第91話 1605年11月17日
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【塩屋村 悠真】
久しぶりに塩屋村で朝を迎えた。
昨夜は遅くまで村のみんなと話していたせいか、目が覚めたときにはすっかり日が昇っていた。
顔を洗って外に出ると、共同炊事場から朝食の匂いが漂ってきた。
腹も減っていたので、そのまま炊事場へ向かった。
「おはようございます」
声をかけると、かなさんが振り向いた。
「おはようございます、悠真さん。よく眠れましたか?」
「ええ、おかげさまで。久しぶりに寝坊しましたよ」
「ふふっ。今日はゆっくりしてくださいね」
かなさんはそう言って、俺の前に朝食を並べてくれた。
隣ではナビーさんが鍋の様子を見ている。
「悠真、首里ではちゃんと食べているのかい?」
「もちろんですよ。食事には困っていませんから」
「そうかい。それなら安心だね」
俺は礼を言って食事を始めた。
やっぱり、ここの飯はうまい。
首里でも料理人が腕を振るってくれるが、こうして塩屋村で食べる飯は、また違ったうまさがある。
「ゆーま!」
振り向くと、マカトが立っていた。
「今日は暇なんでしょ?」
「まあな。しばらく休みをもらってる」
「じゃあ、後で村を案内してあげる!」
「昨日も案内してもらっただろ?」
「昨日はみんなが一緒だったじゃない。今日は私だけ!」
「わかったよ。飯を食ったらな」
マカトは満足そうにうなずき、俺の向かいに腰を下ろした。
それにしても、よくしゃべる娘になったな。
昔から元気だったが、今ではすっかり大人びた顔をしている。
「何見てるの?」
「いや、大きくなったなと思ってさ」
「当たり前でしょ。もう十五歳なんだから」
「そうだったな」
「それに比べて、ゆーまは全然変わらないね」
「そうか?」
「うん。昔と同じ顔してる」
「五年くらいじゃ、そんなに変わらないだろ」
「そんなことないよ。母ちゃんだって、少し白い髪が増えたもん」
マカトは何気なくそう言った。
かなさんは聞こえていたのか、苦笑いしている。
「マカト、余計なことを言わないの」
「本当のことだもん」
俺は笑いながら食事を続けたが、少し気になることがあった。
昨日も何人かに、変わらないと言われた気がする。
まあ、五年くらいならそんなものか。
食事を終え、マカトには少し待ってもらうことにして、一度部屋へ戻った。
何となく気になり、持ってきていたスマートフォンを取り出した。
写真を開いて、五年前に撮影したものを探す。
何枚かめくると、かなさんとマカト、それに俺が一緒に写っている写真が出てきた。
懐かしいな。
当時のマカトは、まだ俺の肩にも届かないくらいだった。
かなさんも若い。
そして、俺は……。
「ん?」
写真を拡大した。
今朝、鏡で見た顔とほとんど同じだ。
いや、ほとんどどころじゃない。
俺はスマートフォンを持ったまま鏡の前に立った。
画面と鏡を交互に見比べる。
髪の生え際、目元、頬。
どこを見ても違いがわからない。
「……おかしくないか?」
五年前、俺は二十五歳だった。
普通なら今は三十歳だ。
もちろん、五年で顔が大きく変わらない人間だっている。
だが、俺の場合はあまりにも変化がなさすぎる。
昨日、久しぶりに会った村人たちの顔が頭に浮かんだ。
みんな少しずつ年を重ねていた。
なのに、俺だけが五年前の姿のまま。
「待てよ……」
そこで、以前起きた出来事を思い出した。
海賊に腕を切り落とされたときのことだ。
あのときは、本当に死ぬかと思った。
ところが、現代へ戻ると失った腕が元に戻っていた。
傷跡すら残らなかった。
あれ以来、世界を移動するときに何かが起きているのではないかと考えていたが、結局理由はわからないままだった。
俺は自分の腕を見つめた。
「もしかして、これも同じことなのか?」
俺はベッドに腰を下ろし、頭の中を整理した。
まず、俺が現代から琉球へ来たときの年齢は二十五歳。
そのまま琉球で五年間暮らせば、当然三十歳になるはずだ。
だが、現代へ戻るとどうなる?
