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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
怪物少女の夢想偽譚 第一章 叫喚地獄篇

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叫喚地獄 8

 翌朝。


 いつ明けたとも知れない酩帝街の赤錆色の光が、窓の隙間から滑り込んでくる。分厚い布地のカーテンを透過したその微かな明るさが、空中に漂う微小な埃を照らし出し、乱れた寝具の上に横たわる三人の輪郭を静かに浮かび上がらせていた。

 昨晩の熱をまだたっぷりと含んだシーツの内部では、幾重にも絡み合った四肢が互いの体温を分け合うべく密着している。規則的な呼吸の律動が重なり合い、誰の心臓の音なのか判然としないほどに近しい距離感で、彼女たちは新たな覚醒の時を迎えていた。


「ん……朝、か……」


 ちりが重い目蓋を擦りながら、掠れた声を漏らす。その声帯の震えが、直接肌を接している九十九の肩へと伝わった。


「おはよう、ちり。よく眠れた?」


 隣で既に目を覚ましていた九十九が、柔らかな微笑みを浮かべてその赤い髪を撫でる。指先から伝わる柔らかな感触が、九十九の胸に静かな充足感をもたらしていた。


「ああ。……こんなにぐっすり眠れたのは、いつ以来だろうな」


「私も。ずっと、こうしていたい気分」


「……そうだな」


 ちりがくすぐったそうに微笑んでいると、九十九の肩越しに愛がひょこっと顔を出す。


「朝っぱらからイチャイチャと。お盛んですね」


「うわっ……起きてたのかよ……」


「おはようございます。昨晩はお楽しみでしたね」


「……それはおまえもそうだろ……」


「九十九さん、体調は大丈夫そうですか?」


「うん。元気いっぱい、絶好調だよ。セックスってすごいね!」


「……頼むから、人前ではそういうこと言わないでくれよ……」


 目覚めてからも直ぐに起き上がることはせず、ただ皮膚と皮膚が触れ合う柔らかな感触を確かめ合うべく、三人は濃密な時間を共有する。やがて名残惜しさを振り切るべく寝台を抜け出すと、連れ立って浴室へと向かった。


 天井のシャワーヘッドから降り注ぐ熱い湯が、肌にこびりついた昨夜の汗と微かな酒の匂いを洗い流していく。狭い空間に充満する濃密な水蒸気が視界を白く染め上げ、水滴がタイルに弾ける高い音が反響を繰り返す。互いの髪や背中を流し合うその所作には、戦いの中で張り詰めていた緊張感を解きほぐす、深い安らぎが宿っていた。石鹸の甘い香りが鼻腔をくすぐり、洗い流された泡が排水溝へと渦を巻いて消えていく。湯を浴びて仄かに上気した互いの素肌を眺め合いながら、確かな生の実感を噛み締める。


 火照った身体を乾いた布で包み込み、各々の衣服へと身を包んだ彼女たちは、ゆっくりとした足取りでホテルの外へと歩み出た。


 重い扉を押し開けて外界へと踏み出した瞬間、肺の奥底まで冷え切る外気が容赦なく全身を包み込む。先程までの浴室の熱気とは打って変わって、肌を刺す冷徹な温度差が現実世界への帰還を告げていた。予定通りに事が運べば、今日この酩帝街という停滞の楽園を立ち去り、次なる階層である叫喚地獄へと向かわなければならない。


 ホテルを出てすぐ、玄関先の冷たい石畳の上で黄昏愛は不意に立ち止まる。


「私、最後にべあ子さんとあきらっきーさんに挨拶してきます」


「そうか。気をつけろよ」


 ちりが注意を促すと、愛は静かに頷いた。


「お二人は?」


「ひとまず、ドロテアと合流するよ」


「……ドロテアですか。そういえば、あいつとどこで落ち合うか決めていませんでしたね」


「あの部屋にまだ残ってるんじゃないかな」


 ドロテアとは昨日、拠点にしていたあの旅館の部屋で別れたきり。特に約束しているわけでも無いが、今日この街から出るという共通認識がある以上、九十九達の帰りを待って留まっている可能性は高い。


「あのドロテアとかいう怪異、恐らく『净罪』をしている。少なくとも酩酊に耐性があるはずだ。耐性の無いオレ達はこの街から出られない。現状アイツの存在だけが頼りだ。……頼むから喧嘩すんなよ」


「……はいはい、わかりました。では、お二人がその道中でカタリナの罠に引っかからないよう、対策を施しておきますね」


 愛は自身の異能を駆動させる。彼女の指先から極細の有機的な糸が無数に紡ぎ出され、淡い燐光を放ちながら冷たい空気を編み上げていく。彼女はその精緻な結界を自身の支配下から切り離し、九十九とちりの身体をすっぽりと包み込む軌道で漂わせた。


「それでは。北区境界前で落ち合いましょう」


 物理的な干渉を退ける透明な繭を二人に与えた後、愛は小さく手を振って濃い霧の向こう側へと姿を消していく。後に残された九十九とちりは、白濁した空気が視界を極端に制限する街並みの中を、肩を並べて歩き始めたのだった。


