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危険な近道5

 来た道をひた走る。行く手を阻むように伸びる枝葉を、必死に手で払いながら。


 こんなにがむしゃらに走ったのは、高校の時以来。走るのは決して苦手ではないけれど、普段の運動不足がたたり、すぐに息が上がった。恐怖心も手伝ってたびたび足がもつれそうになりながら、後ろを振り向かず無我夢中で前だけを見た。


 しばらくして少し開けた場所に出た。「はぁはぁ」という璃世の息づかいだけが耳に届き、ほかの音はいっさいしない。


(追って来なかったのかも……)


 そう思って足を緩めかけたそのとき。


「また迷子になるわよぉ」

「そうだぞぉ」


 両耳のすぐ近くでそれぞれ男と女の声が聞こえ、次の瞬間後ろから回り込むように黒いものが前を塞いだ。

 璃世は悲鳴を上げることすらできず、その場に凍りつく。


「あと少しだったのになぁ」

「あと少しだったのにねぇ」


 さっきまで男女のものに聞こえていた声は、もはやそのどちらでもなく、ひしゃげた音でしかない。

 黒くてグニャグニャとした物体は璃世の背の倍ほどになり、穴が空いたようになっている目の中で眼球がギョロギョロと動いている。

 

(こ、怖い……)


 バケモノとしか言いようがないふたつの塊を前に、足はすくみ、体は震えあがった。


「逃げても無駄だぁ諦めろぉ」

「そうよぉ、どうせ逃げられやしないのさぁ」


 言いながら黒いバケモノがにじり寄ってくる。

 璃世は震える足をどうにか動かし必死に後ずさったが、不意になにかが足に引っかった。


「きゃあっ!」


 悲鳴を上げながら転倒した璃世に、黒いバケモノたちがいっせいに飛びかかってきた。


「「おとなしく我々に喰われろぉ!」」


(誰か助けてっ!)


 心の中で叫びながらギュっと固く目をつむった。


 ――そのとき。


「クァーッ!」


 けたたましい鳴き声と共に、頭上でバサバサという羽音。

「なんだっ!」「やめろぉ!」というひしゃげた声に、璃世は恐る恐る目を開けた。するとそこには一羽のカラスが。まるで璃世のことを守ろうとしているかのように、バケモノの頭上で羽ばたいている。


 よくわからないけれど助かった。今のうちに逃げなければ、と思うのに立ち上がれない。足に力が入らないのだ。


(う、うそ⁉ どうしよう……!)


 焦る璃世の目の前で、黒いもの同士の攻防がくり広げられている。

 カラスは羽ばたきながら何度もバケモノの頭を突いていたが、そのうち一体がカラスを手で思いきりはたき落とした。地面に落とされたカラスを、すかさずもう一体が踏みつける。


「あっ!」


 思わず声を上げたら、バケモノがゆっくりと顔を上げた。眼球など見当たらない真っ黒な目が、舌なめずりするかのように璃世を見る。喉がヒュウッと音を立てた。


 黒い手が璃世に向かって伸ばされた、その刹那。


 間を割って入るように人影が飛び込んできた。


 背中を向けているから顔は見えない。紺色の着物をたどって見上げると、頭の上に黒い毛に覆われたふたつの耳が。


「千…里、店長……」

「店長はいらん」


 背中を向けたままそう返ってきた。彼の手はバケモノの腕を掴んでいる。


「まったく……客人の依頼であの白ウサのところへ行ってみれば、おまえの姿がない。迷子になるのが趣味なのか?」

「そんなわけ」

「じゃあ特技か」

「なっ!」


 揶揄されたことに言い返そうと璃世が口を開いたとき。


「邪魔をするなぁぁあっ!」


 雄たけびと同時にもう一体のバケモノが飛びかかってきた。

 反射的に「あぶないっ!」と声を上げた次の瞬間、千里はバケモノの腕を掴んでいるのとは反対の手を振り上げる。そして目のも止まらぬ速さで、指先から伸びた長く鋭い爪でバケモノを切り裂いた。


「グァァァッ!」

「邪魔ものはおまえたちだ」


 胴体を真っ二つに割られたバケモノは、その割れ目からサラサラと砂のように崩れ、あっという間に消滅した。


「俺の嫁に手を出した罪は償ってもらうぞ」

「ま、待て! わ、悪かった、おまえのものだなんて知らなかったんだ。もう手を出さない。おとなしく消えるから離してくれよぉ」


 腕を掴まれたままのバケモノは、必死に命乞いをした。そのわざとらしい声と言葉に、璃世は絶対嘘だと心の中で唱える。

すると千里は「ふっ」と短く鼻で息を吐いた後、口を開いた。


「本当か?」

「あ、ああ……本当だ! 金輪際この女には近づかないぃ」

「そうか、わかった」


 驚きで目を見張る璃世。まさか千里がバケモノの言葉をすんなり信じると思わなかったのだ。

けれど千里はあっさりバケモノを解放した。バケモノが再び襲いかかってくるのではと、一瞬緊張した璃世だったが、バケモノは逃げるようにどこかに消えてしまった。


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