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120 鳶尾の事

 「基本的に私の事は空気とお考えください。」

きっぱりとした口調でそう言ったのは、和田家から在仁の護衛としてやってきた和田(わだ)紅葉(もみじ)だった。

紅葉は背に和田家の家紋が大きく入った臙脂(えんじ)(いろ)の制服に身を包み、奥州にあって決して朱に交わらぬという強固な態度で初日を迎えた。

 「…分かりました。」

そうきたか、と在仁(ありひと)は内心で少し不安を抱いた。

 三月中旬になり、在仁と茉莉(まつり)の婚約と、それに伴って和田家が在仁の後ろ盾となった事が公表された。そして前触れ通り、和田家から紅葉がやってきた。在仁はパーティーで会った時の感触から、決して親しみ易いタイプではないだろうと思っていたのだが、まさか初手から「空気」を自称されるとは。

紅葉は中背の在仁より長身で、そこそこ鍛え上げられた体つきをしていて、女性とはいえ結構な存在感がある。それを空気と思えるはずがない。しかし、そういう心づもりで着任したというならば否定する訳にもいかない。とりあえず、生活してみてすり合わせていくしかないのだろう。

 「本日は藤原(ふじわら)重大隊(かさねだいたい)へ向かわれると伺っております。」

 藤原家の玄関先で待ち構えていた紅葉が、在仁に初日のスケジュールについて確認した。茉莉は既に春休みとなっていて、学校の送迎がなく一緒に重へ向かうつもりだったのでスケジュールは間違いない。まだ支度をしている茉莉が出て来るまでに車を回して来ようと思っていたところだった。

 護衛は在仁の外出時には始終ついて回ると聞いている。在仁から離れる事がなければ雑用を命じても良いとも。しかし紅葉は執事や使用人というより、正に護衛という感じだ。根っからの軍人といった様子で緩みや柔らかさが一つまみも感じられない。在仁はどのように接していこうかと考えながら、車の鍵を出した。

 「ええ、茉莉様とご一緒させていただき、重大隊へ向かいます。その後は師の元で学ばせていただき、また茉莉様と帰宅の予定でございます。普段は俺が運転させていただいておりますが…。」

 「本日より私が勤めさせていただきます。」

交渉の余地のある様子ではなかった。在仁としては茉莉の下僕業務のひとつとして運転したかったのだが、それも無理に紅葉の業務を妨げる程の事でもないので、了承した。

 「…分かりました。それでは、車の鍵は紅葉様がお持ちください。」

素直に車のキーを渡すと、紅葉は恭しく受け取った。それから温度感のない機械のような表情で言った。

 「私に敬称は不要です。敬語も。」

その言い方にもやはり有無を言わさない圧があって、他意はないのかも知れないが怒っているように見えた。在仁はこういったタイプの真面目な人は誤解されやすいので損だなと思った。

 「では、紅葉さんと。敬語は、俺の素でございますので、お気になさらず。」

 「了解しました。」

二人でまだまだすり合わせる事は必要だが、それはひとつずつだな、と在仁が思ったところへようやく支度を済ませた茉莉が玄関から出てきた。在仁の足元で白蓮(びゃくれん)が欠伸をしたのが見えた。

 「在仁おまたせ。って…あ、今日から?」

茉莉が紅葉を見て動きを止めた。紅葉は茉莉の方を向いて敬礼にも似たお辞儀をした。

 「本日より着任いたしました、和田紅葉です。どうぞよろしくお願い致します。」

その軍事教練のような様子に茉莉は一瞬唖然として在仁を見たが、在仁が困ったように微笑んだのを見て、明るく返した。

 「藤原茉莉です。よろしくお願いします。」

その煌めく可愛らしい笑みにも、紅葉はノーリアクションだった。鉄壁の様子に在仁はなかなか大変そうだと思った。


 ◆


 紅葉が運転する車は安定した安全運転で、後部座席に並んで座った在仁と茉莉はとりあえず安心した。ハンドルを握ると荒っぽくなる人もいるので。

それから茉莉は明るく話しかけた。

 「紅葉さんはいくつですか?」

 「二十四歳です。」

 「私は十七歳になったばっかりです。」

紅葉が来るまでは難色を示していた茉莉だが、在仁に政治的な事情を背負って単身仕事でやってくるのだから邪険にしてはいけないと言われて考えを改めた。茉莉が六波羅探題(ろくはらたんだい)へ行った時のような気持ちにはなってほしくないと思ったのだ。故に友好関係を築こうとしているのだが、在仁は少し心配そうだ。