現代では、俺が琉球にいる間、時間が止まっている。
つまり、二十五歳だった俺が、現代では一秒も経っていないのに三十歳になって現れることになる。
「……なるほど」
俺は一つの可能性に気づいた。
もしかすると、俺の肉体は現代の時間を基準にしているんじゃないか?
現代で二十五歳なら、琉球で何年過ごしても二十五歳。
現代で一年暮らせば、そこで初めて一歳年を取る。
そういう仕組みなら、今回のことにも説明がつく。
そして、腕が再生したことも。
現代に戻ると、肉体が現代での本来の状態に修復される。
切り落とされた腕が元に戻ったのも、そのためだったのかもしれない。
「そう考えると、つじつまは合うな」
もっとも、確かめる方法はない。
そもそも、なぜそんな現象が起きるのかもわからない。
だが、仮にこの考えが正しいとしたら……。
俺は琉球で十年過ごしても、二十年過ごしても、今の姿のままということになる。
「……百年でもか?」
思わず声が出た。
百年。
そんな時間を想像したこともなかった。
これまで俺は、琉球を豊かにすることばかり考えていた。
農地を広げ、道を造り、産業を育てる。
やることはいくらでもある。
そのためには十年、二十年とかかるだろう。
今までは、それが当たり前だと思っていた。
だが、俺だけが年を取らないとなれば話は別だ。
十年後、俺は今と同じ姿で、周りの人たちだけが十歳年を取っていることになる。
その先は……。
俺は考えるのをやめた。
「……参ったな」
不老不死になったわけじゃない。
怪我をすれば痛いし、腹も減る。
死なない保証だってどこにもない。
それでも、普通の人間とは違う時間を生きている可能性がある。
これは、さすがに誰かに相談できるような話じゃないな。
俺はスマートフォンをしまい、外へ出た。
「ゆーま! 遅い!」
マカトが待ちくたびれた様子で立っていた。
「悪い悪い。ちょっと考え事をしてた」
「また首里の仕事?」
「いや、仕事じゃないよ」
「じゃあ早く行こう!」
マカトは俺の手を引っ張った。
「今日はどこへ連れていってくれるんだ?」
「最初はサンルーのところ!」
「サンルーか。今は何をしてるんだ?」
「畑の仕事をしてるよ。最近は大人たちからも頼りにされてるんだから」
二人で歩き始めると、共同炊事場の前にかなさんがいた。
若い娘たちに何かを教えているようだ。
俺たちに気づくと、こちらへ顔を向けた。
「悠真さん、どちらへ?」
「マカトに村を案内してもらうところです」
「そうですか。あまり悠真さんを連れ回しちゃ駄目よ」
「わかってるって!」
マカトが答えると、かなさんは笑った。
俺も軽く手を振り、マカトと村の奥へ向かった。
畑に着くと、数人の若者が収穫した野菜を荷車に積んでいた。
その中に、見覚えのある顔があった。
「サンルー!」
俺が声をかけると、一人の青年が振り向いた。
「悠真殿!」
サンルーは手に持っていた野菜を置き、こちらへ駆け寄ってきた。
「昨日はゆっくりお話しできませんでした。お帰りなさい!」
「ああ、ただいま。それにしても、立派になったな」
「ありがとうございます!」
昔は何かあるたびに俺の後ろをついてきた子供だった。
それが今では、畑仕事を任される青年になっている。
「仕事はどうだ?」
「楽しいです。今は畑を一つ任せてもらっています」
「一人でか?」
「いえ、みんなでやっています。でも、作付けや収穫の順番は自分たちで相談して決めるんです」
「そうか。それは大したもんだ」
サンルーは照れくさそうに笑った。
すると、隣にいたマカトが俺の袖を引っ張った。
「ねえ、ゆーま。サンルーね、最近よく一緒にいる娘がいるんだよ」
「おい、マカト!」
サンルーが慌てた。
「へえ、そうなのか?」
「違います! いや、違わないですけど……」
「どっちなんだよ」
