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龍種 ドラゴンシード  作者: 字由奔放
星満ちる世の事
1129/1132

13 露の事1

 「申し訳ございませんが、来週の手習い所はお休みさせてください。」

 週に一度の手習い所の終わりの挨拶で、紫微星(しびせい)様がそう言った。

この手習い所は(つゆ)の楽しみだ。ただでさえ週に一度しかない上、紫微星様の都合で休みになる事も多い。しかも来月はお盆休みが入るので、来週が休みとなるとかなり回数が減る。あまりに残念で、露は思わず尋ねた。

 「どうしてですか?」

 「北海道へ旅行へ行くのですよ。個人的な理由で申し訳ございません。」

にっこりした紫微星様はいつもながら目を見張る程に美しくて露は眼福だ。

けれど、そこに不作法な声が割って入った。

 「月出(ひたち)も!」

 「(たか)も一緒に行く。」

 「さようでございますね。お二人もご一緒でございますね。」

 え?

露は愕然とした。紫微星様と一緒に旅行?羨まし過ぎる。

露はただでさえ、月出と天衡(たかひら)が羨ましいのだ。いつもいつも紫微星様にべったりで、可愛がられているのを、羨まずにいられようか。露とて、本心ではそうしたい。けれど、地龍イチの令嬢を目指している露が、そんな事をする訳にはいかないのだ。この手習い所に通う子どもの中で、露は一番のお姉さんなのだし、年下に心乱す訳にはいかない。

 そのプライドでもって、何とか本心を押し殺したが、上手く笑えたかは分からなかった。


 ◆


 「ずるいわ!」

鎌倉に戻ると、露は一緒に手習い所に通っている教養の先生に向かって愚痴をこぼした。

 「私だって、紫微星様とご一緒したい。」

 「さようでございますね。なれど、あの子たちは奥州の子でございます。紫微星様との距離の近さは同家門ならではの関係構築の成せる事。私たちに勝ち目はありません。」

 「でも!でも私だって、紫微星様の教え子よ。そうでしょ?紫微星様は教え子を差別なさらないはずだわ。そうでしょ?」

何度も確認するように言う露に、先生は困ったように微笑んだ。

 「露様。招待されていないのですから、羨むのははしたない事ですよ。」

 「分かっているけれど、羨ましいんだもの。」

頬を膨らませた露を、先生はそう目くじら立てて窘めようとしなかった。先生はいつも優しい。甘くないが、理不尽に厳しくする事も無い。嘘が無いので、露が本音で話せる大切な相手だ。

 「私ももう七歳なのよ。いつまでも手習い所に通える訳じゃないわ。そしたら紫微星様と会う口実が無くなってしまうのだもの。少しでも、沢山会いたいと思うのは当たり前の事よ。そうでしょ?」

 「ええ、さようでございますね。」

露は先生のおかげで年齢以上の教養を身に着けている。本来ならば手習い所など不要だ。それなのに通っているのは、紫微星様に会いたいからだ。それだけ。先生だって同じ理由で一緒に通っているのだから、露を否定する立場に無い。

 「先生はもう大人だもの。卒業せずにずっと通えるのかも知れないけれど。」

 「いいえ。私は露様とご一緒させて頂ける故に、通えるのでございます。露様がお辞めになられる時は、私も辞める時ですよ。」

 「そうなの?寂しいわね。」

 「ええ、とても。」

あの手習い所には大人もいる。年齢的な理由だけならば、ずっと居座る事も出来るだろう。けれど、露は源氏の御姫様であるから、いつまでも今まで通りとはいかない。年齢に伴って習い事は増えるし、社交もあるし、忙しくなる。子どもではいられなくなれば、気安く他家門に出入りする事など、許されるはずもない。子どもという特権が適用される期限は、確実に終わりに近付いている。

 「露様。紫微星様は鎌倉様とたいへん懇意でございます。こちらから訪ねられずとも、紫微星様の方からおいでくださいます。噂では鎌倉に紫微星様のお屋敷も建つと耳にしました。そう致しましたら、一層頻繁においでくださいましょう。決して二度とお目にかかれなくなる訳では、ございませんよ。」