 「存じ上げております。藤原茉莉様は、葛葉(くずのは)様の婚約者であり、最強と言われる十二人の武士に名を連ねる唯一の女性であり、藤原重大隊大隊長の御息女であり、奥州藤原氏次期当主・智衡(ともひら)様の実の妹君であられる。現在は高校へ通いながら、重大隊で勤めておられる。ファッションモデルの顔を持ち、橘藤(きっとう)家の後継ぎであるエリカ様と友好関係をお持ちであると。間違いございませんか?」

AI音声のように言い切った紅葉に、茉莉は圧倒されてしまった。

 「…間違いないです。」

茉莉としてはもっと、好きな食べ物とか、趣味とか、そういうパーソナルな話をしたかったのだが、明らかに着任前に渡された資料の丸暗記だった。そしてそれが全てであるという態度。これは鉄壁だと茉莉は慄いた。

 「じゃあ、在仁は?」

 「葛葉様は、清め人であられます。茉莉様の婚約者であり、旧石川領唯一の生存者であり、龍神の契約者、人造神であると。そして、指名手配中の一級侵犯・石川(いしかわ)(あざみ)(うつ)()鴎音(おういん)から命を狙われていると。」

端的に表現したのは、紅葉が渡された資料にそう書いてあったという事だろう。そしてその肩書たちの具体的な背景は一切記載させれいなかったという事だ。どれだけの壮絶を経て現在に至るのかが詳細に記載されていたならば、それらの言葉は飲み込むべきと判断したはずだ。少なくとも、和田家から「女性らしい視点で気配り」ができる者であるとされているのであれば、そうするべきだ。在仁は何となくそんな事を思いながら、穏やかに言った。

 「紅葉さん、俺の猫についてはどうでしょうか?」

 「…喋る猫とだけ、伺っております。」

やはりそうか、と在仁は思った。もし在仁の背景を詳細に知らされているならば猫の事をただの喋る猫などとは言うまい。在仁は、紅葉が本当に必要最低限の情報だけ与えられて護衛をする機械のような立場に徹するつもりなのだと理解した。白蓮は在仁の膝の上で興味が無さそうに丸まっていた。

 「紅葉さんについて、俺たちは何も存じません。紅葉さんについても、お教えくださいますか?」

 「…私は、私の事を知っていただく必要はありません。初めに申し上げました通り、基本的に私の事は空気とお考えください。そして何か御用がありましたら何なりとおっしゃってください。それが私の仕事ですので。」

 あんまり杓子定規な態度を崩さないので、茉莉が引きつった顔で在仁を見上げた。在仁は茉莉を見下ろしてから、少し考えた。

 「分かりました。では、そのようにさせていただきます。」

言った在仁は見上げてくる茉莉の頬に唇を寄せた。茉莉は驚いたが、唇を離す時に在仁が耳元で言った。

 「これが紅葉さんの仕事だっていうなら、とりあえず今は尊重しよう。」

それを聞いた茉莉は在仁の頬に口付けを返した。

 「わかった。」

二人の様子をミラーで見ていた紅葉が少し目を見開いたのが分かったが、自ら「空気」を自称した以上、在仁と茉莉が人目を憚らずに何をしていようが口を出す事はない。再び機械のような様子で進行方向へ集中した。


 ◆


 紫紺(しこん)のフロアにあるスポーツジム施設のランニングマシンで茉莉がひたすら走っていると、隣にスポーツドリンクのペットボトルを持った蘇芳(すおう)が立った。茉莉は丁度予め決めた時間が終わるところだったので、蘇芳はそれを見計らって来たのだろうと思った。茉莉が走り終えると、蘇芳は手にしていたペットボトルを差し出したので、やはり待っていたのかと思った。

