第12話 氷の絶対女王と歩く原子炉 〜合同配信は事故の予感〜
都内にある探索者配信サポートセンターの特別会議室。
防音壁に囲まれた冷たい空気の中、テーブルを挟んで向かい合う相手の威圧感に、俺はポケットの中の胃薬をそっと探り当てていた。
氷堂セリカ。
登録者数150万人を誇る、名実ともに配信界のトップランカーだ。
銀髪のショートボブに、氷のように研ぎ澄まされた青い瞳。
だが、彼女から漂っているのは、下品な悪党の威圧感ではない。
幾多の過酷な死線を完璧にくぐり抜けてきた、一流のプロだけが纏う「張り詰めた圧」だった。
「単刀直入に言うわ」
セリカは組んだ脚を直し、冷涼な声で告げた。
「カノン救済チャンネル。勢いは認めるわ。悪徳製薬を潰した手腕も見事だった。……けれど、私の現場は素人の遊び場じゃないの。事故を起こせば、関わった人間全員の人生が終わる」
鋭い視線が俺たちを射抜く。
見下しているのではない。現場の安全に一切の妥協を許さない、責任者の厳しい査定の目だった。
「指定する配信先は、B級冷気ダンジョン《氷晶の裂け目》。私が先導するけれど、足手まといになるなら、その場で配信は打ち切るわ。いいかしら?」
俺が唾を飲み込んだ瞬間、隣の金髪ポジティブモンスターがぱあっと顔を輝かせた。
「まあ! なんて涼やかで凛とした方なのでしょう! まるで冬の朝に結ぶ純白の霜柱のように、透き通ったお心ですね!」
「……は?」
「すいません氷堂さん、こいつの言語中枢は常時お花畑なんで気にしないでください」
俺は即座に頭を下げた。早くも胃がキリキリと痛み始めていた。
*
翌日、ダンジョン入口。
機材を整え、配信開始ボタンを押した瞬間、端末の画面が眩暈のする数字を叩き出した。
セリカ枠と同接を共有する合同中継。開始わずか1分で、両枠の合計同時接続数は五十万人を突破していた。
《セリカ様のコラボ配信きたあああ!》
《相手、例のヤバい聖女チャンネルじゃん!》
《絶対女王と新星の激突か!?》
《レイP今日も胃薬飲んでそうwww》
セリカは肩や背中が開いた、群青色の氷結戦闘ドレスを身に纏っていた。
極寒の地でも魔力循環を阻害しない、トップ探索者専用の特注装備だ。
「視聴者のみんな、お待たせ。今日は話題のカノン救済チャンネルとの合同アタックよ」
カメラに向かって完璧な笑みを浮かべるセリカ。
だが、その姿を見たカノンが突如として悲痛な表情で両手を頬に当てた。
「まあ……! なんてことでしょう! こんなマイナス二十度の極寒の地で、そんな薄着をなさるなんて……! お腹を冷やしてしまいます!」
「……え?」
「冷えは万病の元です! 腸や内臓の温度は、命のぬくもりそのものなのですよ!」
カノンが懐から取り出したのは、昨日ドンキで買わされた『もこもこ毛糸のちゃんちゃんこ(臙脂色)』と、カノンが神聖魔力を注入して異常発熱している『神聖貼るホッカイロ(特大)』だった。
シュバババッ!