 「そうなの?」

知らなかった。こういう事を教えてくれるのも先生だけだ。子ども特権で目こぼしされている内は、時事ネタなんか聞こえて来ない。政治も社会情勢も、子どもにはまだ早い。けれど先生は教えてくれる。だから好きだ。

 「けれど、お父様は紫微星様の来訪をお教えくださらないわ。」

 「お願いなされば良いではございませんか。ご来訪時に御挨拶なさるくらい、鎌倉様もお許しになられましょう。」

 「そうね。そうするわ。」

頼優(よりまさ)は紫微星様の来訪時に、わざわざ露を挨拶させてくれるだろうか。可愛がられている自覚はあるが、わがままを許されるのとは違う。駄目元で頼むとしても、何となく望み薄な気がした。

けれど、紫微星様の屋敷が建つと言うのは良い情報だ。もしご近所さんになれたら、月出や天衡のように親しくなれるはず。

露は何とか紫微星様ともっと仲良くなりたいのだ。


 ◆


 露にとって紫微星様は憧れだ。

何もかもが一流だからだ。所作も言葉遣いも姿も心も、すべてが美しい。

その一際美しい心で、戦を治め、地龍を救った。だから紫微星様には、地龍様ですら頭が上がらないのだと聞いた。

終戦後も、悪しき邪教を討ち滅ぼし、強大な呪いを滅し、幾度となく地龍を窮地から救った。だから誰もが崇める特別な存在なのだ。

頼優も万葉(かずは)も紫微星様にぞっこんで、誰に尋ねても悪く言う者はない。

露に接する態度も物柔らかで、比類なき気高さを感じる。他の子らに接する態度も分け隔てなく、遍く慈愛を与える高貴なる存在だ。

だから紫微星様は、正に完全無欠の聖人なのだ。

露はそんな紫微星様が大好きで、憧れなのだ。

何とか手習い所で褒められようと自習を欠かさず、今ではとても美しい字を書くようになったと自負する。けれど紫微星様には届かない。だからまだまだ頑張るつもりだ。

露の目標は地龍で一番の令嬢になる事だ。皆が認めて崇めるような、紫微星様のような価値を持つ、特別な姫となる事。そのための自己研鑽を惜しむつもりは無い。

今はまだ子どもだが、いずれそうなる。だって露は清和源氏本家直系の姫なのだ。

 「お父様、おられるかしら。」

 源氏本家屋敷のお仕事エリアは、子どもが用もないのに足を踏み入れてはならない場所だ。ここで仕事を持って働く者は、源氏の忠臣で、大切にすべき存在だと教わった。まだ何の役にも立たない子どもである露よりも、ここで源氏の力になっている者の方が偉い。敬意を払わねばならないと、そう万葉は言った。

血筋が身分を決めるとしても、貢献度とは異なる。偉いのは、血筋ではない。血筋に相応しい振舞い。中身が伴わないならば、血筋は害悪になる。だから頼秀(よりひで)は死んだ。そう頼優から教わった。

中身を詰めないと、露の末路も知れている。それは脅しではない。頼優の目が、恐い程に真剣だったから。

 頼優の執務室の前に立っていた警備員は、露の姿を見ると頭を下げた。

 「入ってもいいかしら?」

 「ええ。どうぞ。」

 執務室に来客は無い。不在時以外に止められた事はない。警備員には露を止める権限がない。

露は姫としての品位を損なわない範囲で、出来るだけ労いと敬意を込めて礼を伝えた。血筋でなく、働いている者の方が偉い。露はまだ誰かに本当の意味で敬意を頂ける立場ではない。子どもだから。子どもという身分は、便利で楽だが、無力で不自由だ。責任の所在は親にあり、無自覚のままフォローされている。自ら学ばねば、知らないまま大人になる。何でも親切に教えてくれる大人は少ない。

