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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
第三章 衆合地獄篇

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衆合地獄 37

 沈む。沈む。


 これ以上沈む先など無いはずの地獄においてすら、彼女は沈み続ける。泥でもない、血でもない、透き通った液体の中で、彼女はその身を漂わせている。

 遠く、遠く、遥か上空の彼方。眼前に広がる空が、赤でもなく、黒でもなく、見たことすらない鮮やかな色彩に染まっている。頂に浮かぶ太陽も、見慣れた地獄のそれではなく、ただただ眩しく、光り輝いていた。

 自分を取り巻く液体も、頭上に広がる空の色も、太陽の色さえも――芥川九十九の語彙では表現すら出来ない。


 それは、願っても届かない場所。夢にすら見ない、可能性の景色。


『おや、また来たのかい?』


 そんな景色の中に、まるで紙魚のように滲み出た不純物がひとつ。


『此処はキミにとって、最も死に近い場所。此処に来たという事は、キミは今確かに、その指先で死に触れているのさ。臨死体験というやつだよ。まったく無茶するね。本当に死んじゃったらどうするつもりだい?』


 少年とも少女とも受け取れる、判別の難しい性別不詳のその『声』は、芥川九十九の頭の中に直接響いてくるようだった。


『キミの命には価値がある。キミの死には意味がある。だから、こんなつまらない所で呆気もなく死なれちゃあ困るんだよ。何よりつまらない。死ぬならせめて、もっと劇的に。少なくとも、今じゃあない』


 周りの景色を上から塗り潰すが如く、遙か上空の光が強く輝きを放ち始める。透明だった何もかもが、白によって覆い隠されていく。


『さあ、物語を再開しよう。きっとまた、死ぬほど辛い目に遭うだろうけれど――安心していい。ボクはキミの語り部(ロア)だ。キミの最期に相応しいその瞬間、その物語を紡ぐ事こそがボクの役割なのだから。ボクだけはキミを見放さない。だから、どうかその時まで――生きるのを諦めないでね』


 引っ張り上げられていく。海面に浮上するように、意識が現実へと引き寄せられていく。光は輝きを増していく、その中へ吸い込まれるような感覚に身を委ね、自ら手を伸ばす。誰かにそれを掴まれたような感触を、その時確かに味わって。


 そして――


 ◆


 何度目かの夜が明けて。


「…………………………………………」


 その日、何の脈絡もなく芥川九十九は目を覚ました。


 長い夢を見ていたような気がする。けれど、その内容がまるで思い出せない。ともかく現状を確認しようと、九十九は周囲を見渡した。

 其処は自分達が拠点としているホテルの一室。寝室とリビングが地続きになっている広い空間、その奥の壁際に設置されたベッドの上。いつもの黒いジャージに身を包み、そこへ横たわる自分の身体。

 リビングからドアを挟んで廊下、キッチンの方から水音が微かに聞こえてくる。それ以外は訪れた時からまるで変わり映えのしない風景だった。室内であるにも拘わらず微かに漂う白い霧も、やはりいつも通り。


「……んーっ……」


 微睡みの抜け切っていない頭を無理矢理にでも起こそうと、上半身を起こし、そのまま両手を天へ掲げ上半身をぐっと伸ばす。全身に血の巡りを実感する。身体は依然重たいが、不調というわけではない。この気怠さは寝過ぎによるものだろう。


「……あれ、いつ寝たんだっけ……ていうか、何してたんだっけ……」


 カーテンの隙間から漏れる赤い陽光がリビングのテーブルを微かに照らしている光景をぼんやり眺めながら、ゆっくり記憶を掘り起こす。意識を失う直前の景色を手繰り寄せる――


「え?」


 その矢先のことだった。不意にリビングのドアが開き、中へ入ってきた足音に九十九が視線を向けると――素っ頓狂な声を上げる黄昏愛がそこにいた。愛は上体を起こしている九十九の姿に目を丸くして、その場に立ち尽くしている。


