第85話 1600年8月24日
昨日は投稿できなくてすみません
二日前から始めた脱穀作業が、ようやく終わった。
村の倉庫の前には、籾を詰めた袋が山のように積み上げられている。三十キロ入りの袋が二百袋。全部で六トンもの収穫になった。
俺は積み上げられた袋を眺めながら、思わず笑みを浮かべた。
四月二十日に田植えをした時には、本当にここまで育つのかと心配したものだ。それが今では、目の前に六トンもの米がある。
村人たちも仕事を終えたというのに、誰一人としてその場を離れようとしなかった。
「悠真殿、本当にこれが全部、わしらの田んぼで採れた米なのですか」
ウシマルが信じられないという顔で尋ねてきた。
「そうですよ。みんなが頑張ったおかげです」
俺がそう答えると、周りにいた村人たちから歓声が上がった。
「悠真殿のおかげです。こんなに米が採れるなんて、夢にも思いませんでした」
「子供たちにも腹いっぱい食わせてやれます」
次々と礼を言われ、俺は少し照れくさくなった。
「まだまだこれからですよ。次はもっと上手に作れるようになりますから」
俺はウシマル、タルガニ、シンガの三人を呼び寄せた。
「それじゃ、約束していた米を渡しましょうか」
俺は積み上げられた籾袋をブラックホールに収納していった。二百袋もあった米の山が、あっという間に消えてしまう。
村人たちは何度も見ているはずなのに、相変わらず驚いていた。
俺は一度、現代の倉庫へ戻り、あらかじめ用意しておいた米を確認した。
今回持ってきたのは、早く収穫できる品種の籾六トンと、次の田植えに使う種籾五十キロだ。
塩屋村で収穫した琉球米は王府で管理することにしている。代わりに同じ量の米を渡す約束だったが、長く保存することを考えて、白米ではなく籾の状態で用意した。
俺は村へ戻ると、さっきまで米が積まれていた場所に、再び袋を出していった。
「こちらが村のみんなに渡す米です。全部で六トンあります」
ウシマルが袋に手を置き、不思議そうな顔をした。
「先ほどの米とは違うのでございますか」
「ええ。こちらは早く育つ米です。俺は沖縄米と呼ぶことにしました」
「沖縄米……」
三人がその名前を繰り返した。
「今までの琉球米より早く収穫できます。次からは、この沖縄米を作ってもらいます」
俺は別に用意していた種籾の袋を三人の前に置いた。
「こちらが次の田植え用の種籾五十キロです。食べる米とは別に、大切に保管してください」
シンガが袋を持ち上げ、うなずいた。
「承知しました。次の田植えも、皆で力を合わせて行います」
「それと、さっき渡した六トンの米ですが、これからは毎日白米を食べても大丈夫ですよ」
俺がそう言うと、三人がそろって顔を上げた。
「毎日、白米をでございますか」
「ええ。もう米を節約するために、毎日雑炊にする必要はありません。これだけあれば、次の収穫まで十分持ちます」
ウシマルは何も言わず、積み上げられた米の袋を見つめていた。
「ただし、米ばかり食べていては駄目ですよ。魚や肉、野菜も一緒に食べてください。体を丈夫にするには、いろいろなものを食べることが大切ですから」
そう説明していると、ウシマルが突然、顔を伏せた。
どうしたのかと思って覗き込むと、頬を涙が伝っていた。
「ウシマルさん、どうしたんですか」
「いや……まさか、この年になって……」
ウシマルは袖で目元を拭った。
「毎日白い飯が食える日が来るとは、思いもしませんでした。わしらが子供の頃は、米など滅多に口にできなかったのです」
声が震えていた。
「それが今では、村の者が毎日食えるという。子供たちも、腹いっぱい白い飯を食えるのですな……」
俺は何も言えなくなった。
現代では当たり前のように食べていた白米が、この人たちにとっては、それほど特別なものだったのだ。
タルガニもシンガも黙っていた。周りにいた村人たちも、いつの間にか静かになっている。
「悠真殿、本当にありがとうございます」
ウシマルが深々と頭を下げた。
「頭を上げてください。米を育てたのは村のみんなですよ。俺は道具と種を持ってきただけです」
そう言っても、ウシマルはなかなか頭を上げようとしなかった。
俺は少し待ってから、三人に話を切り出した。
「実は、今日はほかにもお願いがあります」
三人がこちらを向いた。
「これから首里での仕事が忙しくなるので、しばらく塩屋村には帰ってこられないと思います」
「そうでございますか……」
ウシマルが寂しそうにつぶやいた。
「でも、もうこの村は俺がいなくても大丈夫です。これからもっと豊かになれるように、いくつかお願いしておきたいことがあります」
まずは畑の管理だ。
「畑は今まで話していた三圃式を徹底してください。同じ場所で作物を作り続けると、だんだん土地が痩せてしまいます。作る場所と休ませる場所を順番に回していくんです」
