第90話 1605年11月16日
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【塩屋村行き車中 悠真】
俺は今、久しぶりに塩屋村へ向かって車を走らせている。
首里城を出発してから、もうすぐ二時間になる。以前はここまで来るのに四時間ほどかかっていたが、街道が整備されたおかげで移動時間が半分になった。
道幅も広くなり、荷車同士がすれ違えるようになっている。大きな石や深い轍を避けながら走る必要もなくなった。
もっとも、塩屋村へ続く道はまだ整備されていない。主要街道から外れれば、そこからさらに一時間ほどかかる。
それでも、以前は五時間かかっていた道のりが三時間になったのだから、大した進歩だ。
自分たちで整備した街道をこうして走っていると、これまでの苦労も少しは報われた気がする。
それにしても、五年か……。
塩屋村を離れたときは、こんなに長く帰らないつもりじゃなかった。
最初は一か月もすれば顔を出そうと思っていた。それが半年になり、一年になり、気がつけば五年も経ってしまった。
ウシマルさんは元気だろうか。タルガニさんやシンガさんも、相変わらず村の仕事を頑張っているのかな。
マカトも、もう十五歳になっているはずだ。最後に会ったときは十歳だったのに、今ではすっかり娘らしくなっているんだろうな。
そして、かなさん。今頃どうしているだろう。
そんなことを考えながら、俺は車を走らせた。
やがて主要街道を外れ、塩屋村へ続く道へ入った。
ここからは昔とあまり変わっていない。道幅は狭く、ところどころに石が転がっている。
車をゆっくり走らせながら、懐かしい景色を眺めた。
しかし、村に近づくにつれて、少しずつ様子が変わってきた。
以前は雑木林だった場所が畑になっている。遠くには水田も広がり、青々とした野菜が植えられた畑がいくつも見えた。
ずいぶん開墾が進んだんだな。
俺がいない間も、村のみんなで頑張ってきたんだろう。
村の広場までもう少しというところで、畑の横を通りかかった。
何人もの村人が農作業をしている。そのうちの一人が、こちらに気づいた。
「あっ! 悠真だ!」
「悠真が帰ってきたぞー!」
その声に、畑で働いていた人たちが一斉にこちらを振り向いた。
「本当か!」「悠真だ! 悠真が帰ってきた!」
おいおい、そんなに大声を出さなくても聞こえてるって。
俺が窓を開けて手を振ると、みんながこちらへ駆け寄ってきた。
「悠真ー!」「おかえりー!」
何人かは、そのまま車を追いかけて走り出した。
おいおい、危ないって。
俺は速度を落とし、ゆっくりと広場へ向かった。車の後ろからは、村人たちの賑やかな声が聞こえてくる。
なんだか、昔に戻ったみたいだな。
広場に車を停めて降りると、畑から追いかけてきた村人たちが次々と集まってきた。
「悠真! 久しぶりだな!」「ようやく帰ってきたか!」「元気だったか!」
みんなが一斉に話しかけてくるので、誰に返事をすればいいのかわからない。
「はいはい、みなさんお久しぶりです。元気にしてましたよ」
俺が笑いながら答えると、周りからも笑い声が上がった。
しかし、集まってきた村人たちの顔を見渡しているうちに、俺は少し違和感を覚えた。
あれ? なんだろう。みんな、なんとなく雰囲気が変わっている。
そんなことを考えていると、人混みの向こうから見覚えのある男が歩いてきた。
「悠真、おかえり!」
「タルガニさん! お久しぶりです!」
俺は思わず笑顔になった。しかし、近くまで来たタルガニさんの顔を見て、少し驚いた。
白髪が混じっている。顔にも以前より皺が増え、ずいぶん貫禄がついた。
五年前はまだ若々しい印象だったのに、今ではすっかりおっさんの風貌だ。
「いやあ、悠真。本当に久しぶりだな!」
「すみません。なかなか帰ってこられなくて」
「まったくだ! みんな心配してたんだぞ!」
タルガニさんはそう言いながら、俺の肩を叩いた。
すると、今度は人混みの中から一人の若い女性が飛び出してきた。
「ゆーまー!」
ん? 見覚えのある顔だ。でも、ずいぶん大人びている。
「もしかして……マカト?」
「そうだよ! マカトだよー! ちゃんと覚えてる?」
「もちろん覚えてるよ!」
「ほんと?」
「当たり前だろ。ずいぶん大きくなったなあ」
「もう十五歳だよ!」
マカトは嬉しそうに笑った。
そうか、十五歳か。最後に会ったときは十歳だったんだよな。
背も伸びて、顔つきも大人びている。それでも、俺を見つけて駆け寄ってくるところは昔と変わらないな。
「それにしても、悠真」
タルガニさんが俺の顔をじっと見つめた。
「お前、昔と全然変わらないなあ」
「そうですか?」
「ああ。俺なんか白髪も増えたっていうのに、お前はちっとも老けてないな」
「いやいや、そんなことないでしょう」
俺は笑って答えた。
周りの村人たちも、俺の顔を見ながらうなずいている。
そんなに変わってないかな?