 ◆


 方向感覚を容易く狂わせる濃霧の奥底から、酩帝街特有の甘ったるい酒精の香りが絶え間なく漂ってくる。その不安を煽る視界不良を補うべく、二人はごく自然な動作で互いの手を握り合わせていた。

 ちりの華奢で少し冷たい指先を、九十九の滑らかで熱を持った掌がしっかりと包み込む。繋いだ手から伝達される確かな脈動だけが、この不確かな世界において唯一信じられる現実であった。石畳を叩く二人の足音が、人通りの疎らな路地に空しく反響し続ける。


「これから、どうなるんだろうな」


 視界を覆う白壁に問いかける軌道で、ぽつりと、ちりの唇から普段らしからぬ不安を滲ませた声音が零れ落ちた。その音は霧の湿気に吸い込まれ、極めて頼りなく大気へ溶けていく。


「正直なんの実感も湧いてねぇんだよな。何もかもが急すぎて。九十九と、こうして一緒に居られるようになったのは嬉しいけど……世界が滅ぶとか言われてもな」


 自嘲する響きを伴ったその言葉には、到底処理しきれない現実に対する戸惑いが色濃く滲んでいた。長年抱え続けてきた罪悪感から解放され、最愛の存在と心を通わせることができたという至上の幸福。それに加えて突きつけられたのは、拷问教會イルミナティによる世界滅亡の危機という途方もない脅威である。個人の幸福と世界の終焉というあまりにも規模の違う事象が同時に降り掛かり、彼女の感情は適切な置き場を見失っていた。


「うん。まあ、それはそうだよね」


 九十九は繋いだ手に微かに力を込めながら、ちりの歩幅に合わせるべくゆっくりと相槌を打つ。その凪いだ赤い瞳は、隣を歩くちりの横顔を優しい光で包み込んでいた。表面上の穏やかさの裏側には、互いの存在を確かめ合う切実な響きが隠されている。


「一昔前のオレだったら、こんなクソ地獄さっさと滅んじまえって思ってたな。せっかく死んで終わったはずなのに、無理やり転生させられて、死んだ後も苦しみから解放されないなんて……文字通りの生き地獄。むしろこの地獄では、そういう悲惨な目に遭っている連中のほうが圧倒的に多い。オレもそうだった」


 かつての自分自身を回顧しながら、ちりは淡々とした口調で世界の真理を語る。


「そういう意味ではきっと、拷问教會イルミナティのやろうとしている事は間違いじゃない。こんな世界、本当は終わらせるべきなんだろう。救済とは確かに言い得て妙だぜ。ならオレ達のしようとしている事はきっと、悪なんだろうな」


 永遠に続く苦痛からの解放という観点に立てば、世界を無に還そうとする彼らの思想は、決して完全な間違いとは言い切れない。むしろ多くの者にとっては福音となり得る可能性すら秘めている。自分たちの生存を優先してその救済を阻む行為は、他者の安息を奪う大悪に他ならない――彼女はその冷静な視座から己の立ち位置を静かに分析する。


「……でも。それでも、終わらせたくないと思っちまった。ようやく悟ったぜ。オレは幸運だったんだ。幸運で、幸福だ。終わりにしたかったはずの、この地獄を……この人生を、まだ終わらせたくないと思ってる」


 自らが孕む矛盾を肯定するべく、ちりの言葉には次第に強い熱が帯びていく。一度はすべてを諦め、己の肉体を切り刻んででも終止符を打とうとした彼女が、今や明確な意志を持って世界に叛逆しようとしている。


「結局、どいつもこいつも自分の為にやってるだけなんだ。他人に迷惑がかかろうがどうでもいい。ただ自分勝手に生き死にをやってるだけ。そんな登場人物エゴイスト共が、この作品せかいを動かしている。そういう物語はなしなんだ、これは」


 世界の理不尽を強引に捩じ伏せる、究極の利己主義への到達。誰もが己の欲望の赴くままに他者を踏み躙り、その屍の上に自らの理想を築き上げる。それこそがこの狂った世界の正しい在り方で――別段それは、この地獄に限った話ではない。人間が生きる世界ではきっと、どこでもそうなのだ。


 言葉を区切るのと同時に、ちりは九十九の掌を砕けんばかりの強い力で握り締めた。その指先から伝わる痛いほどの圧迫感は、彼女の内に秘められた狂気的なまでの執着を表している。


「オレは……ようやく掴んだこの幸せを、終わらせたくない。他の奴等が不幸になろうがどうでもいい。誰に憎まれようが疎まれようが知ったこっちゃねえ。オレの……オレ達の幸せを、邪魔する奴は……皆殺しだ」


 赤い瞳に昏い炎を宿し、ちりは迷いのない声で漆黒の意思を言葉にする。救済など必要無い。ただ隣にいる少女と共に生きるためならば、世界中の全てを敵に回して血の海に沈めることすら厭わない。そんな純化されたエゴイズムこそが、物語の舞台に立つため、本当に必要な資格だったのだ。


