122 紫詰草の事
三月も終わりが見えて来たある日、重の大隊長室で全小隊長・副小隊長と茉莉と在仁を招集した会議が開かれた。目的は昨年の京都以来、最近また現れるようになった養殖場についてと、京都の一件から今後の対応についてなどを話し合うためだ。その場には結婚式直前の智衡は不在だが、珍しく黒も白も全員揃っていて、重要な会議だと分かった。
「忙しい所時間とって悪いな。短時間で終わらせられないから、先に謝っておくわ。」
晋衡が雑に前置きをすると、全員が真面目な様子でタブレット端末を見た。
「まず、今回、和田家が在仁の後ろ盾になった事で、和田家に支援を出している。来月には重大隊からも人員を送る事になるから、予定しておいてくれ。東京は一般討伐の量もエグイからな、行ったら休む暇ないって覚悟してくれ。その代わり手当は弾むって御館様が言ってたって広めて、志願者集めといてくれ。以上。」
今までも他家からの応援要請にはなるべく応えて来た。もちろん素直に要請できる立場というものがあるので平等に困った人を助けるような意味ではないが。重は応援慣れしているので、その辺も端的に済ませる事が出来る。晋衡はそれだけ言うと次の話に移った。
紅葉は在仁の後ろに立って会議の内容を聞いていた。会議は大きな丸いテーブルに全員で座していたが、各色の制服で各々の役割は一目で分かった。濃色は前衛、淡色は後衛、紫が最強であり、青・赤は次席。黄色は一般討伐レベル、黒は隠密系で、白は医療と技術研究系。白はラボ襲撃で表向きは潰されているが、智衡直轄として存在している事は公然の秘密だ。在仁が地龍公式新年会に胡粉小隊の制服で出席した事もあり、白部隊の再編はなし崩し的に公になりつつあった。
重のこうした組織図を知らない者など武士にいない程の常識だ。
在仁は胡粉小隊長である逢初の隣に座っていて、その膝の上にはいつも通り白蓮がいた。茉莉は蘇芳の隣に座っていて、在仁とは対角線上のような位置だった。全員が座っているが、座す事を固辞した紅葉だけが在仁の後ろに立っていて少し異彩を放っていた。紅葉の臙脂色の制服は、長い袖の返しと襟と手袋が黒色で、背には大きく和田家の家紋である七曜紋。色もデザインも重とは異なるためそれだけでも目立つ。転校生がいつまでも前の学校の制服を着ているような感じだろうか。皆口にはしないが、それなりに浮いているという状態。
晋衡から短く和田家の話題が出ると、紅葉はきちんと奥州から和田家への支援が行われている事に安堵した。まだ混乱の最中である和田家から、この平和な奥州に一人でやってきた事がとても後ろめたく思えたので、支援の事が聞けて良かったと思った。
「こないだの養殖場だけど…。」
紅葉が和田家に想いを馳せている間に晋衡が会議を進行していて、話題は先日の養殖場討伐についてとなっていた。紅葉は養殖場討伐というものに参加した事はないが、先日紫部隊が鮮やかに討伐した養殖場には辰砂を持つ鬼が複数含まれていたという。紅葉はそれを聞いて戦慄した。辰砂を持つ鬼、それは知将を死の淵に追いやった兇悪な存在だ。それを複数相手にして、あっさりと討伐完了とは。後から知っても圧巻の戦力だ。
「でだ。養殖場内部から百鬼の檻が出て来た。中には心臓を抉られた人間の死体が入っていたと報告がある。おそらく攫われた災い子だろうとの事で、今は身元を調べている所だ。」
晋衡が言うと、蘇芳が顔を歪めた。
「どういう事です?檻に入れられているのは百鬼のナンバーを持つ鬼ではないのですか?」
蘇芳の疑問に全員の視線が集中したが、もちろん晋衡も答えを持つ訳ではない。
「さぁなぁ。だが、何らかの実験か…もしくは再び神の模造品を作ろうとしているのか…。」
神の模造品、その言葉に全員の気配が変わった。紅葉はその言葉を初めて耳にしたため皆の様子の意味が分からなかった。
そこへ千之助が手を挙げた。
「それはありえないよ。葛葉くんの例は本当にレアケースだ。今後どれだけの犠牲を払っても、二度と出来る事などないと俺は断言するね。そもそも素体が災い子なんだろう?一ミクロンたりとも有り得ないね。」
