第20話 1600年1月28日 その2
俺は鶏の入った籠を船へ積み込んだ。
「ウミトゥ、サブロウ、タルー。悪いけど、鶏も見ててくれ」
「分かった」
これで塩の取引は終わった。塩五十斤が米百五十合になり、その米がそのまま雄二羽、雌十四羽、合わせて十六羽の鶏に変わった。
次はいよいよ今回の本命だ。グラス、鏡、胡椒、ライター。ただし、これを明の商人に売るには通訳が必要になる。
俺は通訳への報酬として持ってきた陶器入りの泡盛を手に取り、タルガニを見る。
「タルガニ、もう一回行こう」
「ああ」
俺たちは再び港を離れ、那覇の町へ入っていった。さっき米商人たちから聞いた話では、明の人間と商売をする者が集まる辺りへ行けば、通訳のできる人間を見つけられるらしい。
しばらく歩くと、さっきより明の人間が多い場所へ出た。当然、何を話しているのか俺にはさっぱり分からない。
「これ、通訳いないと絶対無理だな」
タルガニも周囲を見ている。俺が欲しいのは、できれば明の商人側についている通訳ではなく、琉球側の人間だ。
これから売ろうとしている物は、この時代ではかなり珍しい。俺自身が相手の言葉を理解できない以上、商人と通訳が最初から組んでいたら、安く買い叩かれても分からない。
少し歩くと、明の商人と琉球人の間に立って話をしている男がいた。
「あれ、通訳じゃないか?」
俺が見ると、タルガニも頷いた。ただ、しばらく様子を見ていると、その男は明の商人と一緒に移動していった。
「……あれはやめとこう」
「なんでだ?」
「向こう側の人間っぽい」
「向こう側?」
「明の商人側ってこと。できればこっち側の通訳がいい」
「なるほどな」
そこから何人か見て回ったが、なかなかちょうどいい人間が見つからない。タルガニも途中から少し面倒そうな顔をしている。
「まだ探すのか?」
「探す。ここは大事だからな」
初めての大きな商談だ。現代なら百円程度の物でも、この時代でいくらになるか分からない。適当な通訳を使う気にはなれなかった。
さらに歩いていると、一人の男が目に入った。三十代くらいだろうか。琉球の服を着ていて、明の商人と普通に話をしている。
やがて明の商人は離れていったが、その男は一緒には行かなかった。そのあと別の琉球人とも話をしている。
「タルガニ、あの人に聞いてみよう」
俺たちは男へ近づいた。
「ちょっといいか?」
男が俺を見る。
「ああ」
ちゃんと琉球の言葉だ。
「明の言葉、分かる?」
「ああ。話せるぞ」
当たりだ。
「通訳をしてるのか?」
「頼まれればな」
「明の商人のところで働いてる?」
男は首を振った。
「いや。俺はこっちの人間だ。明の商人と話をしたい者がいれば間に入ることはある」
よし。俺はタルガニを見る。タルガニも頷いた。
「俺は悠真。大城悠真だ」
「サンラーだ」
サンラーか。ようやく探していた通訳を見つけた。
「サンラー、頼みがある」
「なんだ?」
「明の大きな商人を紹介してほしい。それと、商談が終わるまで通訳をしてほしい」
サンラーが俺を見る。
「何を売る?」
「珍しい物だ」
「何だ?」
「それは商人のところで見せる」
サンラーは俺を少し怪しそうに見る。
「大きな商人じゃないと駄目なのか?」
「ああ。できれば金を持ってる奴がいい」
サンラーが笑う。
「ずいぶんはっきり言うな」
「売るなら金持ってる相手の方がいいだろ」
「まあな」
俺は続けた。
「紹介だけじゃなく、値段の交渉が終わるまで全部通訳してほしい」
「そこまでやるなら報酬がいるぞ」
「もちろん持ってきてる」
俺は持っていた陶器の瓶を見せた。
「これ」
サンラーが瓶を見る。