シンガがうなずいた。
「それから、今まで続けてきた堆肥作りも、もっと力を入れてください。人の糞や鶏の糞、ヤギの糞などを集めて、畑の肥やしにするんです」
「承知しました。堆肥を作る場所も、もっと広げておきます」
シンガが答えた。
「人の糞は、これまでどおり専用の場所で十分に処理してから使ってください。生のまま畑に撒かないようにお願いします」
三人がうなずいた。
「それと、鶏も増えてきましたから、雄鶏の管理をお願いします」
俺は続けた。
「雄鶏ばかり増やしても仕方がありません。繁殖に必要な雄を残して、余った雄は食用に回してください。それから、同じ血筋の鶏ばかりで繁殖させないように、時々ほかの村から新しい雄鶏を仕入れてください」
「分かりました」
「ヤギも同じです。雌を増やしながら、雄は必要な数を管理する。子供が増えてきたら、血が近いもの同士で交配させないようにしてください。新しい雄ヤギも、外から仕入れる必要があります」
ウシマルが何度もうなずいた。
「畑も家畜も、目先の収穫だけではなく、何年も先のことを考えて管理するんです」
俺は三人の顔を見回した。
「みんなで相談して決めてください。俺がいなくても、この村がもっと豊かになっていくように」
「承知しました。皆で力を合わせます」
シンガが力強く答えた。
「それじゃ、次は漁師の三人を呼んでもらえますか」
しばらくすると、ウミトゥ、サブロウ、タルーがやって来た。
「三人にお願いがあるんです」
「何でございましょう」
ウミトゥが代表して尋ねた。
「俺が作った双胴船がありますよね。あの船を三人にあげようと思います」
三人は顔を見合わせた。
「本当でございますか。あの船を、わしらに?」
「ええ。ただし、一つお願いがあります」
俺は那覇での交易について説明した。
「これからも漁は続けてもらって構いません。でも、時々でいいので、あの船で那覇まで行って、村の品物を売ったり、必要な物を買ってきたりしてほしいんです」
「那覇で交易をするのでございますか」
「そうです。この村の主力産業は、これからも塩作りになると思います。塩がまとまったら那覇へ運んで売ってください」
タルガニが横から口を開いた。
「塩なら、今までも那覇へ運んでおりましたな」
「ええ。だから、やり方は分かっているはずです。今後は王府が発行する銅銭も出回るようになります。塩を売って銭を稼げば、村で作れない物も買えるようになります」
俺は三人に向き直った。
「さっき話した新しい雄鶏や雄ヤギも、交易のついでに仕入れてください。もちろん、ほかに村で必要な物があれば買ってきても構いません」
「それなら、わしらにもできます」
サブロウがうなずいた。
「ただし、船を出す時は天気をよく見てください。無理をしてまで那覇へ行く必要はありません。塩がたまった時に、都合のいい日を選べば十分です」
三人とも真剣に聞いていた。
「それから、塩を売って稼いだ銭は、船の維持や仕入れに必要な分を残して、村のみんなに分けてください」
「村の者、全員にでございますか」
タルーが驚いた顔をした。
「そうです。塩を作っている人だけではなく、畑で働く人も、家を建てる人も、子供の世話をする人も、みんなでこの村を支えていますから」
俺はウシマルたちにも目を向けた。
「分け方は三人で相談して、村のみんなが納得できるように決めてください」
ウシマルが静かにうなずいた。
「承知しました。誰か一人だけが得をすることのないようにいたします」
「お願いします」
俺は積み上げられた米の袋をもう一度見た。
四月に田植えをした時には、ここまで村の暮らしが変わるとは思っていなかった。
畑が増え、家が建ち、鶏やヤギも増えた。そして今、村人たちは毎日白米を食べられるようになった。
これからは塩を売って銭を稼ぐこともできる。
まだまだ足りないものはあるだろう。でも、ここまで来れば、あとは村のみんなの力でやっていけるはずだ。
「それじゃ、俺からのお願いは以上です。あとはよろしくお願いします」
ウシマル、タルガニ、シンガ、そして漁師の三人が、そろって頭を下げた。
俺はみんなに別れを告げると、最後にかなさんのところへ向かうことにした。
かなさんは炊事場にいた。
大きな鍋の前で、ナビーさんと一緒に昼飯の支度をしている。俺が近づくと、かなさんがこちらに気づいて手を止めた。
「悠真さん、どうしました?」
「ちょっと話があるんですけど、今いいですか」
「はい。ナビー、少しお願いね」
かなさんはナビーさんに鍋を任せ、俺と一緒に炊事場の外へ出た。
「何かあったんですか?」
「実は、首里での仕事が忙しくなりそうで、しばらく村には帰ってこられないと思うんです」
「……そうですか」
かなさんは少し驚いた顔をした。
「どれくらいになるんですか?」
