第6話『神の国』
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【神栄教民主共和国 マリンフォール大聖堂 僧官自室】
《PM20:00》
楽し瞬間ほど時の流れを早く感じる。リョクレイ・ルネモルンはそう思いながら頭に装着していたヘッドギア式の通信機器を取り外すと、先程から感じていた背後の気配にため息を付いた。彼は腰を下ろしたままホバリング式の椅子を回転させ後ろに振り返ると、兄か弟か分からない存在が眉間にシワを寄せてこちらを睨んでいた。
「礼拝の時間はとっくに終わっとるんやが?」
兄姉か弟妹か分からない存在……リョクレイと全く同じ顔だが頭を剃り上げている双子シャオロンはそう告げると、ツカツカと歩み寄ると目を吊り上げたまま胸ぐらをつかんでくる。そんな兄弟の怒りに満ちた目をリョクレイは苦笑して見つめかえした。
「そうカッカすんなよ。それとも女神メーアっていうのは一度や二度礼拝しなかったくらいで見捨てる心が狭い神様なのか?」
「そんな話しとるんとちゃう。ケジメの話をしとるんや。ええか? 僧官のくせに髪伸ばすんもジュラヴァナ訛りで喋らんのも許したる。せやけど礼拝をサボるんは許さへん」
「ははっ……許す? 何でお前に許し貰う必要がある?」
リョクレイは小馬鹿にしたように鼻を鳴らすとシャオロンは目を吊り上げ掌底を繰り出してきた!
眼前に迫る掌底を見極めていたリョクレイは紙一重で躱して肘打ちを繰り出すと、シャオロンは胸ぐらをつかんでいた手をほどいてそれを防ぐ。そしてシャオロンは中段蹴りを繰り出すとリョクレイは膝を上げてそれを防ぎ、先程掌底をいなした手を振りかざし手刀を繰り出す! シャオロンはその手刀を躱すと右手の指先を一点に集中して槍のように突きを打ち込み、リョクレイはそれに応えるように右足を高く上げて上段蹴りを繰り出した!
「二人共それで終いにしい!」
リョクレイの右足が先にシャオロンのこめかみに届くか、それともシャオロンの突きが先にリョクレイのみぞおちに届くか。その寸前で部屋に響き渡った声が二人の動きを止めさせた。
制止する声にシャオロンはすぐさま突き出していた腕を引いて声の先に向き直り背筋を正すが、リョクレイは面倒くさそうに右足を上げY字バランス状態でゆっくりと回転してその声の主を見つめた。
「天下の枢機卿様がそう声を張るなよ。小じわが増えるぞ」
リョクレイの態度にシャオロンは飛びかかろうとするが、入室してきた女性はリョクレイの言葉など気にする素振りも見せず、シャオロンに向かって威圧的な口調で尋ねた。
「シャオロン。猊下はアンタに何と仰りはった?」
「母上……せやけどリョクレイが」
「ウチは何と仰りはったと聞いとるんよ」
その視線にシャオロンは大人しく頭を下げて答えた。
「……礼拝やさかい……リョクレイを連れてこいと仰りはりました……ルネモルン枢機卿……」
法衣を身に纏う神栄教枢機卿メルティ・ルネモルンはその返答に厳しい表情のまま言葉を連ねた。
「そうや。猊下のおつかいもやり遂げれんで何が次期ザイアン隊隊長や。まずはしっかりやる事やり」
「……えらいスンマヘン」
大人しく頭を下げるシャオロンにメルティはようやく笑みを見せると先ほどとは打って変わって優しい口調で告げた。
「謝るのはウチやのうて猊下にや。……誰にでも失敗はある。アンタが怒った理由もちゃんと理解しとるさかい安心しい」
メルティがそう微笑むとシャオロンは「はい」と言って反省を噛み締めていた。
母親に頭の上がらないシャオロンの姿にリョクレイはウンザリしたような表情を浮かべると、メルティは表情に再び厳しさを取り戻して歩み寄ってきた。
「リョクレイ、礼拝の時間に何をしよったん?」
「これで通信回線を開いてエロ映像を見てた」