「なんだか、愛みたいだね」


 そんな彼女の決意表明に対して、九十九は呆れるでも恐れるでもなく、どこか楽しげな響きを伴ってその名を口にした。欲望に忠実で、目的のためなら手段を選ばないあの黒い少女の姿を重ね合わせた素直な感想。


「……やめろ。きしょくわりぃ」


 比較されたことに本気で嫌悪感を示すべく、ちりは露骨に顔を顰めて吐き捨てた。その即座の反応に、九十九の口元から柔らかなくすくすという笑い声が漏れる。


「でも、そうだね。私も同じ気持ちだよ」


 笑いを収めた後、九十九はその凶暴な利己主義に同調する意を示した。


「結果的に、世界を救うことになっただけ。ただ私達は、三人で一緒に生きていたいだけ。だから、うん。それ以外はどうでもいい」


 世界を滅亡の危機から救うという大義名分は、あくまで彼女たちの個人的な目的を達成する過程で生じる副産物に過ぎない。芥川九十九という存在の核にあるのは、ただ愛する者たちと平穏な時間を紡ぎたいという、極めてささやかで絶対的な願いだけであった。


 その言葉を聞いたちりの瞳が、微かに不安の色彩を帯びて揺らめく。一緒に居たいという願いの強さは完全に一致している。ただ、そのささやかな願いを阻む障害として、あの拷问教會イルミナティが立ちはだかってくるという現実。死闘の予感。

 果たして本当に、この先もずっと一緒にいられるのか。彼女の胸の奥底に澱となって沈殿するその微かな不安が、どうしても滲み出てしまう。


「大丈夫だよ、ちり」


 隣を歩く少女の心の揺れを敏感に察知した九十九は、足を止めてちりの正面へと向き直る。そうして九十九は、不意にちりの顔を引き寄せると、その冷たい唇に自身のそれを深く重ね合わせた。


 濃霧の冷気の中で交わる熱い粘膜の感触が、ちりの思考を瞬間的に停止させる。繋がれた唇から相手の吐息が直接流れ込み、不安の感情を塗り潰していく。微かな甘い味を舌先に残しつつ、短い口付けの後に唇を離す。九十九は至近距離でちりの瞳を真っ直ぐに射抜いた。


「ちりにはもう二度と、指一本触れさせない。私が必ず、ちりを守る。約束だ」


 それは世界に対する宣戦布告であると同時、ちりにとっては忘れもしない二百年来の約束。ある意味では悪魔との契約にも等しい誓い。それが呪いだったあの頃とはもう違う。今の一ノ瀬ちりならば、それを明確な愛情として受けとめられる。


「……うん」


 九十九の赤い双眸に灯る光を見つめ返し、ちりは自身の細い首を縦に振る。


 その小さな動作を合図にしたかのように、ちりの背骨を強張らせていた見えない芯が、内側からじんわりと熱を帯びて解れていく。肩口からこわばりが抜け落ち、代わりに爪の先にまで確かな血の巡りが戻ってくる。


 淀んだ霧の底を踏みしめる二人の靴底の感触は、互いの隣を歩くことができる静かな喜びに満ちていた。


 ◆


「よォ! あの嬢ちゃんはどうしたァ?」


 かつて拠点としていた古びた旅館の部屋に戻ると、二人を出迎えたのは軋む音を立てて狭い寝台に横たわっているシスター・ドロテアだった。顔の半分を隠すサングラスの奥で金色の魔眼を光らせ、太い声を張り上げる。


「最後に知り合いと挨拶してくるって。北区境界前で落ち合うことになってる」


 九十九は室内に漂う埃っぽい空気を短く吸い込み、愛の動向を淡々とした口調で告げる。


「そうかい。ンじゃまァ、そろそろ行きますかねい」


 金属のスプリングを悲鳴のように軋ませながら、ドロテアがゆっくりと巨大な上体を起こした。使い込まれた革のジャケットが鈍い摩擦音を立てる。顔から首筋にかけて彫り込まれた薔薇と茨の刺青が、異常に隆起した筋肉の動きに合わせて蠢くような錯覚を相変わらず生み出していた。


「ところで、どうやって叫喚地獄に向かうつもりなんだ?」


 これから先の道程に思いを馳せ、九十九は自身の内側に芽生えた純粋な疑問を口にする。


「前回は、列車の進行方向に『穴』があった。列車ごと強制的に転送させられたんだ。このまま列車に乗り込んでも、結果は同じなんじゃないか?」


 そしてこの事実は九十九にとっても伝え聞いただけで、実際に列車が『穴』に飛び込む瞬間を目撃したわけではない。そもそも異能の発動を中断させられるドロテアの『邪視』は、カタリナ本人と視線を合わせなければその効果を発揮できない。つまり既に開いている『穴』に対してドロテアは無力なのだ。既に開けられた『穴』は物理的に回避する以外避けようが無い。対策を講じず同じ手順を踏めば、結果は火を見るより明らかだった。