俺が笑うと、周りの若者たちまで笑い始めた。
「マカト、余計なこと言うなよ!」
「本当のことじゃない!」
二人のやり取りを見ていると、昔を思い出す。
あの頃は食べ物を分け合っていた子供たちが、今では仕事を覚え、恋愛の話までしている。
俺の知らないところで、ちゃんと大人になっているんだな。
「邪魔したな。仕事頑張れよ」
「はい! またゆっくりお話を聞かせてください!」
サンルーたちに手を振り、畑を後にした。
しばらく歩くと、マカトが得意そうに話し始めた。
「どう? みんなすごいでしょ?」
「ああ。正直、驚いたよ」
「チラーも仕事を覚えたし、クマだってもう一人前のつもりなんだから」
「クマはまだ十三歳だろ?」
「そうだけど、本人は大人のつもりなの」
マカトは声を上げて笑った。
「そういうお前はどうなんだ?」
「私? 私はもう大人よ」
「さっきまで俺と遊ぶって騒いでたのにか?」
「遊んでるんじゃなくて、案内してあげてるの!」
「はいはい、そうでした」
マカトは頬を膨らませたが、すぐに笑顔に戻った。
そんな話をしながら歩いていると、大きな木の下にウシマルさんが座っているのが見えた。
隣には杖が立てかけてある。
「ウシマルさん、こんにちは」
「おお、悠真殿。村を見て回っておられるのか」
「ええ、マカトに連れ回されています」
「もう! 案内してあげてるんだってば!」
ウシマルさんは声を上げて笑った。
「はっはっは。元気でよろしい」
俺はウシマルさんの隣に腰を下ろした。
「お体の具合はどうですか?」
「悪くはない。ただ、昔のようには動けんようになったな」
「無理しないでくださいよ」
「そう言われても、何もせずにおるのは退屈でな」
ウシマルさんは杖を手に取り、遠くの畑を眺めた。
「今は若い者たちが何でもやってくれる。わしの出る幕など、ほとんどなくなってしまった」
「それだけ村が育ったということですよ」
「そうじゃな。ありがたいことじゃ」
しばらく、二人で畑を眺めていた。
村人たちが荷車を押して行き交い、子供たちがその脇を走っていく。
「悠真殿」
「はい?」
「五年前、わしはこの村がどうなるのか心配でならんかった」
ウシマルさんはゆっくりと言葉を続けた。
「食べる物も足りず、病にかかれば助かるかどうかもわからん。子供たちが無事に大きくなることさえ、当たり前ではなかった」
「そうでしたね」
「それが今では、若い者が自分の畑を任され、子供たちは腹いっぱい飯を食べておる」
ウシマルさんは目を細めた。
「長生きはしてみるものじゃな」
「まだまだ長生きしてくださいよ。村にはウシマルさんが必要なんですから」
「はっはっは。そう言ってもらえるのは嬉しいが、いつまでも若いままではおられん」
その言葉に、俺は思わずウシマルさんの顔を見た。
「人は年を取る。わしも父や祖父から教わったことを、次の者たちへ伝えてきた。今度はタルガニたちの番じゃ」
「……そうですね」
「悠真殿が持ち込んでくださった物も、いずれ若い者たちが自分の手で作れるようになるじゃろう。それを見るのが今の楽しみじゃ」
俺は黙ってうなずいた。
ウシマルさんは、自分が年を取ることを当たり前のこととして受け入れている。
俺は今朝、自分だけが年を取っていないことに気づいて、あれこれ考えていた。
でも、ウシマルさんにとっては、次の世代が育っていくことこそが何より嬉しいことなのだろう。
「悠真殿」
「はい」
「これからも、若い者たちをよろしく頼みますぞ」
「もちろんです。まだまだやりたいことがありますから」
「それを聞いて安心したわい」
ウシマルさんは満足そうに笑った。
「ゆーま、そろそろ行こうよ!」
少し離れたところで待っていたマカトが声をかけてきた。
「わかったよ」
俺は立ち上がった。
「それじゃ、また後で来ます」
「うむ。ゆっくりしていかれよ」