その返答と同時にメルティの手が伸びリョクレイの頬を打った。別段避けられないものではない。むしろカウンターを入れることも可能な鈍い攻撃なのだが、リョクレイも母の叱責をいなし手を上げるほど人でなしではなかった。
メルティは厳しい表情のままリョクレイを睨みつけてきた。
「どんな趣向持つんもあんさんの自由や……せやけど猊下の名に泥を塗るような行為は許しまへん。分かったら身なりを整えて礼拝堂に来んさい」
「……たかだか礼拝すっぽかしたくらいで」
リョクレイは打たれた頬を親指でなぞりながら吐き捨てるようにそう告げると、メルティは言葉の攻撃を更に続けた。
「アンタが神栄教を求めへんのならそれもええ。せやけどそれは自立してからにしんさい。猊下と私に世話になっとる間はちゃんとしてもらいます。分かりおましたか?」
「そんなに神様が」
「分かりおましたかと聞いとるんです」
息子からして母の言葉は何よりも重い。本能的に口答えが出来ないように組み込まれているのかもしれない。リョクレイはそう思いながら渋々頷くとメルティは再び柔和な表情を作りニッコリと微笑んだ。
「ほな、礼拝堂に行きましょ。猊下もお待ちになってくれとるさかい」
感情を見事に操るメルティはそう告げると踵を返して部屋を出いていく。シャオロンは一瞬リョクレイを睨みつけてから彼女に付き従っていった。
宗教一家という特殊な家族に組み込まれた自分の人生をリョクレイは恨めしく思う。しかし今の彼は黙って二人の後を追うしかなかった。
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【神栄教民主共和国 マリンフォール大聖堂 礼拝堂】
≪PM20:23≫
女神メーア像を前に神栄教教皇コウサ=タレーケンシ・ルネモルンはいつもと変わらない祈りを捧げていた。かつて彼にとっては全てだった女神メーアだが、今は愛憎が入り混じった神になっている。その憎しみをかきけすため、彼は黒い感情が渦巻くたびに自らの身体に刻印を彫り続けた。かつては後頭部のみに咲いていた蓮の花は胸や背中、腕、脚に及んでおり今や彼は蓮の教皇と呼ばれていた程である。
「ケホッ……ケホッ……」
礼拝の作法に従い大きく息を吸い込む際、彼は思わず咳き込んだ。
コウサの身体には既に病魔に蝕まれている。ローズマリー共和国の医療技術があれば死から逃れることは可能かもしれない。しかし彼はその事実を一部の人間にしか伝えず、敢えて天命に従おうと心に決めていた。
「礼拝中に失礼します」
礼拝堂に響き渡る野太い声はコウサの待ち人ではないことを証明している。彼は振り返ることなく言葉だけで返答した。
「ケホッ……はぁ。フマーオス星から返事が来たみたいやな。ラフレイン隊長」
咳き込む呼吸を整えてからコウサは振り返ると、大きな数珠を首から下げる神聖ザイアン隊隊長アンディ・ラフレインの目を見つめた。
今は亡き親友ネメシス・ラフレインの息子であり、若くしてザイアン隊の隊長に就いた彼にコウサは頼もしさを込めた視線を投げる。今やザイアン隊の存在は神栄教が独立国家となりつつある事の証明となっている。それはコウサがザイアン隊を創設した目的の一つであった。
アンディは生真面目な表情を結んだまま歩み寄ってくると、手にしていたデータ照射機を差し出してきた。
「フマーオス公国丞相トーマス・ティリオンよりこちらが……」
アンディはそう言って映像データを浮かび上がらせる。そこにはジュラヴァナ星とフマーオス星の周期が近づく期間と、ジュラヴァナの衛星ザルディアンでの会合計画が映し出されていた。
「……猊下、これで帝国とは完全に交戦状態に入ることになります。ホンマによろしおすな?」
心配そうなアンディの言葉にコウサは苦笑を浮かべる。そして全て受け入れるかのように頷いた。
