第二章 01 人魚の目覚まし時計
第二章
01 人魚の目覚まし時計
目を開けると、魚の横顔があった。
いや、どちらかというと下から覗いた顔か。ベッドのヘッドボードの上に、ひれの長い魚がのっかっている。私はそれを見上げる形になっていた。
なんで魚がいるんだっけ……?
ぼんやりした頭で思いながら、私は体を起こす。体がもう眠りを必要としないところまで十分に寝て目が覚めたので、すぐに頭がはっきりしてくる。
そうだ、目覚めたら魚がいて、自分は人魚になってたんだっけ……。
掛け布団をどけると、そこには確かに人魚の下半身があった。自分の胴からつながっている体の一部だ。昨日の出来事は夢ではないようだ。
私はとりあえず鍵を持ち、部屋を出てトイレに向かった。トイレから戻ってくると、部屋の扉を閉める音でノアタムがぴくりと動いた。
「ん、おお、シン、起きたのか。おはよう」
「ノアタム。おはよう。あんた今起きたの? さっきから目は開いてたのに」
「魚にまぶたは無いからな。寝るときも目は閉じないのだ。日本に木魚という物があるだろう。あれは昔の人間が、魚はまぶたを閉じないので魚は眠らないのだと考え、読経中に眠らないようにと魚の形で作ったのだ」
「ふうん。食事はしなくても睡眠はとるんだ」
「神にも休息は必要だからな」
「へー。ところでさ、もう朝みたいだね」
廊下の窓からは明るい光が入ってきていた。だが部屋に窓はないので、私はランプのスイッチをひねって明るくする。
「疲れてたから十二時間ぐらい眠っちゃってたのかー。あれ? そういえば、人魚の世界も『十二時間』とか言うの? ていうか、時計ってあるの?」
ノアタムはうなずいた。
「時計はノアタムアにもある。太陽が東から西へ登るので、まず日時計ができ、それを模して、針が右回りのゼンマイ式の時計が作られた。
そして一日の長さは、地球と同じ二十四時間だ。だからノアタムアの生物も地球の生物も、サーカディアンリズム、いわゆる体内時計が共通なのだ。日本人の自我のまま生きているシンも、ノアタムアの住人と同じ周期で寝起きするわけだな。
昨日は疲れていたから日没ごろに眠り、こうして日の出まで寝ていたわけだが、それだけ眠れば疲れも取れたろう」
私はうなずく。
「『この異世界は一日が十時間です』、とか言われたら一晩寝ても全然寝た気がしないだろうけど、普通に日本で十二時間ぐらい寝たような目覚めだからね。寝過ぎてぼんやりしてるぐらい」
私は背伸びをしてベッドに腰掛けた。
「で、時計だが、リュックの方を探してみろ。厚手の袋に入った、手のひらサイズの目覚まし時計が見つかるはずだ」
私は荷物置き場のリュックに手を伸ばす。リュックはベルトで蓋を閉じてあるタイプで、私は初めてその蓋を開く。中身はいくつもの袋に小分けされて収納されていた。だが一番上の巾着袋が、ノアタムが言った物のようだ。手に取ると金属の塊が入っている感じがする。
巾着袋を取り出して中を開くと、ちょうど手のひらに載るような、小型の目覚まし時計が見つかった。
「え? でもこの時計……」
全体的には、日本にもあるような、レトロな目覚まし時計と同じだった。金属でできた丸い胴体の下に足があり、頭にベルが乗っている。ベルは一つだが、こういう目覚まし時計も日本で見た覚えがある。帽子をかぶっているようで可愛い。
日本と異なるのは、文字盤だった。
「8までしか無いし、針が一つだ」
文字盤も日本語訳されているのでアラビア数字だったが、文字盤は十二等分ではなく、八等分だった。
一番上、日本の時計なら『12』と書かれている部分に、『1』と書かれている。そこから右回りに数字が進み、『8』までで一周だった。90度が『3』、180度が『5』、270度が『7』になっている。
針は、時刻を指す太めの物が一本のみだった。細い針もあるにはあったが、動いていないし、これは秒針ではなく、目覚ましの時間設定の針だろう。