 「お父様。」

 執務室の扉を開くと、中から声がした。

 (かなめ)だ。

 露にとって要は大切な存在だ。何でも親切に教えてくれる数少ない大人。優しくて、甘やかしてくれる、大好きな人。露は要にだけは素直に我儘を言える。両親は厳しいが、要は甘いから、多少図に乗っていると自覚している。

 だから要の声を聞いて、気安く入室した。

隣の秘書室の扉は閉まっていて、中にいたのは頼優と要だけだった。

 「オークションの準備は恙なく。北海道旅行に仕事を持ち込むつもりはありません。旅行は休暇ですから。」

 要の言葉に、露はびっくりした。

 「え?要、北海道旅行へ行くの?」

 聞いていない。露はあらゆるものがすっ飛んで、本音だけを口にした。

 「ずるいわ!露も行きたい!紫微星様と北海道!」

ぱたぱたっと小走りで要に抱き着くと、要がびっくりした顔で見下ろしていた。

 「露様…。」

いつの間にか超イケメンになった要を、露はまだ慣れない。前の顔も好きだった。決して綺麗では無かったが、物心ついた時から見ていたから、そういうものだと思っていたのだ。けれど、要は今の顔になってから明るくなった。だからきっと良かったのだ。

 「露。入る時は声をかけなさいと言っているだろう。」

 「ごめんなさい。」

頼優に咎められて、露はしゅんとした。一応声はかけたが、聞こえなかったのだろう。返答を待って入室するのが礼儀であるから、露の無作法だ。

 「ねぇ、要が行くのは紫微星様の御旅行でしょう?露も一緒に行きたいわ。」

 「駄目だ。要は正式な招待を受けて参加する。露は招待されていないだろう。」

素気無くバッサリと言われても、露は諦めきれなかった。露の中で、たった一人何とか我儘が通る相手が、要なのだ。この突破口が目の前にあって、どうして諦めきれようか?

 「分かっているわ。だから要からお話ししてくれない?」

 「露。聞き分けの無い事を言うんじゃない。」

頼優が声を荒げたので、露は怯んだ。けれど、もう少しだけチャレンジしたい。不屈のファイトでもう一押しした。

 「お願い。要。どうしても駄目?」

ぎゅっと要に抱き着く手に力を込めると、頼優と露の板挟みで困ってしまった要が持っている携帯端末から声がした。

 「俺はかまいませんよ。」

 「え?」

 それは紫微星様の声だった。要は紫微星様と通話中だったのだ。

 「紫微星様、それではご迷惑となります。」

頼優が否定したが、露は声を張り上げた。

 「ご迷惑はおかけしません。良い子に致しますから、是非ともご一緒させてください!」

懇願するように頼優を見つめると、頼優は咎めるように言った。

 「要は仕事を調整して休暇を取得するんだ。私も万葉も急には都合を付けられない。行くならば露一人で行くんだぞ。露はまだ一人で外泊した事が無いだろう。一人で寝て、一人で起きられるのか?要は露の世話係ではないんだ。何でも頼れば良いなどと思ってはならない。自分の事を自分でしなければならないんだぞ。出来るのか?北海道は遠い。嫌になっても帰って来られない。分かっているのか?」

 「分かっています。」

 「本当に?露はこの清和源氏の姫だ。露の行動や言葉は、源氏の評価に直結する。露の失態は源氏の失態だ。その責任を、理解しているのか?」

 厳しく追及する頼優に、露は追い詰められた気がした。

ただ紫微星様と旅行へ行きたい露は、遊びに行くだけのつもりだった。だから大袈裟に問われると怯む。

 けれどそこに、紫微星様が言った。

 「露様。」

 「はい!」

 「旅行に参加する子らは皆、ご両親がご一緒でございます。露様は御一人で、まして子らの中では一番の年長となります。年下のお世話をなさる御立場でございます。それができましょうか?」

 「できます。露はもう七歳です。一人でも平気です。」

 「皆様がそれぞれに休暇を楽しまれますので、どなた様も露様のお相手をなさらないかも知れませんよ。どなた様も遊んでくださらないと、とても退屈でございましょう。それでも、ようございますか?」

