第一章 12 人魚の食事
12 人魚の食事
ノアタムの説明と、実際のトイレの構造を見ながら、私はトイレ内の用事を済ませた。肉体的には、人間のときと同じように力を込めれば事は済んだ。タンクのスイッチを押すと漏斗は辺りの水を一定時間吸い込み、止まったので、私は漏斗をタンクの上に戻す。
トイレットペーパーは、椅子に座ったときに手に取りやすい位置に置いてあったが、今は紙を使う必要はないのでそのままにしておいた。
扉近くの壁には、ハンドドライヤーのような物が設置されていた。だがセンサー式ではないようだ。スイッチを押すと消毒液が噴き出したので、私は手をそこにかざし、こすり合わせた。噴霧された消毒液は個室内に広がり、個室内の水も消毒する。よく出来たシステムだ。
「お待たせ」
私はトイレの外に待たせていたノアタムに声を掛けた。
「トイレ借りたし、なんかおなか空いてきちゃったし、ここでご飯食べるよ」
店内なのでノアタムは言葉を発しなかったが、うなずいた。
私はノアタムを肩に乗せ、客席の方に向かう。さっきトイレに案内してくれたウェイトレスに会釈して、私は一番奥のテーブル席に座った。
テーブルも椅子も木製で、日本の喫茶店のように隅にメニューが置いてあった。メニューはA4ぐらいの大きさで、表紙に日本語で『メニュー』と書いてある。
店員はエプロンをしたウェイトレスが数人と、奥の厨房のコック服を着た人魚が数人のようだ。客は、普段着らしい布の服を着たグループと、大きな鞄を持った旅装束のようなグループが、それぞれのテーブルで会話している。
どちらも自分が座っている席からは距離があるし、店内はざわついているので、メニューを顔の前に広げれば、ノアタムと小声で会話することができそうだった。ノアタムも私の意図を察したようだ。
私はメニューを開く。
「あっ!?」
その内容に、私は思わず声を上げた。
『海藻のサラダ 30テニエル
海藻のサラダ 40テニエル
海草のサラダ 40テニエル
海藻と海草のサラダ 50テニエル
海藻と魚のスープ 50テニエル
イソギンチャクのスープ 50テニエル
魚と貝のスープ 60テニエル
海草の実のスープ 60テニエル
海藻と魚の炒め物 60テニエル
イソギンチャクと貝の炒め物 60テニエル
魚と貝の炒め物 70テニエル
海草の実の炒め物 50テニエル
海草の実と貝の炒め物 70テニエル』
「わけがわからんよ!?」
私は小声でノアタムに怒鳴った。
「シンには人魚の言語が日本語訳されて届くと何度も言っているだろう。だが、固有名詞がいきなり大量に出てきてシンが混乱しては大変だから、魚とか海藻とかの一般名詞でまず日本語訳されているのだ」
「これはこれで混乱するんだけど……。『海藻のサラダ』が値段違うのは何で?」
「わかめのサラダとひじきのサラダで価格設定が異なるようなもんだ」
「『海藻』と『海草』は何が違うの?」
「『海藻』は根・茎・葉の区別がなく、胞子で増える。地上のシダやコケのような植物に近いな。
『海草』は根・茎・葉の区別があり、種子で増える。地上でよく見かける、花が咲いて種が出来る草と同じだな。
ノアタムアの海草はかなり大きな実を付けるものがあるので、それが魚介類や藻類と並んで人魚の食事になっているのだ」
「ふうん……。『海藻』は日本でも言うような『海藻』で、『海草』や『海草の実』は、日本で言うところの野菜みたいなもの?」
「そう考えてもらってかまわん。わかりづらければ『海藻』で統一してもいいが」
「うーん、まあ、食事に関しては、日本で言う『海藻』と『野菜』の区別が付いた方がありがたいから、メニューの日本語訳は『海藻』と『海草』でもいいけど。
食事以外で、ノアタムアの、木じゃない植物の総称としては『海藻』で統一されてる方が便利かもね」
「そうか。ではそうしよう。
今シンが言ったように、ノアタムアには木も生えているから、『木の実』も食べられるぞ。日本で言う果物みたいなものだな。ドリンクのページを見てみろ」
ノアタムに言われ、私はメニューの次のページを開く。
『木の実エキス入りシーズ水 40テニエル
木の実エキス入りシーズ水 50テニエル