「おォ、滅三川から聞いてた通りだなァ。だったら大丈夫だぜい。己等に任せておきな」


 しかしドロテアは、豊かな胸を豪快に叩きながら自信に満ちた笑みを浮かべてみせる。一見あまりに根拠の希薄な確信を前にして、九十九とちりは顔を見合わせ、眉根を寄せることしかできなかった。


 ◆


 薄暗い旅館の部屋を後にした三人は、黄昏愛との合流地点である北区境界前へと歩みを進める。北区の深部へ近付くにつれ、周囲を覆う白霧はひときわその濃度を増していった。一呼吸するだけで、喉の粘膜を直接アルコールで焼かれるようなヒリつく刺激が肺へと侵入してくる。一歩でも境界の内側に踏み入れば、強靭な精神力を持つ者であっても瞬時に酩酊の毒が脳髄を犯し、意識を白濁の底へと引きずり込んでしまう死の領域がそこには広がっていた。


 境界前の安全地帯には、まだ愛の姿はない。濃密な霧の気配に肌を粟立たせながら待機することおよそ二時間。やがて白霧の向こう側から、無傷の愛が足音も立てずに姿を現した。これでようやく、次なる階層へと挑む四人が一堂に会することとなる。


「で、駅はこの先ですけど。どうするつもりですか」


 周囲の異様な環境を冷徹な視線で舐め回すように確認しながら、愛は警戒の糸を張り詰めたままドロテアに鋭く問いかけた。漆黒の瞳には、未だドロテアへの明確な不信感が宿っている。


「ンなもん、己等が手前さんらを担いで行けばいいだけだろォ」


 そんなドロテアの口から飛び出したのは、あまりにも原始的な解決策。それは単純明快ながら、前回の世界線においても净罪を果たした一ノ瀬ちりが同様に導き出した最適解でもある。


「アンタ、やっぱ净罪してんだな」


「おうよ。もう随分昔の話だがなァ、滅三川にこっそりあの地下室に連れていかれてよォ、净罪させられたんだよ。事情は聴くなっつうからよォ、あの時はどうしてこんな事しなくちゃなんねェんだって思ってたんだがよォ。まさかこの日の為だったとはなァ。流石は滅三川だぜ」


 ちりの推理を裏付けるように、ドロテアは自らの肉体を損なった過去を、まるで場末の酒場での笑い話のように気安い口調で振り返る。


「……本当に、したんだよな? どこも痛くないのか?」


 そのあまりにあっけらかんとしたドロテアの態度に、ちりの口から思わず問いが漏れ出す。ちりの手のひらには、つい先日あの地下室で、自らの腹部に冷たく重い鉄製の鋏を突き立てようとした時の、肌を這い上がるような恐怖が未だ生々しくこびりついていた。


「ハッハッハ! 痛いに決まってんだろ! 我慢してんだよッ!」


 ドロテアは周囲の霧を吹き飛ばすほどの豪快な笑い声を上げ、己の肉体を苛み続ける苦痛をあっさり肯定してみせる。

 净罪を済ませたということは、生きたまま自らの皮膚を切り裂き、内臓を鋏で切除する苦痛を味わい尽くしたということを意味する。地獄の理外によって刻まれたその傷は永遠に癒えることは無く、今この瞬間も彼女の神経を焼き続けているはずだった。

 それにも関わらず、ドロテアは額に汗一つ浮かべることなく、顔の筋肉をピクリとも歪ませずにその激痛を飼い慣らしている。

 よもやシスター・カタリナのように痛覚の伝達自体を物理的に遮断しているわけでもない。内側から肉を抉り取られるような痛みをただの気合で笑い飛ばすドロテアの強靭すぎる精神構造に、ちりは恐怖すら覚え、顔を引き攣らせた。


「ほら、さっさと行くぜい! 大人しく担がれなァ!」


 猶予はないとばかりに、ドロテアが丸太のような両腕を伸ばし、三人の身体を次々と乱暴に担ぎ上げていく。抵抗する間も与えず、愛と九十九の身体は分厚い両肩の上へと放り投げられ、小柄なちりに至っては太い腕の脇へと荷物のように強引に抱え込まれた。


「ちょっと……! 変なところ触らないでください! 殺しますよ!?」


 予期せぬ荒っぽい接触に、愛は黒い瞳孔を限界まで収縮させ、即座に殺意の籠もった抗議の声を上げる。


「あーうるせェうるせェ! 黙ってろクソガキ、舌噛むぞォ!」


 だが、ドロテアは愛の放つ鋭い殺気などそよ風程度にしか受け取らず、腹の底から響く怒声で即座に黙殺した。そして次の瞬間、大木のような両脚が地面を深く蹴り上げ、一気に危険な霧の深淵へと向かって走り出す。