 「どうしたの?」

 「護衛が着任したと聞きました。どうです?」

蘇芳の話は紅葉についてだった。茉莉は、紅葉の鉄壁の態度を思い出した。

 「すんごいガード硬い。」

 「…どういう意味…って、茉莉様それ…。」

蘇芳が汗を拭う茉莉の首筋に、赤い痕があるのに気が付いた。キスマークだ。

 「ふふ、ホワイトデーのお返しに貰ったの。」

バレンタインに茉莉が在仁の首につけていたので、お返しというならば在仁が茉莉につけたに違いない。自慢気にTシャツの首を広げて見せつけて来る茉莉に、蘇芳は困惑して言った。

 「ふ、風紀が乱れます。」

 「何で急に風紀委員になるのよ。」

純情な蘇芳には刺激が強すぎたか、と茉莉は飽きたように話を戻した。

 「紅葉さんはね、なんか機械みたいな人。一応ウエルカムムード出したつもりなんだけど、取り付く島もないって感じ。そういうのは求めてないのかな。」

 「仕事で来ていますからね。もしかすると今回の着任自体不本意なのかも知れません。」

 「そっか。」

茉莉は紅葉の不機嫌とも取れる非友好的な態度を思い出して、確かに嫌な仕事なのかもなぁと思った。どうせ女のくせにとか言われて生きてきたはずだ。この任務は重要な要人警護ではあるが、前線から遠ざけられているとも思える。不本意な島流しという風にも取れると思った。


 ◆


 午後になり、逢初(あいぞめ)が所用で出かけたため、在仁はランニングをすることにした。三月も中旬になれば暖かな日差しもあるので、久しぶりに重ビルから寮までの外のコースを走る事にした。紫紺(しこん)フロアの男子更衣室を借りて胡粉(ごふん)色のジャージに着替えて外に出ると、空気は冷たかったが走るのには丁度よさそうだった。しっかりと準備運動をしてゆっくりと走り出すと、在仁の斜め後ろを白蓮と紅葉が走ってついて来た。在仁のランニングなど、紅葉にしてみればジョギング程度だろうかと思いつつ走った。

 この半日、紅葉の事は極力空気として扱っている風を装った。視線を向けないようにしつつ観察し続けていた。あまり感情を出さない紅葉だが、わずか目を見開くような場面はいくつかあった。それは大体が逢初の態度に対する反応だった。逢初は在仁に護衛がつくとは聞いていたらしい。紅葉が端的な自己紹介で機械のように振舞うので、面白がって早速「空気」とあだ名を付けて呼んでいた。「空気」を自称したとは言え、その呼び名はどうなのだろうかと在仁も思ったが、在仁に逢初をどうこうする力がある訳でも無いので申し訳ないが放置した。清め人という存在のパブリックイメージが、在仁に押し付けられた聖人キャラだとすれば、逢初は全く当てはまらない。紅葉がそれに驚いているのだとすれば、理想が瓦解したのだろうと想像した。逢初をしてそうだと言うならば、(あし)(たづ)となれば失神してしまうかも知れないと思うと、在仁は少し可笑しく思えて笑った。