「酒か?」
「ああ。極上の泡盛だ。四合入ってる」
サンラーが陶器を手に取る。陶器の口にはシリコン製の栓がしてあり、しっかり押し込めば中身がこぼれないようになっている。
「この瓶も栓も全部やる。酒を飲み終わったあとも、また別の酒を入れて何度でも使えるぞ」
「何度でも?」
「ああ。栓をしておけば中身もこぼれない」
サンラーは陶器と栓を交互に見ながら、かなり興味を持ったようだった。
「うまい酒なのか?」
「飲んでみる?」
俺は小さなおちょこを取り出した。
「いいのか?」
「そのために持ってきた」
俺は栓を外し、泡盛を少しだけ注いだ。
「かなり強いぞ」
サンラーがおちょこを受け取り、そのまま口へ運ぶ。
一口飲んだ瞬間だった。
「カーッ!」
サンラーが目を見開く。
「強い!」
「四十三度だからな」
当然、四十三度と言っても意味は分からない。
「とにかくかなり強い酒ってことだ」
サンラーはもう一度おちょこを見て、それから陶器の瓶を見る。
「……だが、うまいな」
「だろ?」
香りも味も、普段この時代で飲んでいる酒とはかなり違うはずだ。しかも四合ある。飲み終わったあとも瓶と栓はそのまま使えて、酒を入れ替えれば何度でも使える。
「これ一本で、明の大商人を紹介して、商談が全部終わるまで通訳してくれ」
サンラーは少し考えた。もう一度瓶を見る。そして頷いた。
「分かった」
「本当か?」
「ああ。その酒ならやる」
よし。これで通訳は確保した。
「じゃあ頼む」
俺が手を差し出すと、サンラーは意味が分からず俺の手を見る。
「ああ、俺の故郷じゃ約束した時にこうするんだ」
俺はサンラーの手を取り、軽く握った。
「よろしく」
「……よろしく」
サンラーも戸惑いながら握り返す。
これで準備は整った。あとはサンラーに明の大商人を紹介してもらい、いよいよ現代の商品を売るだけだ。
俺たちはサンラーに連れられ、港に停泊している船の中でも一際大きなジャンク船――いや、この時代では福船と呼ぶらしい――の前までやってきた。
近くで見ると、さっき海の上から見た時よりもずっと大きい。船体も高く、周りでは何人もの船員が荷物を運んだり、出入りしたりしている。
サンラーは船の前にいた船員へ何やら話しかけた。もちろん俺には一言も分からない。しばらく話したあと、サンラーが俺たちの方を振り返る。
「ここで少し待っててくれ」
そう言って、サンラーは一人で船の中へ入っていった。俺とタルガニは船の前で待つ。
「でかい船だな」
「ああ。あの双胴船とは比べ物にならないな」
五分ほどすると、サンラーが戻ってきた。
「中へ入っていいそうだ」
「よし」
俺たちはサンラーのあとについて福船へ乗り込んだ。船の中を進み、奥にある一室へ通される。そこは船員たちがいる場所とは明らかに雰囲気が違い、商人が客と話をするための部屋らしかった。
部屋の奥には一人の男が座っている。年は四十代か五十代くらいだろうか。でっぷりと太っていて、着ている服も周囲の船員とは明らかに違う。見ただけで、この船の中でもかなり偉い立場なのが分かる。
いかにも金を持っていそうな男だ。
サンラーが俺たちと商人の間に座った。まずは挨拶からだ。
俺が軽く頭を下げる。
「大城悠真です」
サンラーがそれを明の言葉へ訳して商人へ伝える。商人も何か答えた。
サンラーがこちらを見る。
「陳永福だ。この船の商人だ」
陳永福か。
俺はもう一度軽く頭を下げた。
「今日は時間を取ってもらってありがとう」
またサンラーが通訳する。陳永福は俺とタルガニを順番に見たあと、ゆっくりと頷いた。
とりあえず、自己紹介と挨拶は終わった。
