20 五十嵐の事
本日も五十嵐は紫微星様ご一行のおもてなしに燃えていた。
何としても、終戦の立役者であり地龍の標の星である紫微星様にご満足いただける旅にしたいのだ。
昨年は夫婦旅行だからとして、公の接待を断られ、五十嵐がツアコンを務める事が出来なかった。晋衡からの個人依頼でツアコンを務めた茜と紫には、くれぐれも最高の旅を提供せよと言ったのだが、詳細を聞けば全然なっていない。あれでは北海道の魅力を一パーセントも伝えられていない。
この北海道は支局統治になってから、とっても良い土地になったのだ。それを少しでも分かってもらいたい。好きになって貰いたいのだ。
だから次こそは絶対に五十嵐の全力でおもてなししたい。そう思っていた。
此度の旅行は、そうしてやってきた、特大チャンスなのだ。
◆
今日はどんなプランを提案しようか。
豪華な朝食を用意させ、皆が楽しそうに食事をするのを見守りながら、今日一日のおもてなしについて考えていた。
本日のメニューは洋風で、オムレツとかパンケーキとかフルーツとかヨーグルトとか、そんな感じ。不調につき食べたり食べなかったりしていた茉莉と在仁が、フルーツやサラダを食べているのを見て、五十嵐はほっとした。
御事情のあるお客様の接待は難しい。相手の気持ちに立って行動するタイプではないが、流石に食事を残されるとへこむ。五十嵐も、独善的なおもてなしに少しは反省しているのだ。
「食べられそうなものがあれば、教えてください。何でも用意しますので。どうも…。」
五十嵐が言うと、在仁は穏やかに微笑んで頷いた。
「それで、今日の予定ですが、何か希望がありますか?私の方でもいくつか案を持って…」
さぁて、今日こそ在仁にも楽しんで貰いたい!そう思った五十嵐に、おずおずと真珠が希望を口にした。
「あの…私、おじい様とおばあ様にお土産を買いたいのですが…。」
「そうだね。じゃあ一緒に買い物へ行こうか。」
君崇が自然に同意すると、すかさず誉が挙手した。
「私もショッピングしたいわ!」
「姉さん、僕は姉さんの荷物持ちはしないよ。」
嫌そうに君崇が睨んだので、五十嵐は閃いた。
「ならば本日はお土産購入を兼ねたショッピングにしましょう!荷物運搬も人を手配しますので、ご安心ください!どうも!」
張り切って提案すると、女性陣が同行希望を申し出て、それなりの人数になった。
真珠、君崇、誉、露、胡桃、要、真赭、恵、ましろ、夜鷹、紅葉、仁美。女性陣で居残り組は茉莉だけだ。
五十嵐は面子を見てから、買い物組の接待を茜と紫に丸投げした。
連日に渡って観光案内をしているが、参加者に在仁が含まれていない。五十嵐の本命は在仁なのだ。
だから本日は、五十嵐もホテルに残る事にしたのだった。
◆
出かける前の女性の準備は忙しい。
在仁は露とましろの髪を結うと、真珠に頼まれて真珠の髪も結った。それからついでに胡桃の髪も結って、皆のコーディネートをチェック。在仁の合格を貰った女性陣は嬉しそうに出かけて行った。
五十嵐はそれを見守りながら、紫微星様は一体何者なんだ…と慄いた。美容師でもない男が女性の髪を結うなんて、信じられない。
髪は女の命とも言うが、女性も羨むような艶やかな美しい黒髪をもつ在仁は、もしや美の化身なのでは?写真集を思い出しても、どれも息を飲む程に麗しかった。あれは容姿の美よりも、内面的な美だと、誰もが理解させられたはずだ。
買い物組が出かけてから、在仁と茉莉はバルコニーから外を眺めた。部屋の中では、青藍と惟継が読書。葦鶴は惰眠を貪り、逢初と千之助はそれぞれに一人で出かけた。松葉の行方は不明だが夕食には現れるだろう。