目にも留まらぬ速度で光の手が動き、セリカの背中とお腹に特大ホッカイロが密着され、その上から臙脂色のちゃんちゃんこが羽織らされた。
「きゃっ!? な、何を……!? ……あ、あったか……い……じゃなくて脱がしなさいよ!! 私のドレスコードが台無しでしょ!?」
顔を真っ赤にして叫ぶセリカ。コメント欄が一瞬で爆発した。
《女王が実家の猫みたいになってて草》
《ちゃんちゃんこ似合いすぎて腹痛いwww》
《開幕5分で絶対女王の威厳崩壊》
《あったかいって言っちゃったよこの人www》
しかし、ダンジョン内に一歩足を踏み入れた瞬間、セリカの空気は一変した。
氷壁から飛び出してきたフロストバットの群れに対し、セリカはちゃんちゃんこを着たまま指先を一閃させる。
極小の氷結魔法が放たれ、蝙蝠たちの急所だけを正確無比に射抜いた。
「後方注意。足元が凍結してるからスタッフはアイゼンを意識して。索敵は三倍速で回すわ」
索敵、迎撃、スタッフの安全確保、リスナー対応。それらを完璧に両立させる超人的なマルチタスクだ。
厳しい言葉の裏にある、現場の全員を生還させるための狂気じみたプロ意識に、俺は思わず息を呑んだ。
「ふふ、先ほどのちゃんちゃんこのお礼よ」
中層の広場で、セリカが氷の剣を構え、カノンへと視線を向けた。
前方から大型モンスター・フロストウルフが三頭、唸り声をあげて迫る。
「カノン、あなたの実力、ここで見せてもらえるかしら?」
「はい、お任せください!」
カノンが嬉しそうに進み出る。
迫る獰猛な狼たちを前に、カノンは目を細め――ポロポロと大粒の涙をこぼした。
「まあ……! こんな極寒の氷の底で、飢えと戦って生きていらっしゃるのですね……! なんて健気な命の営みなのでしょう!」
「……は? ちょっと、詠唱は……?」
セリカが呆気にとられる中、カノンは優しく両手を広げた。
「寒かったですね。もう大丈夫ですよ」
背後の光輪がパアッと輝き、現れた無数の光の手が編み上げたのは――巨大な『光の特大毛布』だった。
バサァッ!
温かな光の毛布に包まれたフロストウルフたちは、猛烈なポカポカ感に襲われ、「くぅ〜ん……」と情けない声をあげて腹を見せた。
そのまま至福の表情で喉を鳴らし、一切の苦痛もなく、光の粒子となって安らかに成仏していった。
「…………嘘でしょ?」
セリカの氷の剣が、カランと音を立てて落ちかけた。
顎が外れそうなほど口を開け、絶対女王が完全にフリーズしている。
《狼が温泉浸かった顔して消えたwww》
《光の毛布(物理成仏)草》
《セリカ様の顔芸たすかる》
《絶対女王を完全沈黙させるポジティブモンスター》
コメント欄が狂乱する中、俺は手元のサブ端末に目を落とし、奥歯を噛みしめた。
大手悪質まとめサイト『DANDAN速報』。
配信開始からわずか十分で、悪意ある記事がSNS上に投下されていた。
『【悲報】ぽっと出の偽聖女カノン、氷堂セリカに公開説教され完全沈黙www コラボ大失敗で業界追放か』
添付されているのは、控え室で俺たちが真顔で座っていた一瞬を切り取った画像だ。
現場の文脈も関係なく、最速のPV稼ぎのためにデマをばら撒くネットハイエナの手口だった。
仕事が早すぎて反吐が出るが、今はダンジョンが先だ。俺が端末をポケットにねじ込んだ、その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴゴッ……!!
ダンジョンの最深部から、鼓膜を突く激しい地鳴りが轟いた。
「なっ……全員止まって! 落盤よ!!」
セリカの叫び声と同時に、頭上の巨大な氷柱と岩盤が轟音を立てて崩れ落ちてきた。
後方にいたセリカ専属のスタッフが足場を崩され、巨岩の直下へと転倒する。
「うわああああっ!?」
「スタッフに手を出すなああああっ!」
セリカは配信カメラも自らの安全も投げ捨て、スタッフの頭上へと飛び込んだ。
展開される氷の防壁。
だが、落下する数十トンの岩盤に対し、氷の盾には一瞬で無数の亀裂が走った。
「くっ……逃げ……なさい……早く……!」
腕を軋ませ、自らを盾にしてスタッフを守ろうとするセリカ。
その必死の横顔に、俺の胸が熱く震えた。
この人は本物だ。数字のためじゃない。現場の仲間を守るために、本気で命を張っている。
「セリカさん! その美しき魂の輝き、確かに受け取りました!」
背後から響いたのは、鈴の音のように澄んだ、絶対的な慈悲の声だった。
視界が、黄金の光で埋め尽くされる。
カノンの背後に浮かぶ菩薩の光輪が全開に点灯し、虚空から現れた白金の巨大な手が、頭上から降り注ぐ巨岩の群れを真正面からガッチリと受け止めた。
ドォォォォンッ!!
画面の向こう、合同配信の同接数は六十万人を軽々と突破していた。
「おいカノン、全員無傷で帰すぞ!」
「はい、レイさん! 皆様に、極上の救済をお届けいたしましょう!」
粉砕される落石の光の中、合同配信の真のクライマックスが幕を開けた。




