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124 花浜匙の事

 四月の良く晴れた大安吉日、奥州藤原氏次期当主・智衡(ともひら)と地龍当主息女・(ほまれ)の挙式披露宴が行われた。

早朝から神前式を行うため、慌ただしくしかし厳かな気持ちで多くの人たちが集まった。

 「在仁(ありひと)、どうしよう、俺感動で既に泣きそうだ。」

在仁の隣でプルプルしているのは蘇芳(すおう)だ。見上げると、黒縁の眼鏡の奥の瞳が潤んでいる。

蘇芳と在仁は親族に当たらないがこの式に招待されていた。親しい者としてなのか、それとも重大隊(かさねだいたい)隊員や清め人としてなのか、と立場を考えて身の置き所を思案していたのだが、前日に届けられた衣装を見て立ち位置が判明した。智衡から届いたのは藤の紋の入った紋付羽織袴だったのだ。

かなり前から結婚式の衣装は智衡が用意するので何もするなと言われていたが、まさかこのような粋な計らいがあろうとは夢にも思わなかった。

 「俺達、親族という事でよろしいのでございますよね?」

在仁が恐縮したように自身の羽織に入っている藤の紋を見下ろした。蘇芳も同じ様子で紋を確認した。

 「…間違いないよな。」

智衡にとって蘇芳は兄、在仁は弟という事なのだろう。人生にたった一度しかないであろうこの大切な晴れの舞台に、血のつながりのない二人を親族として招待する智衡の心が、二人には嬉し過ぎて着る前から感動にむせび泣いた。

 「ああ、智衡様の記念すべきこの日を、兄として迎えられるなんて…やっぱり泣きそうだ。何てメモリアルだ。」

 「俺までこのような過分なお心づかいを下さるなど、恐縮でございます。」

二人で感動を分かち合いながら智衡を見守っていると、近くで同じく既に号泣モードに突入している人の気配があった。見れば晋衡(くにひら)だった。それを(ひと)()茉莉(まつり)が呆れた顔で慰めていた。それを見た在仁に、蘇芳が小さな声で耳打ちした。

 「隊長結構涙もろいから、茉莉様と在仁の時も号泣すると思うぞ。」

 「そうなのでございますか…。」

普段の威厳を思うと涙腺など無さそうだが、それならば蘇芳の時もそうなるのだろうと在仁が思っていると、振り袖姿の茉莉が目に入った。これも智衡チョイスだろうと思うとやはりセンスが良い。智衡という掴み処の無い人には、在仁も随分と振り回されたが、最近はすっかりと気の置けない関係となった。智衡は在仁にとっても大切な人だ。

 式が終わり外に出ると、奥州藤原家門が二人を迎えるように花道を作っていた。その壮観たるを見て、智衡と誉は嬉しそうに堂々と歩いて行った。

奥州藤原家門総出で次期当主である智衡の結婚を祝い、その妻となる誉を歓迎する様子に、在仁はすっかり圧倒されてしまった。智衡が次期当主という立場であると改めて実感すると、すごい場所にいるのではないかと緊張してしまう。隣にいる蘇芳を見上げると、蘇芳の目はまっすぐに智衡を見据えていた。それは兄弟というよりは主君に対する忠の色だった。いずれ智衡がこの奥州を率いる時、蘇芳は重大隊を率いる立場となっているのだろうか。この二人はいつか奥州を背負って立つ人間なのだと気が付くと、在仁は凄い人達と一緒にいたのだなぁと、今更な感想を抱いた。