今日は薄曇りで気温もそう高くない。猛暑の内でも比較的過ごしやすい日だ。茉莉の体調もまずまずで、在仁の顔色も良い。
五十嵐は二人に負担無く出かけられるプランを脳内で検索しながら、様子を伺っていた。
在仁と茉莉の視線の先は、庭で鍛錬する男たち。
晋衡と誠太郎が、天衡と月出が木刀を振るのを指導して、それを真似る武衡を智衡が世話していた。その近くで東が筋トレしていて、佐長と稔元もしごかれていた。子らは微笑ましいものの、何とも男くさい光景である。
旅行に来てまで筋トレって…。マジで筋肉狂信者なんだな。五十嵐は内心で引きながらも、在仁の表情を観察した。
何となく、羨ましそうだ。
五十嵐の煩い視線に気付いたのか、在仁が振り返った。
「五十嵐様。そうお気遣いくださらずとも、ようございますよ。此度の旅の目的は光胤様に御目通りさせて頂く事でございます。既に目的は果たされました。こうして素晴らしい宿泊先をお世話くださいましたのみにて、十分に感謝させて頂いております。それ以上に望ませ頂くなど、烏滸がましいばかり。連日に渡り皆様をご優待くださり、まことにありがとうございます。」
身に着いた美しい所作で御礼を言われると、五十嵐は何だかどぎまぎした。まことに高貴な人とは、こういう人なのだろうと思った。
「いえ。紫微星様のおもてなしをさせて頂くのは、俺の喜びです。少しでもいいので、何かさせてください。」
押しつけがましい五十嵐の粘りに、在仁は困ったように微笑んでから、ゆっくりと庭を見遣った。
「では、少し体を動かしたく存じます。程よいお散歩コースなど、ございませんか?」
ああ、鍛錬が羨ましかったのか。確かに虚弱とは言えずっと屋内にこもっていては息が詰まるだろう。ようやくの紫微星様接待業務に、五十嵐は再び張り切った。
「ありますとも!実はこの建物の周辺に、サイクリング用の道を整備してあるのです!ご存知の通り私有地ですから、誰も通りません!安心してお散歩コースに使ってください!どうも!もちろん俺がご案内いたしますとも!どうも、どうも!」
何かアクティビティも欲しいなと思って作っておいたサイクリングロードが役に立つなんて、ナイス俺!五十嵐は大喜びして、早速に出かける事にしたのだ。
◆
ちょっと紫微星様と茉莉様のお散歩をエスコートして来ます。と言ったら、何故か大人数になった。
五十嵐を信用していないのか、東と佐長と稔元と言う分厚い護衛が同行。丁度良い運動になると言って、天衡と月出を引率した晋衡と誠太郎もついて来た。もちろん武衡を抱いた智衡も一緒だ。虚弱と妊婦でも行けるコースなら大丈夫だろうとして青藍も付いて来て、ついでに何か惟継も来た。
五十嵐としては、在仁と茉莉の三人で行くつもりだったので、余分なおまけがついて来た感じだ。別に良いのだが、大人数になると紫微星様接待感が薄れるのが微妙に残念だ。
「五十嵐様は暴走癖があるもの。綿毛ちゃんを任せられないわ。」
何だと、この筋肉狂信者!と心の中で思った五十嵐は、眉をピクっとさせるに留めた。
やる事は散歩コースの案内だけなので、どうやって暴走すれば良いのか逆に問いたい。張り切りまくりで暴走している自覚はあるが、むしろ暴走したい熱量だが、肝心の紫微星様は熱血接待に耐えうる体調ではないのだから、どうしようもないじゃないか。
「つかぁ、五十嵐様はこんなに毎日こっちに来てて、仕事の方は大丈夫なんですか?」
だるそうに茉莉が問うので振り返ると、在仁と茉莉の後ろから佐長が日傘をさしていた。え、外国の王族かなんかですか?見れば稔元の荷物が多い。バッグに水筒とかウチワとかタオルとか色々入っている模様。え、ただの散歩ですよね?
