第三章 06 人魚の台所
06 人魚の台所
昨日の夕飯は、トイレに行きたくなった都合上、慌てて近くにあった喫茶店に入ってすませた。だが、今日はさっき宿に帰ったときにトイレを済ませたので、落ち着いて夕飯を食べる店を探すことができた。
私は大きくて賑わっている店を見つけた。入口の扉が広く開いており、店の外にテラス席も並んでいる。テラス席もかなり埋まっており、椅子に座った人魚達がおいしそうな料理を食べている。
それに何より、入口から覗くと、コック服の人魚達が料理している姿が見えた。この店はオープンキッチンのようだ。ここならかまどで火を使っている様子が見えるかもしれない。私は店に入った。
入口近くに『回収箱(瓶)』、『回収箱(栓)』と書かれた箱があったので、昼食で空になって持ち帰ったそれらを入れた。それから、隣にある『燃えるゴミ』の箱にパンの包み紙を入れた。昼間ノアタムが、飲食店にはそういう箱が設置されていると言っていたとおりだ。
私はキッチンの見える席を選んで座った。店内も客席は八割ほど埋まっている。皆楽しそうに食事をしているので、私がメニューの影でノアタムと会話しても気づかれないだろう。
私はメニューを開いた。
『海藻と魚卵のサラダ 50テニエル
海草とクラゲのサラダ 50テニエル
海草のスープ 30テニエル
ウニのスープ 50テニエル
ヒトデのスープ 50テニエル
ギームと貝のスープ 70テニエル
貝とナマコの炒め物 50テニエル
イソギンチャクの炒め物 50テニエル
イカとタコの炒め物 60テニエル
メーコと魚の炒め物 70テニエル
ギームのパン 30テニエル
メーコのパン 30テニエル
ギームの麺と魚のスープ 80テニエル
ギームの麺とイカの炒め物 90テニエル
メーコの麺とタコの炒め物 90テニエル
海藻ジュース 60テニエル
木の実の酒 100テニエル
海草の実の酒 100テニエル』
大きな店だけあって、メニューも多かった。昨日の店では見かけなかった料理名を軽く拾い上げただけでもこれだけの数だ。もちろん昨日とは違う料理を食べてみたい。
どれにしようか迷いつつ、私は小声でノアタムと会話した。
「お酒もあるんだ」
「うむ。シーズ水に木の実や海草の実を入れて発酵させる」
「ふうん……。まあちょっと高いから今日はいいや」
そして会話をしつつ、オープンキッチンの方にも目をやる。
「あ、あれがカッパ巻きと鉄火巻きか」
私はそれらを発見した。石を組んで作ったかまどに、コック服の人魚が葉っぱを入れている。あれがカッパ巻き、いや、乾葉薪だろう。
それから作業台の隅で、大きめのヤカンで湯を沸かしているのが見えた。その下に敷かれているIHヒーターのような板が、鉄火巻きならぬ撤火薪だろう。
「うむ。この店は基本的には直火料理のようだが、シーズ水で湯を作るのは撤火薪で行っているようだな」
「ああ、お湯の味は直火でもIHでも変わらないだろうからねえ。
……そういえば、かまどは薪で加熱するんだよね。でも、その薪に火を付けるのはどうやってやるの?」
私は乾葉薪を入れられたかまどに目をやる。だが、その手前にコック服の人魚がいて、ちょうどその背がかまどの様子を隠している。
別のかまどにはすでに赤い火が燃えていた。そして、かがんでいたコック服の人魚が動くと、さっき乾葉薪を入れていたかまどにも火が燃え上がっていた。
「手に何か持ってる……あれは……マッチ?」
かまどに火を付けた彼女の手にあったのは、小指ほどの長さの細い棒だった。
「そう、マッチだ」
「この世界にもマッチがあるの?」
「うむ。精霊の力で作られたアイテムだ。
人魚が炎の魔法を使っても、それは世界のエネルギーを一瞬、借りているだけなので、炎が現れてもすぐに消える。かまどで火を使いたい場合、ただの炎の魔法ではなく、『着火の魔法』を使わねばならん。これは言葉通り、薪などの燃える要素がある物体に火を付ける魔法だ。その分、ただの炎の魔法よりも難しい。
だから、精霊の力で『着火の魔法』と同等の効果を持つアイテムが作られているのだ。魔法が込められた棒の先端と箱の側面をこすり合わせると、棒の先端に『着火の魔法』が発生する。形としては地球にあるマッチと同じだ」
「なるほどねえ……そうやって料理してるんだ」
私は感心してオープンキッチンを眺めた。
「あ、じゃあ、あれは何?」
オープンキッチンは、人魚が使っているとはいえ、全体的には日本で見かける台所と似た構造をしていた。かまどは石製だが、その上に鍋やフライパンが載っているのはガスコンロと同じだ。そして作業台があり、台の上にまな板が置かれているのも、日本で見かける様子に似ている。
だが、まな板の近くにはパイプのような物があった。
それは天井から伸びており、かなり太かった。先端は漏斗状に広がり、まな板と同じぐらいの大きさになっている。パイプは三つあり、それに対応するように、それぞれの真下にまな板が置かれていた。
あんな物は日本の台所にはない。似ている物を挙げるとすれば……。
「なんか、焼き肉屋にある、煙吸う奴みたいだね」
「役割としては同じ物だ。あれは地上で使われる排気ダクトのような物だからな」
「え、じゃあ、かまど側にあった方がいいんじゃ……」
そこまで言って、私は思い出した。今日の体験を。
「そうか、魚とかを切ると、血があたりに散らばるんだ!」
キヴァーヲに噛まれたとき、右手で傷口を押さえても血は辺りに広がっていった。ここは水の中なのだ。水中生活にちょっと慣れてきたので気づくのが遅れたが。
私の反応に、ノアタムは満足したようにうなずいた。
「うむ。空気中と違い、水中では血液は辺りの水と混ざるのだ。だから食材をさばくとき、食材の体液などが拡散しないように、ああしてまな板の近くの水を吸い取る装置が必要なのだ。
あれも『水清浄機』の一種だが、台所用なので洗濯用より高級だ。台所用は必ず『分離浄』の魔法が使われている」
「台所は魚の血とかいっぱい出そうだもんねえ。てことは、トイレみたいに汚れを分離して固めて、ヘドロになった汚れを『ヘドロ浄化の魔法』で定期的に消すんだ?」
「そうだ。察しが良くなったな。地上の人間は台所で、加熱調理の際に換気扇を回して熱や匂いの付いた空気を入れ替えるだろう。人魚の世界にも換気扇はあるが、人魚の台所ではもう一つ、食材の下ごしらえの時から『水清浄機』のスイッチを入れて、台所の空気を清潔に保つのだ」
「へええ~」
私は納得してオープンキッチンを眺める。かまどの上をよく見ると、確かに換気扇のようなものもあった。
「換気扇は熱を逃がすやつで、水清浄機は汚れを集める奴ってことか」
「そうだ。水清浄機は台所の裏手のタンクに汚れを集めて拡散させない。だから、ただの焼き肉屋の排気ダクトより高性能と言えるな」
そう話していると、コック服の人魚が魚を何匹か運んできてまな板の上に置いた。そして包丁で切り始める。ノアタムの言葉通り、まな板近くの血の混ざった水は、拡散する前に天井から伸びたパイプに吸われていった。
私は納得し、そろそろ夕飯を食べよう、と店員を呼び、気になるメニューを注文した。