 「何考えてるかだいたい分かる。一応言っておくが、在仁は今や清め人だからな。」

急に蘇芳が釘を刺すように言うので、在仁はびっくりした。

 「…さようでございますね。俺も、お二人が牽引なさるこの地を共に盛り立てて行けますよう励ませて頂きます。」

この先もこの奥州で生きていきたい。在仁が語る未来像を、蘇芳は初めて聞いた気がした。(あざみ)のいない、茉莉を愛する事以外の未来像を。

 「一緒に頑張って行こうな。」

 「はい。」

この良き日が、在仁に明るい未来を夢見させているのだろうか。蘇芳はそこに自分がいられる事が誇らしかった。力なき強き者を守り続けられる存在でありたいと、強く思った。


 ◆


 午後になると、地龍全家門規模の披露宴となった。有名歌手のコンサートですか?と訊きたくなるようなキャパの会場を貸し切り、豪華な料理と演出でお迎えするのは、やはり奥州の権威を示す目的でもあるが、地龍当主の娘である誉の嫁入りという側面がこの式を大規模にさせているのだ。

 「え〜、在仁と席離れてる。」

茉莉が清楚で落ち着いた親族らしいドレスで残念そうに言うと、これまた智衡から贈られたオーソドックスなモーニングスーツに着替えた在仁が自身の席を見た。

 「お兄様から披露宴は肩書優先だって言われているから仕方がないね。茉莉は親族で、俺は清め人として招かれてるから、一番遠いね。」

新郎新婦のメインテーブルに最も近い主賓の席には、清め人である逢初(あいぞめ)・在仁・上司である幸衡(ゆきひら)と妻あきら・強い繋がりを結んだ和田家が座る。親族は参席者たちをおもてなしする立場であるため最も遠い場所に席があった。ちなみに蘇芳は招かれている上杉家がいるテーブルに席があった。在仁がこの席割りを考えるだけで胃が蜂の巣になりそうだなとしみじみと思っていると、茉莉は午前中は親族として近くにいたにも関わらず午後は清め人として遠くに座る在仁に寂しさを感じた。

 「婚約者なんだから、親族って見方もあるよね?」

 「まぁ…でも多分、清め人っていう肩書に勝るものはないと思うよ?」

一人の人間が持つ複数の肩書の中で、最も強く有効な肩書を使うのは当然だろうと。そう言われて茉莉は寂しそうに在仁を見送った。

まだ参席者のいない会場だが、休憩がてら茉莉が座ると同じく座った晋衡に気付いた。

 「お父さん、目やば。」

見れば晋衡が午前中に泣き過ぎたのか目が赤かった。

 「だって、考えても見ろよ。(とも)が結婚だぞ?あの智が…本当に色々あった。もう生まれる前から色々あったもん。絶対俺の遺伝子じゃあ藤原氏当主なんて無理だって思ったのに、幸さんのおかげで立派になって…しかも、誉様と…。誉様も本当に色々あったよ…。あんなにちっちゃかったのに…。俺いっぱい一緒に遊んだし、参加日も行ったもん。もう俺が育てたようなもんだって。ねぇ?ひぃさん。」

 「ううん…まぁそれは言い過ぎだとは思うけれど…。誉様が旦那様を父親のように慕っていらっしゃるのは本当よね。」

晋衡は誉が生まれた時から知っていて、その成長の過程を傍で見て来た。誉も晋衡を実の父親のように慕っているので、この結婚によって本当の親子になる事がまた感慨深い。

 「本当にお前に誉をやる日が来るとは…。」

見れば座る晋衡の前に恭が立って見下ろしていた。その表情は憤怒のように見えた。だが晋衡がその顔を見て噴き出した。

 「ちょっ…何て顔してんの?!泣きそうなの?必死で耐えてるの?まだ披露宴これから始まるんだけど…。」

 「午前中既に泣きまくったお前に言われたくないっ!」

めちゃくちゃキレてるのかと思った茉莉は、何だ泣くのを堪えているのかと思って安堵した。晋衡が面白がって笑いながら静を呼んだ。

 「ちょっとちょっと、(しず)(ねぇ)、恭がもう泣きそうっ。」

 「そうなの。でも地龍当主の威厳に関わるから泣けないんだって。この顔うけるよね?」

 「うける。写真録ろ。」

 「殺すぞ。」

憤怒にしか見えない顔で脅すと結構恐い。けれど晋衡も静も全く怯まず笑っていた。その様子を呆れたように見ていた(きみ)(たか)が、そっと近付いて茉莉と仁美に頭を下げた。

