第7章 第一話:繋いだ手の暖かさ
ここから第7章が始動します!
朝の登校路。
冬の冷たい空気が、二人の吐く息を白く染めていた。
杏奈の歩幅が、以前よりも少しだけ小さくなっていることに浩紀は気づいていた。
隣を歩いているはずの彼女が、時折ふっと数歩分遅れる。
それは、彼女の心の中にまだ葛谷の影が恐怖として残り、無意識に周囲を警戒している証拠だった。
浩紀は何も言わず、ただ、いつもよりゆっくりと歩く。
彼女を急かすことは一度もしなかった。
そして、ひときわ冷たい風が吹き抜けた瞬間、浩紀はコートのポケットの中で、杏奈の冷え切った手をそっと包み込んだ。
「アン、よかったらこれから登下校の時には一緒に手をつないで歩かないか?」
杏奈は少しだけ驚いたように目を見開いたが、すぐに小さく微笑んだ。
「ヒロがそうしたいならいいよ」
「ありがと。でも……」
浩紀は一度言葉を切り、彼女の目を真っ直ぐに見つめた。
「できればアンにも、俺と手を握っていたいと思ってほしいかな」
義務感や「守ってもらっている」という負い目ではなく、杏奈自身の心がそれを求めてほしい。浩紀の言葉に、杏奈は足を止めた。繋がれた手から伝わる、浩紀の力強くて温かい熱。それは、あの音楽室の冷え切った恐怖を少しずつ、けれど確実に溶かしていく唯一の光だった。
「……うん。私も、ヒロと手を握っていたい。握ってると、すごく安心するから」
杏奈は自分からもぎゅっと、浩紀の手を握り返した。
その小さな、けれど確かな意思表示に、浩紀の胸に熱いものが込み上げる。
「アン。これから、怖いことや嫌なことがあったら、いつでもこの手を握って。アンが俺を必要としてくれるなら、俺はそれだけで、兄さんにも負けないくらい強くなれる気がするんだ」
「……ヒロは、もう十分強いよ。私を助けてくれたとき、本当にカッコよかったんだから」
少し照れくさそうに笑う杏奈を見て、浩紀は心に誓った。
この温もりを、二度と離さないと。
学校の門が見えてきても、二人は手を離さなかった。
かつては「幼馴染」という境界線の内側で、触れることすらためらっていた二人。
しかし、あのおぞましい事件を経て、彼らは互いの体温を分け合うことで、新しく強固な絆を築き始めていた。
だが、校門の影からその様子を見つめる、複雑な視線が二つ。
一つは、友人として立ち直りつつある杏奈に対する安堵と、これでやっと杏奈に遠慮せず、正々堂々と浩紀に向かいあえると考える沙織。
そしてもう一つは、無表情のまま、繋がれた二人の手をじっと見つめる薫だった。
「……上書ですか……。だったら、その上からまた塗り替えるまでです」
薫の小さな呟きは、冬の風にかき消されて誰の耳にも届かなかった。
第7章第1話をお読みいただきありがとうございます。
この話から第7章が始まります。
葛谷によって恐怖に陥れられてしまった杏奈を浩紀が愛情で上書きしていきます。
そしてそこに沙織と薫がどのように絡んでくるのか、是非、後続の話をお楽しみに。
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