第三章 10 回復魔法の練習
10 回復魔法の練習
奥の扉を開けると、板張りの部屋が広がっていた。ダンス教室やヨガ教室のレッスンスタジオのようだった。部屋は十数人が両手を広げて動いてもぶつからなさそうな広さがあった。この魔法屋の精霊は五人、客と一対一で練習するとして、練習場に入るのは最大で十人。練習場はこのぐらいの広さが必要になるのだろう。
今はここに自分と、一番ロングヘアのレンしかいなかった。
ノアタムは私の肩から離れ、出入り口近くの所にひれの三脚で立った。静かに見物するつもりのようだ。
「じゃ、回復魔法の練習を始めましょ」
レンが私の前に泳ぎ出て、両手を広げた。ノアタムはあそこにいても問題ないようだ。
「習得はしてるんだよね? じゃあ、あいが練習用の傷だけを作るから、あなた……お客さんが自分の力だけで回復させてみて。お客さんってお名前なんだっけ?」
この世界の魔法の習得方法は、『まず精霊の力を借りて人魚の体に魔法の発動の仕方を覚えさせ、そこから徐々に精霊の手助けを減らし、人魚自身の精神力で魔法を発動できるようにする』のだとノアタムが言っていた。
私は中級の回復魔法を習得している設定なのだから、魔法の発動は自力でできるはずだ。
「シンです。はい、傷だけお願いします」
「シンさんね。じゃ、いくよ」
精霊は左腕を私の目の前に差し出した。そして気合いを入れる。すると、半透明だった精霊の左腕が、人魚の腕のように肉体を持って実体化した。
精霊は実体化した左腕に、半透明のままの右手の人差し指を近づける。そして、指先をナイフのようにして、己の左腕を切り裂くようになぞった。
精霊の左腕に、赤い線が走る。血がにじみ出し、あたりの水と混ざって赤いもやのように広がっていく。自分が怪我をしたときにも見た、水中での出血だ。
今度は自分に痛みはないので、私は心を落ち着け、精霊の左腕に両手をかざす。
この世界の回復魔法は、人魚の自然治癒力を高めるもの。
だから、この傷が塞がり、治っていく様子をイメージしよう。
私は傷口に手をかざし、力を込めた。そして傷が治るようにと念じていると、自然に言葉が出た。
「傷よ……癒えよ」
そういえば、私に回復魔法を使ってくれた通りすがりの魔法使いも、こう言って私の傷を治してくれたんだった。
この言葉を言うと、それにより力が入り、精神集中に弾みが付いたようだ。回復を念じる力が、自分の手から相手の傷へ移動したような気がする。
「あっ! 傷が塞がったよ!」
精霊が己の左腕を示す。確かに、そこにあった赤い線は消えていた。
「やった! できた!」
「うんうん、コツを思い出してきたね? じゃあ、もっと大きい傷を作るよ!」
精霊は実体化した左腕に己の右手を近づけ、手のひらで撫でた。すると、右の手のひらがヤスリだったかのように、精霊の左腕に広範囲の擦り傷ができた。
「はい、これを治して」
差し出された傷に、私は同じように精神集中し、「傷よ……癒えよ」と言った。広範囲の擦り傷も治すことができた。
「うまいじゃない! じゃあ、打撲とか治してみようか」
精霊は己の左腕を右手で叩き、青あざを作った。私はそれも回復魔法で治した。
そうして一時間半の間、私は精霊と回復魔法の練習をした。その間、他の客は来なかったので一対一でじっくりと練習することができた。
精霊は左腕だけでなく、頭や胴体、下半身の魚部分など、いろいろな箇所を実体化して練習台になってくれた。
下半身の傷は、うろこが剥がれて下の肉が見える様子が再現された。私は顔には出さなかったが、(人魚の魚部分はこういう怪我の仕方をするんだ)と思った。
考えてみれば、日本で地上で生活していても、海中や水槽内で、生きた魚が怪我をしている映像は見た覚えがある。人魚の魚部分の怪我もそれと同じなのは当然だ。
魚部分の怪我に回復魔法を使うと、剥がれたうろこが再生した。人間の皮膚が傷ついても塞がるように、うろこも修復されるのだ。それがわかって、私は安心した。
練習を続けていると、やがて、受付の人魚が練習場の扉を開けて中に入ってきた。
「お疲れ様です。一時限経ちましたよー」
精霊と私は振り向く。
「ああ、もうそんなに経ったんだね。シンさんの回復魔法、全然問題ないよ! これから頑張ってね!」
精霊は私に微笑んだ。
「ありがとう。私も『勘を取り戻せて』、自信が付いたよ」
本当は回復魔法を使うのは初めてだったのだ。だが、精霊はそうとは気づかなかった。
私は中級の回復魔法が使える人魚、やり方をちょっと忘れていただけ。ここで練習して、その設定が本物になったと思う。それが嬉しかった。
「お疲れ様でした。よろしければまた当店にいらしてくださいね」
練習場からロビーに戻る私に、受付の人魚が言った。
「はい、ありがとうございました」
お礼を言う私の肩に、扉近くで静かにしていたノアタムが泳いできてとまる。
私は精霊達と受付の人魚に見送られ、魔法屋を後にした。




