第4話 モンスター供養RTA
湿った冷気が肌を刺す《深淵の亡者洞窟》の地下三階層。
天井から滴る水滴がピチャリと音を立てるたび、俺の胃の奥で警報アラームが激しく鳴り響いていた。
周囲の石壁には、かつてここで命を落とした探索者の装備の残骸が散らばっている。
B級ダンジョンの中でも、死亡事故率がトップクラスに高い危険地帯だ。
「おいおい、ビビって足が震えてんじゃねえか、レイ君よォ!」
前方を歩く牙崎ガルドが、肩を揺らして下品に笑った。
取り巻きの男たちが大型の暗視カメラをこちらへ向け、嘲笑の表情をアップで捉えようとしてくる。
手元の端末に目を落とすと、配信画面のコメント欄が猛スピードで流れていた。
《レイ顔色まっ青で草》
《そりゃB級深部は底辺ソロじゃ即死レベルだしな》
《聖女ちゃんは平気な顔しててシュール》
《っていうかカノンちゃんの周囲だけ明るすぎてダンジョン感が仕事してない》
コメントの言う通りだった。
カノンは俺の斜め前を、まるで休日のショッピングモールを散歩するかのような軽快な足取りで歩いている。
背後の光輪が洞窟の闇をすべて優雅な間接照明に変色させ、禍々しい鍾乳石すら高級オブジェに見せていた。
「レイさん、ご覧なさい。岩肌に苔が一生懸命にしがみついていますよ。暗闇の中でも命を紡ぐ姿……実にエモいですね」
「頼むから苔に感動してないで前を見ろ。いつアンデッドが飛び出してきてもおかしくねえんだぞ」
俺はポケットの胃薬に触れながら、周囲の索敵に神経を尖らせた。
ガルドたちの動きがおかしい。
さっきから道案内をするふりをして、俺たちを袋小路の広い広間へと誘導している。
その時だった。
ズズズズ……ッ!
洞窟の奥から、地響きのような不気味な足音が響き始めた。
一匹や二匹じゃない。
十、二十――いや、優に五十を超える軍勢の足音だ。
「……ッ!? おい、何の音だこれ!」
俺が叫んだ瞬間、ガルドがニヤリと口の端を吊り上げた。
「ケケッ! かかったなァ、ペテン師ども!」
ガルドが合図を出すと、取り巻きの探索者たちが一斉に背嚢から煙幕弾を取り出し、足元へ叩きつけた。
同時に、あいつらはあらかじめ仕掛けてあった退避用のワイヤーを一斉に巻き上げ、頭上の高台へと跳び上がっていく。
「おい、待て!?」
「ギャハハ! 《深淵の亡者洞窟》名物、グールとレイスの『大行進』だ! あらかじめ撒き餌で一箇所に集めておいたのさ! 本物の化け物に食い殺されながら、てめえの詐欺CGを悔やむんだなァ!」
ガルドが高台から見下ろし、下品な罵声を浴びせかける。
煙幕の向こうから現れたのは、腐敗した肉体を剥き出しにした無数のグールと、青白い燐光を放つ凶悪なレイスの群れだった。
血走った目で涎を垂らし、津波のような勢いでこちらへ殺到してくる。
モンスタートレイン。
他人にモンスターのヘイトを押し付けて殺害する、探索者界で最も忌み嫌われる悪質PK行為だ。
生配信のコメント欄が、一瞬で悲鳴で染まった。
《うわあああああああ!?》
《ガルドこれガチのトレインじゃねえか!!》
《殺人未遂だろ通報しろ!!》
《逃げろレイ! 死ぬぞ!!》
《画面が地獄絵図すぎる》
胃の奥が凍りつくような感覚に襲われ、俺は歯を食いしばった。
だが、逃げ道は塞がれている。
剣を抜こうと柄に手をかけた――その時だった。
「……まあ」
隣から、吐息のような感嘆の声が漏れた。
カノンが、目を輝かせて両手を胸の前で組んでいた。
襲いかかる腐肉の群れを見つめる彼女の瞳には、恐怖の欠片すら存在しない。
そこにあるのは、純度百パーセントの感動と慈愛だった。
「見てくださいレイさん! 肉体が朽ち果て、魂が引き裂かれながらも……彼らはこんなにも必死に全力疾走しています!」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「生きている証を刻もうと、泥臭く大地を蹴る足音……! なんて尊い運動量なのでしょう! エモすぎます!」
「エモいわけあるか! 俺たちを食いに走ってきてんだよ!」
「大丈夫ですよ、迷い子の皆さん」
カノンは俺の絶叫を涼しい顔でスルーし、優雅に前へと進み出た。
そして、聖母のような笑みを浮かべて両手を広げる。
「そこまで頑張って走ったのです。もう、苦しまなくていいのですよ」
カノンの背後で、円環の光輪が黄金から眩い白金へと色を変えた。
直後、空気が震えた。
ボワッ!