 突風のような加速が三人の少女の顔面を打ち据えた。同時に、視界を奪う白濁した酩酊の霧が暴力的な勢いで呼吸器へと流れ込み、血流に乗って脳細胞へと到達する。


「く……っ……」


 耳の奥で鳴っていた風の音が急速に遠のき、世界から色彩が抜け落ちていく。アルコールの毒が神経を麻痺させ、思考の輪郭が水に落ちたインクのように曖昧にぼやけ始めた。

 やがて網膜からは最後の光が剥がれ落ち、抗う間もなく、少女達の意識は暗闇の彼方へと静かに沈んでいったのである。


 ◆


 深い泥の底から無理やりに引き上げられるような感覚と共に、芥川九十九は重い目蓋を押し上げた。


 視界の端で規則的に明滅する車内灯の鈍い光が、網膜を微かに刺激する。鼻腔を突くのは長年放置された布の埃っぽい匂いと、車輪が鉄の軌道を擦る際に生じる焦げた金属の臭気。背中には古びた座席の硬い反発があり、足元からは等間隔で刻まれる車体の振動が絶え間なく伝わってくる。

 状況を把握しようと首を巡らせた九十九は、自分の左右の肩に心地よい重みと柔らかな熱が預けられていることに気がついた。


 右側には一ノ瀬ちりが赤い髪を乱して九十九の腕に縋るように眠り、左側には黄昏愛が黒いセーラー服の袖を握り締めながら静かな寝息を立てている。その密着した肌から伝わる確かな体温が、ひとまず自分達の身が無事であることを無言のうちに証明していた。


 九十九の微かな身動きが引き金となったのか、列車の車体が軋む音に合わせて、ちりと愛もまた重い睫毛を震わせてゆっくりと覚醒の時を迎える。


「よォ、御三方。お目覚めだな」


 向かい側の座席から響いたのは、地の底を這うような低い声調。声の主であるシスター・ドロテアは、巨大な黒い身体を窮屈そうに折り畳みながら一人で座席を占領している。黒いサングラスの奥に潜む金色の双眸が、薄暗い車内でも異様な存在感を放ちながら三人の様子を静かに値踏みしていた。


「……これ、普通に乗っちゃってるけど。本当に大丈夫なんだよな?」


 まだ覚醒しきらない頭を振り払いながら、九十九は掠れた声でドロテアの意図を問い質す。

 自分達が今、地獄間における正規の移動手段である猿夢列車に揺られているこの状況はやはり、前回と差異が無いように見える。果たして本当に、このまま乗っているだけで叫喚地獄に無事辿り着けるのか。疑念が九十九の脳裏に渦巻く。


「安心しなァ、もう手は打ってあるからよォ。このまま揺られてりゃあ、そのうち叫喚地獄だ」


 ドロテアは革のジャケットを軋ませながら、不敵な笑みを口の端に浮かべてみせる。その言葉の真意を測りかねた九十九が更なる問いを重ねようとした、まさにその刹那。鼓膜を叩くような鋭く乾いた破裂音が、密閉されたはずの車内の空間で唐突に弾け飛んだ。


「はいはいはーーーーい!! ボクのこと呼んだーーーー!? 呼んだよねーーーー!?」


 それは空気を無理やり引き裂くようにして、列車の通路の中央に突如として出現した。

 七色の布が幾重にも複雑に折り重ねられた分厚い虹色のフレアスカートが、無重力の空間にあるかのようにふわりと膨らんでいる。幾何学的なまだら模様が視覚を狂わせるパーティースーツに身を包み、白塗りの顔の左半分は漆黒の仮面によって冷酷に覆い隠されていた。

 束感のある白髪が風もないのに揺らめき、頭上には先が黒と白の二又に分かれた道化の帽子が乗っている。重力の法則を完全に無視して宙に滞空するその姿は、この世のあらゆる物理法則を嘲笑うかのような異端の存在。


「やあやあ、久し振り! 地獄の水先案内人、ロアだよっ!」


 性別不詳。正体不明。地獄の案内人を自称するその道化は、今宵も仮面の奥で爛々と輝く金色の瞳を細めながら登場し、愛想よく手を振ってみせるのだ。


「呼んでないんだけど……」


 九十九は眉間に深い皺を刻み、警戒心を露わにして冷ややかに突き放す。しかしロアを名乗るその存在は九十九の刺すような視線も何のその、滑らかな円を描くように宙を旋回し始めた。


「いーや呼んだね! だってキミ達、心の何処かで願ったでしょう? 求めたでしょう? 謎に対する答え、即ち道案内をさっ! ユーザーの潜在的な要望に先回りして応えるなんて、ボクってば優秀な案内人エージェントだよねっ!」


 宝石の装飾が施されたネイルで彩られた両手を、波打たせるように上下へと動かしながら空間を泳ぐ。笑い疲れて罅の割れた道化の白い頬に不規則な皺を深く刻んで歪ませながら、眼下に座る少女たちを見下ろし、まるで劇場の舞台で歌い上げるかのような大袈裟な抑揚をつけて言葉を紡いでいく。


「そこの『邪視』の怪異にお願いされたのさ! まだ誰も乗せたことがない、一度も使ったことがない路線ルートで叫喚地獄に向かうようにってね!」


 ロアの指先が、向かいの席で腕を組むドロテアの姿を真っ直ぐに指し示した。車輪が硬質な軌条を噛み砕くような重低音が響く中、猿夢列車の狭隘な車内に道化の甲高い声がこだまする。