海草の実エキス入りシーズ水 50テニエル
木の実と海草の実エキス入りシーズ水 60テニエル
木の葉エキス入りシーズ水 50テニエル』
「わけわからんつーの!」
「ふむ……確かに、ノアタムアで飲む液体は、基本的にシーズ水を加工したものだから、わざわざ『エキス入りシーズ水』と訳さずに、木や草の実を使った物は『ジュース』と意訳してもいいかもしれんな。シーズ水で具材を煮込んだ料理は『スープ』と訳されているのだし。
木の葉を使った物も『お茶』と訳してもいいかもな」
「え? あ、木の葉? ほんとだ、ドリンクの最後の項目、『木の葉』になってたわ。もー、わかりづらいよ、この日本語訳」
「シンがノアタムアに慣れてきたら、少しずつ固有名詞を覚えてゆけば良い」
「わかったよ。じゃあとにかく頼もう。1テニエルが十円ぐらいなんだよね? てことは、いくつか頼んでもそんなに高くないね。えーと、何にしようかな……」
私は読みにくいメニューを眺めながら、自分の腹と相談した。
思えば、最初にこの世界で目覚めてから、ずいぶん経っている。移動もしてきたし、戦闘もした。そう思うとどんどんおなかが空いてきた。腹に溜まるものをがっつり食べたい。
「ん……あれ? そういえばさ、主食ってないの?」
「ん? メインディッシュのことか? メニューの炒め物コーナーなどがそれだろう。ここは軽食の店だからあまり品数は多くないようだが」
「いや、そうじゃなくてさあ、ご飯とかパンとか……炭水化物は?」
ノアタムは少し黙った。
「……そうか。海に住む生物は魚介類や海藻類を食べているから、人魚の食事もそれでいいと思っていたが、人魚の上半身は人間なのだものな。炭水化物を欲しがるのも無理はない……。だが、炭水化物か……」
「あ、そういえば、海藻ってカロリーが少なくてヘルシーとか言うもんね。炭水化物を蓄える海藻なんてあるの?」
ノアタムは長いひれを腕組みのような形にして少し考えていたが、やがて言った。
「ん、まあ、ノアタムアは日本とは違う世界だ。深海とは言え太陽もあるしな。炭水化物を多く含む実を付ける海草があるという設定にしよう。この店のメニューに書かれている『海草の実』も、それだということにしよう」
「めちゃくちゃ今決めてんじゃん……いいの? この店の食材管理に支障が出ない?」
「炭水化物を多く含むという設定を追加しても、『海草の実』であることに変わりはない。メニューに記載があるのだから、この店はずっと前からその『海草の実』を調理していたし、食材のストックもされているはずだ」
「なんか詭弁って感じがするんだけど……」
「大丈夫だ。シンは先ほど日本語訳が読みづらいと言っていたから、炭水化物の『海草の実』は固有名詞で訳すことにしよう。
小麦っぽい味の実が『ギーム』、米っぽい味の実が『メーコ』だ。
海中では小さな粒状の実を集めたり、粉にして加工したりするのは大変だ。だから、ギームもメーコもピンポン球ぐらいの大きさの実で、シーズ水と混ぜて練ると粉物の生地のようになるのでパンや麺にも加工できるということにしよう」
「名前も、ムギとコメをひっくり返しただけじゃん。雑……」
「いいではないか。それとも、ノアタムアで炭水化物が食べられなくてもいいのか?」
「う……いや……食べたいです」
私の腹は炭水化物を欲していた。
「では、目を閉じて、日本語訳がもう少し具体的になることをイメージして、もう一度メニューを見てみろ」
「え、そんなことができるの」
「うむ。世界は何も変わらん。お前の目に映る物が変わるだけだからな」
私は言われたとおり、目を閉じて、もう一度開き、メニューを見た。
『海藻のサラダ 30テニエル
海藻のサラダ 40テニエル
海草のサラダ 40テニエル
海藻と海草のサラダ 50テニエル
海藻と魚のスープ 50テニエル
イソギンチャクのスープ 50テニエル
魚と貝のスープ 60テニエル
ギームのスープ 60テニエル
海藻と魚の炒め物 60テニエル
イソギンチャクと貝の炒め物 60テニエル
魚と貝の炒め物 70テニエル
ギームの炒め物 50テニエル
メーコと貝の炒め物 70テニエル』
『木の実ジュース 40テニエル
木の実ジュース 50テニエル