「えっと…支局は優秀な人ばかりだから、俺がいなくても問題ないです、どうも。」
それはハイキング装備では?いや、ジョギングとか、辛うじてウォーキングとか?五十嵐はマジでちょっと散歩する感覚だったので、誤解されている気がした。
「いなくても良いなら、いらなくね?」
智衡が呟くと、だっこされている武衡が「いらない」と断言した。
五十嵐がぎょっとして見ると、顔が瓜二つだ。魔王が、二人…。こわ。見なかった事にしよ。
「どうも、どうも!えっと、この先をまっすぐ行くと、敷地全体を一周する結構長いコースです。それで、こっちに曲がるとホテルへ戻ります。」
そう、ここで曲がってホテルへ戻る、どれだけのんびり歩いても三十分くらいのコースを案内するつもりだったのだ。だからそんな重装備は要りませんよ。もう帰りますよ。
五十嵐が指さすと、晋衡が元気に言った。
「そっか、じゃあ俺たちはこっちの長いコースへ行くか!天衡、月出、行けるか?」
「「いける!」」
どうやら子らは鍛錬のために長いコースを走るらしい。晋衡と誠太郎は、天衡と月出を連れて走って行ってしまった。何でも兄・天衡の真似をしたがる武衡も、天衡の行く方へ行きたがって、智衡は仕方なく武衡をだっこしたままそっちへ駆けて行った。
あっちはそこそこ長いので、水筒やタオルは晋衡たちに必要なものだろう。だが、手ぶらで走って行った。元気だ。
「五十嵐様、俺たちももう少し歩きたく存じます。あちらに見えます木の下まで参りまして、折り返してもようございますか?」
在仁が問うのは、少し先に見える一本の木。あれは近く見えるがちょっと遠い。だが木の下にはベンチがある。五十嵐は在仁の顔色も良いので問題ないと思って頷いた。
「ええ。もちろんです。どうも。」
子らがいなくなると、途端に静かになった。
在仁と茉莉ののんびりした足取りに合わせて歩くのは、実に穏やか。
誰も特段の話題を振らないので、五十嵐はおもてなし係の仕事かと思って話しかけた。
「そう言えば、支局に四天分室が出来ました、どうも。おかげで風穴由来の案件の対応がスムーズになりました、どうも。紫微星様のおかげです、どうも。」
「いいえ。発案は南木様でございます。俺は少しばかり口利きをさせて頂いた程度にて。」
謙遜する在仁を、五十嵐は謙虚で慎ましい人だなと思った。
こうした施策はなかなかの実績であるから、誰だって手柄としておきたいものなのに、在仁にはそうした欲が無い。それは組織に従事していない自由さが故なのだろうな。北海道には自営業者が多いが、どいつもこいつも自由だ。競争社会で取った取られたなんてやっているが、失敗しても自己責任であるから、共倒れする家門がある訳でもなし、自由なものだと五十嵐は思うのだ。
「紫微星様のお口利きは、絶対的な後ろ盾ですよ。どうも!」
オールフリーパスみたいなもんだな。うん。
五十嵐が「よっ!」みたいなポーズで言ったら、在仁は苦笑していた。
「もし本当にそうでございますれば、四天分室設置に関する会議がここまで難航致します事はございませんでしょう。」
力及ばす、と不甲斐なさを自負する在仁に、茉莉はどうでも良さそうに「んなもん、ほっときな」と言った。自由なのは在仁より茉莉のようだ。
「そうですね。紫微星様には関わりなき事でしょう。放っておかれるのが良いでしょうね、どうも。」
地龍の標となった紫微星様は、民草にとっては救いの神で、困ったら縋りたい存在なのだろう。だが、武士をはじめ地龍運営に携わる者たちは、在仁にこれ以上の負担をかけまいとしている。五十嵐は当然、後者である。だかこそ、ここまで接待に情熱を燃やすのだ。
五十嵐は話題を変えて、出来るだけ明るいものをチョイスした。
「そう言えば、紫微星様の写真集の第三回目の増刷が決まったらしいですね。どうも!さすが紫微星様ですね!どうも、どうも!」
「え?」
「第二回目の販売では一回目とは異なる特典が用意されていましたが、三回目も趣向を凝らした特典があるのでしょうか?いやあ、絶対に話題をかっさらいますね!こりゃあ何回でも買いますよ、どうも!」
「え?」