そこへ冬至が首をひねった。
「でも、そもそも葛葉くんを神にしようとする過程では、鬼の軍団を作る事を目的とした人体実験が並行して行われていたというじゃないですか。人の心臓を抉り取って辰砂を埋め込み、鬼に変えて辰砂を持つ兇悪な鬼を造っていたんでしょう?人の知能を持ち、寝食を不要とし、欠損を再生する能力を持ち、ひたすらに地上を蹂躙する、そんな鬼を造る事を目的としていた。そうですよね?そして現在は、百体の鬼を造っている最中です。これは別の案件でしょうか?」
冬至が今までの事を整理するように言うと、庵が顔全体を歪ませて言った。
「うわ、怖すぎますよ。マジで言ってます?じゃあ、邪とか高濃度瘴気とか呪物とか、全部関係あるって話ですか?」
「ヤッシーにしては悪くない線だな。確かに、養殖場にあった事はよく分からないですけど、災い子を素体にしてその邪を求める本能と知性を持ったままの鬼を造る事と、百鬼を作る事をドッキングして考えたら、かなりヤバイ感じになりますよね。」
庵の感想に暁が同調した。
すると、珍しく司が発言した。黒部隊は会議参加も稀だ。
「樒も白露も呪物となった際に、記憶も人格も知性も何もかもそのまま持っていただろう。鴎音にはそれが可能だとすれば、百体の鬼がそれを持つ事になるのかも知れないな…。大隊長、先の戦では地下迷宮に知性を持つ鬼がいたのですよね?」
司の問いに、晋衡は低く答えた。
「ああ、いたな。人であった記憶も人格も知性も何もかもをそのまま受け継いだ鬼を、大江広元は作り出していた。」
晋衡は地下迷宮でそれらの鬼と会っている。つまり、大江はその方法を知っていたという事だ。
そこまで聞くと、逢初が重い口を開いた。
「鴎音は、大江広元に師事していた可能性が高い。」
それを聞いた全員が黙った。
しばしの沈黙の後、茉莉がゆっくりと言った。
「つまり、鴎音には、知性を持つその鬼の進化版を作る事が出来るってこと?それが、百鬼ってことなの?」
この場の誰も答えを知らない問いに、再び沈黙が流れた。そこへ、在仁の膝から白蓮がテーブルに飛び乗った。
「俺は百鬼夜好を、今までのように転化薬で鬼にした人間を殺し合わせて残った一体を檻に入れたものを、百体作るとしか聞いていない。それだけで十分に地上を蹂躙し尽くすに足る力だと思ったし、薊が持つ無限の邪があればその鬼を更に兇悪なものに進化させる事が出来ると思った。攫った災い子たちは、それを作るための作業員としての価値しかないものと認識していた。」
悔恨を滲ませる声音に、誰も責めるような視線を送る事はなかったが、それでも憤りを抑えるように歯を食いしばっていた。
「元より薊は主の心に執着し、その根源を心臓という器官に見出していた。鴎音はそれを下敷きにして設計を始めた故に、呪物の構造は、頭部に知性を、胸部に感性を持つのだ。災い子の心臓を抉ったというならば、心を不要としたのか、それとも必要としたのか。抉られた心臓の行方にもよるか…。」
欲しくて抜いたのか、要らなくて抜いたのか、と白蓮が言った。
紅葉はここまでの内容で理解できる事は殆どなかった。紅葉が今までいた場所は中枢とはかけ離れた一般武士の現場だ。そこはひたすらに、目の前の戦いに向かうだけでその先を見る余裕などなかった。鬼は当然存在するものであり、それを誰がどうやってどうしてなどという思考は介在しなかった。まるで自然の摂理のように存在して然るべきもののように思っていた。故にこの会議はあまりにも理解不能だった。しかし、内容が理解できないながらも場の空気は感じられた。面々は深刻な面持ちで表情を曇らせており、部屋の空気は重苦しかった。紅葉は奥州に来て初めてこの空気に触れた。それは東京の空気に似て、出口のない闇に囚われているかのようなものだった。
「在、大丈夫か?」
そこに、逢初の声が会議を中断させた。
皆が見ると、在仁が胸を押さえて青い顔をしていた。
「大丈夫でございます。少し、色々と思い出してしまっただけでございますれば、お気になさらず。」