まあ、毎日鏡で自分の顔を見ているから、変化に気づかないだけかもしれない。
そう思っていると、人混みの向こうから一人の女性が歩いてきた。
かなさんだ。
俺は思わず、その姿を目で追った。
髪を後ろでまとめているが、その髪にはところどころ白いものが混じっていた。
あれ……かなさんも白髪が出てきたんだ。
それでも、俺が好きだった優しい面影は昔のままだった。
久しぶりに見る顔に、俺は自然と笑顔になった。
しかし、かなさんは俺の顔を見るなり、ハッとしたような表情を浮かべた。
ほんの一瞬、足を止めたように見えた。
それから、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。
「悠真さん、おかえりなさい」
「かなさん! お久しぶりです!」
「はい。本当にお久しぶりですね」
かなさんは小さく微笑んだ。
「悠真さん、全然お変わりありませんね。お元気でしたか?」
「はい。元気にしてましたよ。かなさんもお元気そうで」
「ええ、おかげさまで」
……あれ? なんだか少しよそよそしいな。
昔はもっと気軽に話していたような気がするんだけど。
まあ、五年ぶりだから仕方ないか。
俺はもう一度、かなさんの顔を見た。
以前と変わらない優しい目元。でも、どこか落ち着いた雰囲気になっている。
そういえば、タルガニさんも、マカトも、みんな変わっていた。
当たり前だ。五年も経っているんだから。
それなのに、俺だけが変わっていないと言われる。
……そうなのか?
俺は自分の手を見つめた。
特に変わったところはない。
まさかな。
そんなことを考えていると、かなさんが声をかけてきた。
「悠真さん?」
「あ、はい」
「どうかなさいました?」
「いえ、何でもないです」
俺は慌てて笑顔を作った。
今はそんなことより、みんなとの再会を喜ぼう。
そう思いながら、俺は集まってきた村人たちを見渡した。
懐かしい顔がたくさんある。
俺が知らない時間を、みんなここで過ごしてきたんだな。
そして、目の前にいるかなさんも。
俺はもう一度、かなさんに目を向けた。
かなさんは俺と目が合うと、少しだけ微笑んだ。
その笑顔を見て、俺はようやく塩屋村に帰ってきたんだと実感した。
【塩屋村・かな】
私はハッと息を呑んだ。
凄く懐かしい顔。何度も思い浮かべた顔。
いつも恋焦がれていたあの人が、帰ってきた。
悠真さん……。
本当は駆け寄りたかった。
どれほど会いたかったか。どれほど声を聞きたかったか。
でも、足が動かなかった。
最後に見たあの顔と、まったく変わっていなかったから。
あの頃と同じ顔、同じ笑顔。
まるで別れた日の悠真さんが、そのまま目の前に現れたようだった。
どうして……?