「まだ分からないんです。やらなきゃいけないことが山ほどあって、落ち着くまで何年かかるか……」
「何年も、ですか?」
「そこまでは分かりませんけど、しばらくは難しいと思います」
かなさんはうなずいたが、それからしばらく何も言わなかった。
「寂しくなりますね」
ぽつりと、かなさんが言った。
「毎日のように顔を見ていたから、何だか変な感じがします」
「俺もですよ。ここに来てから、かなさんにはずっと世話になりましたから」
「そんなことありません。私の方こそ、悠真さんにはたくさん助けてもらいました」
かなさんはそう言って、少し笑った。
「そういえば、今日から白いご飯を炊くんですよ」
「そうなんですか。早速ですね」
「ええ。ウシマルさんが、今夜はみんなで白いご飯を食べようって。さっきまで泣いていたのに、今度は子供みたいにはしゃいでいましたよ」
「ははは、そうですか」
「悠真さんも食べていかれますか?」
「そうしたいんですけど、今日はもう行かないと」
「……そうですか」
かなさんは一度炊事場の方を見た。
「せっかく、悠真さんにも食べてもらおうと思っていたんですけど」
「また今度、お願いします」
「はい。今度いらした時には、私が炊きますね」
「楽しみにしてます」
かなさんは笑ったが、すぐに目を伏せた。
「悠真さん」
「はい?」
「首里でも、ちゃんとご飯を食べてくださいね。お仕事に夢中になると、食べるのも忘れてしまいそうだから」
「大丈夫ですよ。食べることだけは忘れません」
「そうですか。それなら安心です」
いつものような会話だった。
けれど、かなさんはそれから何度か口を開きかけては、何も言わずにいた。
「それじゃ、そろそろ行きます」
俺がそう言うと、かなさんは小さくうなずいた。
「はい。お体には気をつけてください」
「かなさんも、元気で」
俺が歩き出そうとした時だった。
「悠真さん」
振り返ると、かなさんがこちらを見ていた。
「……また、帰ってきてくれますよね?」
「もちろんです」
「本当に?」
「ええ。ここは俺にとっても大切な村ですから」
かなさんは少しだけ笑った。
「そうですね。悠真さんのお家もありますものね」
「それだけじゃありませんよ」
自分でも、なぜそんな言葉が出たのか分からなかった。
かなさんは俺の顔を見た。
「……そうですか」
それだけ言って、また笑った。
「帰ってきたら、顔を見せてくださいね」
「はい。必ず」
「待っていますから」
俺はうなずいた。
「それじゃ、行ってきます」
「……行ってらっしゃい」
かなさんはその場で頭を下げた。
俺は車の方へ歩き出したが、何となく気になって一度振り返った。
かなさんはまだそこに立っていた。
俺と目が合うと、いつものように笑って、小さく手を振ってくれた。
俺も手を振り返した。
いつもなら、また明日とでも言って別れるところだ。
今日は、その言葉が言えなかった。
俺は車を停めてある場所まで歩いていった。
運転席のドアを開け、乗り込もうとした時だった。
「ユウマー!」
後ろから大きな声が聞こえた。
振り返る間もなく、マカトが走ってきて俺の腰にしがみついた。
「ユウマ、行かないでー!」
「おいおい、どうしたマカト」
「行っちゃ駄目! ずっとここにいて!」
俺がしゃがむと、マカトは今度は首に両腕を回してきた。
「また帰ってくるよ」
「いつ?」
「うーん、まだ分からないな」
「明日?」
「明日は無理かな」
「じゃあ、明後日!」
「それもちょっと難しいな」
マカトは口をとがらせた。
「やだ! ユウマと遊ぶ!」
「そうか。じゃあ、今度帰ってきたら一緒に遊ぼうな」
「ほんと?」
「ほんとだよ」
「絶対?」
「絶対」
マカトはしばらく俺の顔を見つめていたが、ようやく腕の力を緩めた。
「……約束だからね」
「ああ、約束だ」
俺が頭を撫でると、マカトはもう一度ぎゅっと抱きついてきた。
少し離れたところで、かなさんがその様子を見て笑っていた。
「マカト、悠真さんがお仕事に行けないでしょう」
「だって、ユウマが行っちゃうんだもん!」
「また帰ってきてくれるって。ね?」
かなさんが俺を見る。
「もちろん。また帰ってくるよ」
マカトは渋々手を離した。
俺はようやく運転席に乗り込み、窓を開けた。
「それじゃ、みんな元気でな!」
「ユウマー! 絶対帰ってきてよー!」
「ああ!」
車をゆっくり走らせると、マカトがしばらく後ろを追いかけてきた。
俺はバックミラーを見ながら、思わず笑ってしまった。
まったく、最後まで賑やかな村だ。
でも、こうして見送ってくれる人がいるのは、悪くない。
俺はもう一度バックミラーを見た。
かなさんがマカトの手を引き、二人でこちらに手を振っていた。
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