大丈夫と言うが、在仁の額には汗が滲んでおり、胸を押さえる手は震えて見えた。白蓮は慌てて在仁の元へ戻った。
ここまで具体的に話してきて、在仁が過去の辛い事を思い出さないはずがなかった。晋衡は気が付かなった事に反省した。
「ちょっと休憩しよう。」
そう言って立ち上がると、蘇芳と茉莉がすぐに在仁の元へ向かおうとした。
唐突に在仁の体調の変化から会議が中断したので、紅葉は一瞬反応が遅れてしまったが、慌てて在仁の傍らに向かった。状況はよく分からなかったが、在仁が胸を押さえて痛そうにしていた。紅葉は一瞬東京での地獄を思い出した。多くの人が死に、怪我をした者たちの苦痛の表情が目に焼き付いていた。あの苦悶をフラッシュバックしつつ、在仁に訊いた。
「葛葉様、胸が痛むのですか?」
紅葉が在仁の胸に手を伸ばした時だった。
「やめろ!」
「よせ!」
「いや!」
晋衡と蘇芳と茉莉がほぼ同時に叫んだ。紅葉はその絶叫するような声に驚いて手を止めた。紅葉の手は、黒い手袋をしていて袖の長い返し部分が黒色。在仁の胸に添えられた黒い手は、薊が在仁の胸に手を突き刺した様子に良く似ていた。三人はそれを思い出して反射で叫んだのだが、もちろん紅葉には意味が分からない。
「…っ…。」
気が付くと、在仁が胸の前に差し出された紅葉の手を見て、ひきつけを起こしたように苦しみだした。紅葉は全く意味が分からないで戸惑ったが、そこへ宇治山が走ってきて紅葉を押して退かし、在仁の肩を支えた。
「過呼吸だ。葛葉くん、大丈夫だ。落ち着いて、ゆっくり息をしよう。俺を見て、葛葉くん、俺が分かるか?」
在仁の後ろから逢初が背を支えた。そして茉莉が走ってかけつけた。その後から晋衡と蘇芳が来て、不安そうに様子を見たが、その二人もとても青い顔をしていた。
紅葉は未だ状況が分からないままで困惑していたが、それに対して晋衡が痛みを堪える表情で言った。
「すまない紅葉殿。俺達のトラウマだ。君に落ち度はない。だが、その黒い手袋は外してくれるか?」
晋衡の言葉を受けて、紅葉は即座に手袋を外した。晋衡は「ありがとう。」と言ったが、どこか悲しそうで、紅葉は何も言う事ができなかった。
「在仁、大丈夫だよ。私ここにいるよ。」
その間も在仁が苦しそうに藻掻いていて、茉莉がその手を握るとようやく茉莉を目に入れて涙を流した。
「葛葉くん、ゆっくり、落ち着いて、息をして。」
宇治山がはっきりと大きな声で言うと、在仁は少しずつ呼吸を整えようとした。だが、押さえた胸が痛むのか顔を歪めていた。宇治山はそれを見てから、在仁の着物の合わせを無理矢理引っ張って胸を晒した。そこには、薊に心臓を抉り出されそうになった痛々しい傷痕がはっきりと残っていた。
紅葉はその痛々しい傷痕を見て驚愕した。欲心渦巻く新年会の席で倒れるような清き生き物で、汚れを知らないが故に綺麗事を説く事が出来るのだと思っていたのに、そこにある火傷のような裂傷の痕は間違いなく瘴気や邪によるものだ。しかも一目で生死を彷徨ったろうと察するようなもの。紅葉は再び東京の惨劇を思い出して恐くなった。
「大丈夫だ、傷は何ともない。葛葉くん、胸は無事だ。心臓はここにある。」
「そうだよ、在仁。在仁の心臓は、心はここにあるよ。」
二人に言われて、少しずつ落ち着いてきた在仁を、蘇芳がそっと床に寝かせた。
「在仁、見ろ、ここは重大隊最強メンバー勢ぞろいだぞ。何を恐れる事がある?」
蘇芳が励ますように言うと、在仁が薄く笑った。
「…は…そうで、ございます、ね。」
「話さなくていい。葛葉くん、落ち着こう。しばらくじっとしていなさい。」
宇治山が在仁に言い、茉莉は在仁の頭を撫でて落ち着かせようとしていた。紅葉が見ると、茉莉は泣いているようだった。晋衡は「俺達のトラウマ」と言った。それが何なのか分からないが、普段明るく快活で闇を知らぬこの重大隊の隊員であっても、心にトラウマを持つものだったのかと知った。
そうしてしばらく休んでから、在仁の様子が落ち着いてきたのを見て晋衡が訊いた。
「離席していい。休むか?」