 急に笑った在仁に、紅葉が僅か訝しんだ気配があり、在仁は走りながら言った。

 「思い出し笑いでございます。失礼いたしました。」

 「いえ。私の事はお気になさらず。」

空気なのだから、思い出し笑いくらい好きにしろと。しかし在仁はふっと息を吐くと、柔らかく言った。

 「紅葉さんのお仕事は尊重いたします。なれど俺は俺の好きなようにさせていただきますので、お気を悪くなさらないでくださいね。」

 「もちろんです。私は葛葉様の護衛です。私が葛葉様の生活の妨げになる事はありません。葛葉様はお好きにお過ごしください。」

どこまでも真面目に答える紅葉だが、在仁はその言葉を待っていたとばかりに笑った。

 「では、俺の雑談にお付き合いください。」

言質を取られた紅葉が困惑するように視線を揺らしたが、仕方なく頷いた。それを見た在仁は早速話し始めた。

 「お師匠様に、驚かれましたか?」

 「…そうですね。想像していたような方ではなかったです。」

紅葉は逢初に失望に似た感情を抱いた事を、在仁に気が付かれていたのかと思いつつ答えた。

 「清め人も人間でございます。多くの方が思われるような聖人ではございませんよ。」

 「ですが…いえ。」

清め意思の本質を知れば、聖人など程遠い。誰よりも傲慢で自分勝手な者がそれを持つのだから。

言い淀んだ紅葉に、在仁はやんわりと追及した。

 「思われた事を、お教えくださいませんか?」

 「どうして…。」

 「紅葉さん、俺と紅葉さんは本日から誰よりも長い時間を共にさせていただく関係となるのでございます。真摯にお役目を全うなさる姿勢から、慣れあう事をよしとされない事は理解できます。それでも、俺としては、よく存じ上げない御方とご一緒させていただくよりは、少しでもお人柄が分かった方が、安心して生活できるように思われます。紅葉さんの御心のお許しくださる範囲で結構でございます。どうか、お思いになられた事をお話くださいませんか?」

穏やかに寄り添うように伝えると、紅葉は僅かに目を細めた。それは日差しが眩しかったのかも知れない。

 「わかりました。葛葉様がそのようにお望みであれば、心がけさせていただきます。」

 「俺の我儘で、紅葉さんのお仕事に支障をきたす事は本意ではございません。どうかご無理はなさらずに。」

 「…いいえ、そのような。私は飽くまで葛葉様の護衛。すべて葛葉様主体ですので、私にそう気を遣わないでください。」

少し恐縮したような様子が見られたので、在仁は今日はこの辺にしておこうと思った。野良猫を手なづけるように、慎重に時間をかけていこうと思った。


 ◆


 そうして数日が経ったある日。

在仁は久しぶりに和衡(かずひら)の元を訪ねていた。

京都から帰って、和衡の元を訪ねたいと思っていたが、なかなか時間が出来ずに今日に至るので、半年ぶりくらいになる。

 「たいへんご無沙汰を致しまして、申し訳ございません。」

深く礼をとる在仁を、和衡はいつもと変わらぬ穏やかな笑みで迎えた。

 「いやいや、直接会うのは随分久しぶりになるけれど、葛葉くんはまめに手紙をくれるから、全く久しぶりという感じがしないよ。葛葉くんの生活はエキサイティングだから、私も随分心配はしているけれど、こうして元気な顔が見られただけで嬉しいよ。」

言いながら中へ招き入れる和衡は、在仁の後ろに付いてくる白蓮と紅葉の事も知っているような表情で中へ促した。

在仁はここの所ずっと智衡(ともひら)が置いて言った着流し姿だったので、この山中の寺のような場所がとても良く似合っていた。美しい所作と和服がマッチして、紅葉は完全に在仁が元から和装だと思い込んでいた。

 「葛葉くん、清め人継承と茉莉ちゃんとの婚約、おめでとう。最近気持ちの落ち込む話ばかりだったから、とても明るい気持ちになったよ。」

 「ありがとうございます。今後はより精進してまいりますので、温かく見守っていただければ幸いでございます。」

いつもの部屋に招き入れると、和衡は慣れた手際でお茶を入れ、在仁と紅葉に勧めた。一応白蓮の前にも置いたが、白蓮は顔を背けていて和衡は優しく苦笑した。

 「怪我の方はどうだい?兄上が無理に新年会へ出席させた所為で寝込んだと聞いたけれど、その後は良くなったのかい?」

 「ええ、大分良くなりました。なれど…やはり心の方は易いものではございませんので、皆様には重ね重ねご心配をおかけする日々でございます。情けない事ではございますが、これも俺であると認めていかねばなりません。弱き事を悪とすれば、俺の理想とは遠ざかってしまいます故、己の弱さとて例外ではないものと言い聞かせております。」

憂いを帯びた言葉が柔らかく発せられると、和衡がそれを優しく受け止めるように頷いた。

 「そうだね。それがひいては葛葉くんの強さなんだと、私は思うよ。」

 「さようでございましたら、嬉しく思います。」

ふわりと微笑む二人の様子に、紅葉は感銘を受けたように目を輝かせていた。在仁は、紅葉は和衡のようなもの柔らかな人が好きなのかなとぼんやりと思った。

 それから在仁は、和衡との約束通りに清め()を披露した。和衡の住むこの山中の土地を満たすようにと意識して、出来るだけ遠くまで響くよう願った。人里離れて暮らすこの家の人々の心安らかな暮らしをと祈りを託した音は、在仁の気持ちを表すように伸びやかに響き渡って行った。