さて。ここからが本番だ。
俺はまずサンラーを見る。
「先に一つ伝えてくれ。俺は金での取引しかしない」
サンラーがそのまま陳永福へ訳して伝える。陳永福は俺を見ながら何か答えた。
「物による、だそうだ」
俺はニヤリとした。物には自信がある。
「じゃあ、まずこれからだ」
俺は荷物の中からグラスを取り出し、陳永福の前へ十個並べた。
陳永福の表情が一変する。一つ手に取り、光にかざす。角度を変えながら何度も眺め、今度は別の一個を手に取って並べて見比べた。
無理もない。現代の工業製品だ。透明度も高く、十個とも形がほとんど同じ。1600年の手作業品と比べれば、精度そのものが違う。
陳永福は縁や底まで細かく確認し、サンラーへ早口で何か話した。
「これほど澄んだ玻璃は珍しい。それに十個ともほとんど同じ形をしている、と言っている」
そりゃそうだ。俺にとっては安物でも、ここでは完全に別物だ。
商談に入る。俺は十個で金十匁を提示した。陳永福は六匁。俺が九匁まで下げると、陳は七匁を返してきた。
最後に俺が八匁を提示すると、陳永福はもう一度グラスを手に取り、しばらく光へかざしたあと頷いた。
グラス十個、金八匁。
最初の商談成立だ。
俺は次に鏡を一枚取り出し、陳永福の前へ置いた。
鏡に自分の顔が映った瞬間、陳永福の目が大きく見開かれた。そのまま鏡を手に取り、顔を近づけたり離したり、角度を変えたりしながら何度も自分の顔を眺めている。
普段見慣れているのは磨いた青銅鏡だろう。青銅鏡でも顔は映るが、どうしても金属特有の色味や暗さが残る。
だが、これは違う。
肌の色も、唇の色も、目の白さも、髭の一本一本まで自然な色のままはっきり見える。
陳永福は頬や髭を触りながら何度も鏡を確認し、途中からは自分の顔を見ること自体を楽しんでいるようだった。
残り九枚も並べると、一枚ずつ確かめ、どれも同じようにはっきり映ることにも驚いている。
そのまま商談に入った。俺は一枚二匁を提示。陳永福は一匁。俺が一匁八分まで下げると、陳は一匁三分を返してきた。
最後に一匁五分を提示すると、陳永福はもう一度鏡に自分の顔を映してしばらく考えたあと、頷いた。
鏡一枚、金一匁五分。
十枚で十五匁。
これで二つ目の商談も成立した。
次に俺はライターを取り出した。全部で二十個。
当然、陳永福には何に使う物なのか分からない。俺は一本手に取り、火の付け方を見せた。
カチッ。
次の瞬間、小さな炎が何もないところから突然立ち上がった。
陳永福の目が見開かれる。さっきまで余裕のある商人の顔をしていたのに、今は完全に表情が止まっていた。
俺が火を消すと、陳永福はすぐに身を乗り出し、ライターを指差して何か早口でサンラーに聞いている。
もう一度火を付ける。
また一瞬で炎が出る。
陳永福は今度は椅子から少し腰を浮かせるほど驚いた。火打石も炭も火種も使っていない。それなのに、指一本で何度でも火が出る。
俺はライターを陳永福に渡し、付け方を教える。最初は恐る恐るだったが、何度か試すうちに陳永福自身でも火を付けられるようになった。
カチッ。炎が出る。消す。またカチッ。また炎が出る。
陳永福は何度も繰り返し、そのたびに炎を食い入るように見つめている。
俺はサンラーを通して、中に入っている液体がなくなるまでは何度でも使えることを伝えた。さらに、これがあれば火種を絶やさないために夜通し誰かが火の番をする必要もないと説明する。
それを聞いた陳永福の表情がさらに変わった。
単に珍しいだけじゃない。これは実用品だ。船の上でも、宿でも、倉庫でも、必要な時にすぐ火を起こせる。火種を保存する手間も、人を置いて見張らせる必要もない。