言われた在仁がゆっくりと起き上がろうとすると、蘇芳が体を支えた。茉莉は隣に寄り添って心配そうにしていた。
「いいえ。お時間を頂戴してしまい、たいへん申し訳ございませんでした。再開いたしましょう。」
もちろんまだ顔色は悪かった。宇治山は在仁の脈を測るように手首を持っていた。
「葛葉くん、無理はよくない。」
やんわりと注意されたが、在仁は暗い闇色の瞳に清き光を一層強く宿した。
「いいえ。弱さを、己が立ち向かうべきものから逃げるための理由とさせていただく訳には、参りません。皆様が日々お命を賭して戦っていらっしゃる中、何故俺だけが臆病風を吹かせて隠れてなどいられましょうか。これは俺の、戦いでもございます。」
その決して譲らない様子に、晋衡が驚いてから、自嘲するように笑った。
「これだから在仁は。」
「在仁がそういう姿勢だから、俺たちはもっと強くならざるを得ない。」
「葛葉くんに負けていられないものね。」
「俺たち前線の武士が、葛葉くんに頼って貰えるようでなきゃ、情けない限りだよ。」
面々が口々に言いだすと、場の空気が変わった。
出口のないような深刻さから、何者にも屈しない前向きさが生まれて、皆が気を取り直したのが見て取れた。あの重苦しさから嘘のように復活していく様子に、紅葉は驚きと眩しさを覚えた。
◆
それから、在仁が乱れた着物を直しに行って、それに蘇芳が付いていった。
その場に残った面々が在仁の無事に安堵の息を吐いて、深く椅子に背を預けた。
晋衡は席順を在仁の隣に茉莉を座らせるように詰めさせながら、茉莉の背を撫でた。茉莉はまだ少し泣いていた。
「怖かった。在仁の胸に、石川薊の手が刺さった時を思い出しちゃった…。在仁が、死んじゃったかと思った。」
「俺もだ。ビビった…。まだドキドキしてる。」
紅葉はただ茫然と立ったままで様子を見ていたが、晋衡の顔色も未だ青ざめて見えた。
「ごめんなさい、紅葉さん。急に大きな声出したりして。」
くるっと振り返った茉莉が謝罪したが、紅葉は困惑から上手く返答できなかった。
「いえ。」
どこまでも端的で冷淡にも見える紅葉の態度に、茉莉が少し寂しそうにした時、紅葉の足元に白蓮がやってきて見上げた。
「主が背負っているものは、お前が読んだ資料では分からぬものだろう。割り切って機械のように過ごしたいのかも知れんが、主に仕えるということはそれでは足りぬろう。もし、不本意であるならば、去る方がお前のためやも知れぬ。主と共にある事は、主の背負うものと共にあるという事だ。それがお前にとって苦しい道である事だけは確かだろう。」
白蓮はどこか申し訳なさそうな、詫びるような様子で言った。紅葉はその懺悔のような様子を見てから、部屋を見渡した。すると、面々は気遣わし気に紅葉を見ていた。
「あの…。」
余所者の紅葉を誰も邪険にしたりはしなかった。浮いていたのは、飽くまで紅葉が頑なに心を開かないスタンスだったからだ。しかしこの視線はそんな紅葉を咎める様子ではなく、憐憫や哀れみに似ていた。紅葉は、何故だろうかと戸惑った。
「わ…私は、志願して、葛葉様の護衛の任につきました。決して不本意などという事はありません。」
何とかそこまで言うと、茉莉が驚いた顔で見上げていた。
「え…そうなの?紅葉さん、護衛の仕事嫌なのかと思ってた。女だからって押し付けられたのかなって…。」
紅葉は茉莉の言葉にびっくりして反射で弁明した。
「そのようなことはありません!清め人様の護衛など、和田家でも志願者が多く、たいへんな競争率でした。私は女であるが故に運よく拝命したのです。誇りにこそ思え、不本意などという事は決してありません。」
紅葉は清め人の護衛を志願した時、紅葉より強く優秀な者が多く志願していると知り、選ばれる事はないと思っていた。けれど、蓋を開けたら女である事が決め手になったという。今まで武士として生きてきて、女である事で利を得たことは初めてであった。
そこまで勢いで感情に任せて言ってから、はっとして冷静になった。護衛としての分を弁えなければと。