 その音に、和衡のみならず、紅葉も白蓮も圧倒されていた。

 「本当に美しい音色だね。まるで葛葉くんそのもののような清らさだ。聴かせてくれて、どうもありがとう。」

 「お褒めいただき光栄でございます。清め音に浄化作用がございます事は良き事でございますが、扱う俺の腕が未熟でございます事は残念に思います。今後も練習して参る所存でございます。和衡様、今後もお付き合いくださいますか?」

 「もちろん。用がなくとも来ると良いよ。一緒にお茶でも飲みながら話そうじゃないか。」

明るく答える和衡に、在仁はほっとしたように微笑んだ。清め音が解禁した事で、笛の子弟関係がなくなってしまったならば、和衡に会う口実がなくなってしまう。在仁は和衡との時間を大切にしていたので、この繋がりを失いたくなかった。こうして今後の繋がりを確保できた事に、とても喜びを感じた。

 そうしてしばらく話した後、そろそろ帰ろうと席を立った時、和衡が座る後方の部屋に桐の箱が置いてあるのが見えた。

――――キンっ

不思議な音がして、在仁がその箱を見つめていると、その視線に気が付いた和衡は言った。

 「ああ、あれは遠方の知人から鑑定を依頼されているんだよ。」

その言葉を聞いた在仁は不思議な音の違和感を手放した。

 「鑑定もなさるのでございますね。」

 「まぁ、趣味のようなものだよ。」

話しながら出口に向かう時、白蓮が在仁を見上げた。

 「(あるじ)、どうかしたのか?」

 「いいえ、気のせいでございましょう。」

浅く首を振る在仁を、白蓮はいつまでも訝しむように見ていた。


 ◆


 「美しい音色でした。」

和衡の家から帰る車内で、珍しく紅葉から口を開いた。

在仁は意外に思いつつ答えた。

 「ありがとございます。」

他人の運転する車にも少し慣れてきたなと思いつつ車窓から景色を眺めていると、紅葉が言葉を次いだ。

 「あのパーティーの際も、聴かせていただき、感動いたしました。」

あのパーティーとは智衡の誕生日パーティーだ。在仁は智衡のために清め音を披露した。

 「さようでございますか。光栄でございます。」

紅葉が自分からこんなに話すのは着任以来初めてだったので、在仁は紅葉が余程清め音が好きなのだろうかと思った。

 「この笛は、曾祖母の形見なのでございます。こうして皆様のお役に立たせていただける事、きっと曾祖母も嬉しく思っている事でございましょう。」

 「そうでしたか。」

意外と穏やかな声が返ってきたので、在仁は少し安堵した。

けれど在仁の事を何も知らない紅葉が、曾祖母と聞いて天寿を全うしたものと思い込んだだろう事を思うと少し誤解を生んだような気もした。その死に方を思えば、この笛の重みも変わってくるというもの。在仁が見下ろすと、白蓮は首を垂れて揺られていた。自身の罪と向き合っているのだろうかと思いつつ、その背をそっとひと撫でした。

 「この後は重大隊でどのように過ごされますか?」

車は重大隊へ向かっていた。今日は逢初が休みなので、在仁も休日だった。けれど、朝は茉莉と一緒に重へ行き、午前中は共用ジムで体力づくりに打ち込んでから、昼食を経て和衡の元を訪ねた。これからまた重に戻ってどうするのかと、紅葉はスケジュールを問うた。

 「胡粉(ごふん)のフロアで勉強をしながら、茉莉様の終業を待たせていただき、それから一緒に帰宅いたします。胡粉を動きませんので、紅葉さんも休憩なさって結構でございますよ。休日もなく俺に付いておられてはお疲れでございましょう。」

 「いいえ。私の事はご心配に及びません。ですが、茉莉様の送迎が必要でしたら、私の方で手配いたします。葛葉様はご帰宅なさってはいかがでしょうか?」

あえて茉莉の送迎を在仁のスケジュールに組み込んでいるという事は、この数日で紅葉も察していた。これはなかなか縛られるし、効率が悪いと思うのも無理はない。在仁は「下僕」の名残とも説明できず、何と言えば伝わるろうかと少し頭をひねったが、名案は浮かばなかった。