「あ、愛。おはよ」


 呆然としている愛にいつもの調子で挨拶をする九十九。


「つ、九十九さんっ……!?」


 ベッドの上で軽く手を振るそんな彼女に向かって、愛は慌てて駆け寄るのだった。


「あぁ……よかった、目を……っ……もう、心配したんですよ……!」


 傍までやってきてしゃがみ込み、九十九の右手を愛はその両手で握り締める。愛の低い体温が掌を通じて微かに伝わってくる。


「ごめんね。えっと……私、どうしてこうなったんだっけ?」


禁后パンドラですよ、禁后パンドラっ!」


 その単語を耳にした瞬間、廃墟で起きた『禁后パンドラ』との戦闘、その場面ごとの記憶が急速に思い起こされていく。


「あ、そっか! そうだったそうだった」


「私達、どうにかあの部屋から脱出して、この拠点まで戻ってこれたのですが……その後、九十九さんはずっと寝たきりになってしまって……」


「え、もしかして結構寝てた? 私」


「はい。あれから更に三日ほど……」


「あちゃー」


 禁后パンドラの呪いを受け続けた代償か、九十九はこの拠点に運び込まれてからおよそ三日間眠り続けていた。おかげで体調は回復したが、どうやらその間心配を掛けてしまったらしいことに九十九は肩を落とす。


「……あ。ひょっとして君、あの時一緒に居た愛の分身?」


「は、はい……二号です。ごめんなさい、私なんかを助けようとしたばっかりに、こんな……」


「いいって。結果的になんとかなったし。こっちこそごめんね?」


「いえ、そんな……」


 片や分身デコイとしての役割を果たせず、それどころか助けられてしまったことに未だ罪悪感を覚えている二号である。これ以上この話題を続けてもお互い落ち込んでしまうと察し、九十九は気を取り直すように次の話題に移るのだった。


「ええと……それで、今の状況は?」


「手掛かりを全て集めたことで、この街から出る方法を無事入手できたとのことです。今の私達はいつでもこの街から出られる状態にあります」


「お。やったね」


「ただ、その過程で赤いひとがダメージを負ったようで……この街から出るタイミングは万全を期して、全員が体調を回復してからと本体は判断したようです」


 ちりがダメージを負った――その一言で、九十九の表情は焦燥に青ざめる。


「……何があったの?」


「さあ……でも、大したことはないと聞いています」


 咄嗟に九十九は周囲を見渡していた。その視線は明らかにちりの姿を捜していて、それに気が付いた愛が慌てて口を開く。


「ここにはまだ戻ってきていませんよ。先に戻ってきた私の本体曰く、次の階層へ向かう準備がてら、しばらく別の場所でのんびり療養しているとの事です」


 ちりが目を覚ましたのは九十九よりも二日ほど早かったが――しかし当然、あの『净罪』を経たちりの容態は九十九よりも遥かに重い。しかしちりとの約束通り、愛はそのことを分身には伝えていなかった。


「かくいう私の本体も、何やら街でやり残した事があるからと今は外出中で……ここに居るのは私達だけです」


「……そっか。無事ならいいんだ……」


 この数日でちりの看病も一段落ついたのか、愛は愛で自由に行動しているようである。ひとまず全員が無事であることが解り、九十九は安堵の息を吐いていた。


 そんな折、『くぅくぅ』と、不意に奇妙な音が聞こえてきて。


「むむ……」


 安心して気が緩んだせいか、急に鳴り始める腹の虫。等活地獄に居た頃は極限状態で感覚が麻痺していたし、それがそもそも空腹による現象だという自覚すら無かった九十九である。その音が自分のものだと解るまでに九十九は些かの時間を要したのだった。


「……あっ、そうだ。ちょっと待っててください……!」


 九十九の腹の音を聞いて、ふと思い立ったように愛がその場で立ち上がった。ぱたぱたとリビングを抜け、廊下へと出る。どうしたのだろうと九十九が首を傾げていたが、ほどなくして愛は再び戻ってきた。その手には先程まで無かった紙箱が握られている。


「それって……」


 その小さな紙箱の中から取り出した物を見て、九十九は目を丸くした。


「フライドチキンですっ。前に食べたいと仰ってたので……ようやくお店を見つけました」


 それは間違いなく、油で揚げた衣を纏った鶏肉――フライドチキンと呼ばれる食べ物だった。南区の出店を回っている時、愛と「いつか食べられたらいいね」と言葉を交わしたことは九十九も当然記憶している。どうやらあれから調査がてら分身達はお店を捜していたようである。