陳永福は二十個のライターを前に並べ、一つ一つ手に取って確認していった。完全に食いついている。
そのまま商談に入った。俺は一個三匁を提示。陳永福は二匁。俺が二匁八分まで下げると、陳は二匁三分を返してきた。
最後に二匁五分を提示すると、陳永福は少し考えたあと頷いた。
ライター一個、金二匁五分。
二十個で五十匁。
これで三つ目の商談も成立した。
最後に俺は瓶入りの胡椒を取り出した。全部で十本。
陳永福は最初、瓶に貼られたシールを不思議そうに眺めた。完全な現代日本語だから、当然こいつには何が書いてあるのか分からない。
サンラーを通して中身が胡椒だと伝えると、陳永福の表情が変わった。
俺は一本を渡す。
陳永福は瓶を手に取り、シールに書かれた見慣れない文字をじっと眺めたあと、蓋を開けて中身を少し手に取り、香りを確かめた。
どうやら胡椒そのものにも納得したらしい。
だが、この商品の価値は中身だけじゃない。現代の市販品だけあって瓶も蓋もしっかり作られている。
俺はサンラーを通して、胡椒を使い終わったあとも瓶は捨てず、別の香辛料や薬などを入れて何度でも使えると伝えた。
陳永福はもう一度瓶を手に取り、今度はシールや蓋、瓶の作りまでじっくり確認している。
そのまま商談に入った。
陳永福はまず一本一匁五分を提示してきた。
俺は首を横に振り、二匁五分を返す。
陳永福はすぐには答えず、もう一度瓶を眺めたあと、一匁八分まで上げてきた。
俺も少し考える。
「二匁なら売る」
サンラーが伝えると、陳永福は十本の瓶を見渡し、最後に頷いた。
瓶入り胡椒一本、金二匁。
十本で二十匁。
これで最後の商品も成立した。
グラス八匁、鏡十五匁、ライター五十匁、瓶入り胡椒二十匁。
合計九十三匁。
全部売れた。
取引が終わったところで、俺はサンラーに陳永福がどれくらいの頻度で琉球へ来るのか聞いてもらった。
しばらく話したあと、サンラーがこちらを向く。
「だいたい二か月に一度くらいだそうだ。風や天気で前後することはあるらしい」
二か月か。
ちょうどいい。
俺は少し考えてからサンラーを見る。
「陳に伝えてくれ。今日売った物より、もっといい商品がある」
サンラーが訳すと、陳永福の表情が変わった。さっきまで散々驚かされたばかりなのに、それ以上の物があると言われれば気になるのも当然だろう。
俺は続ける。
「次に那覇へ来た時、荷物を全部下ろしたあとでサンラーをここで拾って、塩屋湾まで来てほしい。そこで商品を見せる」
サンラーが訳して伝える。
陳永福はすぐには返事をせず、しばらく俺を見ていた。今日の取引だけでも、俺が普通の商人ではないことは十分分かったはずだ。
やがて陳永福が何かを言う。
サンラーが笑った。
「行くそうだ。もっといい商品があるなら見てみたい、と」
よし。
こいつは完全に商機を感じている。
俺の強気な交渉も、珍しい商品も、陳永福にとっては十分なビジネスチャンスに見えたらしい。
話がまとまったところで、俺は今度はサンラーを見る。
「次も通訳を頼みたい。今度は酒の中身だけでいいか?」
サンラーは少し考えたあと笑った。
「ああ。それでいい」
瓶と栓は今回渡してある。次からは中身の泡盛だけ持ってくればいい。
「じゃあ、次はだいたい二か月後だな」
「ああ」
陳永福にも次回の約束を伝え、俺たちは席を立った。
福船を降りながら、俺は振り返って巨大な船体を見る。
次はこいつが塩屋湾まで来る。
今日の取引は、たぶん始まりにすぎない。
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