海草の実ジュース 50テニエル
木の実と海草の実のジュース 60テニエル
木の葉のお茶 50テニエル』
変わらない部分もあったが、変化のある部分もあった。
「ああ! さっきより読みやすくなってる!『海草の実』が全部、ギームとメーコに……なってるわけじゃないのか。ドリンクの方は『海草の実』のままだね。エキス入り~、とかじゃなく、『ジュース』にはなってるけど」
「『海草の実』といってもいろいろだからな。トマトやナスのような、野菜のような実もある」
「『海草の実』のままのやつは、野菜ジュースみたいなもんか。
何にしても、そろそろ頼もうかな。んー、どうしよう。ギームもメーコも食べてみたいなあ……。イソギンチャクも気になるし……」
私はしばらく悩んだが、食べるものを決め、手を上げて店員を呼んだ。
「ええと、海藻サラダ、30テニエルの方と、イソギンチャクのスープ、ギームのスープ、メーコと貝の炒め物、海草の実ジュースをお願いします」
私はメニューを指さしながら、さっきトイレに案内してくれたウェイトレスに頼んだ。日本語訳のメニューをそのまま読み上げても彼女は変な顔をせず、笑顔で注文を受け付けた。彼女は日本のウェイトレスがやるように、手元の注文票に私の注文を書き込み、厨房に伝えに行った。
「今更だけど、人魚の世界にも筆記用具があるんだ」
字の書かれたメニューをさんざん読んだ後だが、私はメニューの影でまたノアタムにささやいた。
「うむ。植物の繊維を薄く加工して紙を作る。イカスミや鉱物の粉をシーズ水と混ぜてインクを作る。今、彼女が使っていたのは鉛筆だな。インクを棒状に固めて木ではさみ、削って使うのだ」
「いろいろあるんだねえ。……ところで、自分ばっか頼んじゃったけど、ノアタムは食事はいいの?」
これも今更だが、私はノアタムに尋ねた。
「必要ない。わしは神だからな。食事をせずとも生きていけるのだ。排泄もな」
私はうなずき、メニューを机の隅に戻した。注文を終えたのにいつまでもメニューを開いているのも変だからだ。ノアタムも口を閉ざす。
やがて、料理が運ばれてきた。
料理は、木をくりぬいた器や銀色の金属の皿、ガラスのコップなどに入っていた。そして銀色の金属でできたナイフ、スプーン、フォークが机に並べられた。
「いただきまーす」
私はまず海藻サラダを口にする。緑や赤の海藻をドレッシングで和えた、日本の飲食店でも出てきそうなサラダだった。
ぶつ切りにされた弾力のある肉が入っているのが、イソギンチャクのスープのようだ。肉は歯ごたえはあるが味はあまりせず、スープの味が染み込んでいておいしかった。スープには刻んだ野菜のような物も入っていた。おそらくこれらが海草だろう。
もう一つのスープが、ギームのスープだ。ギームは先ほどノアタムが言ったように、ピンポン球ぐらいの丸い実で、スープに五個ほど入っていた。実はもちもちとしており、小麦粉を丸めたすいとんのような味がした。炭水化物を摂取している実感がわく。
そして炭水化物はもう一種類ある。メーコと貝の炒め物だ。メーコもピンポン球ぐらいの丸い実だったが、表面がでこぼこしており、小型のおにぎりのような印象を受ける。ギームもメーコも同じぐらいの大きさで白っぽい実だが、このでこぼこで見分けが付けられた。メーコの炒め物は、小さい焼きおにぎりのような姿になっていた。それが数個、炒めた二枚貝と共に皿に載せられている。味も見た目から想像した物に近かった。
ガラスのコップには、緑色の液体が入っている。固有名詞が不明な、海草の実ジュースだ。野菜ジュースのような味がした。
どれもとてもおいしく、量も十分にあった。ギームのスープとメーコと貝の炒め物はどちらか一品で良かった気もするが、この世界に来てから何も食べていないので、全部腹に収まった。
私は一息ついてカウンターに行き、会計をする。
料金は、合わせて260テニエル。日本円で2600円。喫茶店で、ちょっと豪勢な食事をした料金と同じぐらいだ。百テニエル銅貨を三枚渡し、10テニエル銅貨四枚をおつりにもらう。
「ごちそうさまー」
「ありがとうございましたー」
満ち足りた気持ちで、私は店を出た。