「私の態度が誤解を生んでしまったのでしょうか。和田家は奥州に助けていただく立場です。弁えた行動をと律しているつもりでしたが、皆さんが不快であられたならば、申し訳なかったです。」
護衛として正しい姿を目指したつもりだった。元々ある生活の邪魔にならないように空気に徹し、知り過ぎず、出しゃばらず。奥州へ来てからカルチャーショックの連続で、随分当てられた所為で気後れしていたのも事実だが、そんな事で望んで得たこの任を辞するつもりなど一切ない。
それが伝わったのか、茉莉はふんわりと安堵の笑みを向けた。
「なぁんだ。よかった。いつも怒ってるみたいだから、どうしようと思ってた。」
「そ、それは、こういう顔です。」
東京でも周囲から怖がられていたので、紅葉には自覚はあったが、武士たる威厳として改める気はさらさらなかった。どうせ愛嬌を意識したとて、目の前の茉莉のように可愛らしくなれる訳でもない。
茉莉の笑顔を見ていると、その先ほどまで泣いていた潤んだ瞳に気が付いた。美貌も力も何もかもを持っているこの茉莉という人を、悲しみや苦しみから切り離された特別な生き物のように思っていたと気が付いた。そうすると、清め人という生き物として在仁の事を理解する事を放棄していた事にも結び付いていった。
「弁える…ね。」
白蓮が言うと、軽やかにテーブルに乗った。紅葉がそれを見ると、座っている面々の顔が視界に入った。天下の重大隊の小隊長・副小隊長たち。この地龍を席巻する最も強く勇敢な者たち。
「主の護衛である以上、あらゆる機密情報を共有することになる。お前に知ってはならない事はない。」
念を押すように言った白蓮が、紅葉をまっすぐに見ていた。
渡された資料を読み、それ以上の事に踏み込まないように過ごす事が良い事だと思ってきた。無用な好奇心や、馴れ合いを持たず、規律正しく追従するべきだと。けれど、先ほどの在仁を見て、その考えに亀裂が入った。先ほどの「俺たちのトラウマ」の引き金になったのは間違いなく紅葉だと、意味が分からないながらも自覚があった。紅葉がもっと真剣に在仁という人間を知っていれば、先程のあれは防ぐことができた事は明らかだ。護衛という名ではあるが、それは外的危険から対象を守るだけではないはずだ。それならば、この奥州に数多いる武士の方が紅葉より強く適任であるのだ。ならば、この護衛という任の本当の役割というものは、もっと在仁の生活の支えとなる事ではないのか。それ故に「女性らしい視点で気遣い」などという曖昧な決め手を必要としたのではないのか。
紅葉は強く誇り高い面々の顔から一度目を逸らし俯いた。自身の黒と臙脂の制服が目に入ると、少し滑稽な気がした。この黒と臙脂の制服は男性物だ。武士として男に並び立つと決めていた故に、女性用の制服に袖を通す事は無かった。けれど、そういう観念こそが浅はかな思い込みというもの。制服の色も、護衛という記号も、渡された資料も、和田家の立場も、すべては紅葉の勝手に決めた設定だ。そんなものではない、本当の事は紅葉が見ている表層の奥にある。それを知ってはいけないなど、どうして思ったのだろうか。それを知らずして、在仁を守る事などできるはずがないというのに。
「私は、昨年の東京の一件で、多くの仲間を失い、多くの傷付いた者を見ました。今後は決してこのような惨状は見たくないと思っておりました。もう、誰かの苦しむ姿を見たくありません。」
あの時、奥州の力が、清めの力があれば、後になって手にしたからこそタイミングを惜しむ気持ちが湧いて来る。けれどそれは無意味な事だ。出来る事は常に今より先にしかない。紅葉は在仁の苦しむ姿を、もう見たくないと思った。
「教えてください。私に、葛葉様の、そして皆さんの事を。」
俯いていた顔を上げて、真っすぐに言うと、白蓮はこちらこそというように深く頭を下げた。
「主を、どうか守ってくれ。」
白蓮の言葉に同調するように、面々も「よろしく。」と言っていて、紅葉は何度も頭を下げた。
「紅葉さん、在仁の取説は結構分厚いよ。」
にっこり笑う茉莉が言うと、紅葉は奥州に来て初めて笑った。
