第7章 第六話:博康の想い、浩紀の決意
浩紀たちがアトラクションへ向かっていく後ろ姿を見送った。俺と香澄さんは園内を少し歩き回った後、隅にある、落ち着いた雰囲気の喫茶店に足を運んでいた。
若者たちの熱気から少し離れたこの場所には、冬の柔らかな日差しが穏やかに差し込んでいる。
「香澄さんは何にする? いつものミルクティー?」
「……ふふ、それでお願いするわ。私の好み、まだ覚えててくれたのね」
香澄さんが少し驚いたように、けれど嬉しそうに微笑む。
その表情は、出会った頃から少しも変わっていないように見えた。
「僕が香澄さんの好きなものを忘れるわけがないだろ」
笑顔で答えると、彼女は少し照れたように視線を落とした。
運ばれてきた温かい飲み物を囲み、二人の間にゆったりとした、満ち足りた時間が流れる。
だが、その静寂を破るように、香澄さんがふと真剣な眼差しで切り出した。
「正直……博康君は、私のこと、恨んでるんじゃないかと思ってたわ」
「どうしてそう思ったの?」
俺が問い返すと、彼女はティーカップの縁を指でなぞりながら、絞り出すように言った。
「別れたきっかけは、結局、私のわがままだったじゃない。……すべてのしがらみから解放された状態で、自由に生きてみたい、なんて」
その言葉に、俺は当時と同じ、穏やかな気持ちで首を振った。
「それは僕も納得して別れたんだよ。それに……別れても、好きでいていいって言ってくれたからね。何より、僕はやっぱり香澄さんに笑顔でいてほしかったんだ」
嘘偽りない本心だった。彼女を縛り付けて曇らせるくらいなら、遠くで笑っていてくれる方がいい。
そう言ってはにかんだ俺を、香澄さんは愛おしそうに見つめた。
「あなたも、浩紀君と一緒なのね。……ありがとう」
「違いないな。浩紀の杏奈ちゃんへの想いや接し方が、驚くほど昔の俺と同じで。こんなところまで似なくていいのにって、少し苦笑いしちゃったよ」
自分の鏡を見ているような弟の姿を思い出し、胸が熱くなる。
「だから……今はあいつが、杏奈ちゃんの隣で笑っていることが俺は嬉しいんだ。あいつらには、俺たちが辿り着けなかった『その先』に行ってほしいからね」
俺の言葉に、香澄さんは一瞬だけ寂しげに、けれど確かな温もりを込めて微笑んだ。
「博康君らしいわね。……でも、私はそんなあなたが好きよ」
香澄さんの言葉が、冬の午後の柔らかな空気の中に溶けていく。
博康は穏やかに目を細め、彼女と過ごす「今」を慈しむようにコーヒーを口にした。
だが、二人は気づいていなかった。
喫茶店の入り口近く、パーテーションの影に一人の少年が立ち尽くしていることに。
ーーー
(兄さん……)
それは、トイレに行った帰り、偶然二人の姿を窓越しに見つけて声をかけようとした浩紀だった。
浩紀は、息をすることさえ忘れて二人の会話を聞いていた。
博康の、どこまでも優しく、けれどどこか「諦め」を含んだ言葉。
そして香澄の、時を止めたままの愛情。
浩紀は、胸を締め付けられるような衝撃を受けていた。
自分にとっては、いつだって完璧で、何でも持っているように見えた兄。
けれど、その心には今も消えない深い傷跡があり、香澄さんというかけがえのない存在を、いまだに「しがらみ」の外側から見守ることしかできずにいる。
(兄さんは……ずっと、自分を犠牲にして笑ってたのか?)
浩紀はそっと、二人に見つからないようにその場を離れた。
自分の手を握り返してくれた杏奈の体温を思い出す。
自分はあの日、杏奈の手を離さなかった。
兄に助けられ、背中を押されて、ようやく掴み取った幸せ。
けれど、自分にその幸せを教えてくれた兄は、自分自身の幸せを過去に置いたままにしている。
「……いつか、絶対に」
浩紀は、杏奈の元へと歩きながら、静かに、けれど熱い決意を心に刻んだ。
かつて兄が俺を暗闇から連れ出してくれたように。 今度は俺が、兄さんと香澄さんの時間を動かしてみせる。
兄さんが望んだ「俺たちのその先」っていうのが、もし二人での幸せを意味するなら……。
俺は、兄さんに杏奈とのことで助けてもらった。
今度は自分が兄さんを幸せにする後押しをしてみせる。
冬の風は冷たかったが、浩紀の胸の中には、博康から受け継いだものとはまた違う、新しく力強い決意の火が灯っていた。杏奈の元へと足早に戻る浩紀であった。
第7章第6話をお読みいただきありがとうございます。
この会では博康と香澄の過去が少し明らかになりました。
そして博康の想いを聞いた浩紀は新たな決意をします。
まさに更なる成長をしようとする浩紀の爆誕です!
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