「そう、ノアタムアも一日は二十四時間だが、時間の単位は、一時間半ごとなのだ。これを『一時限』と言う。
一時限を八回繰り返して十二時間、それで時計が一周する。昼と夜で時計が二周して、二十四時間だ」
そしてノアタムは、ノアタムアでの時刻の呼び方と、それに対応する地球の時刻を、私に教えた。
昼の一刻(12:00)
昼の二刻(13:30)
昼の三刻(15:00)
夕の四刻(16:30)
夕の五刻(18:00)
夜の六刻(19:30)
夜の七刻(21:00)
夜の八刻(22:30)
夜の一刻(0:00)
夜の二刻(1:30)
夜の三刻(3:00)
朝の四刻(4:30)
朝の五刻(6:00)
朝の六刻(7:30)
朝の七刻(9:00)
朝の八刻(10:30)
「針が指している数字に『刻』を付けて、朝晩の区別と共に言うだけだ。わかりやすいだろう?」
そう言われても、すぐには馴染めない。
「う、うーん、ていうか、長針と短針があるわけじゃないんだね」
時刻の呼び方もそうだが、針が一本しか無いのも違和感がある。キッチンタイマーのようだ。
「ノアタムアは中世ヨーロッパ風の世界なので、現代の日本のような、分刻みで時間に追われる生活はしていないのだ。江戸時代は約二時間を一刻、その半分を半刻、その更に半分を四半刻と呼んでいたと聞いた覚えは無いか? ノアタムアもそれに近いのだ。
一時間半、つまり90分を『一時限』、45分を『半時限』、22、3分を『四半時限』と表現する。
それ以上細かい時間の単位は、日常生活では使わない。だから時計にも長針は必要ないのだ」
「ふ、ふーん……」
私はなおも時計の文字盤を眺めてうなる。説明されても感覚がつかめない。
「難しく考えるな。日本にあるアナログ時計が、短針のみになったと考えればいいのだ。針の傾きは、日本の短針の傾きと同じなのだから」
「あ、そう言われるとわかりやすいかも」
私は時計の針の位置を確認する。今は左斜め下、「5」と「6」の中間辺りを指している。これが朝の何刻という言い方なのかはわからないが、日本でこの短針が示すのが何時かはわかる。
「今は朝の六時半ぐらいってことだね」
「うむ。この世界では、朝の五刻と朝の六刻の間、という言い方になるな。
ん……? だがその時計、止まっているぞ」
「ええっ!?」
私は文字盤とノアタムを見比べる。確かに針は動いていないが、短針が動いているか止まっているかなど見分けが付かない。
「音がしていないだろう。動いている時計は、よく聞くとかすかにネジの動く音がするのだ。これは電池式でなくネジを回して針を動かす時計だからな。毎日ネジを巻かないと止まってしまうのだ。裏側を見てみろ」
私は時計をひっくり返す。
「そこのネジを回すことで時計が動き続けるのだ。ちなみに時刻合わせはこっちのネジ、アラーム用の針を回すのはこっちのネジだ。アラームのオンオフはこのボタンだな」
ノアタムは長いひれでそれぞれのネジを示した。手巻き式であること以外、日本にあるアナログ式の目覚まし時計の背面と大差なかった。私は時計のネジを巻いてみる。すると確かに、文字盤の針は動かないが、耳を近づけると内部が動いている音が聞こえた。
「ああ、動き出した。でもこれ、時間どうやって合わせるの? 今って何時?」
「町には時計塔があるから、後で見に行って針の位置を合わせよう。時計塔のそばには鑑定屋もあるから、ついでに昨日倒したザーコウオの換金もするといい」
「時計塔があるんだ。それに鑑定屋! 精霊がいるんだよね」
「うむ。だが鑑定屋は朝の七刻、日本で言う朝の九時からしか開かないので、今から行くには早いな」
時刻ははっきりわからないが、早朝であることはわかるので私はうなずいた。
「その前に朝ご飯食べたいし、昨日、歯を磨かずに寝ちゃったから口が気持ち悪いや。人魚の世界にも歯ブラシってある? あと、髪もとかしたいんだけど」
「身支度用品だな。では、またリュックを探すといい」
ノアタムはそう言った。




