第52話 1600年5月1日 その2
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朝。
俺は昨夜、ベッドに入ったものの、結局ほとんど眠れなかった。目を閉じても頭に浮かんでくるのは、あのブラックホールのことばかりだ。なぜ突然現れたのか。なぜ俺だけが使えるのか。そして、なぜ今になって次々とレベルアップしていくのだろう。
考えれば考えるほど分からなくなる。そもそも、こんなものが存在する時点で、俺の知っている常識なんて何の役にも立たない。結局、何一つ答えが出ないまま朝を迎えてしまった。
もしブラックホールが俺に何かをさせるために存在しているのだとしたら、それはそれで構わない。ただ、何をさせたいのかも分からない以上、俺は俺の好きなように使わせてもらうことにする。
そう考えると、少しだけ気持ちが楽になった。
それにしても、昨夜は勢いでハイラックスを持ってきてしまったが、村のみんなには何と説明したものか。鉄の牛でさえ大騒ぎだったんだから、今度はもっと驚くだろうな。
そんなことを考えていると、外から何やら騒がしい声が聞こえてきた。
やっぱりな。
俺はベッドから起き上がり、身支度を整えて外へ出た。すると案の定、倉庫の前に停めてあるハイラックスを取り囲むように、村人たちが集まっていた。
「あっ、ユウマ!」
俺の姿を見つけたカナさんが、慌てた様子でこちらへ歩いてくる。
「ユウマ、あれって……」
カナさんはハイラックスを指差したまま、言葉を続けられずにいる。まあ、無理もない。昨日まで何もなかった場所に、突然こんな大きな鉄の塊が現れたんだから。
「大丈夫、大丈夫。俺が持ってきたものだから」
そう言ってハイラックスに近づき、ボンネットをポンポンと軽く叩いてみせた。カナさんは俺と車を交互に見ながら、まだ信じられないという顔をしている。
「詳しいことは朝食のあとでみんなに話すよ。それよりカナさん、先に朝ご飯を作ってもらってもいいかな?」
「えっ、ああ……うん、分かった」
どうやら納得したわけではなさそうだが、カナさんは何度も振り返りながら炊事場へ向かっていった。
その間にも、騒ぎを聞きつけた村人たちが次々と集まってくる。誰もがハイラックスを見るなり足を止め、目を丸くしていた。中には恐る恐る近づいてくる者もいるが、触ろうとする者はいない。
子供たちはというと、以前おーはちーを初めて見た時と同じように、車の周りをぐるぐる回っている。タイヤを覗き込んだり、窓に映る自分の顔を見つけて驚いたりと、なかなか忙しそうだ。
それでも、不思議なことに誰一人として車に手を伸ばさない。
まあ、得体の知れないものだからな。
俺はしばらくその様子を眺めていたが、説明するまでは何を聞かれても答えようがない。とりあえず、みんなには朝食が終わるまで待ってもらうことにした。
やがて朝食の準備が整い、村人たちはいつものように食事を済ませた。ただ、今日は誰もが落ち着かない様子で、食べながら何度も倉庫の方へ視線を向けている。
さて、どう説明するかな。
食事が終わると、俺は村人全員に広場へ集まってもらった。目の前にはハイラックス。その周りに村人たちが座り、俺が何を話すのかとじっと待っている。
俺は一度みんなの顔を見渡し、少し間を置いてから口を開いた。
「今日は、みんなに大事な話がある」
いつもより真面目な声を出したせいか、広場が静かになった。
「実は俺、この村に来たのは偶然じゃないんだ。神様のお告げを受けて、ここに来た人間なんだよ」
一瞬、誰も声を出さなかった。
「ただ、勘違いしないでほしい。俺自身は神様でも何でもない。みんなと同じ普通の人間だ。ただ、神様に選ばれて、この島をもっと良くするように言われているんだ」
自分で言っていて、なかなか大それた話だと思う。
「だから、あの鉄の牛を預かったり、今までみんなに渡してきた道具をもらったりしている。あそこにある大きな鉄の乗り物も、今回新しく預かったものなんだ」
俺はハイラックスを指差した。
なるべく神妙な顔を作り、もっともらしく話しているつもりだが、内心では少し笑いそうになっていた。神様のお告げなんて一度も受けたことはない。ブラックホールの正体が分からない以上、今の俺にできる説明はこれくらいしかないのだ。
すると、突然タルガニが大きな声を上げた。
「やっぱりそうだったのか!」
ん?
