第15話 有識者、菩薩を徹底討論す(後編) 〜善意の独裁とノーと言えない慈悲〜
配信画面の同接カウンターは、ついに六十万の大台を突破していた。
画面の中では、黄色いパーカのパリゆきが、冷徹な笑みを浮かべて江戸えもんを睨み据えている。
『次の論点、あの「共感の涙」についてです。牙崎ガルドや毒島社長への対応を見てください。彼女はモンスターの生存本能を無視したのと同じように、人間の精神的な防壁を完全に破壊しているんですよ』
『でも、彼らはカノンの涙に触れたことで自らの罪を告白したじゃないですか』
『告白というレベルじゃありませんよ』
パリゆきが机に身を乗り出した。
『ガルドはナイフを突きつける凶行に及んでいましたが、手を重ねられた瞬間、物理的な力を失って幼児のように大号泣し始めましたよね。過去の詐欺や事故偽装まで全世界に自白し始めた。毒島も同様です。これって、大人の人格を強制的に崩壊させているんですよ』
『崩壊、ですか?』
『ええ。前頭葉の働きを強制シャットダウンして自我をたゆたわせている。自白剤以上のマインドコントロールですよ』
……前頭葉シャットダウン。
俺は思わず喉を鳴らした。
確かにガルドも毒島も、カノンに触れられた瞬間、鼻水を垂らして幼児退行していた。
科学的に解剖されるとぐうの音も出ない。
《前頭葉シャットダウン草www》
《幼児退行は否定できないのよ》
《ガルドの号泣は確かに異常だったww》
江戸えもんが腕を組んで反論する。
『私はマインドコントロールだとは思いません! 偽の記憶ではなく、隠し持っていた「本来の純粋な動機」が引き出されただけです。毒島なら妹を助けたかった初期の願いですよ』
『だとしてもです』
パリゆきは冷ややかなトーンを崩さない。
『社会で生きるための心理的防壁を一瞬でこじ開けるのは精神への暴力です。相手の大人のペルソナを認めず、強制的に無力な子供へ引きずり下ろす。人格の蹂躙ですよ』
俺が胃を押さえていると、隣のカノンがふわりと微笑んだ。
「まあ! ガルドさんも毒島さんも、あんなに素直で可愛い瞳になられたのに。大人だからと殻に閉じこもるのは息が詰まりますからね」
「お前のその善意百パーセントが一番ホラーなんだよ……!」
議論は物理現象の核心へと進んでいった。パリゆきが言う。
『物理法則の超越も同様です。「氷晶の裂け目」で数十トンの岩盤が崩落した際、巨大な光の手で受け止め、亀裂一つ残さず天井にはめ直しました。壊れた花瓶をボンドで直す次元じゃない。宇宙のソースコードに直接アクセスして、「花瓶が割れた」イベントそのものをデリートしたかのような現実改変です』
宇宙のソースコード、デリート。
パリゆきの言語化のキレ味に、頭がクラクラしてくる。
『さらに雑草をすり潰した泥水に魔力を注ぎ、複雑骨折を一瞬で治す特効薬に変異させました。分子構造の強制再配列です。これほどの力があれば、世界をいかようにもねじ曲げられますよ』
『しかし!』
江戸えもんが反論の熱を上げる。
『彼女の力は常に「秩序の回復」に向かっています! 壁を壊したのは隠し金庫という病巣を晒すため、不当な借用書は引き裂いて無効化した。常に「あるべき健全な姿への回帰」をもたらしているんです!』
『なるほど。でも「あるべき健全な状態」は、一体誰が決めるんですか?』
パリゆきの一言に、スタジオが静まり返った。
『カノンは全てを主観的に「エモい」と解釈しますよね。彼女のトリガーは客観的な善悪ではなく、自身の感情の高ぶりです。壁を壊すのも岩盤を治すのも、主観的な「お掃除」や「お手当て」に過ぎない。彼女が「癒やすべき」と思えば岩盤は治り、「障害だ」と思えば壁は消し飛ぶ。抵抗も自由意思の介入も不可能です。これって、善意という仮面をかぶった究極の独裁ですよ』