 「姉が絶対に迷惑をかけると思います。いいえ、かけます。どうか、迷わずお知らせください。すぐに迎えに参りますので。どうかよろしくお願いします。」

何故最初から誉が何かしでかす前提なのか、相変わらず誉の事が心配でならないらしい君崇が不安そうにしていた。

 「(きみ)ちゃんは何でそんなに誉ちゃんの事が心配なのかなぁ?よく分からないけど、何かあったら君ちゃんに言うね。」

 「君崇様、そんなにご心配なさらないで、これからはご自身の事をお考えになってね。誉様は大丈夫ですから。」

二人に励まされた君崇は、気を取り直したようにしっかりと恭と静を新婦の親族の席へ連れて行った。


 ◆


 品の良いさざめきのような会話の声とカトラリーの音が会場内を満たしていて、在仁は比較的落ち着いた気持ちで主賓席に座っていた。

既に主だった挨拶を終えて、新郎新婦はお色直しのため離席していて、優しいBGMの流れる中ご歓談タイムとなっていた。まだこのタイミングで離席する者はなく穏やかな空気だった。

在仁の隣は幸衡と逢初で、新年会と同じ安定安心の並びだ。困ったら頼れるという安心感がありとても助かる。そして幸衡の隣にあきら、その隣に和田(わだ)知将(ともまさ)義将(よしまさ)親子、紅葉(もみじ)白蓮(びゃくれん)と並んだ丸いテーブルだった。白蓮に一つ席を置いているが、テーブルに置かれているのは皿に盛られた猫缶だった。これが智衡の好意なのか悪意なのか在仁は判断出来ず、微妙な視線を送ったのだが白蓮は無視して澄まして座っていた。

 「知将様、義将様、この度は俺の後ろ盾となって頂き誠にありがとうございます。本来でしたらこちらからご挨拶に伺わせていただくべき所でございますが、この場をお借りして御礼申し上げさせて頂きます。この後はこの御恩に報いる事が出来ますればと思う次第でございます。どうぞ、末永くよろしくお願い申し上げます。」

目の前に座る知将と義将に在仁は座ったまま出来るだけ深く礼をした。

 「いいえ、まさか。本来であればこちらからご挨拶すべき所です。色々と事情が立て込んでいたとは言え、間接的に事だけが運んでしまって、本当に失礼いたしました。和田家の状況が落ち着きましたら、必ず何らかの形でこの御恩はお返ししたいと思っています。」

礼を返す知将が薄く笑んだが、申し訳なさより悔いのような色が濃かった。

やはり、もっと落ち着いた状況で和田家と在仁の関係を結びたかったと思っているのだろう。けれど、和田家はこの関係のおかげで奥州からの支援を得てかなり復興が進んでいるという。それが証拠か知将と義将の表情も明るいものだった。

そして知将はそのまま幸衡を見た。

 「幸ちゃんも、今回の話をこんな風に利用する事になって申し訳ない。全部私の不徳の致すところで、本当に情けない。」

それぞれがゆったりと配置された円卓だからか、知将がフランクに幸衡に謝罪した。その様子に在仁は目を向けた。

 「いや、元よりお二人への恩返しとしてこの話しを持ちかけたのだ。故にこうして力になれる事を嬉しく思う。」

 「幸ちゃんが私たちに恩を感じるべき部分に心当たりがないのだけれど…。」

知将が義将を見ると、義将も同じように疑問の表情だ。

 「(ゆき)(にい)ちゃんには、最初から僕たちの方がお世話になってない?」

東京で同居していた頃の幸衡はまるでオールラウンダーの使用人のような有様で、家事の全てを手伝っていたし、甲斐甲斐しく恭の世話を焼き、(すすむ)の心配をし、更に東京の揺らぎ討伐まで手伝っていた超人だ。更に鎌倉で暮らすようになってからは義将の頼れる良き兄としていつも相談に乗ってくれた。幸衡に恩を感じる事はあれど、幸衡から恩を感じられる部分を探し出す事は出来そうにないと和田親子は首をひねった。