「聞いたよ聞いたよ? 一度でも訪れたことのある場所、その座標に対して空間を繋げる穴を生成できるんだって? とんでもない奴がいたもんだね。でも対策は簡単! そいつが絶対に知らないルートで移動すれば、邪魔される心配も無いってわけさ! ボクってば天才!」


「あっ、こいつ! なに自分の手柄にしようとしてやがんだクソピエロッ! 滅三川が提案した作戦を己等が教えてやったんだろうが!」


 ロアの口振りに、ドロテアがサングラスの奥で目を怒らせながら荒々しい声を張り上げる。その巨体が僅かに動くだけで、周囲の空気が物理的な圧力を伴って震動するようだった。


「全く信用できないんですけど」


「ま、ここまで来たらなるようにしかならねぇよ」


 両者の言い争う声が狭い車内に響き渡る中、愛とちりが息を潜めて言葉を交わす。その一方で、九十九だけが神妙な面持ちのまま一人立ち上がり、宙を舞うロアと正面から向き合った。


「……いい機会だ。ロア。お前に訊きたいことがある」


 九十九の赤い瞳が、宙に浮くロアの仮面の奥を射抜くように睨みつける。


拷问教會イルミナティが如月真宵を使って世界を滅ぼそうとしている。その計画をお前は知っているよな?」


 一瞬にして、車内の空気が凍りついたかのように重さを増した。車輪の響きさえも遠のき、張り詰めた静寂が鼓膜を圧迫する。


「…………どうしてそのことを、キミが知っているのかな?」


 道化の顔から先程までの軽薄な笑みが完全に拭い去られ、白塗りの肌が更に温度を失ったように冷たく変貌する。


「訊いているのはこっちだ。どうしてお前は……いや。どうしてお前達は、奴等のことを直接妨害しようとしない。世界が滅んで一番困るのは、きっとお前達のはずだ。奴等の計画を止めたいなら、それこそバルバラや如月真宵本人に事実を直接伝えればいい。事態は簡単に収束するはずだ。なぜそうしない?」


 ロアは世界の法則を管理する側の存在である。だというのに、世界の危機に瀕してロアにはその当事者意識が見られない。真偽不明の噂を触れ回るように、直接的な真実への言及を徹底的に避けている。かと思いきや、九十九達の行く末を間接的に誘導することもある。

 まるでただ事態を掻き乱す為だけに存在しているような、道化の如き振る舞い。九十九がそこに疑問を抱くのは自然だった。


「……………………」


 ロアの動きが唐突に停止する。それは生物が息を潜めるという次元のものではなく、電源を落とされた機械構造のように、空間に固定されたまま一切の微細な揺らぎすら見せない異常な静止だった。

 その瞳が見据えているのは、目の前に立つ芥川九十九の瞳の中。その凪いだような赤色の奥深くに――白髪で褐色の肌を持つ欠陥品ヒストリアの姿がノイズまみれに幻視されるのを、ロアは確かに捉えていた。


 やがて再起動を果たしたように首の角度を僅かに変えたロアは、次のその視線を九十九の後ろに控え座っている黄昏愛へと移し、その姿をじっと観察し始める。

 愛の精神状態は安定している。自己の存在に対する疑念を抱いていない――その事実を視覚情報として確認すると、ロアの罅割れた口元に再び、あの不敵な笑みが浮かび上がるのだった。


「…………………………………………なるほど。そういうことか」


 それは互いの腹の底に隠された手札の価値を、言葉を交わすことなく正確に測り合った者同士にしか通じない、静かなる共犯関係の成立を意味する響きだった。


「芥川九十九。ボク達の計画を、キミは知っているのかな?」


 ロアの問いかけに、九十九の胸の奥で重い鉛のような痛みが鈍く脈を打つ。内臓が冷たい泥に沈み込むような不快感が、全身の血流を停滞させた。


「……嗚呼、知っている。だから許せない。お前達のこと……閻魔大王のこと」


 あの時。芥川九十九が一巡目の世界において最期を迎えるその間際、開闢王の口から語られた真実。その記憶が、九十九の脳髄を冷たく灼き焦がす。


 無間地獄の魔王――閻魔大王は、黄昏愛という少女に偽りの記憶と人格を与え、彼女の成長を促してきた。全ては最悪のケースに備えるため。拷问教會イルミナティへの対抗手段、新たな魔王の器を用意するために。システムの防壁として利用するための周到な計画だった。

 今の世界線に生きるこの愛は、自身の存在が虚構の上に成り立っているという事実を知らず、ただ純粋に『あの人』を探し求めている。存在しない花を追い求め、存在しない過去に縋って、存在しない自分自身を辛うじて保っている――


 ――と、ここまでが今の九十九が知っている情報。しかしそれは『黄昏愛』の本質ではない。『黄昏愛』がこう成った最大の元凶は、彼女の生前にこそある。その真実を九十九が知るのは、まだ当分先の話。


