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龍種 ドラゴンシード  作者: 字由奔放
星満ちる世の事
1134/1135

18 仁美の事

 翌日は、朝から幸せオーラが満ちていた。

 「みちるちゃん。みちる。」

茉莉(まつり)が自分のお腹に向かって何度も呼びかけると、在仁(ありひと)も真似て呼んだ。

 「みちる。」

光胤(みつたね)が命名した我が子の名前を、まるで胎児に教え込むかのように優しく呼びかける夫婦の姿は、見ている皆を和やかな心地にさせた。

 「可愛い名前。ありがとう、みったん。」

 満面の笑みで御礼を伝えると、光胤は大手柄のドヤ顔を返した。

 「なれど、今はまだ妊娠九週目でございますので、子の性別が分かりますのはまだまだ先でございます。みちる、は女子(おなご)の名でございましょう?」

茉莉に寄り添う在仁の疑問に、光胤はさらっと返した。

 「女だろ。その子は。」

 「…へ、へぇ。そうなんだ!在仁、女の子なんだってさ。楽しみだね!」

 「う、うん。そうだね。」

神様が何の迷いも無く言うものだから、茉莉は一瞬驚いたが、すぐに切り替えて笑った。

在仁は、茉莉のまだ膨らみの目立たないお腹を見下ろして、何とか返答していた。この段階で性別が分かるのは神様パワーなのだろうが、親としては夢があるのかないのか。合理的に考えれば、性別が分かっている方が準備に都合が良いが。そういう複雑な思考が表情にありありと出ていたが、茉莉は全く気が付かないまま楽しそうにしていた。

 「やっぱ名前あると気持ちが違うね。呼べるの、嬉しいね。」

にこにこの上機嫌な茉莉を見て、在仁は優しい笑みを返した。


 そんな二人を眺めていた仁美(ひとみ)晋衡(くにひら)は、何だか感慨も一入だ。

 「女の子なんだってさ。」

 晋衡が言うと、仁美はやんわりと頷いた。

 「智の子どもは二人とも男だからな。」

 「そうね。」

 「楽しみだな。」

 「そうね。」

孫の誕生を心待ちにする晋衡に対して、仁美は何か憂いを持っているように曖昧な相槌を繰り返した。

 「ひぃさん。大丈夫だよ。」

晋衡が言うと、仁美は不安げに見上げた。

 「先祖返りの発現率は極めて低い。血筋はどんどん薄まって、更に確率が下がる。俺たちの子孫に霊師(ぎょくし)が生まれる事は無いよ。」

 「絶対と言う事は、無いわ。」

晋衡の意見は正論だが、確約のない「大丈夫」は無責任な願望でしかない。仁美はどうしても心配なのだ。自分の子孫に、自分と同じ力を持って生まれる子がいるのではないか。そう思うと、素直に孫の誕生を喜べないのだ。


 ◆


 北海道旅行で宿泊しているホテルは、五十嵐(いがらし)の持ち物であるから貸し切りだ。おかげで誰気兼ね無く寛げる。

今日も五十嵐は子どもたちを引率して観光へ出かけて、残った大人たちはそれぞれに過ごしていた。

在仁と茉莉は完全休養と決めているので、基本的にホテルを出る気が無い。精々が散歩する程度だ。いつもの茉莉であれば退屈を持て余してしまう所だが、つわりの所為で「遊びに行こう」と言う気力は無い。在仁も、つわりの肩代わりが無くとも夏バテであるから同じだ。

そんな感じで二人が大人しくしているので、五十嵐は悔しそうだが、北辰(ほくしん)隊護衛陣は超らくちん。

ホテルは五十嵐が鉄壁の警備を敷いていて危険などない。ましてもう(あざみ)蜻蛉(かげろう)も襲って来ないのだから、護衛の仕事自体が楽なのだ。護衛たちが旅行と仕事を兼ねて、穏やかに過ごしていれば、自然と空気も穏やかになる。この旅行の仲間内の雰囲気はかつてなく平和だ。

