第8章 第四話:三人での登校
冬の朝、底冷えする空気の中。
浩紀がいつものように玄関先で杏奈を待っていると、そこには予想外の人物がもう一人立っていた。
「おはよう、ヒロ」
「おはようございます、浩紀さん」
「おはよう、二人共。……薫ちゃんが一緒にいるなんて珍しいね」
浩紀が少し驚いて尋ねると、薫はマフラーに顔を半分うずめたまま、小首を傾げた。
薫は浩紀と杏奈が付き合うようになってから、一緒に登校することをやめていた。
「たまには一緒に行こうかと思って。それに、一人より三人の方が楽しそうですし。……やっぱりお邪魔でしたか?」
上目づかいで浩紀を見つめる薫。
「もちろんそんなことはないよ。そういうことなら一緒に行こうか」
浩紀は自然な動作で、杏奈の左手を握った。
杏奈は薫の前ということもあり、一瞬「あっ……」と顔を赤らめたが、決して手を引くことはしなかった。むしろ、見せつけるように浩紀の手を強く握り返す。
「お姉ちゃん、左手暖かそうでいいな……」
薫が、二人の繋がれた手を羨ましそうに見つめて呟いた。
「いいでしょ。これ、私だけの特権だからね」
杏奈が少しだけ自慢げに胸を張る。その幸福そうな笑顔は、今日も眩しいほどに輝いていた。
「……でも、浩紀さんの手、もう一つ空いてますよね」
その言葉が終わるか早いか、薫は浩紀の空いていた左側へ回り込み、その大きな手を自分の右手でぎゅっと包み込んだ。
「え……っ!?」
驚いた浩紀と杏奈の足が止まる。
浩紀は反射的に手を引こうとしたが、薫の手は驚くほど冷たく、そして繊細に震えていた。
(やっぱり、浩紀さんは優しいから。……妹のような私の手を、むげに振り払ったりできないよね)
薫は浩紀の顔を上から覗き込み、困惑する彼の瞳を見つめて、心の中で浩紀が薫の手を振りほどかないことを確信していた。
浩紀の脳裏には、昨夜の「妹の前なら、カッコ悪いところを見せてもいい」という言葉が蘇る。
「ちょっ、ちょっと! なんで薫までヒロと手をつないでるのよ!」
杏奈が慌てて抗議の声を上げる。
「いいじゃないですか。手が冷たくて困ってる妹のわがままくらい、許してくれても」
「そんなの、自分のポケットに入れればいいじゃない!」
「二人とも落ち着いて。……薫ちゃんは俺にとっても妹のような存在だし、たまにはいいじゃないか。ああ、でも一応駅までな。それ以降は、さすがに学校の人もいるかもしれないし」
浩紀のその決定に、薫は満足そうに微笑んだ。
「それでいいですよ。お姉ちゃんも、ありがとね」
「ヒロがそう言うなら……でも、駅までだからね! 絶対だよ!」
杏奈は納得がいかない様子で頬を膨らませたが、浩紀の「妹だから」という言葉に、それ以上の反論を封じられてしまった。
駅までの道のり。
右手に「愛する恋人」の熱い体温、左手に「守るべき妹」の冷たくて甘い重み。
浩紀は、二人の少女に挟まれながら歩く自分の状況に、奇妙な落ち着かなさを感じていた。
杏奈の手を握る力には、彼女傍にいてあらゆるものから守りたいと思う「愛しい気持ち」と、同時に「責任」が込められている。
けれど、薫に握られている左手には、徐々に温まってきた確かな暖かさと、何故か肩の力が抜けるような不思議な「解放感」が混じっていた。
「浩紀さんの手、とっても暖かいです。……すごく落ち着きます」
薫が耳元で、杏奈には聞こえないほどの小声で囁く。
浩紀は答えず、ただ駅への道を急いだ。
一見すると仲睦まじい兄妹のような光景。
しかし、その内側では、杏奈の「恋人としての独占」という砦が、薫の「妹としての侵食」によって、少しずつ、けれど確実に削り取られ始めていた。