「まぁ、現世のものとは一部材料が異なるようなので、品質は正直劣りますが――」


「一緒に食べよう!」


 愛の言葉の途中にもかかわらず、待ちきれないといった様子で九十九は声を上げていた。その頬は綻んで、普段表情が乏しいはずの九十九が明確な笑みを作っている。


「……はいっ」


 それに応えるように愛もまた、柔らかな微笑を浮かべて。二人は早速、紙箱に入ったチキンをそれぞれ手にとって口へと運ぶのだった。


「んむ……なるほど、これがフライドチキン……」


 愛に食べ方を教わりながら、九十九は骨に付いた肉を齧っていく。カリカリに揚がった皮が歯で噛み千切られると共に香ばしい音を響かせる。


「すごいね。ヒトってさ」


 油でべとべとになった指を舌で舐め取りながら、どこか感慨深そうに九十九は声を漏らした。


「これを、作ったんだもんね」


「そうですね。これもまた料理と呼ばれるものの一つです」


「よく思いつくなあ……」


 肉の削がれた骨の残骸をまじまじと見つめる九十九の様子に、愛は可笑しそうに微笑む。

 二人がそんな平和な一時を楽しんでいると――玄関の扉が開く音が廊下の向こうから微かに聞こえてきた。


「おや、あなた達……」


 そのまま廊下を抜けてリビングにやってきた声の主は、またもや黄昏愛だった。ベッドの傍でチキンを頬張っている九十九達の姿を見て、少し驚いた様子である。


「帰ってきたのですね、三号わたし


「ええ、今しがた。九十九さんも目を覚ましたようで何よりです」


「もぐもぐ」


 二号と同じく拠点で待機していた分身の一人だろう、そんな愛にも九十九はいつもの調子で手を振ってみせる。同じ顔の登場人物が多すぎる感も否めない状況だが、今更だろうか。いやそれはさておき。


「そういえば二号あなた、キッチンに放置してありましたけど……あの料理はどうするつもりですか?」


 三号の放ったその一言で、二号と九十九は動きを止めた。


「えっ」


「料理?」


「はい。二号あなたが作ったものですよね?」


 尋ねられた二号は、どういうわけか咄嗟に視線を逸らす。


「ま、待ってください。確かにそうですが……あれは練習のつもりで……」


 どうやら九十九が目覚めるより前に何やら作っていたらしい。だと言うのにもごもごと口ごもる二号、その様子に不審そうな目を向ける三号だったが――


「練習でもいいよ。愛が作った料理、食べてみたい」


 それを聞いた九十九は途端に目を輝かせて身を乗り出す。その凪いだような赤い瞳からも二号は慌てて目を逸らすのだった。


「えぇ……いや、でもあれは……失敗作で……」


「ふむ……我ながらもどかしい女ですね。三号わたしが持ってきましょう」


 見かねた三号が再び廊下に戻りキッチンへと向かう。その間も何故かわたわたと不安げな様子に二号。どうしたものかと九十九が不思議そうな表情を浮かべていると、ほどなくして三号が戻ってきたのだった。その両手には土鍋のような器が一つ。

 三号に促され、九十九はベッドから起き上がりリビングのテーブルへと向かう。その後を渋々といった様子で二号も付いてきて、三人揃ってテーブルの上の鍋を囲むのだった。


「ほ、ほんとうに、大したものではないんです。ただ食材を煮込んだだけで……」


 鍋の蓋を取ると、中から一気に白い湯気が立ち込める。キッチンで温め直したのだろう、ぐつぐつと煮立った茶色い汁の中に魚の切り身や豚肉が入っている。茶色い汁からは醤油のような香りが漂ってきていた。


「これを愛が作ったの? すごい!」


「うぅ……」


 鍋を前に喜びの声を上げる九十九、その姿にもはや何も言えないといった様子で二号は口を噤んでいた。


「いただきましょう」


「いただきます!」


 九十九と三号が手を合わせ、早速鍋の中に箸を伸ばす。この街に来てから箸の扱いにもだいぶ慣れた様子で、九十九は赤い切り身を箸で取り口へ運ぶ。


「……ん?」


 それを何度か咀嚼していると、不意に九十九は不思議そうに首を傾げたのだった。続いて豚肉を食べた三号も、それを口にした途端に眉をしかめている。


「なんだか……変わった味だね?」


「と言うか……率直に言って不味まずいですね、これは……」


 自分自身に対してすらも歯に衣着せず、率直な感想を述べる愛。先程までの様子を見る限りでも自覚はあったのだろう、作った本人は「ぐぬぬ」と悔しげな声を漏らしていた。


「……実はこの料理、()()()()()()()()使()()()()()()