 皆が各々の旅行を楽しんでいる中、晋衡と仁美は二人で庭を散歩していた。

 炎天下を避けて木々の下を歩く。晋衡は小さな仁美の大きな帽子を見下ろしながら話した。

 「昨日の晩、無事に貪狼(とんろう)の牙をゲットしたらしい。」

 「そう。それは良かった。」

 「俺も手伝いたかったけど、最初から断られたしな。」

 「吉池(よしいけ)様は御自身の力で成したかったのよ。旦那様がいたら旦那様一人で全部済んでしまうもの。」

 千之助(せんのすけ)がこの北海道旅行に同行した目的は、在仁の為に貪狼の牙を入手する事だ。最初から同行目的を聞いていた晋衡は、在仁の為ならば自分も参加したいと申し出た。が、あっさりとお断りされたのだ。貪狼の牙なんて、晋衡は一人であっさりゲットして来る。その程度のミッションだからだ。千之助自身が在仁の為に働きたいのだから、優秀過ぎる晋衡は要らないのだ。

 仁美の指摘に、晋衡は面白そうに笑っていた。

 「久々にそういうのも楽しそうだと思ったんだけどな。」

 若い頃はよくやった。個人ミッションとか、密命とか。けれど部隊を持ってからはとんとご無沙汰だ。そういう下っ端仕事をするような身分では無かったから。

 「私はもう危険な事はしないで欲しいわ。」

晋衡の強さはよく分かっているつもりだ。けれど、そういう問題ではない。仁美はいつだって晋衡を案じているのだ。知り合ってからずっと。今も、これからも、ずっと。

 「ないだろ。もう、そういうのは。世代交代で追い出された俺には、お鉢が回って来る事も無いよ。」

気楽に言う晋衡を見上げたら、肩の力の抜けた笑みだった。

戦も、八つ目のやるべき事も、大隊長も、野分(のわき)も、全部が終わった。何もかもが終わって、全ての荷物を下ろした。目の前にいる晋衡は、とても身軽で穏やかだ。仁美が初めて見た時の悲壮は、一切ない。晋衡の色の無い世界はもう無いのだ。

 「信用できないわね。」

ほっとしつつも、これまでの晋衡の行いを省みれば、全く信用に値しない。

結婚してこの方、ずっと走り続けて来た人だ。立ち止まれない人なのは、分かり切っている。

 歩いて行くと、木の下にベンチを見付けた。

 晋衡が先に座って、仁美は隣にゆっくりと腰かけた。気持ちの良い風が吹き抜けていった。

 「ひぃさんだって、今まで忙しかったでしょ。」

 「そんなの、旦那様の所為よ。」

 反射的に晋衡の所為にしてみたが、果たして本当にそうだったろうか。

 仁美は記憶を探るように視線を遠くへやった。


 ◆


 仁美は、転生者・畠山(はたけやま)重忠(しげただ)の息女として生まれた。

当時の地龍は転生者の支配状態で、転生者が持つ権力は大きなもの。特に人格者として知られる重忠は支持も厚く、発言力も影響力も大きなものだった。その息女である仁美は、超お嬢様だった。本来なら高位令嬢としてチヤホヤされて華々しい乙女時代を生きるはずだったのだが、実際にはそうした事は微塵も無かった。

 仁美が霊師だったからだ。

 霊師は禁術によって成る異能者で、人の心を読み操る事が出来る。仁美の先祖に禁を犯し霊師となった愚者がいたため、先祖返りにて仁美は先天的に霊師の力を持って生まれたのだ。

禁断の霊師の力は所有者を蝕み、その命は短い。仁美は本来幼くして死ぬ運命だった。

力は制御不能で、体は弱り、布団から出る事の出ない子ども時代だった。

 けれど死ぬ事無く成長したのは、父・重忠が悪しき手を取り仁美を延命したからだった。

結局、重忠は悪しき因果に巻き込まれ死に、その応報にて戦犯として畠山家は表向き取り潰された。

仁美を生かしていた悪が打ち滅ぼされ、仁美は死ぬはずだった。

 その命を救ったのは光胤だった。

仁美と同じく先祖返りの異能を持っていた光胤は、度重なる『夜』の摂取によりほとんど『夜』と化し、制御が困難となっていた。仁美と光胤は契約し、仁美は延命を、光胤は存在の安定を得た。その契約は互いに利があった、その頃は。

 仁美は光胤との契約により、霊師の能力を完全制御できるようになった。

 あれから力は殆ど使っていない。

 人の心を読む霊師の力は有用だが、晋衡も幸衡(ゆきひら)も、誰も仁美にそれを強要しなかった。だから仁美は異能者である事を捨てて、ただの女性として生きて来た。それは幼い頃からの仁美の憧れだった。普通に生きる事。その尊さの価値を、仁美は今だって忘れない。いつも、感謝している。