私はこの五年間で年を取った。
髪には少しずつ白いものが混じるようになり、鏡を見るたびに、以前とは違う自分が映っている。
でも、それは私だけではない。
タルガニも、シンガも、村のみんなも、それぞれ歳月を重ねている。
あんなに幼かったマカトだって、今では十五歳の娘になった。
それなのに、悠真さんだけが変わっていない。
不思議だった。でも、それ以上に嬉しかった。
ずっと会いたかった人が、今、目の前にいる。
「悠真さん、おかえりなさい」
ようやく、それだけ言えた。
本当はもっと話したいことがあった。
首里での暮らしはどうだったのか。ちゃんと食事は取っていたのか。
病気などしていなかったのか。そして何より、私のことを少しでも思い出してくれたことがあったのか。
聞きたいことは山ほどある。
でも、口から出てきたのは、ありきたりな挨拶ばかりだった。
「悠真さん、全然お変わりありませんね。お元気でしたか?」
悠真さんは、昔と変わらない笑顔で答えてくれた。
その笑顔を見た瞬間、胸がいっぱいになった。
ああ、やっぱり好きなんだ。
会えない時間が長くなれば、この気持ちも少しは薄れると思っていた。
でも、そんなことはなかった。
私はそっと自分の髪に触れた。
最近、白髪が増えてきたことが気になっていた。
今日だって、朝からいつもと同じように働いていたから、着物も少しくたびれている。
こんなことなら、もう少し身なりを整えておけばよかった。
五年前の私なら、そんなことは気にも留めなかったのに。
悠真さんは、今でもあの頃のまま。
私は少しだけ恥ずかしくなって、目を伏せた。
すると、悠真さんがこちらを見た。
目が合ったので、私は慌てて微笑んだ。
あの人も笑ってくれた。
それだけで、胸が温かくなった。
何度も夢に見た再会だった。
なのに、いざ目の前にすると、何を話していいのかわからない。
もっと近くで顔を見たい。もっと声を聞きたい。
でも、周りには村のみんながいる。
私は胸の高鳴りを隠しながら、もう一度悠真さんを見つめた。
悠真さん。おかえりなさい。
ずっと、会いたかったです。
【塩屋村・悠真】
村のみんなと話していると、人混みの向こうから一人の老人がゆっくりと歩いてきた。
杖をつきながら、こちらへ向かってくる。
「悠真……帰ってきたか」
「ウシマルさん!」
俺は思わず駆け寄った。
間違いなくウシマルさんだ。しかし、五年前よりずいぶん小さくなったように見える。
背中は少し丸くなり、髪もすっかり白くなっていた。
以前は杖など使っていなかったはずだ。
「ウシマルさん、お久しぶりです。お元気でしたか?」
「ああ、元気じゃよ。年を取って足腰が少し弱くなったが、まだまだ若い者には負けんぞ」
そう言って笑うウシマルさんの顔には、深い皺が刻まれていた。
元々高齢だったとはいえ、やはり以前より年を取ったように見える。
「本当に帰ってきてくれて嬉しいぞ」
「すみません。ずいぶんご無沙汰してしまって」
「ははは、よいよい。こうして元気な顔を見られたんじゃからな」
ウシマルさんは嬉しそうにうなずいた。
「ところで悠真、今回はいつまでおるんじゃ?」
「一週間ほど休みをもらってきました。王様から仕事をするなと言われまして」
「王様から休めと言われたのか?」
「ええ、少し働きすぎたみたいで」
「まったく、お前は昔から働きすぎじゃ。ここにおる間くらい、ゆっくりするといい」
そう言ってウシマルさんは俺の肩を軽く叩いた。
五年前と変わらない言葉に、なんだか安心した。
「そうだ、タルガニさん。久しぶりに村を見て回りたいんですが、案内してもらえませんか?」
「もちろんだ。ずいぶん変わったぞ」
「楽しみですね」
俺はウシマルさんに後でまた話をすると伝え、タルガニさんと一緒に広場を歩き始めた。
マカトも当然のようについてきた。
まず目についたのは、住宅の数だった。
以前は広場の周りに建物が並んでいる程度だったが、今ではその奥にも高床式の住宅が建っている。
「ずいぶん家が増えましたね」
「ああ、子供たちも大きくなったし、結婚した者もいるからな。新しい家が必要になったんだ」
「そういえば、村の人口は今何人くらいですか?」
「今は八十人くらいだな。子供も増えたし、ほかの村から嫁いできた者もいる」
「八十人ですか! 最初は四十四人だったのに」
俺は思わず周りを見渡した。
