第6章 第2話:無自覚な優しさが呼ぶ不穏な空気
放課後のテニス部。
浩紀にとってこの場所は、中学時代、テニス部に入ったアンを追いかけるようにして始めた、二人の絆の象徴の一つであった。
今ではエースとして部を牽引する立場だが、その根底にあるのは「アンの出来るだけ傍にいたい」という純粋な想いだ。
しかし今日、その聖域に異物が混じる。
「体験入部をお願いした、葛谷直樹です。よろしくお願いします!」
昨日、杏奈が案内していた転校生が、爽やかな笑顔で現れた。
「あ、葛谷君! 本当に来てくれたんだ」
女子テニス部の部員たちが黄色い声を上げる中、杏奈が嬉しそうに駆け寄る。
その屈託のない笑顔を見るたび、浩紀の胸の奥は温かくなるはずだったが、隣に立つ葛谷の薄笑いがそれを冷え込ませた。
ーーー
練習の合間、葛谷が杏奈に歩み寄った。
「河合さん、よかったら今の打ち方、僕が少しコツを教えてあげようか? 案内のお礼にさ」
「えっ? でも私、一応これでも部員だし……」
「いいから、いいから。ちょっとラケット貸して」
葛谷は強引に杏奈の背後に回り込み、彼女の体を包み込むようにして密着した。
「脇を締めて、こう……。そう、いい感じだよ」
葛谷の大きな手が、ラケットを握るアンの手を上から包み込む。
もう片方の手は、彼女の細い腰に、指導にしてはあまりに執拗な手つきで添えられた。
杏奈は少し戸惑いながらも、熱心に教えてくれる「新しい友人」の好意を疑うことができず、コート脇の浩紀に無邪気な笑顔を向ける。
「見て、ヒロ! 葛谷君に教わったら、なんだか感覚が掴めそうだよ!」
その笑顔が、浩紀には何よりも鋭い刃となって突き刺さる。
密着する葛谷の指先が、アンの二の腕をねっとりとなぞるように動く。葛谷はアンの肩越しに、浩紀だけに見える冷酷な、勝ち誇ったような笑みを浮かべてみせた。
「……っ!」
激昂して駆け寄ろうとした浩紀の肩を、強い力が制した。
「……よせ、浩紀」
同じA組の親友であり、テニス部主将の太田だった。
彼は浩紀に並ぶ実力者として、葛谷の異常な距離感と浩紀の殺気立った気配を敏感に察知していた。
「今お前が動けば、あいつの思うつぼだぞ。あいつの術中にはまるな」
太田の低く冷静な声が、浩紀の理性をかろうじて繋ぎ止める。
コートの外では、不安を感じて見に来ていた沙織がフェンス越しに、鋭い視線で葛谷を射抜いていた。
ーーー
部活の帰り道。ようやく二人きりになったが、沈黙は重く、冷たかった。
「……アン。あいつに、その……あんなに密着されて、嫌じゃなかったのか?」
浩紀は声を荒らげないよう、絞り出すように聞いた。だが、アンは不思議そうに目を丸くする。
「え? 葛谷君のこと? 彼はただ、フォームを直してくれてただけで……。ヒロ、もしかしてまだ怒ってるの?」
「……怒ってないよ。ただ、あいつはアンが思ってるような奴じゃない気がするんだ」
「そんなことないよ。葛谷君、すごく一生懸命教えてくれたし、良い人だよ? ヒロこそ、最近ちょっと考えすぎだよ」
杏奈に悪気はない。
純粋に仲間として受け入れようとしている。
だが、その「無自覚な信頼」が、浩紀の心を深く削り取っていく。
その夜。河合家のリビングで、杏奈のスマホにメッセージが届く。
「お姉ちゃん、それ誰から?」
妹の薫がソファに座りながら、姉の様子を観察するように尋ねた。
「転校生の葛谷君。先生に学校の案内とか頼まれたの。今日のお礼に、明日のお休みに美味しいパン屋さんに連れてってくれるんだって。街の案内も兼ねてどうかなって。行ってこようかな」
「ふーん……。浩紀お兄ちゃんには言ったの?」
「……ううん。ヒロ、最近なんだか葛谷君のことになると不機嫌になるから……。内緒ってわけじゃないけど、明日帰ってから、お土産と一緒に話そうかなって」
杏奈のその「小さな気遣い」が、最悪の結果を招くことになるとは、まだ誰も気づいていなかった。
第6章第2話をお読みいただきありがとうございます。
今回は葛谷がより杏奈に対し執拗な攻めを行うことで浩紀の感情を揺さぶってきましたね。
杏奈は無邪気に葛谷をいいひとだと思ってしまっていますが(-_-;)
この先二人はどうなってしまうのか、明日からの投稿をお待ちください。
「ヒロ耐えるんだ!」や「杏奈ちゃんもっと警戒して!」と思われた方、続きが早く読みたいと思ってくれた方はぜひブックマーク及び評価☆、感想をよろしくお願いします。作者の活力になりますので(笑)。
毎日、19時に1話ずつ投稿していきますのでよろしくお願いします。




