第三章 05 質問(手形屋とか月とか)
05 質問(手形屋とか月とか)
手形屋を離れ、近くに他の人魚がいないことを確認してから、私はノアタムに尋ねる。
「精霊が消えちゃったんだけど!」
ノアタムも私の肩から離れ、私に向き合う。
「うむ。手形屋の営業時間は夕の五刻までだからな」
「精霊って、一日中いるわけじゃないんだ」
「それはそうだ。人魚が申請して具現化させた精霊は、存在しているだけでそのストレスが魔物となるのだから。
だから施設に精霊を存在させる時間が長いほど、税金も高くなる。営業時間外まで精霊を具現化させるなんて、金が無駄になるだけだ。国営の施設だってそんなことはしない」
「消えた精霊はどうなっちゃうの?」
「どうもならん。明日の営業時間になればまた現れる」
「消えてる間は何してるの?」
「何もしてはおらん。『世界のエネルギーの一部』の状態に戻っているだけだ」
「……じゃあ、次の日になったら、前の日の記憶ってリセットされちゃうの?」
「そんなことはない。記憶と自我は毎日連続している。……わかりづらいなら、精霊が具現化していない時間は、人魚が寝るのと同じような物と考えればいい」
「えー……。消えてるのと寝てるのが同じかなあ……?」
「人魚と精霊では存在の仕方が違うのだ」
「ふーん……」
そう話しているうちに、私の腹が鳴った。
「まあ、そういうことなのかあ。じゃ、おなか空いたし、ご飯食べに行こう」
私はまず、手形をリュックの中にしまうために宿に戻ることにした。
「そういえば、手形にそこそこのお金を入れといてくれたんだね」
「この世界に慣れんうちは金が必要になると思ってな」
「あの貯金に手を付けずにやっていけるよう、頑張ってみるよ」
「うむ。とりあえず明日、魔法屋で練習だな」
「あ、そうだ、手形屋の精霊の名前、『てがた』だから『ティタ』なの?」
「ネーミングは気にするな」
そう話しているうちに宿に帰り着いた。荷物を片付け、夕飯の店を探すためにまた町に出る。
すでに日は落ち、空は暗くなっていたが、太陽の代わりに月が出ていた。
「これがこの世界の月なんだ」
私は空を見上げる。先ほど日が沈んでいった方向の空に、今は三日月が光っている。
「この世界では、月は西から昇って東に沈むんだよね」
昨日、洞窟を出る前にノアタムがそう説明していた。昼はエネルギー体である疑似太陽が東から西に移動し、夜はそのエネルギー体が月となって西から東に移動するのだと。
「そうだ。だからノアタムアの月は、太陽が沈んだらすぐに昇ってくる。夜空にメリハリを付けるために満ち欠けする設定にはしたが、月の出の時刻が月齢によって異なるということはない」
「確かに、星は見当たらないから、月の形ぐらい変わった方が面白いよね」
ノアタムアの空は、海の上層部に過ぎない。昼間は太陽が上層部を泳ぐ魚の姿を照らしていたが、月の光は太陽ほど明るくない。だから今の頭上は星のない夜空のように闇に包まれており、そこに三日月だけが光っていた。
「ノアタムアを照らすために太陽の設定は必須だったが、月は副次的な存在だからな。常に満月でも良かったのだが、そこはわしの遊び心だ」
「はいはい」
私はノアタムの自慢を適当に聞き流し、視線を町に戻す。
「それにしても、夜でも町は結構明るいね。確かにこれなら月の光り方は関係ないかも」
空には月以外に明るい物はないが、町の中には光を放つ物がいくつもあった。宿や飲食店は店先にランプを掲げているし、民家らしき建物は窓から光がこぼれている。窓は木の扉だったり、カーテンの掛かったガラス窓だったりしたが、その中に生活する誰かの気配を感じる。
現代日本のネオン街とまではいかないが、町の中はそれなりに明るく、活気があった。
「まだ夜になったばかりだからな。飲食店もこれから賑わう時間だ」
「昨日はその前に寝ちゃったからね。じゃあ、今日はどの店で何を食べようかな」
私は町の中を見回し、飲食店の多そうな方向に泳ぎだした。




