第7話 聖女の物理的契約解除
役員応接室のガラス越しに、白金の光がフロア中へ拡散していく。
カノンの頭上に浮かぶスマホが、最高画質4Kの映像を全世界へと垂れ流していた。
画面の右下で、同時接続者数のカウンターが狂ったように回転する。
五万、八万、十二万――。
コメント欄が、怒涛の勢いで押し寄せてきた。
《え、これハウンドラインの本社ビルじゃね!?》
《机の上の書類……専属契約約款!?》
《取り分95%は草。ただの奴隷契約でワロタ》
《レイの借金二千万ってこれの違約金かよ!》
《労基署仕事しろwwwww》
《遠山代表の顔が真っ青でメシウマ》
「な……な、何を撮っている! 配信を止めろ! 今すぐ切らんかァッ!」
遠山が机をバンと叩いて立ち上がり、血相を変えて怒鳴り散らした。
だが、カノンの【光輪拡散】は、いかなる通信妨害も受け付けない。
俺のボロスマホは宙に浮いたまま、遠山の狼狽する脂ぎった顔をドアップで捉え続けていた。
「おい警備員! 幹部ども! 全員ここへ来い! このペテン師どもを拘束しろ!」
遠山が内線電話に叫ぶと、応接室の重い扉が蹴破られた。
なだれ込んできたのは、フル装備の私設警備員と、ハウンドライン所属の上級探索者たち五人だ。
全員が魔導警棒やスタンブレードを構え、威圧的な殺気を放っている。
「おいおい、黒岩の野良犬が調子に乗ってんじゃねえぞ!」
「ガキが、痛い目見ねえと分からねえらしいなァ!」
男たちが武器を振り上げ、俺たちへ突っ込んできた。
俺は奥歯を噛み締め、カノンの前へ立ちはだかろうとした。
四年間の底辺生活で染み付いた、無力な自分への悔しさが胸を焦がす。
「カノン、後ろへ――!」
だが、俺の肩を柔らかな掌がぽんと叩いた。
「いけませんよ、レイさん。暴力による解決は、魂を荒廃させてしまいます」
カノンが優雅に、一歩前へ進み出た。
彼女の慈愛に満ちた琥珀色の瞳は、突進してくる凶器の群れを前にしても、春の陽だまりのように穏やかだった。
「重い約款と借金の鎖に縛られ、他者を痛めつけることでしか己を保てない……なんて痛ましく、哀しい迷い子さんたちなのでしょう」
「あぁん!? 何言ってやがんだこのアマ――」
「大丈夫ですよ。その重荷、私がすべて優しく取り除いて差し上げますから」
カノンが両手を合わせ、鈴のような声で呟いた。
「【千光慈救掌】――慈悲の物理的契約解除です」
ドォォォォンッ!!
応接室の空間が、眩い白金の輝きで満たされた。
カノンの背後から、百本を超える半透明な光の巨腕が扇状に一斉展開される。
神聖な光の突風が吹き荒れ、突撃してきた警備員たちのスタンブレードが、光の手によって「ペキッ」と爪楊枝のようにへし折られた。
さらに光の手は、男たちの首根っこを子猫のように優しくつまみ上げると、床の上に正座の姿勢で綺麗に整列させた。
「ぎゃ……!? うご、動けねえ!?」
「なんだこの光の手はァァァ!?」
「まあ、皆さんお行儀がよろしいですね」
カノンは満足そうに微笑むと、今度は遠山が座っていた役員デスクへと光の視線を向けた。
「そして遠山さん。あなたが後生大事に抱え込んでいるその悪意の塊も、綺麗に解体いたしましょう」
「ひっ……!? や、やめろ! 何をする気だ!」
遠山が悲鳴を上げて後ずさる。
カノンが指先をすっと真横に薙ぎ払った。
ズドォォォォォォォンッ!!
轟音とともに、役員応接室の奥の壁――防弾・耐震仕様の大理石の壁が、豆腐のように四角くくり抜かれて吹き飛んだ。
壁の向こうに現れたのは、巨大な隠し金庫室だった。
中には、山積みにされた違法ダンジョン素材、マネーロンダリング用の金の延べ棒、そして――ギルドが隠蔽していた二重帳簿のハードディスクと裏書類の山が、ぎっしりと収められていた。
オフィス全体が静まり返った。
外のフロアで倒れ込んでいた新人探索者たちも、息を呑んでその光景を見つめている。
「まあ……!」
光の腕の一本が、金庫の奥から分厚いバインダーを器用に掴み出し、宙に浮く配信カメラの前へとパタパタと広げて見せた。
カノンが心底から感動したようにため息を漏らす。
「見てくださいレイさん! 脱税の記録、違約金の二重請求、新人探索者の使い捨てリスト……なんて几帳面に、細部までびっしりと裏工作が記録されているのでしょう!」
「そこ感動するとこじゃねえよ! 完全な犯罪の証拠じゃねえか!」
俺の魂のツッコミが炸裂した。
「悪事を成し遂げるために注がれた、この圧倒的な執念と書類作成の労力……エモすぎます! これほどの情熱があれば、きっと正しい道でも輝けますよ!」
カノンの無自覚な全開煽りが、全世界の視聴者へノーカットで配信された。
コメント欄が、かつてないお祭り騒ぎへと突入した。
《壁ごと粉砕されてて草ァ!!》
《契約解除(物理)》
《隠し金庫が全世界開帳キターーーーー!》
《帳簿の几帳面さに感動する聖女wwwww》
《裏金データが全画面に映ってて終了のお知らせ》
《労基署どころか国税と特捜部案件だろこれ》
《名無し探索者:¥100,000「解体工事代です」》
《名無し探索者:¥50,000「物理的契約解除助かる」》
「あ……あぁ……オレの……オレの帝国が……」
遠山はその場にへたり込み、泡を吹いて白目を剥いた。
三十年間築き上げてきた悪徳ギルドの暗部が、わずか数分で更地にされたのだ。
その時、ビルの外から凄まじい数のサイレンが鳴り響いた。
パトカー、警察特殊部隊、そして探索者協会査定課の車両が、ビルを取り囲むように急行してきたのだ。
「警察だ! 全員動くな!」
重装備の捜査員たちがフロアへ雪崩れ込んできた。
だが、部屋の中ですでに綺麗に正座させられている警備員と、吹き飛んだ金庫の前で微笑む聖女を見て、隊長が目をパチクリとさせた。
「こ、これは一体……?」
「こんばんは、お巡りさん」
カノンは優雅に会釈し、光の手で帳簿を警察官の手元へと手渡した。
「丁寧なお掃除が終わりましたので、あとはよろしくお願いしますね」