「ユウマは最初から何か違うと思ってたんだ。見たこともない道具を持ってくるし、鉄の牛まで動かす。普通の人間にできることじゃない。神様の使いだったんだな!」
いや、だから普通の人間だって言ってるだろ。
俺が口を開こうとすると、今度は周りの村人たちまで頷き始めた。
「そういうことだったのか」
「だからあんな道具を持っていたんだな」
「なるほどなあ」
おいおい。
誰も疑わないのか?
もっと質問攻めにされると思っていたのに、みんな妙に納得した顔をしている。中には、長い間抱えていた疑問がようやく解けたとでも言いたげな者までいた。
この時代の人たちにとって、神様という存在は俺が思っている以上に身近なのかもしれない。もっとも、俺自身が神様の使いだと信じられてしまうのは、少々困る。
「だから、俺は神様じゃないからな。そこは間違えないでくれよ」
念を押してみたが、タルガニは満足そうに頷いている。
本当に分かってるのか、こいつ。
まあいい。今まで不思議に思われていたことが、これで一応説明できたわけだ。ブラックホールのことまで話す必要はないだろう。
俺は咳払いを一つして、話を続けた。
「それで、昨日またお告げがあったんだ。塩屋村だけじゃなく、近くの村もここみたいに豊かにしてほしいって。畑を広げて、食べ物に困らない村にしてやれって言われたんだよ」
村人たちは黙って聞いている。
「だから、これから数日間、隣村へ行こうと思っている。俺一人じゃできないから、何人かに手伝ってもらいたいんだ」
俺は一度言葉を切り、集まっている村人たちを見渡した。
「今回行くのは、グシーの嫁さん、マルの生まれた村だ。前に六人の子供たちを連れてきた長老がいる村でもある」
その言葉に、グシーとマルが顔を上げた。
「あの村は今も食べ物が足りなくて困っている。だから、まずはあそこから始めることにした。連れていく人も、お告げで決まっているんだ」
もちろん、そんなお告げはない。
全部俺が考えた人選だ。
だが、ここまで神様の話で納得しているなら、いちいち理由を説明するより、この方が話は早いだろう。
「まず、グシーとマル。二人には一緒に来てもらいたい。マルにとっては故郷だし、向こうの村人とも話がしやすいだろう」
「分かった」
グシーがすぐに返事をした。隣に座っているマルも頷いている。久しぶりに故郷へ帰れることが嬉しいのか、少し表情が明るくなったように見えた。
「次にカナさん。向こうでは炊き出しをするつもりだから、炊事をお願いしたいんだ。ここでいつもやっているように、みんなの食事を作ってほしい」
「私も行くの?」
カナさんが少し驚いた顔をした。
「うん。向こうの村は人数も多いから、カナさんにいてもらえると助かるんだ」
「分かったよ」
カナさんはそう言って頷いた。
「それからシンガ。向こうでは新しく畑を作るつもりだから、グシーと一緒に農作業の指導を頼む。切り株や木の根を取り除いて、畑にできるようにするんだ」
「畑を作るのか?」
「ああ。かなり広い畑を作る予定だ。詳しいことは向こうに着いてから話すよ」
シンガは少し考えるような顔をしたあと、力強く頷いた。
「分かった。任せてくれ」
よし。農作業の方はこれでいい。
「次はシルー、カナグシ、マチュー。それからウミトゥ、サブロウ、タルー。この六人にも来てもらいたい」
名前を呼ばれた猟師三人と漁師三人が、一斉に俺の方を向いた。
「みんなには、向こうで倉庫を建ててもらう。塩屋村で作った倉庫と同じようなものだ。三日で完成させたいから、六人で協力してやってくれ」
「三日か」
シルーが呟いた。
「そう。今まで家を建ててきた経験があるから、やり方は分かってるだろう? 向こうの村人にも手伝ってもらえば、何とかなると思う」
カナグシが隣のマチューと顔を見合わせた。
「それならできそうだな」
「道具も持っていくから、頼んだぞ」
六人とも頷いた。猟師と漁師が揃って建築作業をするというのも、以前なら考えられなかったことだが、今ではすっかり慣れたものだ。
これで同行する人間は決まった。
俺、カナさん、グシー、マル、シンガ、それに猟師三人と漁師三人。全部で十一人だ。
ただ、一つ気になることがある。
俺はカナさんの方を向いた。
「そうだ、カナさん。マカトはどうしようか。今回は数日かかるから、ナビーに預かってもらおうと思うんだけど」