 「いや、突然押しかけた私を快く受け入れてくれた和田家の温かさには、私も救われる所があった。それに、晋衡が今こうして笑えるのはやはり貴方方親子の温かさあっての事に違いない。今日智衡が晴れの日を迎える事が出来た事も、ひいては貴方方のお陰だと言っても過言ではない。」

幸衡が今日に続く道には和田親子の愛情が不可欠であったことを伝えると、二人は困ったように笑って声をそろえた。

 「「いや、過言でしょ。」」

仲の良さそうな様子に、在仁はやはり和田家との繋がりは政治的背景ではなく個人的好意なのだなと確信した。

幸衡は智衡不在のメインテーブルに目を向けながら言った。

 「智衡が生まれた時、晋衡は少し不安を抱いていた。それはやはり八つ目の業が故であったが、同時に晋衡自身が知らぬ親の愛情をどのようにして子に注ぐべきかという不安でもあった。しかし、晋衡自身が欲しかったものをすべて与えてやればいいのだと、知将殿は迷わずに言った。義将殿も、何があっても晋衡を信じ兄と慕い続けてくれた。それが今の晋衡をつくっているのだと、私は確信している。やはり知将殿なくして、今の奥州はないのだ。その恩は、このような事で返しきるものではない。故に私は、この後も貴方方親子の支えとなりたい。」

いつも通りの無風の波形で抑揚も無く言う幸衡だが、その言葉の温かさは確かに知将の心を打った。

 「ちょ…やだ、幸ちゃん。私まで泣かせないでよ。」

 「幸兄ちゃんてば、急にそういう事言い出すからずるいよね。」

うるっときた和田親子が顔を背けると、あきらがケラケラと笑った。

 「つまり、幸くんは二人が大好きってことだね!」

 「よくできました。」

あきらに向けた目の優しさを見た在仁は、幸衡自身が持つ温かさを知った。現在の奥州は幸衡のワンマンで統治されているが、奥州の民の健全な精神性や安定した秩序とは裏腹に、統治者である幸衡には冷酷冷淡な印象がある。在仁とて初めは幸衡という統治者に恐れを抱いたが、奥州で暮らす内にそれは違うと分かるようになった。幸衡にこうした温かい心がなくば、奥州はこのような温かな地になるはずがないのだ。それを実感した在仁は、やはり奥州に来て良かったと思った。

 「ところで、紅葉はどう?ちゃんとやってる?」

義将が紅葉に話を振ると、紅葉は恐縮そうに頭を下げた。

 「未熟である事を日々痛感するばかりです。なるべく早く、本来望まれるべき護衛としての働きをしたいと思っております。」

 「あはは、やっぱり何か硬いね。まだ緊張しているのかな?僕が紅葉を選んだのは、紅葉が強くて真っ直ぐで人の為に一生懸命になれるからだよ。東京があんな事になった時も、誰よりも人の苦しみに寄り添っていたのは紅葉だった。そういう優しさが、きっと葛葉様の助けになるだろうって思ったんだ。葛葉様はすぐに人の為にその身を(なげう)ってしまわれるって晋衡兄ちゃんが嘆いていたから、そうしないで良いようにね。」

料理を口に運びながら雑談のように言う義将を、紅葉が目をまん丸にさせて見つめていた。

 「そのような…事は、聞いてません。」

 「そうだった?でもそれは紅葉が考えて行動していく事でしょ。僕は紅葉が良いって思ったんだから、紅葉は紅葉の良心に従って生きな。きっと上手くいくよ。」

簡単に言ってくれる義将を、紅葉は少し恨めしそうに見た。その表情が普段見られない可愛らしさを含んでいたので、在仁はこんな顔もするのだなと思った。そこへ逢初が揶揄うように言った。