 だからこそ、自分の子孫に同じような思いをさせたくないと、強く思うのだ。

 地下迷宮壊滅後、奥州へ移り住み、晋衡と結婚して身分を新たにした。

幸衡は密かに畠山家を引き取って、奥州内のとある家門内に吸収した。初めの頃は会いに行っていたが、家族は仁美の身元が漏洩する事を避ける為に会わない方が良いとして、仁美を遠ざけた。だから今はたまに連絡を取り合う程度だ。寂しくない訳ではないが、元気ならば良い。本来は一族郎党処されるはずだったのだから、生きているだけで有難い。

 それから僅かな新婚期間を経て、鎌倉へ引っ越した。本来住む予定だった場所には、全く別の屋敷が建っていて、想像とは違う夫婦生活が始まった。晋衡は鎌倉七口で鬼専門の隊長として戦い、仁美はそれを支える。武士の妻というのがどういうものか、その頃に学んだ。仁美の妄想の中にあった妻とは、仕事から帰った夫を笑顔で出迎えて、「ごはんにする?お風呂にする?それとも…。」なんて甘々なものだった。けれど現実は、帰って来る度に夫の無事に安堵する。いつ死ぬとも知れない危険な仕事に従事する者の妻とは、心を強く持たねばならないと知った。

 晋衡が鎌倉七口守護となってから、たった二年で奥州に戻り、今の自宅での暮らしが始まった。

 奥州に戻ったのは出産のためで、兄・智衡(ともひら)を生んだ次の年に妹・茉莉を生んだ。

 あの時も、自分の子どもが霊師でなくて良かったと、心の底からほっとした。先祖返りの発現はランダムで残酷だ。晋衡が言う通り発現率は稀であるから、まさか仁美の子どもに発現するはずがない。けれど絶対はない。だから不安だった。

 結果的に二人とも霊師では無かったが、その安堵も束の間、そこからは戦争の如き忙しさだった。

仁美と晋衡は温かでささやかな家庭を望み、家はこじんまり、生活レベルは一般庶民。使用人の一人もおらず、家事・育児はすべて専業主婦の仁美が担う形だった。自分で選んだ生活スタイルであるから仕方ない事だが、子育てに目を回していても、晋衡は重大隊創設による多忙で全くアテにならず。それまで頼りにしていた律も結婚出産を迎えていて頼れなかったので、ワンオペ状態は仁美のキャパシティを超えた。多分あの頃、覚醒した。母として、女として、それまでのように淑やかになど生きられないと悟った。必然的に強くならざるを得なかったのだ。

誰の教育の所為なのか智衡は生意気で不遜、茉莉は粗野でやんちゃ。制御不能のガキどもを統率するためには、恐れられる母親にならざるを得なかった。

その上、晋衡は蘇芳(すおう)を引き取って来た。ただでさえてんやわんやの子育てに、急に年頃の長男が追加されて、三兄妹を世話する事になり更に大わらわ。まして晋衡はしょっちゅう怪我で死にかけたりして心配をかけるし、正直なところ気が狂うかと思った。

晋衡の激務と苦悩を知っていては文句も言えず、意地と根性で冷静に見せていたが、実際はとんでもない大混乱の日々だった。

そりゃあ武士は大変な仕事だが、主婦や母親も負けていないと思う。これだけやって下に見られたら切れて離婚したかも知れないが、幸い晋衡はいつも労ってくれた。お互い忙しくて、あまり気遣う余裕は無かったかも知れないが、離婚について考える余裕も無かったので、今も夫婦を続けているのかも知れない。

 そうして目の回る日々を駆け抜けて、最初にしっかり者で責任感の強い長男・蘇芳が十五歳で家を出た。次に、幸衡の後継者教育が本格的に始まるため、次男・智衡が中学卒業と同時に家を出た。そして残ったのは末っ子の茉莉だった。兄たちと違って茉莉はお気楽で大雑把だった。武士を仕事ではなく小遣い稼ぎのアルバイトにしていて、将来の事をな~んも考えていなかった。美貌が故にモテたが浮いた話は一つも無く、精神的に子どもだと思った。だからまさか結婚の予定なんかも無く、このままずっと家にいるのだろうと思っていた。幸衡や智衡が甘やかすのを利用して好き勝手に生きるだろうと思っていた。単純で怠惰で楽しい事しかしたくない我儘な茉莉が自立するなんて、考えもしなかったのだ。

