第8章 第八話:焦る気持ちと薫の決意
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その日の夜、河合家のリビング。
お風呂上がりの杏奈は、ソファに座る薫の隣に滑り込むと、まだ熱の冷めない顔で今日あったことを話し始めた。
「……それでね、ヒロが泣いちゃったの。私が『そのままのヒロでいいんだよ』って言ったら、今まで見たことないくらい無防備な顔で……。あんなに私を想ってくれてるなんて、思わなかった」
杏奈は自分の両頬を押さえ、幸せを噛みしめるようにうっとりと天井を見上げた。
「私、ヒロと付き合えて、本当に世界一幸せ者だと思う。ヒロも『アンの言葉に救われた』って言ってくれたし……私たち、もう何も怖くない気がするよ」
「……そう。良かったね、お姉ちゃん」
薫は雑誌のページをめくる手を止めず、平坦な声で返した。
その表情はいつものように淡々としており、はたから見ればとても冷静な表情に見えた。
しかし、その冷静な表情とは裏腹に、内側で薫の心臓は激しい焦燥を感じていた。
(……そんな。お姉ちゃんが、あのお兄ちゃんの『弱さ』をそのまま受け入れたの?)
薫の計画の根幹は、「太陽(杏奈)が眩しすぎるあまり、お兄ちゃん(浩紀)を焼き尽くす」という構図にあった。
杏奈の期待に応えようと疲弊した浩紀に、自分という「影」が安らぎを与える。
そのサイクルが回ることで、いずれ浩紀の心は自分なしではいられなくなるはずだった。
しかし、杏奈は自ら「強い光」を和らげ、浩紀を包み込むような「優しく、暖かい光」になってしまった。
それでは、自分が提供していた「素になれる場所」に価値がなくなってしまう。
(お兄ちゃんが、お姉ちゃんの前で泣いた……。私の前でしか見せなかった『カッコ悪い姿』を、もうお姉ちゃんに見せてしまった。私の優位性が、全て奪われた……?)
雑誌を持つ薫の指先に、ぎゅっと力がこもる。
このままでは、浩紀は完全に杏奈の元へ戻り、自分はただの「恋人の妹」として外へ弾き出されてしまう。
(お姉ちゃんの愛が、私の想定を遥かに超えている……。……甘く見ていましたね)
「薫? どうしたの、そんな怖い顔して」
杏奈が不思議そうに顔を覗き込んでくる。薫は瞬時に表情を消し、いつもの可憐な微笑みを貼り付けた。
「……ううん。お姉ちゃんたちが、あまりに幸せそうで、ちょっと羨ましいなって思っただけ」
「あはは、薫もいい人見つかるよ! でも、ヒロ以上に優しくてカッコいい人なんていないかもしれないけどね」
無邪気に笑って部屋へ戻っていく杏奈の背中を見送った。
(お姉ちゃんに言われるまでもなく、浩紀さん以上の人がいないなんてことは、子供のころから一途に浩紀さんだけを見てきた私が一番よく知ってる……)
暗いリビングに取り残された薫は、一人、唇を強く噛み締めた。
(……こうなったら、攻める方向を変えて、浩紀さんのお兄ちゃんとしての優しさを最大限に利用するしかないですね)
薫はスマホを取り出し、画面に映る浩紀の連絡先をじっと見つめた。
(私のすべてをかける! もう、私のスタイルとかこだわらない……『力業』も範囲に入れていかないと、この状況は覆せない)
これまでの「癒やしという誘惑」ではなく、もっと男性の本能に訴えるような「直接的で根源的な誘惑」。
薫の瞳には、愛する人をなんとしてでも手に入れたいという、一途なまでの激しい執念の炎が燃え上がっていた。
それぞれの思いを抱いて、静かに夜は更けていくのであった。
第8章第8話をお読みいただきありがとうございます。
この話では杏奈と浩紀の関係が深まったことを知り、焦る薫の心情を書いてみました。
二人の関係が強固なものになってしまったのを知ってもなお、浩紀を何としても手に入れようと考える薫。
これもまた一途な愛と言えるでしょう。
最終的にどのような手を使ってくるのか……。そしてこの三人+1人(沙織)の関係はどうなってしまうのか……。ぜひ、続きの話をお待ちください。
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明日も夜19時15分に投稿する予定ですので、よろしくお願いします。