 「結構です。退屈せぬように、御本を持って参ります。」

 「参加者はご所属も異なり、御立場もまちまちでございます。露様を源氏の姫君様として特別に扱ってくださるとは限りません。無礼もございますかも、知れませんよ。俺は諍いを好みません。どなた様とも、仲良くお過ごしになれますか?」

 「できます。紫微星様の大切な方々に、失礼のないよう努めます。」

 「思う程、楽しくないかも知れませんよ。期待はずれでも、日程の変更はございません。北海道は独立自治区でございますので、気安く出入りできません。帰りたくとも、期日までは帰れません。」

 「分かりました。」

 「露様は源氏の姫君様でございます。何かございましたら、大きな事件となります。その責任は多方面に飛び火し、各所にご迷惑がかかります。それを火種とし、戦となる可能性すらございます。そうしたご自覚を持ち、責任ある行動をなさってくださいますか?」

 「はい。決して、御迷惑にはなりません。」

 在仁が丁寧に注意する一つ一つに、露は真剣に答えを返した。

 すると在仁は、ゆっくりと言った。

 「ならば結構。露様、ご一緒に楽しい旅行へ参りましょう。」

了承を得た瞬間、露が満面の笑みになった。けれど、頼優は咎める顔で言った。

 「紫微星様!いけません。」

 「お父様、お願い!露、絶対に良い子にするから!」

頼優に懇願しながら要にしがみ付くと、要は困りつつも露を撫でた。 

 「頼優様。私もおります。注意をして見ているように致しますので。」

 「だが、それでは要が楽しめないではないか。折角の休暇が、露のお守りになってしまう。いいか、露。要は今まで碌な自由が無かった。此度の旅行では要に私的な時間を過ごして欲しいのだ。だから邪魔してくれるな。」

 「良いのですよ、頼優様。」

 要は屈んで露と目を合わせた。

 「私にとって露様は大切な御方です。露様とご一緒出来ます事は嬉しい事ですよ。遠からず露様もご令嬢と呼ばれる御立場となりましょう。その頃には、私と二人で旅行に参加する自由などございませんでしょう。ですから、これは特別な時間です。私も露様と良き思い出を作りたいと思います。」

 要のその言葉で、頼優は引き下がった。

 露は念願叶って旅行に参加できる事になったが、要の言葉を聞いて、逆に寂しい気持ちになったのだった。


 ◆


 その後、紫微星様は頼優に世話役を同行させて良いと伝えた。露の手前「一人で」と言ったが、実際は立場的に考えて無理があると分かっていたのだ。けれど、頼優はいっそ本当に一人で行かせて勉強させるべきだとした。

 すべて事後承諾で急な旅行を知らされた万葉は、大慌てで荷造りをした。同行する要にも手伝わせて荷物を掌握させた。荷造りのために使用人たちが駆けまわって大騒ぎとなり、思い付きで行動した露は内心で反省した。

 ようやく落ち着いたのは夜になってからだった。

それまで何も苦言を零さなかった万葉は、露と二人きりとなってから、溜息を吐いた。

 「露。どうしてこんな我儘を言ったの?」

疲れた顔で問われて、露は咎められていると思った。

 「どうしても、行きたかったの。」

 「北海道に行きたいなら…。」

 「違うわ。紫微星様と、御一緒したかったの。」

言葉を遮って言うと、万葉は複雑そうな顔をした。

 「本当に露は父親似ね…。」

紫微星様、紫微星様って…。と続きそうな言い方だった。

露から見ても、頼優は紫微星様に出会って変わった。以前よりも厳しくて、正しくなった。露はそれを尊敬しているけれど、頼優がそうする事が皆を幸せにする訳ではないと知っている。家の順番は変わって、いなくなった人もいる。源氏の雰囲気も随分と変わった。頼優は祖父・頼経(よりつね)よりも、家臣から好かれていないと思う。でも、それが正しいと言う事なのかも知れないと、兄たちは言った。皆が幸せなんてあり得ないし、皆が笑っているのも、皆に好かれるのも、どこか嘘があると。