 そんなある日。突然、在仁を連れて来た。

 茉莉は下僕だと言ったが、仁美は運命の人に出会ったのだと思った。霊師の力を使わなくても、見れば分かった。茉莉と在仁は、互いを補うように引かれ合っていた。あのダメダメな茉莉が、変わっていく予感がした。

 そんな事で、在仁は仁美の四人目の子になった。

 一番繊細で手のかかる子だ。心も体も傷付きやすくて、どれだけ大切にしても足りない、どれだけ愛情を注いでも尽きない、そんな子だ。飢え乾いた心を癒そうと、出来る限りの事をしたら、みるみる内に感情が豊かになった。注いだ愛情の分だけ愛情を返してくれる、誰よりも優しくて良い子。でも思い返せば、在仁に最もした事は看病だったかも知れない。そういう意味でも、一番手がかかる子だった。

 最後に在仁と茉莉が結婚して、同時に家を出て、今は出産を控える。

 先に結婚した智衡には既に二人の子が生まれている。あの時も仁美は不安だった。生まれる子どもが霊師なのではないか。そう思うと、夜も眠れない事もあった。その度に晋衡は「大丈夫」と言った。分かっている。先祖返りの確率を思えば、二代や三代続くなんてあり得ない。こんな近い世代で発現したりしない。けれど、絶対はない。だから天衡(たかひら)武衡(たけひら)が生まれて、霊師ではないと分かった時、心の底からほっとした。

 今度は茉莉が子を生む。

 その子は霊師ではないか?確率的には大丈夫。けれど、絶対はない。その不安を話したとしたら、茉莉はきっと笑い飛ばして夕飯までに忘れるだろう。だが在仁は、きっと不安に思うはず。気に病んで体を壊すかも知れない。だから言わない。言うべきではないし、杞憂であるから言う必要も無い。

 仁美がすべき事は不要な不安を与える事では無く、今後を支える事だ。

智衡の子らは最早奥州藤原氏直系扱いの待遇であるからそう手を出す余地も無い。だが在仁は子どもを自分で育てると豪語しているので、絶対に仁美にSOSが来ると確信している。子育ては、そんなに甘くないのだから。

家族が増えるのは楽しいけれど、楽しいだけでは済まない。そんな家族は存在しない。

あるべきなのは、そういう真っ当な将来への不安だ。誰もが抱く当然の責任に対する不安。それでいい。

先祖返りを警戒するなんて、普通じゃない。いらない感情なのだ。

 今の晋衡は、道場を持って子らを鍛えている。仁美も手伝ったりしているが、ものになるかは知らない。けれど、毎日楽しそうだ。やっと重荷を下ろして、自分自身の幸福と向き合える。これからはこういう風に生きれば良いのだ。

 当たり前の事だが、こういう未来が来ると、初めから分かっていた訳ではない。だから頑張って来られた。

 必死になれた。

 晋衡と一緒だったから、ここまで来られた。

 

 ◆


 と言う事は、つまりは晋衡の()()()と表現するべきなのだろう。

 「やっぱり、旦那様の()()よ。」

 けれどそうは言わない。やはり総合的に晋衡の所為で忙しかったのではないかと結論付けた。

 だって晋衡は仕事人間で家庭を省みなかった上、蘇芳と在仁を引き取って来たのだ。仁美に丸投げしているのだから結構酷いのではなかろうか。怒って良いはずだが、子らが可愛いので仕方ない。

 「全部、結果論よね。」

 仁美がぼやくと、思考を読んだように晋衡が笑った。

 「ひぃさん子ども好きだし。」

 「それは旦那様もでしょ。」

 家庭を省みない晋衡は、蘇芳も茉莉も部隊で叩き上げて武士にした。子どもが好きでないと出来ない事だと、仁美は思う。

 「まぁね。家族が増えるの、楽しみだなぁ。」

何の疚しさも憂いも無い晋衡の笑みに、仁美は嘆息した。

それで良い。晋衡が正解だ。

 それでも、仁美は不安だ。

 「先祖返りを無くす方法は無いのかしら。」

 地龍では、先祖返りと聞けば忌まわしいものを連想する。

 禁術で異能を得た先祖の力を生来持つ者は、何の罪も無い。けれどまるで罪人のように見られる。罪は先祖にあるはずなのに。

今更その罪を遡及して裁く事も出来ないのに、罪なき子孫に発現した力自体は禁断のものであるから、罰は宙に浮く。隠せていた古き罪を暴くような現象は、無関係な子孫が被る天災のようだ。