「一回目の発売後にはお渡し会がありましたが、二回目にはありませんでしたね。購入者はかなり期待していたらしいのですが、今後はファンイベントの予定はないのでしょうか、どうも?」
在仁の写真集は空前絶後の売れ行きで、今日日こんなに景気の良い事があろうかと、五十嵐は感心しきりだ。しかも凄いのは売れ行きだけではない。売上が奨学金に充てられると言うのだ。こいつは紫微星様しか出来ない、見上げた精神性である。さすが聖人だ。
けれど在仁は五十嵐の明るい問いかけに、ぽかんとしていた。
「まるで存じません。え?初耳過ぎて五十嵐支局長様の妄想かと思いました。」
「あっはっは!俺は暴走はしますが妄想はしません、どうも!」
全部それなりの筋からの情報であるから、五十嵐の出鱈目ではない。明るく笑い飛ばすと、在仁は苦々しい顔で言った。
「さようでございますか。まだ増刷を…有難いやら、恐れ多いやら。」
「ま、買ってくれた人は奨学金に寄付してくれた人なんだし、御礼のファンイベントならまたやっても良いよね。お渡し会、超盛り上がったし。」
消極的な態度の在仁に、茉莉がにっこりとした。五十嵐としても、在仁が宣伝活動をするのは楽しみであるから、今後の露出が増える事を期待する。お渡し会の経済効果を思うと、北海道でもやって欲しいと思う次第である。
「嫌だよ。物凄く疲れたから、もう凝りた。やるなら二十人くらい限定にして欲しい。」
「それは定員割れどころか、チケット争奪がサバイバル化して、確実に死人が出ますよ。」
二十人?その二十人は確実に闇討ちされてチケットを強奪される。五十嵐がぞっとしたが、茉莉は完全無視。
「そっか、一人一人相手にするの結構大変だもんね。じゃあ全員を一気にさばけば良いよ。ディナーショーとかさ。」
「ディナーショー?何それ?」
「キラキラ衣裳で、歌有り、トーク有り、サービス有り、豪華料理有りの超スペシャルファンイベントだよ。」
うっわ何それ。おいしいイベント過ぎて五十嵐は涎が出そうだ。そんなん五十嵐に頼んでくれれば、豪華クルーズ船を用意するのに。
プロデュースさせてくれ。そしてその旨味は北海道支局に還元してくれ。五十嵐の欲求を知らず、在仁は強めの口調で答えた。
「絶対にやだ!そんな見世物イベント死んでもやらないよ。やるなら二十人限定のアフタヌーンティーを楽しむ会だな。キラキラ衣裳無し、歌無し、トーク無し、サービス無し。ただ俺と同席してお茶するだけの会。」
「え~?まぁ、それはそれでも良いか。」
良いと思います!全然ありだと思います!だったらイベントのためにファンシーなお菓子の家を建てちゃいます!五十嵐の脳内がお祭りになりかけた。
その時、惟継の冷淡な声が話をぶった切った。
「ついたぞ。在仁殿と茉莉殿は座って休め。」
いつの間にか、ちょいと遠いはずの木に到着していたのだった。
◆
木陰のベンチに座った在仁と茉莉に、稔元が持って来た水筒の水を渡した。佐長は木漏れ日を防御するように日傘をさしていて、東はウチワで在仁を扇いでいた。
惟継と青藍は隣のベンチに座って、在仁と茉莉の様子を観察していた。
「体調はどうだ?」
惟継の問いに、在仁は柔らかな微笑みを向けた。
「ええ、問題ございませんよ。北海道に参りましてから、かなり体調が良くございます。やはり、こちらの方が涼しいのでございましょうね。」
「ならばいくらでもいてください。いっそ北海道に住まれますか?喜んでお迎えいたしますよ、どうも!」
ずいっと五十嵐が問うと、惟継が馬鹿にしたように笑った。
「このような僻地には歌会もない。在仁殿を満足させられる訳があるまい。」
何だ、歌会って!美味いのか?平家の御仁はたまに意味不明な事を言い出す。どうせ都人の教養高さをひけらかしているのだろう。嫌味な野郎だ。
イラっとした五十嵐は、惟継の顔を見ていたら、在仁のパレードをするらしいと言う話を思い出した。そんな超うらやま企画が、どうして平家のものなんだ。羨まし過ぎて見に行きたい。
だが、そちらの会議も難航していて開催日は未定らしい。一生難航していれば良いのに。羨ましいついでに軽く呪っておく。
五十嵐の脳内がアホな状態とも知らない在仁は、北海道支局長への信頼を乗せて話しかけて来た。