 「いいえ、俺がそうしたいのです。ご面倒かとは思いますが、よろしくお願いいたします。」

 「…いえ、私は言われた通りにするだけですので、お気になさらず。」

いつもの硬い声に戻ってしまったので、在仁は紅葉がこの事を快く思っていないなとは感じた。けれど、今のところはこの生活を変えるつもりはないので、紅葉には悪いが付き合ってもらうより仕方がなかった。

 

 ◆


 紅葉着任から一週間程したあるランチタイムの事だ。

在仁が食堂で今日の定食(ごはん少な目)を食べていると、正面に珍しく宇治山(うじやま)が座った。宇治山の所属する白土(しろつち)小隊は重施設から離れた病院内にあるので、こうして食堂に現れる事は珍しい。いたとしてもいつも隅の席で隊員達を観察しているので、こうして隊員達に囲まれた席に座るのは更に稀だ。

 「宇治山小隊長様、こんにちは。こちらにいらっしゃるのは珍しい事でございますね。」

在仁の隣には生意気にも白蓮が猫のくせにひと席使って丸くなっており、その隣には見慣れない臙脂色の制服を着た紅葉が定食(普通盛)を食べていた。宇治山はその二人を一度見てから、在仁の少な目盛りを覗き込んで言った。

 「少ない。」

 「…丁度良いかと。」

在仁は清め人になってから清めの力を使う事が多くなり、更に前線を禁じられているため術力消費量が格段に減った。そのため辰砂の循環路から力を使う必要もなく、空腹レベルは常人程度だ。

 「ちゃんと食べて、ちゃんと寝てるか?」

端から疑った様子なのは何故なのだろうか?在仁はどうも信用がない事には納得がいかない。

 「ええ、しかと。おかげ様でこんなにも元気になりました。宇治山小隊長様のお力あっての事でございます。いつもありがとうございます。」

 「葛葉くんはいつも殊勝な割に馬鹿やるからなぁ。俺は毎回騙された気になるよ。」

正面で自身の食事を始めながら言う宇治山に、在仁は頭を下げた。

 「それは…言い訳の言葉もございません。」

そこへ、(いおり)とありさがやってきて、宇治山の隣に座った。誰も断りの一言もなく座っていく。

 「宇治山さん、葛葉くんいじめちゃ駄目ですよ。」

 「そうよ。宇治山くんの仕事熱心は分かるけれど、言い方が悪いから親切が水の泡よ。」

話しかけているはずが、二人とも豪快に食べ始めるので簡単に在仁の食事ペースを抜かしていく。相変わらずよく食べる人たちだなと思いつつ在仁がマイペースに食べていると、宇治山は顔をしかめた。

 「いじめてなどいない。俺は素直に心配しているだけだ。八十島(やそしま)碓井(うすい)も、他人の心配をしていないでちゃんと働け。強さを求めるならば、無傷で鬼を斃してみせろ。」

 「酷い。無傷は無理でしょ。鬼を何だと思ってるんですか?」

 「宇治山くん、せめて出来る事を要求してほしいわ。」

言い合っていると、更にそこに夏来(なつき)がやってきて在仁の隣に座った。

 「やあ葛葉くん。調子はどうだい?」

 「標野(しめの)小隊長様、こんにちは。変わりなく暮らしておりますよ。」

挨拶も終わらぬ内に、夏来の隣に千之(せんの)(すけ)冬至(とうじ)がやってきて座ると割り込んだ。

 「葛葉くん、この間南木(なぎ)が持ってきたシステムの概要だけど、もう少し話し合ってからになりそうだから、しばらく待っていてもらえるかい?」

 「葛葉くんの電池最高だよ。これは清め業界の産業革命だよ。」

賑やかに勝手に言ってくるので、にこにこと笑顔だけを返した在仁は、いつの間にか賑やかな人々に囲まれていた。

 「賑やかで、落ち着きませんか?」

在仁が紅葉を気遣うと、紅葉は既に食べ終わって在仁を待っていた。

 「慕われているのですね。」

 「嬉しいことでございます。」

在仁は照れたように笑ってから、紅葉を待たせては悪いと思い、少しペースを上げて食べ始めた。

紅葉が見やればいつの間にかどんどん人が増えて本当に賑やかになっており、在仁の人徳を表すような状況だった。

それを紅葉は少し眩しそうにしていた。

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