第五章 10 その夜の食事と空
10 その夜の食事と空
外に出るとすでに日が落ち、夜が始まっていた。私は町の明かりの中を泳ぎ、食事する店を探す。
やがて見つけたおいしそうな店で、私はメニューを開く。
メニューの日本語訳は、また変化していた。
『海藻サラダ 30テニエル
リキュとドリーミの酢漬け 40テニエル
レフォンソのスープ 50テニエル
トリポイの卵と海草のスープ 70テニエル
トリポイと海草の炒め物 70テニエル
ナシュとブータッポの炒め物 80テニエル
ディーコンとマレッドの煮物 90テニエル
マシロンのフライ 70テニエル
薄切りウーシポと海草の炒め物 100テニエル
焼きウーシポ(厚切り)アキャロ添え 120テニエル
レフォンソとトリポイの卵のパスタ 90テニエル
マレッドとナシュのパスタ 120テニエル
ブータッポと海草のパスタ(メーコ) 120テニエル
サーミンのジュース 30テニエル
ピチクのジュース 40テニエル
サーミンとピチクのジュース 50テニエル』
「わあ、具体的になったあ」
メニューの影で、私はノアタムにささやく。
「さっきシンが本を読んで固有名詞を知ったからな」
ノアタムも小声で返す。
「海藻や海草のままのところもあるけど……日本語でも『野菜炒め』とか言うもんね」
「うむ。植物の固有名詞でなく、総称でメニューが書かれることもあるだろう」
「あー、それにしてもメニューが具体的になっておいしそう。どれにしようかなあ」
「だが、シンが初めて見るメニューがこれだったら、シンは料理のイメージが浮かばなかっただろう。シンの目に映る日本語訳が段階を追って具体的になったから、今そうやってメニューを見て楽しめるのだ。最初から固有名詞を大量にお前の目に映さなかったわしの配慮に感謝してだな……」
「あーはいはい」
ノアタムの言葉を適当に聞き流し、私はメニューを選ぶ。リキュとドリーミの酢漬け、トリポイと海草の炒め物、マレッドとナシュのパスタ、ピチクのジュースを注文した。
運ばれてきた料理を私は堪能する。
リキュとドリーミの酢漬けは、キュウリとワカメの酢の物に似ていた。
「酢もあるんだ」
その酸味を味わいながら私はノアタムにささやく。
「うむ。酒の造り方に似ている。シーズ水に果実などを入れて発酵させるのだ」
トリポイと海草の炒め物には、複数の海草が入っていた。
「ほうれん草っぽいのとにんじんぽいのと大根ぽいのが入ってるから、レフォンソにアキャロ、ディーコンかな……。あの図鑑に載ってない海草も入ってるみたいだね」
「そりゃあ、海草と言ってもいろいろだからな。今後も覚える楽しみがあっていいではないか」
「そうだね」
マレッドとナシュのパスタは、ほぐしたツナと揚げたナスのパスタに似ていた。ピチクのジュースは、桃のジュースに似ていた。この味は以前にも飲んだ覚えがある。
食材の名前を知っていると、料理の味わいが深まる気がする。私は夕飯を堪能し、店を出た。
外はすっかり夜になっていた。上空には月が輝いている。
「わあ、綺麗……。あっ、そういえば、最初にこの世界で月を見たときは、三日月だったっけ。今はだいぶ太くなってきてるね」
今輝いている月は、満月のやや手前といったところだった。
「あのときは月の初めだったからな。月が満ちてきたのだ」
「今日は三月十日なんだもんね。私は十日ぐらい前にこの世界に来て、でも最初の日は疲れてすぐ寝ちゃったから、私が初めて見た月は、ちょうど月が始まるころのやつだったんだね」
「そうだな」
満月に近いと月はかなり明るかった。私は月光と町の明かりの中を、宿を目指して泳ぐ。
「宿に戻ったら日記を書こうっと。今日買った手帳に今日買った鉛筆で、『三月十日、晴れ』って……。あれ? そういえば、ここって海の中だから、雨って降るの?」
「ようやくそこに気づいたか。十日ほど過ごして一日も雨の日などなかっただろう。『上空から水の粒が降ってくる天候』は、もちろんノアタムアには無い。周りすべてが水なのだからな」
「そうだよね。てことは、雨だから出かけるのやめる、って日がないんだ。予定が狂わないからいいね」
「だが、気象条件が常に一定な訳ではないぞ。風の強い日、つまり水の流れが激しい日がある。水が温まったり冷えたりすると、その温度差によって流れが生じるからな。
それから、地上で霧が出るように、視界の悪い日もある。プランクトンの大量発生などで水が濁って見通しが悪くなるのだ」
「なるほど。海の中も毎日同じじゃないんだ。あっそういえば、ノアタムアにも季節ってあるの? 一年が十ヶ月なんだよね。日本じゃ三月って春先だけど……」
「一応、太陽の光に強弱は付けている。五月が一番暑く、十月が一番寒くなるようにな。だが、日本ほどの寒暖の差はない。ノアタムアは基本的に、一年を通して温暖だ」
「へえ、過ごしやすくていいね」
「ただし、暑い地域や寒い地域など、他と気候が異なる場所は存在する。その方が、食生活や衣類などのバリエーションが増えるからな」
「ふうん。でもこの町の辺りは、昼も夜もこの格好で問題ないよね」
私は自分の服に目をやる。黒っぽいタンクトップと厚手の茶色のスカート。宿の外ではずっとこれで過ごしている。日本ならば夏の初め頃の服装だろう。
「この服装で過ごせるのがノアタムアの基本の気候なんだ?」
「そうだ」
「衣替えしなくていいから便利だね。旅の荷物もかさばらないし。でも明日は服屋を覗いてみようっと」
そんな話をしながら私は宿に帰り着いた。
宿の部屋に机はないので、文房具屋で買った物をベッドの上に広げる。
「ええと、確か、鉛筆削りのやり方は……」
私はベッドの上にちり紙を置き、新品の鉛筆と、蓋の付いた小刀を手に取る。
小刀の蓋を取り、鉛筆の端に当てて先がとがるように削り始める。
私の元になった日本人の誰かの中に、こうやって鉛筆を削った記憶があるようだ。手が覚えている。
鉛筆を削り終え、ちり紙で削りくずをつつむ。後でトイレに行くときにゴミ箱に捨てに行こう。
私は手帳の三月のページを開く。三十個のマス目が並んでいる。私は三月十日の所に、『ツウギの町、到着』と書いた。
マス目の次のページは白紙になっている。今日はいろんな事があったので、細かい内容は白紙のページに書くことにした。
『貝取屋でニッコ貝売る、高く売れる。一日に二人に迫られる。名前はトトラ、ルユーグ。お金持ちと王子様。本屋で食べ物ずかん買う。』
私は満足し、文房具を片付けた。それから歯を磨いたりゴミを捨てたりして、寝間着に着替え、眠りについた。