「北海道支局は、如何でございますか?四天分室が設置されたとて、情勢の変化へのご対応はお忙しゅうございましょう?」
支局長スイッチを入れないといけない話題に、五十嵐が慌てて真面目な顔に切り替えた。冷静に在仁を見れば、首筋を汗が流れて行った。はしゃぎすぎて在仁の様子を見逃していた。
「ええ、まぁ。ですがそれは全国各地どこも同じです。ただ、北海道は独立自治区ですから、家門政争みたいな非合理な柵が無い分、いろいろとやり易いですよ。どうも。要するに、俺の采配次第って事ですけどね。」
北海道の運営責任者は五十嵐なので、ここは五十嵐の王国みたいなものだ。けれど、独裁ではない。旧統治家門である蠣崎家は独裁運営だった。悪しき欲望によって、北海道を恣意的に利用した果てに滅びた。北海道で生まれ育った五十嵐は、その時代を知っている。だからこそ、支局立ち上げに全力を尽くした。北海道の地龍運営の立て直しは、五十嵐の人生そのものだ。独裁運営の組織は弱い。もっと盤石で安定した組織を築かなければ、北海道は元の木阿弥だ。
「ならば安心でございましょう。五十嵐支局長様の御采配ならば。」
「恐れ多い事です、どうも。」
五十嵐への信頼は、支局への信頼だと思う。これまでの支局の歩みが間違っていなかったと言う事だと思う。支局の歩みは、支局員ならびに北海道民全員の努力そのものだ。組織は人だ。必要なのは人であり、正しき心だ。けれど、それが一番難しい。
だから、紫微星様が必要だ。地龍を導く清き標が。これからも在仁には健勝であって貰わねばならない。元気で、幸福であって貰いたい。そのための、全力接待中なのだ。
「そうそう。さっきの写真集の事ですが、九州の術者学校に奨学金制度が出来るのを真似て、全国各地の学び舎が入学枠の見直しを始めたそうです。」
「おや、さようでございますか。それは、それは。」
在仁が驚いた顔を向けたので、初耳なのだろう。
地龍の民は『昼』の戸籍を持って、一見『昼』の社会に馴染みながら生きている。そのため、中学卒業までを義務教育として、『昼』と一緒に学んでいる。
けれど、地龍社会で生きるためにはそれでは足りない。だから義務教育とは別に、術者は専門の塾に、武士は専門の道場に、その他の職業も専門学校に通う。それらは義務ではなく、通いたくても通えない者もある。
中でも、各地域にある独自教育施設の入学枠はかなり偏った狭き門だ。学費も高く、入試も難しく、入学必須要件を満たすのは、いいとこの子息子女のみだ。
その学校では、高位文官資格を取得するカリキュラムがあったり、好条件の就職の伝手をゲットできたりするので、入学=将来に直結するルートに入る事だ。そんなのは、苦労せずとも生きられるボンボンよりも、下々の方が必要としているに決まっている。にも関わらず、そうした者たちは受験資格を得る事も出来ないのだ。
けれど、例の奨学金制度の話題性の影響で、それらの学び舎の入学枠が拡充されると言う。
「紫微星様の影響力のお陰でしょうね。我が北海道支局も、支局所有の養成学校の入学資格の見直しを検討しているのですよ。まぁ、運営上、例の奨学金制度のように太っ腹な事は出来ませんが、入学条件を緩和した特待生枠をつくろうかと思っています。どうも。」
紫微星様みたいに給付型奨学金制度なんて、支局には財源が無くてできないけれど、何とか工夫して特待生枠を設ける事を検討中なのだ。
「一般庶民にも学びの機会さえがあれば、優秀な人材が育つはずです。将来性を思えば組織としても良い事ですから、紫微星様のお考えは素晴らしいものと思います。どうも。」
「いえいえ、奨学金制度の御発案は橘藤様にて…。」
対外的にはそうなっているけれど、んなもん紫微星様の発案に決まってんじゃん。誰だってお察しだっての。
お見通しの五十嵐はフフンと鼻を鳴らした。在仁は困った顔で言った。
「地龍は術力の多さ=血の濃さ=身分の高さ、という固定観念がございます。そうした御身分がございません御方には、社会的地位を得るための御機会すらございません。努力や能力のみにて地位を得るのは、なかなかどうして難しゅうございます。なれど、こうして教育の中に正当な枠組みを設ける事で、御機会を得る事が出来るならば、生きる希望となりましょう。それは、ひいては組織力の強化にもつながるものと、愚考いたします。」