 「空気だもんな。」

私の事は空気だと思って欲しいと言った事は今や黒歴史のようなものだ。紅葉がすべき事は空気に徹して必要とされた事だけをするロボットになる事ではない。在仁と共に戦っていく事だ。その覚悟も道もまだ見えては来ないが、紅葉は何とかそれを掴み取ろうとしている最中なのだ。

 「より良い空気となります。」

紅葉が決意のように逢初に言うと、逢初は一瞬面食らったような顔をしてから豪快に笑った。

 「そりゃいい。(あり)は空気が悪いと倒れるからな!」

 「お…お師匠様!」

新年会以降、在仁は空気が悪いと具合が悪くなると思われているので、蒸し返されると居心地が悪くなる。在仁が大きな声で笑いながら言う逢初を咎めるように呼んだが、既に遅かったのか他のテーブルからの視線を感じた。勝手に出来上がっていた聖人キャラを演じる自信などないので、期待されても困ると、在仁はそわそわとした。

そこへ、知将が気遣うように言った。

 「葛葉様はその後、御加減如何ですか?」

顔にドでかい十字傷を持った知将に訊かれると違和感がある在仁だが、知将の大きな体を見るとそれが怪我人であっても在仁より遥かに強そうだ。ここへ来るまでも、今現在も特段どこかを庇うような動きもないので、知将もかなり回復しているのだろうと分かった。

 「昨年の怪我は殆ど治りましてございますが、心因性のものが尾を引いており、皆様にご心配をおかけしております事は大変心苦しく思います。」

 「分かります。私もこうして元気になりましたが、燻るものは残ります。この歳になってここまで男っぷりが上がろうとは夢にも思いませんでしたが、やはりもう前線へ出る事は無理でしょう。大人しく当主としての務めに専念するつもりです。」

顔の傷を指して笑う姿は山賊の棟梁のようだった。なかなかワイルドな見た目だが、やはり言う事や態度には繊細な温かさがあって、そのバランスが魅力的だ。

 「さようでございますか。どうかご自愛ください。」

在仁の言葉を受けて、義将が知将に笑みを向けたのを見て、やはり仲の良い親子だと思って微笑ましくなった。

 「お二人の仲のよろしいご関係を拝見いたしますと、羨ましく思われます。」

在仁は亡き父を思い出してみたが、父は厳しいばかりで笑った顔すら思い出せなかった。きっと生きていても和田親子のような関係ではなかっただろう。そんな事をふんわりと思っていたのだが、在仁の天涯孤独の身の上を知っている周囲は思ったより深刻に受け止めたようだった。

過去に想いを馳せる在仁の闇色の瞳が、無自覚であっても死者を悼むような重く暗い色を映してしまうのは致し方の無い事だ。その闇色を見た知将が眉を下げて申し出た。

 「葛葉様さえ宜しければ、私の事をいくらでも父親と思っていただいて構いませんよ。」

 「父上、葛葉様は晋衡兄ちゃんの事を父親と慕っているのだから、父上は御爺様ですよ。」

 「そうかっ、たしかにそうだね。では、お爺ちゃんと。」

 「じゃあ僕は叔父さん?」

面白そうに言ってくる二人の温かさに、在仁は引き込まれるように慕わしい感情が湧いて来た。

 「ふふ…では俺は在仁と、お呼びください。お爺様、叔父様。」

暗い瞳から一転、無邪気な笑みを向けた在仁を見た面々は、その笑みに安堵と喜びを覚えた。

 「葛葉をあっさり陥落させるとは、流石としか言いようがないな。」

幸衡が満足気に言うと、あきらが隣で「よかったね〜。」と言った。


 ◆


 何回お色直しするのだろうか…と思いながら在仁がお手洗いから出て廊下を歩いていると、見知らぬ男性がわざとらしく道を塞いできた。

 「おや、これは葛葉様では?」

絶対に分かっていて待ち伏せしていたのだろうと感じた在仁は、さてどうしたものかと思いつつ綺麗に礼をした。

 「こんにちは。初めまして。お見知り置きくださり光栄でございます。」

顔を上げると、男性の娘なのか若い女性がいた。在仁に茉莉という婚約者がいると分かっていても、こうして姻戚を目論むアプローチがあるものなのか、と半ば呆れたような気持ちで人の好い笑顔で応対していると、いつの間にか他にも人が寄ってきて囲まれていた。

