第5章 第八話:愛の落ち着く場所(第5章完結)
本日2回目の投稿です。
泣き崩れる杏奈の背中に、雪が静かに降り積もっていく。
博康は、手袋を外した温かい手で、彼女の震える肩を優しく叩いた。
「……杏奈ちゃん。君がさっき、俺に言おうとした告白。自分で言うのもあれなんだが、それはきっと、大切にしまっておくべき『素敵な憧れ』だったんだと思うよ」
「博康、さん……」
「でもね、浩紀の想いは違う。あいつが君に向けているのは、もっと泥臭くて、必死で……自分を殺してでも君を守ろうとする、本物の愛だ」
博康は、浩紀が自分に頭を下げに来たあの日のことを、静かに語り始めた。
「あいつは言ったんだ。『アンを悲しませる理由が、俺の存在だなんて、それだけは絶対に嫌なんだ』って。……自分の存在を消してでも、君に幸せになってほしかったんだよ。もしかしたらあいつは、俺が君を受け入れたら、君の前からいなくなるつもりだったんじゃないかな。君が新しい恋人と歩む未来に、自分の想いが邪魔をしないように……。」
浩紀のすることがわかっているかのように答える博康は、まるで自分と浩紀を重ねているように見受けられた。
杏奈の呼吸が止まった。
(いなくなる……? ヒロが、私の前から……?)
自分が博康への恋心に浮かれている間、浩紀は自分の幸せと引き換えに、自分の人生から永遠に立ち去る準備をしていた。
その痛々しい献身と、彼をそこまで追い詰めてしまった自分の無自覚な甘えに、杏奈の胸は張り裂けそうだった。
「浩紀は今、きっと一人で待ってる。君が俺と結ばれて、幸せになる報告を……自分の居場所がなくなるその瞬間を、死ぬほど辛い思いをしながら待ってるんだ。……さあ、あいつの元へ行ってあげて」
博康がそう言って微笑んだ瞬間、杏奈は立ち上がり、走り出した。
「ありがとうございます……。博康さん、ごめんなさい! 私、行ってきます!」
「ああ、走れ、杏奈!」
背後で聞こえた兄の声を合図に、杏奈は夜の街へと飛び出した。
ヒールのある靴が雪に滑りそうになっても構わない。
肺が焼けるように熱くても、一秒でも早く、あの部屋で孤独に耐えている浩紀を抱きしめなければならなかった。
ーーー
その頃、浩紀は公園のベンチに座り、缶コーヒーで手を温めながら奇麗な三日月を眺めていた。
(……もし、兄さんとアンがうまくいくなら。……僕は、できるだけ早くこの街を出た方がいいのかもしれないな)
そんな悲しい決意を胸に秘め、浩紀はポケットにしまってある小さなケースに触れた。
「もしかしたら渡せるかもしれない」という微かな希望を抱いて買った指輪。
けれど、今の彼にとってそれは、自らの愚かさを象徴する重荷のようにさえ感じられた。
ーーー
その頃、桐谷家の前にたどり着いた杏奈は浩紀の部屋に明かりがついておらず、インターホンに反応がない、さらにはスマホをいくらならしても出てくれないことに激しい焦りを感じていた。
(ヒロ、どこに行ったの!私の前からいなくなっちゃたの?ヒロ、早く私の前に戻ってきて!)
ちょうどそこへ姉である香澄が帰ってきた。
「杏奈、あなたここで何してるの?浩紀君が待ってるんじゃないの?」
杏奈はその言葉にはっとして香澄を見た。
「お姉ちゃん、ヒロのいる場所知ってるの?」
その杏奈の勢いに気圧されつつ答えた。
「浩紀君ならあなたたちが昔よく遊んでた公園にいたわよ。てっきり杏奈を待ってるんだとばかり思っていたけど……。あなた、約束してたんじゃないの?」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
そう言うと脇目も振らずに走って公園へ向かった。
背中から「あまり遅くならないのよー」という姉の声が聞こえていた。
杏奈が公園につくとベンチに座り夜空を見ている浩紀がいた。
浩紀を見つけた杏奈は浩紀を逃がさないとばかりに凄い勢いで浩紀の前にやってきた。
ーーー
浩紀はふいに目の前に立つ人物に驚いて誰なのか確認すると、肩で息をし、髪を乱し、ボロボロと大粒の涙を流している杏奈だった。
「アン!? どうしたんだ、何かあったのか!?」
浩紀は狼狽して駆け寄ったが、杏奈は浩紀の胸に全力で飛び込んできた。
「……ひ、ヒロ! バカ! 大バカっ!!もうどこかにいなくなっちゃったんじゃないかって思ったじゃない!」
「アン……?」
「これからもずっとそばにいて!絶対にいなくなるなんて言わないでよ! 私の前から消えようなんて、絶対に許さないんだから……っ!!」
浩紀はすべてを悟った。
兄がすべてを話し、自分の「消える覚悟」までもが暴かれたのだと。
「……ごめん。……ごめんな、アン。僕が……僕が君を好きだからって理由で、君の恋を邪魔したくなかったんだ」