カナさんは少し困ったような顔で、隣に座っているマカトを見た。
俺もマカトに目を向ける。
「マカト、母ちゃんをちょっと借りてもいいかな?」
マカトは何も言わない。
さっきまで俺の話を興味津々で聞いていたのに、急に口を結んで下を向いてしまった。
あ、これはまずい。
今にも泣き出しそうな顔をしている。
俺は慌ててナビーを呼んだ。
「ナビー、悪いんだけど、俺たちがいない間、マカトを預かってもらえないかな?」
「いいよ。うちにはウミたちもいるし、寂しくないようにするから」
ナビーはすぐに了承してくれた。
「ありがとう。助かるよ」
これで預け先は決まったが、肝心のマカトはまだ下を向いたままだ。
俺はマカトの前にしゃがみ込んだ。
「マカト、五日以内には帰ってくるからさ。そんなに長くないよ」
マカトは小さく頷いたが、顔を上げようとしない。
うーん、どうしたものか。
そうだ。
「それに、俺がいない間のおやつ、いっぱい置いていくから。チョコもあるぞ」
すると、マカトがちらりと俺を見た。
おっ、反応した。
「本当?」
「本当、本当。ナビーに預けておくから、みんなと仲良く食べるんだぞ」
「……いっぱい?」
「いっぱい」
ようやくマカトの表情が緩んだ。
現金なやつだなあ。
いや、まあ、十歳の子供なんだから当然か。母親と数日離れるのは寂しいだろうし、我慢していたんだろう。
俺はマカトの頭を軽く撫でた。
「ちゃんと帰ってくるから、いい子にして待っててくれよ」
「うん!」
今度は元気な返事が返ってきた。
よし、これで一安心だ。
俺は立ち上がり、今度はタルガニの方を向いた。
「タルガニ、もう一つ頼みがあるんだけど」
「何だ?」
「俺がいない間、サンルー、チラー、クマの三人を見てやってほしいんだ。普段の仕事は手伝わせていいけど、まだ子供だから無理はさせないでくれ」
三人は俺が引き取った孤児たちだ。最近は少しずつ村の暮らしにも慣れてきたが、俺が何日も留守にするのは初めてになる。
「分かった。三人のことは俺が見ておく」
タルガニは迷うことなく引き受けてくれた。
「ありがとう。何かあったらウシマルにも相談してくれ」
「ああ、心配するな」
タルガニの返事を聞いて、俺はようやく肩の力を抜いた。
これで留守中のことも、何とかなりそうだ。
あとは必要な物を揃えて、出発するだけだな。
俺はみんなへの説明を終えると、倉庫の横へ向かった。村人たちも何が始まるのかと興味津々で、ぞろぞろと後ろについてくる。俺は倉庫の壁の前で立ち止まり、心の中で「帰りたい」と念じた。
すると、目の前に黒い空間がすっと現れた。大きさは昨夜、現代側で設定した3×2.5のままだ。以前なら村中が大騒ぎになっていたところだが、今回は驚きの声こそ上がったものの、みんな案外落ち着いている。どうやら、俺が突然妙なものを出現させることにも慣れてきたらしい。
「みんな、よく聞いてくれ。この暗いところは神様の祠なんだ。俺はここを通って、神様から必要な物を預かってくる。だけど、ここは神聖な場所だから、俺以外は絶対に近づかないようにしてくれ」
俺が真面目な顔でそう告げると、村人たちは一斉に頷いた。さっき神様のお告げの話をしたばかりだからだろう。誰も疑う様子はなく、むしろ黒い空間を畏れ多そうに見つめている。これなら勝手に入ろうとする者もいないだろう。
「それじゃ、必要な物を取ってくるから、みんなはここで待っていてくれ」
俺はハイラックスの運転席に乗り込み、エンジンをかけた。ブルンと大きな音が響くと、さすがに村人たちがびくっと肩を震わせた。子供たちは目を丸くし、タルガニは思わず一歩後ずさっている。
俺は窓から顔を出して「大丈夫だから」と声をかけると、ゆっくりハイラックスを動かした。村人たちが固唾をのんで見守る中、車の先端が黒い空間へ入り、そのまま車体が少しずつ吸い込まれるように消えていく。
バックミラーには、口を開けたまま立ち尽くす村人たちの姿が映っていた。さっきまで神様の話をあっさり受け入れていたくせに、やっぱり実際に目の前で見ると驚くらしい。
俺は思わず苦笑いしながら、そのままハイラックスを2026年のガレージへと走らせた。
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