在仁が後ろを振り返ると、そちらにも人がいて、退路も断たれたかと知った。それでも別に緊張感もなく人々を雑と思われない程度に器用にあしらっていると、そこに聞き覚えのある音がした。

――――キンっ

音のする方を見ると、後ろに立っていた中年女性がしている髪飾りがあった。漆塗りの黒い簪は意匠が細かく、よく見ると年代物だ。

 「御婦人の髪飾りはとても素敵でございますね。」

何故その簪から音がしたのだろうかと思いながら目を凝らすと、その女性がはにかむように微笑んだ。

 「こちらは代々伝わるものです。お褒めいただき、たいへん嬉しく思います。」

その様子が、在仁とどうにかなろうという腹の一切ない純粋な感想であったため、在仁は少し嬉しくなって音への違和感を手放した。

 「さようでございますか。これからも大切になさってください。」

柔らかく言う在仁に、周囲が一瞬見惚れるように動きを止めたものの再び話しかけてきた。それを見てから在仁は、さてここからどうやって会場へ戻ろうかと考えた。

別にどうとでも言って退かせる事は出来るが、そういう方法は好まない。誰も不快にならずにこの場から去る事が望ましい。そんな事を考えていると、皆が在仁から一定の距離を保っている事に気が付いた。失礼に触れたりしないように気遣って、話しかける内容も不躾にならないような曖昧な事ばかりだ。なかなか繊細な人物であると意識をしているのだろうかと思うと、智衡のプロパガンダを思い出した。何がための戦略か知らないが、在仁を聖人にしたがっているのだと。なるほど、この切り口で突破可能では?と在仁が活路を見出した。ところが、

 「葛葉様、実はこの程我が娘が二十一歳となりました。葛葉様と同じ年齢ですので、お話も合うかと思います。」

隣に立っていた女性が自身の娘を紹介しようと口を開いた。それでこの場にあった均衡が崩れた。皆本心ではぐいぐい行きたい所を我慢していたのだ。その中で一歩前に出た者を見つけてどうして落ち着いていられようか。他の者たちが負けじと自身の主張をしようとした。

 「…う…。」

在仁が胸を押さえてよろっと壁に体を預けるようにすると、それに驚いた人々が青ざめて少し離れた。

 「眩暈が…。」

欲心塗れる集団に囲まれると体調を崩しちゃたりするような清き水でしか生きられないか弱い者だと思われているらしいので、ちょっと試しに芝居してみたのだが思ったより真に受けているようだ、と在仁は冷静に実験の考察。人々が青い顔で動揺して困っているのを見て、あんまり虐めてはいけないと思い芝居をやめようとした時だった。

 「(あるじ)!」

 「葛葉様!」

人波の向こうから白蓮と紅葉が血相を変えて走ってきた。在仁は有難い救援と思った反面、二人が在仁の演技に騙されてしまっていまいかと不安になった。

モーセかと思うくらい鮮やかに人波が割れて、当然のように白蓮と紅葉が在仁の元へ辿り着いた。在仁が紅葉にお礼を言おうとしたが、次の瞬間には紅葉が在仁を抱き上げて歩き出していた。

 「も、紅葉さんっ…。」

背の高い紅葉がピシッと決まったパンツスーツで、軽々と在仁をお姫様抱っこして颯爽と歩いて行く姿は、どこぞの王子かと思う程格好良かった。それを見た女性達の目がハートになっているのを見遣りながら、在仁は紅葉にだけ聴こえるように小さな声で言った。