浩紀は目にうっすらと涙を浮かべながら答えた。
「そんなの、優しさじゃないよ! ヒロがいない世界なんて、何の意味もないの……っ! 私、ヒロがいい。ヒロじゃなきゃ、絶対に嫌だ。……お願い、私からヒロを奪わないで……っ!たとえそれがヒロ自身の意志だったとしても許さないんだから!」
浩紀の目からも、抑えていた涙が溢れ出した。
彼は震える手で、ポケットからずっと隠していたあのケースを取り出した。
「アン……。これ、ずっと渡せないかもって思ってたんだ。でも、もし渡すことができたら……アンがきっと喜んでくれると思ったら、買わずにはいられなかったんだ。……アン、子供の頃におもちゃの指輪を上げたとき、約束したよね。いつか本物を上げるって。……小2の時、『10年は長い、おばさんになっちゃうから9年後にして』って言ったのも覚えてる?」
浩紀は、杏奈の震える左手を取り、その薬指にゆっくりと指輪を滑らせた。 杏奈の指に重くそして幸せな感触が感じられた。
「……あれからちょうど9年。ようやく、本物を用意できたよ。……アン、将来僕と結婚してください」
指に伝わるひんやりとした質感。
けれど、そのデザインを見た瞬間、杏奈の心臓は跳ね上がった。
それは、かつて小学生の誕生日に浩紀が「いつか本物をあげる」と言って渡してくれた、あのおもちゃの指輪に驚くほどよく似ていたから。
「これ……覚えててくれたの?」
「……忘れるわけないだろ。俺の一番大切な想い出なんだから」
杏奈は指先を口元に当て、信じられないというようにその指輪を見つめた。
かつて小学生の誕生日に浩紀がくれた、あのおもちゃの指輪に驚くほどよく似ていた。
(私はなんでこんな大切な想いを、忘れてしまっていたんだろう……)
杏奈の目から、またしても大粒の涙が零れ落ちる。
(きっと、ヒロが隣にいてくれることが当たり前すぎて、それが一番の幸せだって気づけなかったんだ……。幼いあの日の約束から、何年もの間、彼はこの瞬間のために愛を育ててきたんだ……)
彼女は、薬指に収まった指輪を愛おしそうに撫で、そのまま自分の胸元へ強く抱きしめた。
「……ふふ、ありがとう、ヒロ。この指輪、もう……一生外せなくなっちゃった」
涙を流しながらも、杏奈は今日一番の、向日葵のような笑顔を浩紀に向けた。
「ヒロ、凄く嬉しい……。博康さんに貰うより、ずっと、ずっと嬉しいよ。私、世界で一番幸せな女の子にしてもらっちゃった」
杏奈は薬指に収まった指輪を愛おしそうに撫で、そのまま自分の胸元へ浩紀を、そして指輪を強く抱きしめた。
その拍子に、制服の下でずっと彼女の心を支えていた「月のネックレス」が、カチリと硬い音を立てて指輪と重なりました。
(……これまでも、つらいことがあるたびに支えてくれていた。でも、これからは指輪も含めて、二人の愛の象徴として……)
杏奈は震える手で襟元からそのネックレスを引き出すと、窓の外から差し込む月明かりに透かして、浩紀に見せました。
「ヒロ。この月も、指輪も、ヒロの愛も……全部、私が独占するから。もう、どこにも行かせないんだからね」
「アン。コンテストでもらったチケット……いつか、僕の恋人、いやフィアンセとして、一緒に行ってくれるかな」
浩紀が恥ずかしそうに杏奈に尋ねた。
杏奈はそのまま浩紀の首に腕を回し、彼の胸に顔を埋めた。 薬指に宿る小さな重みが、もう二度と浩紀が自分の前から消えないという、何より確かな「約束」に感じられた。
「うん……! 当たり前だよ! 大好きだよ、ヒロ……!」
雪が舞い始めた聖夜。消えてしまおうとした「伝説の男」は、ようやく世界で一番欲しかった温もりを手に入れ、その腕の中に、二度と離さない幸せを抱きしめた。
空に浮かぶ三日月が二人を祝福していた。
第5章第8話をお読みいただき、そして第5章の完結までお付き合いいただき本当にありがとうございました!
孤独な暗闇の中で消えようとしていた浩紀の元へ、雪を蹴立てて走った杏奈。
かつてのおもちゃの指輪が、本物の「三日月の指輪」となって杏奈の薬指に収まり、二人の想いは最高の形で結ばれました。
ついに本当の恋人となった二人。
ここからの彼らの甘くて幸せな新生活、そしてコンテストのチケットの行方を、これからも温かく見守っていただけると嬉しいです。
浩紀と杏奈が恋人同士になったことを祝福してくださる方はぜひぜひ感想欄への祝福の言葉を!そして、【ブックマーク】や【評価★】で、最高の聖夜を迎えた二人をお祝いしていただけると大感激です!
明日の19時には5.5章の第1話を投稿予定。恋人になった二人の甘い冬休みをご堪能下さい(笑)