ウシマルさんに頭を下げ、マカトのところへ戻った。
それからも村のあちこちを案内され、気がつけば夕方になっていた。
「疲れた……」
俺がそう言うと、マカトは不満そうな顔をした。
「まだ全部見せてないのに!」
「残りは明日にしてくれ。さすがに歩き疲れた」
「しょうがないなあ」
「お前は疲れないのか?」
「全然!」
若いっていいな。
……いや、俺も若いはずなんだけどな。
そんなことを考えながら共同炊事場へ戻ると、かなさんが夕食の準備をしていた。
「お帰りなさい、悠真さん」
「ただいま戻りました」
「マカト、あまり無理をさせなかったでしょうね?」
「大丈夫! ゆーまが勝手に疲れただけ!」
「おいおい」
かなさんは笑いながら、マカトに野菜を洗うよう言いつけた。
俺も何か手伝おうとしたが、今日は休んでいてくださいと断られてしまった。
仕方なく、炊事場の隅に腰を下ろす。
しばらく料理をする様子を眺めていたが、ふと聞いてみたくなった。
「かなさん」
「はい?」
「この五年間、長かったですか?」
かなさんは手を止め、少し考えるような顔をした。
「そうですね……長かったような、あっという間だったような」
「そうですか」
「毎日やることがありましたから。村の人も増えましたし、食事の支度も以前より大変になりました」
かなさんは鍋の中をかき混ぜながら続けた。
「でも、みんなが手伝ってくれるので、昔より楽になったことも多いんですよ」
「それならよかったです」
「マカトも大きくなりましたしね。最近は私より口が達者なくらいです」
「それは今朝、よくわかりました」
二人で笑った。
かなさんはしばらく黙っていたが、やがて小さな声で言った。
「でも……悠真さんが帰ってくるのを待っていた時間は、長かったですよ」
俺は顔を上げた。
かなさんは鍋を見つめたままだった。
「いつか帰ってこられるとは聞いていましたけど、いつになるのかはわかりませんでしたから」
「……すみません」
「謝らないでください。首里で大切なお仕事をされているのは、みんな知っています」
かなさんは俺の方を向き、微笑んだ。
「こうして元気なお顔を見られただけで、十分です」
何と答えればいいのかわからなかった。
五年という時間。
俺にとっては仕事に追われ、気がつけば過ぎていた時間だった。
だが、かなさんにとっては、俺が帰ってくるのを待ち続けた五年間でもあったのだ。
「かなさん」
「はい?」
「明日も、少しここにいていいですか?」
かなさんは一瞬驚いた顔をした。
そして、嬉しそうに笑った。
「もちろんです。悠真さんのお部屋は、ずっとそのままにしてありますから」
「ありがとうございます」
「それより、明日の朝も寝坊されるんですか?」
「いや、明日はちゃんと起きますよ」
「ふふっ。それなら朝ご飯を用意しておきますね」
かなさんは再び料理に戻った。
俺はその後ろ姿を眺めながら、今朝考えたことを思い出していた。
自分だけが年を取らないのだとしたら、これから何度、こんな再会を繰り返すことになるのだろう。
だが、今ここで答えを出す必要はない。
少なくとも、かなさんが作ってくれる明日の朝食を楽しみにするくらいは、許されるだろう。
「悠真さん、味見してみますか?」
かなさんが小皿を差し出した。
「もちろんです」
俺は受け取り、一口食べた。
「うまい!」
「本当ですか?」
「ええ。やっぱり、かなさんの料理が一番ですよ」
かなさんは少し照れたように笑った。
その笑顔を見て、俺は思った。
五年という時間は、決して失われたわけじゃない。
俺の知らない五年間が、この村には確かに積み重なっている。
そして今日からまた、俺もその時間の中に加わることができる。
それだけで、今は十分だった。
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