どの家でも先祖返りは隠しておく。古き罪を暴かれたくないから。内々に処分してしまう事も、少なからずあるのかも知れない。

 「禁を犯す者が無くなれば、自然と無くなる。」

 晋衡の意見は正論だ。罪人の血が薄まって行けば、いずれ消えてなくなる。先祖返りは無くなる。けれど、人は強欲で罪深い。本当に無くなる未来が来るとは、思えないのだ。

 「そうね。」

仁美は晋衡が持つ『夜』のようなどす黒い波形を思い出した。あの波形を持つ者は、この世の暗部に生きる者だ。その晋衡が、平然とお綺麗な正論を言う。もしそれが気休めだとしても、口にできるのは強いと思う。仁美には、その勇気が無いから。


 ◆


 旅行の接待に全力を注いでいる五十嵐が、連日超豪華ディナーを用意してくれるので、仁美は帰るまでに太りそうだと思った。

見れば、テーブルには旅行メンバーの他に、五十嵐、(あかね)(ゆかり)、そして光胤。

仁美は分厚いステーキを切りながら、楽しそうに談笑する光胤を眺めた。

光胤と契約して命永らえた仁美は感謝しかない。けれど、今となっては光胤には何の利も無い契約だ。光胤は北海道を治める神様になって、人との契約に頼る必要のない絶対的強者となったのだ。契約など破棄されても仕方なかったが、光胤は何も言わずに契約を守っている。仁美を、生かしている。

 「う…私、部屋に戻ってるね。」

 茉莉が気持ち悪そうに部屋を出ると、在仁がそれに寄り添って行った。

 二人ともが不調であるから、二人きりにさせられない。仁美も席を立って、後を追った。

 茉莉と在仁が宿泊している部屋に入ると、茉莉はベッドで横になって、在仁はその背を優しく撫でていた。仁美はそうっと入って、在仁の肩を叩いた。

 「私が代わるわ。在仁は、食べられそうなら戻って。」

 「いいえ。こちらに、おります。茉莉の側に。」

 在仁の体調不良は夏バテなので、五十嵐が用意する超豪華ディナーは拷問だ。思い遣りがあれば、在仁には食べ易くて胃に優しいものを提供するだろう。仁美は五十嵐の独善的なもてなしを貶せる立場でも無く、ただ「ああ言う人もいるよね」と思った。

仁美が茉莉の背をさするのを交代すると、在仁は仁美の隣に座ったまま、窓の外の夜闇に目を向けた。

 「みちる。良きお名前と存じます。」

 「そうね。可愛い名前だわ。」

晋衡も茉莉も手放しで楽しんでいて、ハッピーオーラ全開だ。けれど、在仁と仁美はそれだけではいられない。性格の差だ。

 ふと見ると、茉莉は眠っていた。術力器官生成中の胎児の影響か、つわり以上に睡魔が強い。これは仁美も経験があるので分かる。術力器官バケモノ胎児を持つ妊婦はとにかく眠いのだ。智衡も茉莉も、晋衡に似てとんでも術力量だから。