「望むところです。」
◆
その後、在仁と蘇芳が戻り、会議が再開された。後半の内容は先ほどの話から変わって、在仁が作っている電池の話題だった。南木の発案による電池を、今後どのように活用していくかは現在まだ思索中だが、紅藤小隊が全面協力しているという話だった。
「へ〜、小さいんですね。」
庵が見本で回された月長石を見ながら言うと、逢初が説明した。
「これは私の浄化札や浄化石よりも大量の清めの気が蓄積されているが、このままでは力を引き出す事は出来ない。これの中身を引き出せる専用の装置を介して使う事になる。正に電池という訳だ。元の理想では、これを全国視野で普及させて清めの負担を減らしたいって話だが…そもそもこれの製造元が在一人だからな。どこまで現実的かも含めて、構想中だ。」
その話を聞いた紅葉は、はっとした。全国で需要爆発している清め人を奥州は独占して儲けていると思っていたが、実際はこうして必要としている人へ行きわたるように考えられていたのだと知った。何もかもを持っている奥州を羨むあまり、悪者のように思ってしまいそうになっていたと気が付くと恥ずかしくなった。
「俺は茉莉様がいらっしゃれば、無限に製造可能でございますよ。」
在仁がへらっと笑うと、宇治山が咎めるような視線を向けた。
「葛葉くん、自分のキャパ考えようね。」
「…はぁい…。」
子供のように肩を落とした在仁を見て、茉莉が嬉しそうに微笑んだのが見えた。
「今日は南木くんも呼んだんだけどね、何か閃いたって言って以来連絡が取れないんだよ。」
千之助が言うと、蘇芳が呆れ気味に言った。
「千さん、南木は閃くと寝食を忘れて没頭します。明日にでも俺が様子を見て来ます。」
「うわ、そうなの?それじゃあお願いするよ。」
南木の閃きに期待しつつ、現状の進捗などが共有されて、長かった会議が終わった。朝イチから始まって昼をぶち抜き午後も二時を越えていた。これから皆遅い昼食をとってそれぞれの業務に戻って行くのだろう。急ぎの予定がないのか皆は席を立つと伸びをしたりしてゆっくりとしていた。その様子はどこかわざとらしい感じもあった。
そんな中、その場が解散になるや否や、紅葉はすっと在仁の前に跪くときっぱりと言った。
「葛葉様、本日はもう帰宅しましょう。」
「えっ?」
まだ陽が高いので、在仁もこれから通常通り過ごすつもりだった。
戸惑う在仁が断ろうとすると、隣で逢初が言った。
「在、今日はもう休め。心配でこっちが落ち着かん。」
「そうだよ、在仁、帰った方が良いよ。」
心配そうに茉莉が同調したが、在仁は食い下がった。
「大人しくしてるから大丈夫だよ、いつも通りに一緒に帰ろう?」
だが紅葉が譲らない強さで割り込んだ。
「茉莉様の送迎が懸念でしたら、私がお迎えにあがります。葛葉様はお帰りになってお休みください。」
逃げ道を作らない圧で言うので、在仁は急にどうしたのだろうかと動揺した。そこへ宇治山がやってきてとどめを刺した。
「葛葉くん、今日は休みなさい。」
「…はい。」
ようやく渋々了承した在仁を確認すると、紅葉は断りもなくひょいと在仁を抱き上げた。
「わっっ!え、ちょっと!!歩けますって!降ろしてくださいっ、紅葉さん!誰でございますか?紅葉さんにこのような入れ知恵をなさった御方は!女性にまで運搬されては俺の男の尊厳が完全に失われてしまいます!」
「在仁、禁止ワード。」
晋衡がレッドカードを差し出すような厳しい口調で言ったので、在仁は禁止されている「男」という言葉を言ってしまったと気が付いて口を噤んだ。
「紅葉殿、ちゃんと送り届けてくれ。」
「しかと。」
晋衡の言葉に、深く了を示した紅葉が問答無用で歩き出したので、在仁はこの運搬方法を伝授したのは晋衡だろうと気が付いた。在仁よりも背も高ければ筋力もある紅葉の運搬に抵抗出来るはずもなく、在仁が遠ざかる皆を見ると、皆何故か分かり合ったような良い顔をしていた。いつの間に紅葉までが結託しているのかと疑問に思いつつも、在仁は観念して運搬された。