けれど、紫微星様の正しさは皆を幸せにするし、皆を笑顔にするし、紫微星様は皆から好かれる。理想は叶うし、嘘にしない道はある。頼優が頑張れるのは、それを知っているからだと、露は思う。

 「紫微星様は素晴らしい御方よ。お母様もご存知でしょう?」

 「だとしても、こんな方法で無理矢理にご一緒しなくたって、会う機会はあるじゃないの。手習い所だって通わせて頂いているし、その内にお茶会だって…。」

 「手習い所はずっと通えないわ。お茶会だって…お母様はお許し下さらないじゃない。」

紫微星様のお茶会「星の宿り」は地龍の女性の憧れの社交場だ。露は以前から参加を希望しているが、紫微星様は「万葉様がお許しくださるならば」と条件を出した。けれど当の万葉は許可以前に必要な教養を習わせてもくれない。スタートラインにも立っていない。だから参加できる気がしないのだ。

 「露。紫微星様のお茶会は、今はまだ結婚適齢期の女性の集いよ。露にはまだ早いの。焦らなくても、時が来れば必ず参加させるつもりよ。」

 「本当?」

 「ええ。本当よ。露、いい?今回みたいに、招待されてもいないのに、自らせがむなんて、とても無作法な事よ。紫微星様はお優しいから咎め立てなさらないけれど、普通は恥ずべき事なの。本当は、今からでも謝罪して取り消したいけれど、こちらから無理に押し切った事を撤回できないわ。一度決めた事は、変えられないのよ。」

 「申し訳ありません。けれど、私、撤回なんかしたくないわ。一度決めた事を、変えたりしないわ。」

露は覚悟を示さねばと思い、背筋を伸ばした。

けれど、その姿を見て万葉は逆に顔を顰めた。

 「注意すべき事は山ほどあるわ。まず、調子に乗ってべらべらと話さない事。源氏内の事も、旅行先で知り得た個人情報も、不用意に他人に話しては駄目よ。子ども同士でも同じよ。紫微星様の周りは色々な立場の人が入り混じっているのだから、情報漏洩は危険なのよ。本当は露が地龍内の家門情報を覚えて、相関図が頭に入っていれば、政治的立場の敵味方の判断がつくけれど、そうじゃないのだから仕方ないわ。露はどこにいても清和源氏の姫なの。立場は消えない。政治も切り離せない。その事を忘れない。」

 「…はい。」

 「それから、紫微星様は御体が丈夫ではないわ。強引に付きまとってご負担になっては駄目。きちんと気遣って接するのよ。」

 「わかりました。」

 「紫微星様の手前、表面上は皆様が露に優しくしてくださるでしょう。けれど、甘えて我儘を言っては駄目。品位を失わない事。」

 「はい。」

 「要の事もそう。要は露の友だちじゃないのよ。要は鎌倉様の側近秘書。源氏に必要不可欠で大切な力です。露よりもずっと役に立っているのだから、偉いの。敬意を忘れないで。」

 「…はい。」

がみがみと言い始めた万葉の目が恐い。

内容は全部、露の心を読んだようで、お見通しだと分かった。

露は人にマウントを取るのが大好きな性格であるから、得意げにおしゃべりするところがある。

折角のチャンスなので、これまでよりも紫微星様と話したいし仲良くなりたいと言うのが目的なのだから、しつこく付きまとうつもりだった。

手習い所で会う紫微星様の仲間たちは優しいので、気を許して素が出てしまうかも知れない。

要は押せば何でも言う事を聞いてくれる便利な人だと、心のどこかで思っている。

そう言う全てに釘を刺されて、露は気まずくなって俯いた。

 万葉は呆れたように長い溜息を吐いてから言った。

 「本当は私が一緒に行きたいけれど、都合がつかないわ。世話役は付けないと、旦那様が決めてしまった。要は露の面倒を見てくれるつもりだけれど、男性だもの、全部と言う訳にはいかないわ。」