空間が歪み、カノンの背後から――無数の半透明な光の腕が扇状に展開された。
十本や二十本ではない。
百本、二百本――視界のすべてを埋め尽くすほどの神聖な光の掌が、洞窟全体を真昼のように照らし出す。
「【千光慈救掌】――慈悲の撫で撫で(ファンサービス)です」
カノンがふわりと指を振った。
瞬間、何百本もの光の手が一斉に射出された。
猛スピードで突っ込んできたグールたちの頭や肩、背中を、光の手がまるでアイドルの握手会のように優しく、高速で撫で回していく。
ポンポンポンポンッ!
心地よい風鈴のような音が洞窟に反響した。
次の瞬間、信じられない光景が広がった。
獰猛に牙を剥き出していたグールたちの表情が、ふっと緩んだのだ。
まるで極上の温泉に浸かったかのように、あるいは母親に頭を撫でられた幼子のように、全員がとろけるような安らかな笑みを浮かべた。
「ア……アァ……昇天……」
そんな吐息を残し、グールとレイスの群れが黄金の粒子となってサラサラと消滅していく。
わずか三秒。
五十体を超えていた凶悪なアンデッドの軍勢が、何一つ残らず綺麗サッパリ成仏していた。
洞窟に、完全な静寂が訪れた。
俺のボロスマホのコメント欄が、息を吹き返したように爆発した。
《は??????????????》
《撫でられて消えたんだが??????》
《成仏RTA早すぎて草生える》
《グールの顔が完全にサウナでととのった顔だった》
《名無し探索者:¥10,000「アンデッド供養料です」》
《名無し探索者:¥50,000「極楽浄土への片道切符」》
《同接十万人突破キターーーーー!!》
虹色のスーパーチャットが滝のように流れ、カノン救済チャンネルの同接は一気に十万人の大台を突破した。
「な……な、なんだよこれ……!?」
高台の上で、ガルドが腰を抜かして震えていた。
サングラスがずり落ち、血走った目が恐怖で丸くなっている。
「手品じゃねえ……CGでもねえ……! 化け物かよ、てめえ……!」
「ガルドさん、お怪我はありませんでしたか?」
カノンは何食わぬ顔で高台を見上げ、ふわりと微笑みかけた。
「皆さんとっても満足そうに成仏されましたよ。素敵な企画をご用意してくださり、本当にありがとうございます」
「ふ、ふざけんなァァァッ!!」
カノンの屈託のない感謝の言葉が、ガルドのプライドを完全に粉砕したらしい。
逆上したガルドが高台から飛び降り、腰のホルダーから黒光りするサバイバルナイフを抜き放った。
「オレをコケにしやがって! このペテン女ァ! てめえの種明かしを配信の前で白状させてやるよ!」
ガルドが狙ったのは、カノンではなかった。
無防備に端末を操作していた――俺だった。
「レイ!」
気付いた時には遅かった。
獰猛な形相のガルドが背後から俺の首元に腕を回し、冷たい刃を喉笛にピタリと押し当てていた。
「動くなァ! おい偽聖女! 今すぐ配信を切れ! 切って土下座しろ! さもねえとこの男の首をかっさばくぞ!」
刃の冷たさが皮膚に食い込み、俺の喉からひりつくような緊張が走る。
手元の画面では、ガルドの凶行が全世界へリアルタイムで中継されていた。
だが、その凶行を前にして――カノンの琥珀色の瞳が、悲しげに潤み始めた。
「まあ……ガルドさん……」
一滴の光る雫が、聖女の頬を伝って零れ落ちた。




