第二章 13 深海の公衆トイレ
13 深海の公衆トイレ
「ええっと、そういえば、こういうゴミってどうしたらいいの?」
私は包み紙を畳みながらノアタムに尋ねる。
パンを包んでいた紙と、コルクで栓をされていた瓶。中身はすべて空になった。
「瓶や栓は再利用するので、町の飲食店で回収している。そういう箱が設置されているはずだから、町に戻ったらよく見てみろ」
「ふうん。リサイクルの仕組みがあるんだね」
「うむ。浄化の魔法を使えば綺麗になるからな。瓶などの回収箱の隣に、地上で言う『燃えるゴミ』用のゴミ箱もあるはずだ。それらは集めてまとめて火の魔法を使う」
「わかった」
私はそれらをポーチにしまった。
「えっと……ところでさ、トイレ行きたいんだけど……」
町を出てからしばらく経っている。昼食も食べた。私はその欲求を感じ始めていた。
「小用だろう? その辺ですればいいのに」
「嫌だってば!」
この世界ではそれが普通だとしても、私は抵抗したい。
「町を出るときには気づかなかったけど、朝に町の外に魔物退治に出かけて、お弁当食べて夕方に町に戻るとしたら、一回ぐらいトイレに行きたくなるよねえ……。
普通の魔物狩り屋はその辺で済ますの? でも私はトイレ以外ではしたくないし、だったら今から町に戻らないと……。
日本のハイキングコースなら公衆トイレがあるだろうけど、この世界には、やっぱ、無いよねえ?」
私が見つめると、ノアタムは答えた。
「いや、無いことはない。人魚だって、小用はその辺でよくても、大きい方をもよおすこともあるからな。排泄というのは無防備になる行為だし、魔物のいる場所で安全に用を足したいという要望があるから、この世界の町の外にも公衆トイレは設置されている」
「ほんと!?」
「うむ。だが無料というわけにはいかん。この世界の公衆トイレは、個人が収入を得るために設置するものだからだ。
町から離れた魔物の出る場所で、安全なトイレを使いたいという需要がある。だから町に住む誰かが、森や山の入口などに有料のトイレを設置する。
管理さえできれば、公衆トイレは誰でも設置していいのだ。
公衆トイレの所有者は、定期的に自分の公衆トイレに出向き、清掃や消耗品の補充を行い、利用料金を回収する。
町から近ければ管理は楽だから利用料金は安い。町から遠いほど料金は高くなる。
この林も、あちらの方に公衆トイレが設置されているぞ」
「そうなんだ! じゃあ、そこに行こう!」
私はノアタムが示した場所に向かうことにした。
「この辺りは町から遠くないのでそんなに高くないだろうが、小用なら有料の公衆トイレを使わなくてもいいと思うがな」
「いいの! 私はそうしたいんだから!」
トイレに向かって泳ぎながら、隣でごちゃごちゃ言うノアタムを私は一喝した。
ほどなく、海底に林が生え始める境界線の辺りに、木でも草でもない人工物があるのが見えてきた。それはトイレの個室二つ分ほどの箱形の建物だった。手前の壁に扉が二つ並んでいる。
近づいて見ると、扉の横には金庫のような箱が埋め込まれており、『使用料金・一回20テニエル』と書かれていた。
「自動販売機やカプセルトイの機械のように、コイン投入口に料金を入れる。そして下のレバーを回すと扉が開く仕組みだ」
ノアタムの言うとおりにすると、コインが金庫に落ち、ドアの鍵が開く音がした。
「一度扉を開けて閉めると鍵がかかる。鍵は内側からなら何度でも開けられるが、外側からはコインを入れたときにしか開かん。うっかり中に入り損ねたらまたコイン投入だ。コイン返却口はないのでな」
「ふうん。まあ、チップと思えばいいか。じゃあ、ちょっと待ってて」
私はノアタムを外に残し、公衆トイレの中に入った。扉が閉まると確かに自動で鍵がかかった。それとは別に、かんぬき状の鍵もあった。日本の公衆トイレと同じく、かんぬきをスライドさせることで、外から扉を見ると使用中かどうかわかる仕組みになっているようだ。それに、この鍵がないと、使用中に外から他の人がコインを入れて扉を開けてしまう可能性がある。私はかんぬきの鍵もきちんと使った。
中の設備は町にあるトイレと変わらなかった。
一番奥にタンクと、ホースの付いた漏斗がある。その手前に椅子があり、台の上に四角いトイレットペーパーがある。ハンドドライヤーのような消毒液の出る装置もある。
私は今までと同じように用を足してトイレから出た。
ノアタムは変わらず外で待っていた。
「そういえばさー。使用後の水って漏斗で吸ってるけど、それって結構な量になるんじゃないの? 管理者が定期的に清掃に来るって言ってたけど、こんな小さな公衆トイレで、使用後の水って、そんなに溜めておけるの?」
私は公衆トイレを使ったことで浮かんだ疑問をノアタムに尋ねた。
「よく考えれば町のトイレだってそうだよね。日本のトイレみたいに、下水に流しちゃって各建物には残らないってんならトイレの個室は小さくていいけど、ノアタムアにも下水道ってあるの?」
「おお、ようやくそれを疑問に思ったか。何度もトイレを使っているのに」
「う、だって、使うのに精一杯だったからさあ。日本で描かれるファンタジーにトイレなんてろくに出てこないし、キャラも全然トイレに行かないし」