善意という仮面をかぶった、究極の独裁。
あまりに的確な名指しに、俺の背筋が粟立った。
《善意の独裁、パワーワードすぎるww》
《宇宙のソースコード直接アクセス草》
《パリゆき言語化うますぎだろ》
《レイPの胃薬がデリートされそう》
江戸えもんが食い下がる。
『彼女は私利私欲のために力を使ったことはありません! 数千万のスパチャは全額「救済基金」に充て、雑草レシピも無料公開して世界を生きやすく修復しています!』
『結果の美しさは認めますよ。ですが結果が善だからといって、根本的な危うさは消えません。彼女の慈悲は、相手に「ノー」という権利を与えないのですから』
パリゆきが総括した。
『十トンの隕石のような奇跡。カノンの純粋さが激突した時、それは神の恩寵か、全てを白く塗りつぶす別の何かか。その判断は、リスナーの皆様に委ねたいと思います』
エンディングテーマが流れ、番組が締めくくられようとしていた。
相手にノーを言わせない、善意の独裁。
その言葉の重みに俺が息を呑んでいた――その時だった。
「まあ!」
モニターを見ていたカノンが、満面の笑みで両手をパチンと合わせた。
「なんて素晴らしい要約でしょう! パリゆきさんのおっしゃる通りです!」
「……は?」
俺が固まる中、カノンの背後から伸びた光の手が、机の上のキーボードへと吸い込まれるように伸びた。
タタタタタタタッ、タターンッ!
「おい馬鹿やめろ、何してんだ!?」
俺が叫んだ瞬間には、もう手遅れだった。
画面の中の『ザ・ディベート』生配信チャット欄の最上段に、眩い公式認証バッジとともに、特大のコメントが固定表示されたのだ。
【公式:カノン救済チャンネル】:『パリゆきさんのおっしゃる通り、愛と慈悲に「ノー」などという野暮な拒否権、要るはずがありませんよね!(合掌)』
生放送のスタジオ内で、パリゆきと江戸えもんが「……えっ!?」「ちょ、公式がチャットに降臨してませんか!?」と目を丸くした。
そして次の瞬間、全国六十万人が見守るチャット欄が、天変地異のような速度で大爆発した。
《うわああああああ公式降臨したあああ!?》
《本人がチャット欄で全部認めてて草ァ!!!》
《公式認証バッジつきでノーの権利剥奪wwww》
《拒否権のない慈悲、怖すぎるww》
《パリゆきの完全論破が公式公認になったぞww》
《登録者百二十万人突破してて草》
「何公式アカウントで凸ってんだあああああっっ!!」
俺の絶叫がアパートに響き渡った。
「お前が書き込んだら、パリゆきが百パーセント正しくなっちまうだろ! 独裁者宣言してどうすんだよ!」
「ふふ、光が差す時、影に『光を浴びたくない』と断る権利はありませんから。世界はただ、温かく満たされれば良いのです!」
無敵の菩薩理論に、俺は膝から崩れ落ちた。
議論の余波と本人の乱入で、チャンネル登録者数は怒涛の百二十万人を突破していた。
頭を抱えて呻く俺の肩を、カノンが優しく叩いた。
「ところでレイさん。あのお二人、議論で肩がガチガチに凝っているはずです。今すぐスタジオへお伺いして、光の手で肩揉み(救済)をして差し上げませんか?」
「絶対に行くな!! あの二人を成仏させたら、日本のネット論壇が更地になるわ!!」
俺は立ち上がり、玄関へ向かおうとする聖女の襟首を全力で引っ掴んだ。
金盾の輝きも虚しく、俺の胃痛との戦いは、明日からも休まる気配が微塵もなかった。