「九十九さん……?」


 交わされる難解な言葉の応酬に意味を見出せず、愛は不安げな眼差しで九十九の横顔を見上げていた。

 その純粋な漆黒の瞳を前にして、九十九は自身の奥歯を砕けんばかりに噛み締める。この真実を愛に伝えることだけは絶対に避けなければならない。九十九には予感があった。きっとその真実は、愛の根幹を揺るがすことになる。それが黄昏愛の急所であることなど明白。等活地獄での一件然り、無間地獄での一件然り、黄昏愛は暴走するとどうなるか解らない。

 それは愛の平穏を願う九十九にとっても、魔王の器としての完成を待つロアにとっても、決して望まない最悪の結末。だからこその共犯関係。それが解っているからこそ、ロアの顔には邪悪な笑みが貼り付いていた。


「いやいやこっちの話~! 気にしなくていいよ~! さて芥川九十九。キミの質問に答える前にまず、キミにはボクという存在の仕組みについて理解してもらおうかな」


 愛の疑念を強引に逸らすように、ロアは再び軽快な口調を取り戻して空中で両腕を大きく広げてみせた。空間を和ませようとするその作為的な動作が、九十九には果てしなく空々しく映る。


「ボクは無間地獄の王にして地獄システムの管理者、閻魔大王の端末。『フォークロア』の怪異。全ての怪異に憑依して、その行動を監視するのが役目……っていうのは、なんとなく知ってるよね?」


 ロアの金色の瞳が、無機質な光を帯びて九十九を見据える。


「ボクが奴等の計画に直接介入できない理由は、三つ。ひとつは、三獄同盟の契約内容のせい。ボクもその一員として関わっているからね。ボクが堕天王あのコ音楽活動おあそびに付き合っているのもそれが理由さ。そんなボクが三獄同盟にまつわる真実を話そうとすれば、ボクは契約違反で酔い潰されるか四肢を引き千切られるかの二択なわけ」


 三獄同盟。その呪いじみた契約は、システムを管理する側の存在ですら抗いようのないルールとしてこの地獄に巣食っている。この事実から鑑みても、どうやら地獄のシステムは万能ではなく、むしろユーザー以上に『ルール』というものに縛られているようだった。


「二つ目。そもそもボクはキミたち怪異ユーザーが必要としない限り、怪異ユーザー間で起こした問題に直接干渉すること自体禁じられているんだ。()()()()()()()ってね。ボクができるのは、あくまで道案内だけ」


 端末としての権限の限界。世界をただ観測し続けることしか許されない、手出しの出来ない盤上を見つめるだけの空虚な機能。


「ま、それって裏を返せば……()()であれば、ボクにもキミたちへの干渉が許されるってことだけどね。つまりは()()()()を利用して……ある程度の間接的な誘導は可能なんだ。ただその場合でも、ボクの自由意志による発言は禁じられているから、ボクの言動はどうしたって制限されてしまうのさ。つまんないよね?」


 顔の半分を覆う仮面の下で唇を尖らせ、ロアは不満げに肩を竦めてみせる。


「そしてこれが極めつけ。ボク達は人造怪異や人造呪物のような、閻魔大王が検閲していない非正規の怪異やその異能について、正しく認識することができない。如月真宵を始めとする拷问教會イルミナティの連中がどうやってあの酩帝街を自由に出入りしているのか、どうやって羅刹王を殺すつもりなのか、ボクは本当に知らないんだ」


 それはシステムという巨大な網の目をすり抜ける、致命的なバグの証明だった。全てを監視しているはずの目が、特定の波長だけを捉えられないという構造的な欠陥。


「じゃあお前は、净罪のことも知らないのか?」


 九十九の口から発せられたその単語が空気に触れた瞬間、ロアの顔に奇妙な歪みが生じた。映像が乱れるように輪郭がブレ、存在そのものが不安定な揺らぎを見せる。


「…………今なんて言ったの? ノイズがかかっててよく聞こえなかったけど……あぁもしかして今、如月真宵が造った何かについて言及した?」


 ロアは自身の耳元に手を当て、不快な高周波を振り払うかのように顔を顰めている。九十九達には聞こえないが、まるで鼓膜を突き破るような不可視の悲鳴が、その肉体を内側から苛んでいるかのようだった。


「単語すら認識できないのか……」


 その様子を見ていたちりが、信じがたいものを見るように息を吐き出す。世界の法則を司る存在ですら手出しできない領域を造り出す、そんな法外な異能を持つ相手と、これから戦わなければならない。その事実に、背筋を冷たい汗が伝う。


「奴等が世界を滅ぼそうとしている事は知ってるよ。でも具体的に何をしようとしているのかは知らない。ただその実現のために()となる何かを探してるって話は、風の噂で聴いたことがあるけどね」


 ロアは諦めたようにため息を吐き、再び宙に胡座をかくような姿勢で浮遊した。己の無知を認めるその態度は、万能を装う道化の仮面が剥がれ落ちた瞬間でもあった。


「それはそれとして、ボクの自由意志が許される条件もあってね。ボクのほうから教えることが禁止されている情報でも、既に怪異ユーザー側が知っていた場合や、その渦中において『案内』を求める怪異ユーザーに対してのみ、ボクの言動の制限は緩和される。今こうして話すことができているのも制限が緩和されているからさ。列車の路線を変更できたのもね」