「ああ、そっか。愛、動物に変身できるもんね」


 さらりととんでもない事を言ってのけたが、黄昏愛の異能を考えれば実はそれほど変なことでもない。その言葉の意味を九十九はすぐに理解し納得していた。


「調味料はこの街の市場で手に入るものを使ったのですが……私なりに思うところがあって、魚や豚肉といった食材は自分の身体で複製したものを使ってみたのです」


「その結果がこれというわけですか。ふむ……もしかして、シンプルに()()()()()ですか? 黄昏愛わたし


「そ、そうですね……恐らくそれもあるかと思いますが……でもそれだけではなくて……」


 喋りながら、二号アイは自身の右手を見る見る内に変化させていく。手首から先が魚の形になったかと思えば、次は鳥の形へと変わっていく。


「『ぬえ』の異能は、現世の動物の姿形や能力を再現するというものですが……どうやら私の肉体を元に複製された動物は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 再現率は愛本人の想像力に依存するため、その正確性は保障されない。だからなのかは定かではないが、現に愛の創った食材は味が極めて悪かった。


「これは本体の記憶なのですが……等活地獄に居た頃、私は動物に変身させた自分の体を食べることで飢えを凌ごうとしていた時期があったのです。しかし実際にそれをやってみた結果、とてつもなく不味くて……胃が受け付けなかったのです」


 その時期というのは、愛が等活地獄に初めて足を踏み入れて――やがて「怪異殺しの悪魔」と呼ばれるに至るまでの最初の一週間を指している。九十九はその頃の愛がどう過ごしていたのかまでは知らなかったのだが、どうやら過酷な一週間を過ごしていたらしい。


「あの頃は極限状態にあった自分の味覚そのものがおかしくなってしまったものだとばかり思っていました。だからこの街に来て、余裕のある今の自分なら大丈夫だと、再度挑戦してみたのですが……この有様です」


「んー……なるほど……?」


 その話を聞きながら、九十九は再び鍋の中を箸で突付く。今度は鶏肉のような物に手を出してそのまま躊躇いなく口へと運んだ。しかし何度咀嚼しても、やはりそれは鶏本来の旨味が殆ど無く、むしろ渋みの有る奇妙な味をしている。


「まさか調味料で誤魔化すことも出来ない不味さとは……いえ、とにかく……これは失敗作なんです。ごめんなさい、こんなものを食べさせてしまって……」


「うーん……もぐもぐ……もぐもぐ……」


 しょぼくれた顔で謝る二号アイ。しかしその一方で、九十九は難しそうに唸りつつも三度に渡って箸を鍋の中へ伸ばしていた。


「あの……九十九さん? もう無理して食べないでください、不味いでしょう?」


「でも、せっかく愛が作ってくれたんだもん。勿体ないよ」


 今度はスープの奥に沈んでいた団子状の肉塊を、九十九は箸で器用に掬い上げる。それを躊躇いなく口の中へ放り込んで、苦味の有る奇妙な味をしっかりと味わっていた。


「それに……うん。私、さっきのフライドチキンよりこっちの方が好きかも」


「いや、流石にそんな……気を遣わないでください」


「本当だよ。でも、確かになんでだろ。味とかじゃないんだよな……うまく言葉に出来ないけど……不思議だね」


 言っている傍から次々と鍋の中身を取り出していって、瞬く間に九十九はそれを完食したのだった。


「ごちそうさま」


 揃って唖然としている分身達に、九十九はふわりとした微笑を浮かべてみせる。


「料理、もし納得がいってないならさ。納得のいく出来になるまで何度でも挑戦してみない? 練習なら私、いくらでも付き合うから」


「……………………」


 しばらく絶句していた分身達だったが、やがて三号がちょいちょいと、二号に向かっておもむろに手招きをする。二号は膝歩きで三号の傍まで近付き、正面の九十九から目を逸らしながら、こそこそと内緒話をし始めるのだった。


「……このひと、ちょっとカッコよすぎませんか……?」


「だから言ったでしょう……そうなんですよこのひとは……」


「これは本体に共有ですね……」


 そんな分身達の様子を「なんだかよくわからないけど、仲がいいなあ」と眺める九十九、鍋に残ったスープを飲み干して――

 この街を立ち去るまで、もう数えるほどしかない時間。彼女達は穏やかな昼下がりを過ごしていたのでした。

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