「あっはっは!愚考、愚考ですか!いやぁ、まいった!どうも!」
愚、だなんて、紫微星様に最も似合わぬ文字だ。五十嵐は笑い飛ばして愚の文字を消した。
「さて、日が高くなってきました。暑くなりますから、そろそろ戻りましょう。どうも。」
会話の内容が退屈だったのか、茉莉が在仁に寄りかかってウトウトしているではないか。こんな場所で寝てはいけません。五十嵐はホテルへ戻ろうと促した。
再び在仁たちがのんびりと歩くのを、今度は後ろから見守って歩くと、在仁の背は痩せていて実に頼りない。
この背が、地龍を牽引しているなんて、不思議だ。
在仁は五十嵐を信頼してくれるが、実際のところ独立機関は思う程には力が無く、何でも五十嵐の自由にできる訳ではない。だからこそ、波を逃さない。時勢を読んで、好機を掴む。四天分室も、特待生制度も、在仁が起した波は北海道を良くするのだ。
その分の恩返しは、こんな旅行案内程度では終われないのだ。
◆
ホテルに着く少し前で、五十嵐の携帯端末が鳴った。
「おっと、すみません。呼び出しだ。どうも。」
仕事を放り出しているので、呼び出しは致し方ない。五十嵐が申し訳なさそうに言うと、後ろから晋衡たちが合流した。
え?もしかしてサイクリングロード一周して来た?この短時間で?信じられん。どっかで近道したっしょ?
びっくりしていると、晋衡が雑に言った。
「局長呼び出しか?」
「局長はやめれ。近藤勇みたいでいやだ。北海道と言えば副長だろうが。どうも。」
「や、知らん。」
知らんじゃねぇ、五稜郭連れてくぞ。
五十嵐は、義務教育をサボっていたとしか思えない武士を訝しげに見つつ説明した。
「最近は離反者の出戻りが問題になってましてね。どうも。」
「ああ、北海道でも?」
北海道は地龍社会のあぶれ者が集まっているイメージなので、離反者は少ないと思われているだろうが、実際は多いくらいだ。武家統制が無いからって、舐め腐った連中が犯罪を起したり離反したり、なかなか無法者が耐えないのが実情である。
五十嵐は嘆息した。
「離反者は一見離反者とは分からないので、その辺で見かけても判別がつかないんですよ。だから通報があって初めて分かるって感じで。けれど通報されても、罪人ではないので対処が難しい。生活に困窮して犯罪に手を染めたならば逮捕できますが、そうした窃盗程度ならば刑罰は軽いものです。地龍の民が望む離反者への罰は重いものですから、支局の対処に対する不満が膨らんでまして。それが支局への信頼を損なう事になるのではと、危惧しているのですよ、どうも。」
「司法局と同じこと言ってら。」
離反者問題が大きくなっているのは全国どこでも同じか。
「これは法の見直しが必要なのかも知れないですね。どうも。」
地龍の圧倒的対多数が離反者を犯罪者にすべきと言うだろう。法の見直しは、四天分室設置会議を鼻で笑う全会一致ではなかろうか。
想像していたら、茉莉が意外そうに見ていた。
「五十嵐様、仕事してたんですね。」
「え~…、どうも、どうも。」
一応、支局長なんですよ、これでも。
「って事で、とりあえずこれで失礼します。どうも。ですが、俺の御恩返しはまだまだ終われませんので、超特急で仕事を片付けて戻って来ます!どうも!」
「何のご恩?」
「さぁ?」
茉莉と在仁は首を傾げていたが、五十嵐は無視して「どうも!」と圧をかけた。
そうしたら在仁は何だか分からない恩返しについてやんわりと言った。
「もし俺に何かを下さるとおっしゃるならば、清浄で正常な世のために尽くしてください。俺はそれが一番嬉しゅうございます。」
なんて清き人なんだ!そんなの、言われなくても、こっちからお願いしてやらせて頂く所存です!どうも!
「どうも!」
五十嵐は全力の「どうも!」をかまして踵を返した。
めちゃくちゃやる気漲って、今ならば何でも出来そうだ。そうだ、今日のディナーは超豪華ジンギスカンにしよう。紫微星様喜んでくれるかなぁ。
イマイチ在仁の気持ちに寄り添えない五十嵐は、暴走を続けるのだった。