 「分かっているわ。私、一人で平気よ。」

堂々とした令嬢たる居住まいを意識したが、万葉は押し黙ってしまった。

何か、間違えた。それだけは分かったが、何を間違えたのかは分からなかった。

しばしの気まずい沈黙の末、万葉がゆっくりと言った。

 「この旅行を勝ち取る為に、露は沢山の約束をしたわね。」

条件は、多かった。紫微星様が示した事以外にも、頼優も万葉も多くの注意事項を言い含め、露は全てを受け入れたのだ。覚えきれないので書き留めたくらいの約束事は、一つでも拒否したら旅行を取りやめるしかなかった。多くの制約の中で手に入れた旅行は、露にとって決して気楽に楽しめるものでは無くなっていた。気合いと言うより気負い、そういう気持ちだ。

 「約束を守る事は大切よ。けれど、一番大切な事を、覚えておいて。」

 「何ですか?」

 「困ったら、大人に頼る事よ。」

露は困惑した。さっきまで一人で何でもしろと言っていたのに、矛盾するじゃないかと。

 「ですが…。」

 「露はまだ子どもだもの。一人で全部できる訳がないの。困ったり、迷ったり、出来ないかも知れないと思った時、絶対に大人に相談しなさい。出来る事を出来ないと言って甘えるのはいけない事よ。でも、絶対に一人で何とかしないといけないと思い込んで、無理にどうにかしようとすれば、返って状況が悪くなるわ。その方が迷惑をかける事になるの。分かる?」

 「…わかります。」

 「意固地になって、プライドを優先しようとしたら駄目よ。出来ない事は出来なくて良いの。これから覚えるのだもの。何も恥ずかしくないのよ。素直になって、きちんと礼儀を持ってお願いすれば、きっと大人が助けてくれるから。」

 「けれど、甘えてはならないと…。」

 「甘えるべき時を間違えなければ、甘えて良いの。自分が得をしたり、良い思いをしようとして、甘えるのは打算と言うのよ。それはずるい事なの。大人にはそのずるさが必要だけれど、子どもの内はいらないわ。子どもの内は、子どもでいれば良いのだもの。」

 万葉は言いながら露の頭を撫でた。

声音はいつの間にか優しくて、露は胸が締め付けられた。

旅行は自分で希望して自分で決めて自分で勝ち取ったものだ。だから後戻りはできない。どれだけ周囲からプレッシャーをかけられても、弱音は吐けない。全部自分がした事だから。一度決めたら、変えられない。今更怖気づいたとしても、口にしてはいけない。

その弱さが、喉元までせり上がっていた。

 「露。子どもでいられる時間は短いわ。それを感じるから、焦るのでしょう?でも、無理に背伸びしなくて良いの。子どもの内にちゃんと子どもをやっておかないと、立派な大人になれないわ。どこか歪んでしまう。本当は、もっとのびのび子どもをさせてあげたいのよ。でも制約はある。露にも、私にも。」

 私にも。そう万葉が言った。露は、万葉も窮屈な立場であると知っている。その中で輝ける事は、誰にでも出来る事ではないと、知っている。万葉には万葉の本心があって、けれどすべてを口に出来る立場ではないと、知っている。厳しさには、全部理由があると、知っている。

 「お母様。私、大丈夫です。」

不安なのは万葉だと、分かった。不安なのは、大人たちの方だ。露を愛しているから、心配で、不安なのだ。

だから露は笑った。

 「紫微星様は、楽しい旅行とおっしゃったわ。私、きっと旅行を楽しんで参ります。」

本当は不安だ。露にとって大冒険だ。きっと、これからの人生で、こんな機会はない。付き人も無く一人で旅行へ参加するなんて、一生涯にたった一度しか無いかも知れない。だからこそ、楽しまねば損だ。

 「ええ、そうね。楽しんでいらっしゃい。」

 優しく微笑んだ万葉の言葉は、ようやく露を肯定して背を押した。

 露は気負いでは無く、気合を入れた。それは楽しむための気合だった。

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