「アイドルはトイレに行かないと言うからな。だが実際はアイドルだってトイレに行く。フィクションの登場人物ならば本当にトイレに行かなくても済むが、人々の生活において、排泄は欠かせない行為だからな。人魚の世界を創造するに当たって、避けては通れない設定だ」
「そうだね。で、仕組みはどうなってるの?」
話が長くなりそうなので私は促した。
「うむ。トイレの構造だが、漏斗でタンクに水やトイレットペーパー、固形物を吸い込むだろう。タンクは個室の裏のもっと大きいタンクにつながっていてな、そこに汚い物を溜めるのだ。
個室内のタンクには、『ぶんりじょうの魔法』が使われている」
「ぶんりじょう?」
「分離して浄化させるという意味で『分離浄』だ。これは汚れの混じった水から汚れを分離させて固める魔法だ。汚水を、浄化された水と固まった汚れとに分けるのだ。
精霊の力で、分離浄の魔法のかかったタンクを作る。それがトイレの個室内にあるタンクだ。そこにトイレの使用後の水を吸い込み、汚れだけを個室の外のタンクに送り出す。分離して浄化された水は、個室内に放出する。これで、個室の外のタンクに溜まる物質はずいぶん量が減る」
「確かにね」
「外のタンクには、『ヘドロ浄化の魔法』を使う。汚れを分離して固めたとは言え、ここは水中なので、汚れはヘドロ状になっている。人魚の排泄物や海藻からできた紙などの、生物由来の有機的な物質でできたヘドロだ。
トイレの所有者は定期的に外のタンクをチェックし、ヘドロが溜まってきたら、ヘドロ浄化の魔法を使う。
この魔法は、ヘドロを浄化し、消し去るのだ」
「えっ! 消えちゃうの!?」
「うむ。そして消え去ったヘドロは世界のエネルギーに還元され、誰かが魔法を使えば、別の形になって呼び出されてくる」
「へええー! トイレの使用後の奴がこの世から全部消えちゃうの? すごいねー!
……あれ? でも人魚が使う魔法って、『世界のエネルギーを一瞬、借りて呼び出した状態』って言ってなかった? だから人魚の使う魔法はすぐ消えるんだよね? ヘドロを消し去るなんて魔法、『借りた』ってレベルじゃなくない?」
私は魔法の説明のところで聞いた話を思い出した。
「おお、いい質問だ。確かに、物質を消滅させるのだから、ヘドロ浄化の魔法は、かなりこの世界に干渉する力があるように思えるよな。
だが、原理はこうなのだ。
現代の日本で、山などの下水道がない場所に、おがくずを使ったトイレがあると聞いた覚えはないか? 微生物の力で排泄物を分解するわけだ。
人魚がヘドロ浄化の魔法を使う場合、『排泄物等を分解する精霊の力を、一瞬、大量に呼び出した』状態なのだ。呼び出された精霊の力は排泄物等のヘドロに作用し、浄化して、世界のエネルギーという形にさせる。ヘドロがヘドロの姿としては存在しなくなるわけだ」
「ふうん……それなら『借りた』って言えなくもないか」
「うむ。それにヘドロ浄化の魔法は、浄化の魔法の、かなりの上級に位置する。何せ、傍目にはヘドロが消え去ってしまうのだからな。だから、トイレのタンク一つ分を空にするほどのヘドロ浄化の魔法を使える人魚は、そうそういない」
「え? じゃあ、どうやって掃除すんの?」
「『ヘドロ浄化剤』という物がある。精霊が、ヘドロ浄化の魔法の力を固めたアイテムだ。個包装の石けんのような形だ。これをトイレの外のタンクに投入すると、ヘドロが浄化して消え去る。
アイテムだから魔法が使えない者でも使用できるが、結構高い。だから清掃関係の仕事に就く者は、少しずつ訓練して、自分のヘドロ浄化の魔法の威力を高めるのだ。ここでも魔法屋が必要になってくる」
「なるほどねー。そういう仕組みになってたんだ。そりゃ有料にもなるよね。20テニエルじゃ安いぐらい」
私は公衆トイレを振り返る。今までも何気なく使っていたトイレだが、自分がそこを快適に使うためには、それを維持する人が必要だ。町の施設にあるトイレが無料なのは施設のサービスなのだろう。ありがたいことだ、と思った。
「ちなみに、トイレの使用後に手を拭う消毒液も、ヘドロ浄化の魔法の一種だ。精霊が、ヘドロ浄化の魔法をかなり弱めて液体にしたアイテムを『希薄ヘドロ浄化液』、俗に消毒液と呼ぶ。
これは手に付いた見えない汚れや水中の悪臭などをちょっとだけ浄化する作用を持つ。ヘドロ浄化剤と比べてかなり威力は弱いから、その分、安い。
それから、さっきのゴミの話だが、燃えるゴミは集めて火の魔法を使うと言っただろう。水中だから燃やすと言っても灰はヘドロ状になる。だからそれもヘドロ浄化の魔法で浄化するのだ」
ノアタムは補足した。
「へええー……。てことは、この世界はあんまりゴミが出ないんだね。瓶やコルクはリサイクルするし。地球と違って、環境破壊の問題とは縁が無さそう」
「うむ。さすがはわしの作った世界だ」
「あっでも、鑑定屋とかは地上にもあるシステムだって言ってなかった? 他にもいろいろパクってるんでしょ」
「う、だが、地上のシステムを海中で適切に運用するには修正が必要だ。ノアタムアとしてのシステムを作り上げたのは、ノアタムアの神であるこのわしなのだぞ」
「あーはいはい」
とにかく、用は済ませた。私はまた魔法の練習をするために、トイレから少し離れたところに行くことにした。