 制限の抜け道を見つけ出した自負を誇るように、ロアの胸が僅かに張られる。

 ……しかし、自分達が作った制限に自分達が四苦八苦していては世話がない。

 何事にも例外はあると言うが……例外と呼ぶには如何せん、その数が多すぎるのではなかろうか。


「そりゃ本音で言えばボクだってさあ! 世界を救ってほしいのは山々だよ!? でもそれを望む怪異ユーザーが現れない限り、ボク達には手の出しようが無かったのさ! この苦労が解るかい?」


 悲痛な叫びにも似たその声は、万能であるはずのシステムが抱えるどうしようもない無力感を代弁していた。しかし、その言葉が九十九の心に同情を呼び起こすことはない。


「……だからお前は、私達が世界を救いたいと望むように誘導してきた。でも、そのせいで……愛は……」


 九十九の拳が膝の上で硬く握り締められ、爪が手の平に食い込んで白く変色する。愛の魂を道具として扱ったシステムへの静かな怒りが、彼女の全身を焦がしていた。


「え、もしかして怒ってる? おいおい、それは流石にお門違いじゃない? 悪いのは拷问教會あいつらだろ? むしろボク達は、キミ達の世界を守ろうとしているんだぜ? そもそもキミと黄昏愛が廻り逢えたのだってボクの誘導のおかげだ。感謝してほしいくらいだけどね?」


 ロアは悪びれる様子もなく、むしろ恩着せがましい態度で九十九の怒りを受け流す。


「それとも今更、世界を救う気が無いなんて言わないよね?」


 挑発的なその問いかけに対し、九十九は自身の内側で静かに燃える決意の炎を視線に乗せて、道化の瞳を真っ直ぐに射抜いた。


「……救うよ。私達が生きていく世界だ。救ってやる。でもそれは、お前のためじゃない。私達のためだ」


 それはただ、今隣で体温を分けてくれる大切な者たちを守るための、あくまで個人的な願い。他の誰かのためではない、純粋なエゴの塊。


「私達は、お前の思い通りにはならない。忘れるな。お前も、私の敵だ」


 熱を帯びた呼気が車内の冷気を押し返し、彼女の存在を強固に定義する。明確な敵対の意志が、両者の間に越えられない断絶を穿つ。


「でも今は利害が一致している。敵の敵は味方。そうだろ?」


 ロアは一切の動揺を見せず、むしろその反抗を楽しむかのように仮面の奥で目を細める。支配から逸脱しようとする駒の足掻きすらも、盤上の遊戯として享受しているようだった。

 九十九とロアの視線が、火花を散らすようにして空中で激しく衝突し、張り詰めた沈黙が車内を支配する。車輪の刻む律動だけが、永遠に続くかと思われる対峙の時間を冷酷に削り取っていく。


「いやそれにしても、恐るべきは拷问教會イルミナティだよねぇ! あいつらまさか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。道理で観測できないわけだ。全く困った連中だね!」


 その緊迫した空気を物理的に引き裂くように、ロアが不意に話題を切り替える。いつも通り空気を読まない道化の振る舞いだが、しかしその軽口に交じった言葉に、九十九は更に怪訝そうな表情を浮かべた。


「人造怪異じゃない、カタリナの異能だ。拷问教會イルミナティの第一席。お前も知ってるだろ」


 腹の探り合いですらない、ただの確認。ロアの間違いを指摘する九十九だったが――しかし。ロアから返ってきた反応は、九十九も想定していないものだった。


「え? 何言ってんのそんなわけないじゃん! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」


「……は?」


 その瞬間、九十九の思考が不意に停止する。カタリナの脅威は身を以て知っている。次元すら超越して、空間に穴を構築する、その理不尽なまでの能力――そのはずだが。どうやらロアの認識は、それと決定的に異なっている。


「いやいや、しっかりしなよ! だってカタリナって、あのカタリナだろ? あいつの異能って確か――」


『――――……次は……終点……叫喚地獄……です……――――』


 ロアがその先の言葉を紡ごうとした、まさにその時。車内に無機質なアナウンスが響き渡った直後、空気を震わすけたたましい汽笛の音が突如として列車の窓の外から鳴り響いた。鼓膜を叩く鋼鉄の絶叫が、ロアの言葉を無情にもかき消していく。


「おっと、そろそろ叫喚地獄に到着だ! それじゃあ、この世界を救うためっ! がんばりたまえ、勇者一行!」


 ロアの弾むような声を合図として、車輪が車体を軋ませながら重いブレーキの摩擦熱を放ち始める。鉄が焼ける独特の匂いが車内に充満し、急激な減速が乗客たちの身体を前方へと強く引っぱった。

 その一瞬の衝撃で視界が揺れた直後、ロアの身体は既に粒子となって消えていた。代わりに吹き込んできたのは、外界の空気。その歩みを完全に減速し切った列車は、錆びついて建付けの悪くなった自動扉を開け放つ。


 ――斯くして。新たな地獄が、彼女達を歓迎する。

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