「神栄教の理念は共存共栄、そいでもう一つは他者の行動を受け入れるっちゅうことや。帝国の軌跡先導法はそれに反しとる。B.I.S値で全部決めるっちゅうんは科学の過干渉や」
「そうかもしれまへん。せやけど人が作った法を受け入れるんも神栄教のやり方になるんとちゃいますか?」
「そうや。せやからこれまで帝国のやり方を見とった。その結果がこれや。ダンジョウ君がおる限り帝国は安泰やろ。せやけど彼が死んだ後の時代は人が自分や神やのうて機械に支配される世界になる可能性が高いっちゅうことや」
「……猊下は帝国皇帝とは兄弟みたいなもんやったと聞いとります。弟分を見捨てはるんでっか?」
アンディの言葉にコウサはニヤリと笑う。そして全てを悟りきったような晴れやかな笑みで女神メーア像を見上げた。
「……ボクはな。いつか自分が世界を作るんやと思っとった。勿論、今もそれを信じとる。でもそんな星の下に生まれたんがボク以外にもおった。それがダンジョウ君や。本物はボクか彼か、はたまたローズマリーにおる誰かか、いや、もしかしたら全然ちゃう人間かもしれへん。それを確かめるためにもこの戦いは避けられんのや。……それにこれは約束でもあるからな」
「シャイン=エレナ・ホーゲンですか」
アンディの言葉にコウサは小さく微笑む。
未だコウサの心の中に居座り続けるのは栗色のお下げ頭をした童女の姿である。
「……そうや。でもそんな言い方を聞いたらシャインちゃんに怒られるな」
懐かしげな表情を浮かべるコウサとは対象的にアンディは怪訝な表情を浮かべる。そして苦言を呈するかのように告げた。
「猊下、どうかシャイン=エレナ・ホーゲンへの固執はお諌めいただきますようお願い申し上げます。あの女は危険です。帝国とローズマリーの協定終結以降は行方知れず……シャイン=エレナ・ホーゲンこそがあの平和条約であるナスカブディア協定を終結へと導いたという噂もあります。その他にも既に帝国皇帝と現宰相であるエリーゼ・ラフォーレの手によって葬られたと……」
不確かな情報に踊らされるアンディにコウサはまるで子供を諌めるような笑みを浮かべた。
「アホなこと言うなや。お前は会うた事ないからそう言えるんやろうけどな。あの子は無意味なことはせぇへんし自分の野望を達成するまでは殺しても死なん子や」
「せやけど、これから帝国と事を構える以上、本腰入れなあきまへん。あん怪僧もようやくこのジュラヴァナからザルディアンに追い払えた以上、私の心配は猊下のその執着心だけですわ」
「執着か……」
アンディの言葉にコウサは自嘲気味に笑う。この世で最も憎むべき存在でありながらも、誰よりも理解しあえるであろう筈だった彼女とは、結局最後まで分かり合えることはなかった。そんな彼女への変わらない執着は、今や彼にとって自己満足になっているのかもしれない。
「そうやな。気をつけるわ。まぁこの話はエエやろ。おらん人間の話ししてもしゃーないしな」
コウサはそう言って話を終わらせる。恐らくまだ言いたいことがあるであろうアンディは渋々といった様子で引き下がると礼拝堂の扉が開かれた。
開かれた扉から海陽の光が差し込むと三つの影が浮かび上がる。その影の数を確認したコウサは微笑みながら片手を上げた。
「遅いで。もう礼拝終わったところやないか」
「えらいスンマヘン猊下」
コウサの前まで歩いてきたメルティが頭を下げると、彼女の右側の影であるシャオロンも頭を下げる。しかし左側のリョクレイは不機嫌そうな態度で小さく会釈するだけだった。
「リョクレイ。猊下にご挨拶を」
アンディがそう告げると、師である叔父の言葉には従うのかリョクレイは渋々といった様子で頭を下げた。
血縁はないとはいえ、年頃の手のかかる息子を持つのは悪くない。コウサはそう思いながら微笑むと再び女神メーア像を見上げる。メーア像は黙ってその一部始終を眺めるだけだった。
1月15日(土)AM10:00
第7話『3+1』
更新予定