り込んでくれ」
まったく、俺は小日向にからかわれてばかりだなと心の中で嘆いていると、三門が料理をテーブルまで運んできてくれて、俺と小日向は美味しい料理をいただくのであった。
「いやー、美味かった。この美味しさでこんな量を五百円で食べられるなんてお得過ぎるな」
ご飯もおかわり自由だし、その美味しさもコンビニやスーパーの惣菜とは比べ物にならないぐらいのレベルで、もう十二分に満足出来るものだった。
「でしょ~。先祖代々続くサービスだからね。お父さん達が毎日血の涙を流しながら作ってるよ」
「それはめっちゃ申し訳ないな……」
きっと提供すればする程赤字になりそうなメニューだが、学生向けのサービスにはちゃんと感謝しないといけない。
「もし良かったら何か手伝いしていくが、何かあるか?」
「えぇっ!? いや全然いいよそんなの! 才木君からはこの間つくしとたんぽぽ貰ったばっかりだし!」
字面だけ見ると、まるで俺が三門に凄くファンシーなプレゼントをしたみたいだな。俺ってそんな純粋だったの。
閑話休題。実は、俺がこの間学校の倉庫裏で保護していた二匹の子猫──つくしとたんぽぽを引き取ってくれたのは三門なのだ。
「あいつらは元気にしてるか?」
「うん! 本当はウチの看板猫にしたいんだけど、衛生的に色々難しくてさ。せっかくだし見てく?」
「いや、お店の仕事が忙しいだろうし今日はいいよ。また今度、写真でも見せてくれ」
「あ、そうだ。今日撮ったばかりの写真があるよ! 見て見て~」
あの二匹が出迎えてくれたらなんて素晴らしいことだろうと俺は思ったが、まぁ飲食店だし衛生的に厳しいところがあるのだろう。
しかし、三門に携帯で見せてもらった写真を見るに、あの二匹はすくすくと成長してくれているみたいだ。良い飼い主に巡り会えたようで何よりである。
その後、俺と小日向は会計を済ませてお店を後にした。
「才木君、お腹一杯になった?」
「あぁ、もう大満足だ。肉だけじゃなくて野菜もたくさん食べられたしな」
「良かった。じゃあ、もう良い時間だしそろそろ帰ろっか」
俺の家の最寄りへはここから櫻ノ島電鉄の電車で二十分ほど。そして小日向の家はここから近いらしく、俺達は櫻ノ島駅で別れることとなった。
「じゃあね、才木君」
「あぁ、サンキューな小日向。美味しいお店紹介してくれて」
「ううん、良いよそれくらい。また明日ね」
「あぁ、また明日」
そうして、俺はすぐにホームにやって来た電車に乗り込んで、車窓に映る夜の穏やかな海を眺めながら、ふと思う。
俺、どうして小日向と一緒に晩御飯を食べることになったんだっけ……?
何かレイドボスがどうとか青い猫の化物云々みたいな話をしていたはずなのに、一体何が本来の目的だったか忘れてしまったが、楽しかったしまぁいっかと俺は納得することにした。
しかし、あの愉快なシスターに懺悔したらすぐに良いことがある気がするなぁ。これも神様のおかげなのだろうか、サンキュー神様。
と、俺は電車に揺られながら、どこにいるかもわからない神様に感謝したのだった。
俺の懺悔を聞いてくれるあの愉快なシスターが、意外と近いところにいることも知らずに……。