 「お母さん。」

茉莉の顔にかかった髪をよけながら、在仁が呼んだ。

仁美は何も言わずに視線を向けて返答に代えた。

 「俺、良い父親になれましょうか?お父さんのような、良い父親に…。」

不安げに闇色の瞳を揺らした在仁に、仁美は苦笑した。

 「旦那様が良い父親かどうかは、私は分からないわ。評価権が子にあるなら、きっとそうなんでしょうけど。」

 「お母さんは、そうは思われませんか?」

 「まぁ、お互いに、色々な面を見て来たから。でも、そうね。子どもに良い面だけを見せられてるんだとしたら、それが良い父親なのかも?」

 「なんでございますか、それ。」

 「定義なんか無いもの。在仁が良いと思うようにするだけよ。」

 「…さようでございますね。」

受け入れた在仁の憂いた目が、茉莉をじっと見ていた。本当に眠っている事を確認するように息を潜めてから、在仁はもう一度ゆっくりと呼んだ。

 「お母さん。」

 「なぁに。」

 「先祖返りと言うものは、どの程度の発現率なのでございましょうか。」

 唐突の問いに、仁美の心臓が跳ねた。

 「…どうして?」

ドキドキする心音が煩くて、仁美は在仁の声に集中して耳を澄ませた。

 「櫨木(うつぎ)鴎音(おういん)は俺の叔父でございます。呪い人でございました櫨木鴎音の血筋には、災い子が生まれる可能性がございましょう。それは、俺の子孫も当てはまるのでございましょうか。」

 「え?」

 あまりにも考えていなかった方角からの問いに、仁美は一瞬頭が真っ白になった。

 災い子とは、先天的に(じゃ)の保有量が多い者の事だ。先祖に呪い人がいる者が、先祖返りで発現すると言われる。邪、とは純粋な欲求の中でも、反社会的なものを指す。奪いたい、壊したい、殺したい。そうした理由なき残酷な欲求が強く、そこに快楽を得る性質の事だ。石川薊がそうだった。

薊の先祖にいたとされる呪い人が一体何代前のどういう系図の者なのかは明らかではない。けれど、かなり古いと推察される。それは、どれだけ血が遠ざかっても追いかけて来る呪いのように思えた。

 「在仁は鴎音の直系の子孫ではないわ。多分、範囲外なんじゃないかしら。」

 仁美は無責任な事を言った。先祖返りについては、詳しく解き明かされていない。その適用範囲も不明だ。遺伝的なものならば鴎音に子が無いので適用外。けれど血筋についてまわる呪いならば、在仁も適用内か。 

 「在仁。大丈夫よ。みちるは、大丈夫。」

 何故か、自然と言葉が出た。無責任で、何の確約も無い言葉が。

 「なれど、みちるの子は?子の子は?いつか、災い子が生まれるやも知れません。」

 ああ、私もこうなのね。仁美は自分を見ているようだと思った。

 「未来の事は分からないわ。今、心配しても仕方がないのよ。そうなったら、その時に考えるしかないのよ。」

 そんな当たり前の事に気付かないで、不安ばかりを膨らませていたのに、やっと気付いた。

 どんな未来が訪れるのか分かるはずがない。だからこれまで頑張って来られたのだ。晋衡と一緒に、精一杯生きて来られたのだ。それと同じだ。例えこの先、先祖返りが生まれたとしても、精一杯に努力して問題と向き合って生きるしか、出来る事はない。

 「何も起こらない内から恐がっていたら、勿体ないわ。今は素直に喜びましょうよ。みちるが生まれて来るのを待つ時間を、楽しみましょう。」

 霊師の力は、不幸の元だった。仁美一人の苦痛に留まらず、重忠の人生を狂わせてしまった。家を潰してしまった。それが、辛かった。けれど、否応なく周囲を巻き込むのだとすれば、皆で一緒に立ち向かえば良い。そういう家族になれば良い。少なくとも、今の家族ならばそれが出来ると言う事を、気休めではなく自信を持って言える。晋衡がいるから。

 「さようで、ございますね。」

 微笑んだ在仁の頬を撫でたら、すべすべしていて、ひんやりしていた。

 「在仁も休みなさい。」

 仁美は在仁を寝かせてから部屋を出た。

 部屋の外には、晋衡が立っていた。一緒に廊下を歩きながら晋衡が心配そうにした。

 「大丈夫か?」

 「ええ。寝たわ。」

 「ひぃさん、まだ夕食の途中だろ。温め直してもらうから、戻って食べよう。」

 気遣う晋衡を見上げたら、良い父親かは知らないけれど、良い夫だなと思った。

 「大丈夫よね。」

 「うん?」

 晋衡が「大丈夫」と言えるのは、強くなれるのは、きっと仁美の為なのだ。仁美はその事に気付いて、感謝を抱いた。

 「大丈夫よ!」

 無責任でも、何の確約も無くても、「大丈夫」は良い言葉だと思った。思い遣りのある言葉だと思った。だから仁美ははっきりと晋衡に言った。本当に、もう大丈夫だから。

 にっこり笑ったら、晋衡の笑みが返って来た。

 「うん、大丈夫だよ。」

 その返答に、とてもほっとした。

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