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【本編終了】『幼馴染の境界線 ―僕の祈りと、君の憧れ―』  作者: サッサン
第8章:絆の証明

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第8章 第十話:空白の左手、芽生える渇望

投稿時間が遅くなりすいません。

その日の夜、河合家のリビング。

薫は杏奈の前に正座し、細い肩を震わせながら、静かに、けれど衝撃的な事実を告げた。


「……ごめんなさい、お姉ちゃん。私、今日……お兄ちゃんを誘惑しようとしたの」


杏奈は手にしていたコップを落としそうになり、目を見開いた。


「……え、どういうこと、薫?」


「お兄ちゃんが好きで、どうしても諦めきれなくて……。服を脱いで、一度だけでいいから抱いてほしいって、迫ったの。……最低だよね、私」


薫は涙をこぼし、床に額をこすりつけるようにして謝罪した。

杏奈の表情から血の気が引いていく。

しかし、薫はすぐに言葉を継いだ。


「でもね……お兄ちゃん、私のこと拒否したの。自分にはお姉ちゃんがいるから、悲しませるようなことは絶対にできないって。お兄ちゃんにとって、世界で一番大切なのは、お姉ちゃんだから……私には、これからも妹でいてほしいって言われたの」


「……ヒロが、そう言ったの?」


杏奈の瞳に、絶望ではなく、微かな希望と浩紀へのさらなる信頼と愛着が宿る。

それを確認して、薫は心の中で小さく微笑んだ。


「うん。……お兄ちゃんは、本当にお姉ちゃんを愛してる。……だから、私もお兄ちゃんを諦めなきゃいけないんだって、やっとわかったの。お願い、お姉ちゃん。こんなことした私を、許してなんて言わない。でも……これからも、二人の『可愛い妹』でいさせてほしいの。それだけでいいから……」


杏奈は、しばらく沈黙した。

恋人を誘惑した妹。

けれど、それほどまでに恋人を愛している妹。

そして、その誘惑を跳ね除けて自分を選んでくれた恋人。

杏奈の中にあったショックは、浩紀の「誠実さ」という形で昇華され、同時に薫への哀れみに変わった。


「……わかったわ。薫。辛かったよね。……正直に言ってくれて、ありがとう。ヒロのことも、今まで以上に信じられる気がする。……いいよ、これからも三人で仲良くしよう」


杏奈は薫を優しく抱きしめた。

その温もりに包まれながら、薫は冷静に状況を把握していた。


(……これでいい。お姉ちゃんは、お兄ちゃんの『誠実さ』と『深い愛』、そして妹へ与える『慈悲の心』に酔いしれる。そして私は、お姉ちゃんの公認を得て、これからも彼の隣に居続ける権利を手に入れた。浩紀さんの傍にさえいられればいつか必ずチャンスはやってくる……)


ーーー


翌朝の登校路。 三人が揃う。

しかし、薫は浩紀に駆け寄ろうとはしなかった。


「おはよう、浩紀さん」


いつものように浩紀の腕に絡みつくことも、左手を求めることもしない。

浩紀は戸惑い、杏奈の顔色をうかがいながら、思わず薫に問いかけた。


「……薫ちゃん。今日は、いいの?」


「はい。私、浩紀さんを『卒業』する練習を始めなきゃいけないから。……これからは、お姉ちゃんの後ろを、ちゃんと妹として歩きます」


薫は寂しげに微笑み、二人の一歩後ろを歩き始めた。

浩紀は杏奈の手を引き、前を向いて歩き出す。

これこそが正しい形。杏奈を傷つけない、最高のエンディングに向かっているはずだった。


(俺、どうかしてる……。アンが隣にいてくれるのに、なんで……)


意識しないようにしようとすればするほど、昨日の資料室の光景が、鮮やかな色彩を伴って浩紀の脳裏にフラッシュバックする。

薄暗い中、夕闇に照らされて真珠のように白く輝いていた、薫の綺麗な体。

自分を求めて震えていた、あの細い肩の感触。

抱きしめた時に腕の中にすっぽりと収まってしまった、守ってあげたくなるような華奢な体温。

そのすべてが、掌や胸元にべたりと張り付いて離れない。

浩紀と右手をつないで歩く杏奈の幸せそうな笑顔。

それを守るために薫を突き放したはずなのに。

杏奈の温かな手をつないでいる今この瞬間でさえ、浩紀の肌は、あの禁断の瞬間に感じた「女としての薫」の生々しい記憶を呼び覚まし、痺れるような感覚を繰り返していた。


(……忘れなきゃいけないんだ。あれは、間違いだったんだから)


浩紀は必死に首を振り、記憶を振り払おうとする。

けれど、一度暴かれた欲望は、一度知ってしまった背徳の甘美さは、正論という名の蓋を押し破って浩紀の心を浸食していく。

駅のホームへ向かう階段。

浩紀は杏奈と笑い合いながらも、心の中では、二度と繋げないはずの左手が、誰かの……あの白く、冷たく、情熱的な少女の温もりを求めて、脈打つように熱くなっているのを感じていた。

一歩後ろで、薫はそんな浩紀の「背中の動揺」を静かに、そして慈しむように見つめていた。


(……ねえ、お兄ちゃん。私の体温を、身体が覚えているでしょう?)


三人の影が、朝の光に長く伸び、重なり合う。

その重なり合った影の上では、まるで浩紀の左手と薫の右手が、杏奈の気づかないところで密やかに重なり合っているように見えた。


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