第5章 第三話:揺れる天秤
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杏奈から相談を受けた日の翌日から浩紀は一人で思い悩む時間が増えると覚悟していたが、実際にはそうはならなかった。
浩紀に対する沙織と薫の大攻勢が始まったのだ。
それはある意味、杏奈のことを考える余裕がなくなるという点で、今の浩紀にとって救いであったかもしれない。
「浩紀、冬休みは私と勉強会よ。この前のデート一回きりで、終わったつもりじゃないでしょうね?」
放課後の廊下、沙織が凛とした態度で浩紀の前に立ちはだかった。
文化祭のチケットを使ったあのデートを経て、彼女の瞳には、以前よりも深い熱と独占欲が宿っている。
「……沙織。勉強ならいいけど、この前のデートはコンテストの入賞の景品だったからで……」
「あれはまだ『予行演習』よ。私はまだ、あなたの心の半分も手に入れていないわ。……分かってるわよね? 私、一度狙った獲物は絶対に逃さない主義なの。それに浩紀は私といてつまらなかったの?」
「そんなことはないよ。だけど今は……」
「なら深く考えないで!今を楽しく生きることを考えなきゃ。浩紀は一人で何でも抱えすぎるのよ。それに、なにか辛いことがあるなら少しは私を頼りなさいよね!」
沙織は浩紀のシャツの襟元を整えるふりをして、指先を滑らせた。
「それに冬休みに入ったら、毎日私が隣にいてあげる。そして『これからは君だけでいい』って言わせてみせるわ。 あの子の事を考えてる暇なんて、一秒たりともあげないんだから。覚悟しておきなさい」
勢いよくまくしたてた沙織の耳は赤く染まっていた。
ーーー
一方で、家に戻れば薫が、姉への遠慮を完全に捨て去って杏奈の相談相手として来ていた浩紀に詰め寄っていた。
「浩紀さん、クリスマスイブは、私のために空けておいてくれますよね?」
リビングで杏奈の隣に座りながら、薫は浩紀の手を迷いなく握りしめた。
その視線は、隣で俯いている姉――杏奈をはっきりと射抜いている。
「映画の続き、私の部屋で観ましょう。誰にも邪魔されない、私と浩紀さんだけの場所で」
「薫ちゃん、そういう冗談は……」
「冗談なら、こんなに心臓、バクバクしてませんよ。もう浩紀さんを見てくれない人の事なんて忘れて、私を見てください。……私、お姉ちゃんから浩紀さんを奪う覚悟、もうできてるんです」
「私から奪うって何よ。別にヒロと私は単なる幼馴染だし……」
「お姉ちゃんがそう思ってるならそれでいいんじゃない。ただ私は浩紀さんの横に「妹」としてでなく「恋人」として立ちたいだけ。だから邪魔しないでね」
「邪魔なんてしてないでしょ!」
(なんで私こんなにイライラしてるの……。私が好きなのは博康さんなのに……)
杏奈は必要以上に自分がイライラしているのを感じ、落ち着かせるように心の中で「私は博康さんが好き」と何度も唱えた。その思いだけに集中し、浩紀と薫の関係について考えないよう頭から無理やり追い出そうと必死になっていた。
叫ぶ杏奈を無視し、薫は浩紀に再度詰め寄った。
「クリスマスはちゃんと私のためにあけておいてくれないと泣いちゃいますからね。もし私を選んでくれるなら……もし浩紀さんが望んでくれるなら……その日に私の全部を上げても……」
薫は上目づかいで浩紀の顔を覗き込みながら言った。
(薫は今なんて言ったの?……全部?……そ、そんなのダメよ!……なんでダメなの?今はそんなこと考えちゃダメ。私が好きなのは……博康さんなんだから……)
無理やり博康への想いを自分に言い聞かせ、自分を保とうとする杏奈であった。
「薫ちゃん……。そういうことを簡単に言わないで。今は……誰とも付き合う気にはなれないと思うから……」
後半の言葉は、ところどころ途切れて弱々しく響いた。
薫の挑発的な告白と、沙織のまっすぐな想い。
二人の猛攻にさらされるたび、浩紀の胸には、自分を「ただの相談相手」として信頼しきっている杏奈への、やり場のない想いが募っていく。
(……これでいいんだ。これでいいはずなんだ)
浩紀は、薫の誘いを適当にいなしてから、戻ってきた暗い自室でカレンダーを見つめた。
イブまでのカウントダウンが、一日ごとに彼の心を削っていく。
浩紀の心の天秤は、自分の想いを隠してでも守りたい「アンの笑顔」という重りによって、ゆっくりと、けれど確実に、救われることのない自己犠牲へと傾いていた。
第5章第3話をお読みいただきありがとうございます。
今回は浩紀を巡る沙織と薫の女の戦いです。特に薫はある意味杏奈に宣戦布告しているようにも取れます。
浩紀を巡ったバトルがどうなるのか今後の展開をお楽しみに!
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