あの小さな村が、今では八十人ほどの人が暮らす村になったのか。
「悠真が持ってきてくれた道具のおかげで、家を建てるのもずいぶん楽になったぞ」
「いやいや、実際に建てたのはみなさんですから」
「まあ、それもそうだな!」
タルガニさんは豪快に笑った。
こういうところは昔と変わらないな。
次に向かったのは水田だった。
ちょうど二期作目の沖縄米の収穫が進んでおり、何人もの村人が稲を刈っていた。
「おお、もう二期作目の収穫ですか」
「ああ、今年も順調だ。米が取れるようになってから、村の暮らしは本当に変わったぞ」
俺は黄金色に実った稲穂を眺めた。
初めて田植えをしたときのことが懐かしい。
あの頃は、村のみんなが本当に米なんて作れるのかと半信半疑だった。
それが今では、当たり前のように年二回収穫している。
「収穫した米はどうしているんですか?」
「税を納めた残りは村で食べる分を残して、余ったものを売っている。銭が入るから、必要な物も買えるようになったぞ」
「それはよかったですね」
「昔は腹いっぱい食べることすら難しかったからな。今では子供たちも毎日白い飯を食べている」
その言葉を聞いて、俺は嬉しくなった。
最初にこの村へ来たとき、みんなで雑炊を食べていたことを思い出す。
水田を離れ、今度は畑へ向かった。
琉球芋の畑が広がり、その隣では野菜も育てられている。
「芋もずいぶん作っていますね」
「ああ。芋は保存が利くし、食料の備えにもなる。ほかの村との交換にも使えるからな」
「野菜も種類が増えましたね」
「首里から種が届くようになったからな。みんなで少しずつ試しているんだ」
畑では何人もの村人が働いていた。
俺に気づくと手を振ってくれる。
その中には、見覚えのある若者たちもいた。
以前はまだ子供だったはずだ。
「そういえば、サンルーたちはどうしています?」
「あいつらか? みんな元気に働いているぞ」
「本当ですか?」
「ああ。サンルーはもう十六歳くらいになるな。今は畑仕事を覚えながら、大人たちと一緒に働いている」
「そうですか……」
あの六人の孤児たちも、ずいぶん成長したんだな。
「チラーもクマも、それぞれ自分にできる仕事を頑張っているぞ」
「それはよかったです」
最初に引き取った頃のことを思い出すと、なんだか胸が熱くなる。
「悠真が帰ってきたと聞けば、あいつらも喜ぶぞ」
「俺も会いたいですね」
「夕飯のときには顔を合わせられるだろう」
そう言いながら、タルガニさんは共同炊事場の方を指さした。
そこからは、何やらいい匂いが漂ってきている。
「炊事場も相変わらず賑やかですね」
「ああ、今でも村のみんなの食事はあそこで作っている。人数が増えたから、鍋も増やしたぞ」
「そうでしょうね。八十人ともなると大変でしょう」
「かなもナビーも、毎日忙しそうにしているぞ」
かなさんの名前が出て、俺は思わず炊事場の方を見た。
さっきの再会では、あまり話せなかったな。
「かなさんも、ずっと炊事場で働いているんですか?」
「ああ。今じゃ若い娘たちに料理を教える立場だ。かながいないと炊事場が回らんくらいだぞ」
「そうですか」
かなさんの仕事も、ずいぶん変わったんだな。
昔は一緒に鍋をかき混ぜたり、たわいもない話をしたりしたものだ。
「ゆーま、今日はみんなでご馳走を作るんだって!」
横からマカトが嬉しそうに言った。
「えっ、そうなの?」
「うん! ゆーまが帰ってきたから、お祝いするって!」
「いやいや、そんな大げさなことしなくても」
「何言ってるの! 五年ぶりなんだから!」
マカトはそう言って笑った。
その笑顔には、十歳だった頃の面影が残っている。
俺は改めて村を見渡した。
家が増え、畑が広がり、子供たちは成長している。
村はちゃんと前に進んでいた。
「タルガニさん、みなさん本当によく頑張りましたね」
「何言ってるんだ。最初に俺たちに道具や食べ物を持ってきてくれたのは悠真じゃないか」
「でも、ここまで村を大きくしたのはみなさんですよ」
タルガニさんは少し照れくさそうに笑った。
俺もつられて笑った。
久しぶりの塩屋村。変わったものはたくさんある。
でも、変わらないものもある。
みんなの笑顔と、この村の温かさだ。
俺は懐かしい景色を眺めながら、久しぶりに心からゆっくりできそうな気がした。
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