 「あの…体調不良は演技でございます。あの場をやり過ごそうと、浅はかな真似を致しました。ご心配をおかけして大変申し訳ございません。」

それを聞いた紅葉は一瞬目を見開いたが、足は止めずに浅く頷いた。

 「そうですか。元気でいらっしゃるなら、よかったです。」

状況は理解してくれた様子だが降ろす気がない紅葉に、在仁は困惑した。

 「降ろしてくださいませんか?」

 「いいえ、どうせですから、このまま行きましょう。」

 「ええ?」

少し大きな声でリアクションしてしまった在仁が自身の口を押えて紅葉を見ると、足元で白蓮が言った。

 「会場内も人の動きが活発になってきている。それで主の戻りが遅い事が気になったのだ。どうせ戻ってもさっきみたいな輩に囲まれる。折角だからこの状況を利用してやれば、くだらぬ輩共は近付けないだろう。」

時間も経過し酒も入って来るので、少しずつ席を立って挨拶をしたりする者があれば、それを見た者が続いていくのは当然だ。大切なイベントに羽目を外したり騒ぎを起こすような者はいないが、品の良い顔をして在仁に近付いて来る者が少なくない事は想像できる。ちょっとトイレに行っただけで廊下で囲まれるくらいなのだから、会場内ではもっとだろうと思えば、応対するのも疲れそうだ。

 「騙す様で気が進みません。それに、身内まで巻き込んでは無為にご心配をおかけする事となります。」

 「いいえ、きっと皆様お褒めくださいます。」

紅葉が得意げに微笑んだ。そのクールな笑みがなかなか格好良かったので、在仁が黙った。その沈黙を肯定とされてしまったのか、紅葉は既に会場に足を踏み入れていた。

 「人の結婚披露宴でお姫様だっこされて注目される俺ってどうなのでございましょうか。恥ずかし過ぎるので忘れたいです。いっそ気絶させてくださいませんか?」

紅葉に抱かれて会場に入ると、人々の視線が一気に集中したのが分かった。在仁は恥ずかし過ぎて顔を紅葉の胸の方へ向けたが、視線が増えていくのを意識すると顔が紅潮していくのを抑えられなかった。小さな声で無駄な抵抗を口にしていると、紅葉が返した。

 「申し訳ございません。例え必要があっても清め人様を気絶させるのは無理です。」

流石に在仁に暴力を振るえないというので、そらそうだと思った。

紅葉が足を止めたので、自身の席に到着したのだろうかと思うと、バタバタと駆け寄る足音がした。

 「在仁!どうした?」

 「在仁!」

 「どこか痛いのか?」

晋衡や茉莉、蘇芳の声が近くでしたので、やはり無駄に心配させてしまったではないかと思いつつ、在仁は真っ赤な顔を上げて小さな声で言った。

 「演技でございます。」

それを見た晋衡達は一瞬意味を理解する時間を使った。僅か沈黙した様子に不安になった在仁が見ると、晋衡がいつもより大きな声で言った。

 「顔が赤いな、熱があるのではないか?」

 「大変っ、会場の空気が悪いのかしら?」

 「在仁は人一倍繊細だからな。何かを感じたのかもしれないな。」

晋衡に追従して大袈裟に言い始めるので、在仁はびっくりしてしまった。そしてそのまま紅葉に元の席に降ろされたのだが、逢初や幸衡のみならず和田親子までが同調していて、どんどん会場に広まって行ってしまった。とてつもなく恥ずかしくなって真っ赤になった在仁が気が付くと、いつの間にかメインテーブルから智衡が面白そうに見ていた。目が合うとウインクをしてきたので、在仁はもう終わったと思った。新年会で出来てしまったキャラ設定の中で唯一覆せそうだったのが虚弱だったのに、これはもう絶対に覆らないと確信した。

その後在仁は、何故失敗出来ない公の場で何事もなく済ませられないのだろうかと、自身を呪いながら過ごすのだった。

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