第19話 1600年1月28日
朝。
よく晴れた朝だった。
俺は焚き火で湯を沸かし、コーヒーを淹れる。まだ少し冷たい朝の空気の中、海を眺めながらコーヒーを一口飲み、タバコに火をつけた。
「ふぅ……」
昨日はいろいろありすぎた。
目の前の海は昨日のことが嘘みたいに穏やかで、波の音だけが聞こえている。
コーヒーを飲み終えると、俺は現代から持ち込んでいた作務衣に着替えた。
那覇に行くのに、いつもの格好のままではさすがに目立つ。作務衣ならこの時代の服そのものではないが、現代の服よりはずっとマシだろう。
「これなら那覇でもあまり浮かないだろう」
作務衣は上下で7,700円だった。
前回の残金が301万9,490円だから、これを引いて残りは301万1,790円。
着替えていると、タルガニが俺の姿を見て首を傾げた。
「悠真、いつもとなんか違うな」
「今日は那覇に行くからな。少しでも目立たない格好にしたんだよ」
タルーも俺の作務衣をじろじろと見る。
「でも、見たことない服だな」
「まあ、俺の故郷の服だからな」
サブロウが笑いながら言う。
「いつもの格好よりは変じゃないぞ」
「だろ?」
少なくとも、いつもの現代服よりはマシらしい。
俺はそのまま船に積んである荷物を確認した。
塩の入ったプラスチックボックス。グラス10個、鏡10枚、胡椒10本、ライター20個。それから通訳への対価として持ってきた陶器入りの泡盛。
一つずつ確認していく。
「よし、問題ないな」
昨日の海賊騒ぎで商品が割れたり濡れたりしていないか少し心配していたが、全部無事だった。
これから那覇で売るつもりの商品だ。ここまで来て駄目になっていたら洒落にならない。
俺が確認を終える頃には、タルガニたちも出航の準備を整えていた。
ウミトゥ、サブロウ、タルーが船を確認し、タルガニも荷物をまとめている。
「そろそろ行くか」
みんなで双胴船を海へ出す。
俺は二艘のカヌーの間に作った荷物席へ乗り込み、マストを確認して帆を広げた。
風を受けた帆が大きく膨らむ。
「よし、出航!」
四人がオールを漕ぎ始め、船がゆっくりと浜を離れていく。
俺は帆の向きを調整しながら進行方向を見る。
昨日ウミトゥが言っていた通りなら、午後には那覇へ着くはずだ。
いよいよ那覇か。
俺たちを乗せた船は、朝の海を南へ向かって進み始めた。
5時間ほど波を切り分けながら、船は順調に進んでいった。
しばらくすると、遠くの海に大きな船が見えてきた。
「あれ、ジャンク船だよな」
俺が遠くの船を眺めていると、ウミトゥも同じ方向を見た。
「悠真、福船が見えるぞ」
「福船?」
俺はもう一度その船を見る。
なるほど。ここでは、あのジャンク船のことを福船と言うのか。
それが見えたということは、那覇も近い。
さらに進んでいくと、次第に陸の様子がはっきりしてきた。港には大小いくつもの船が浮かび、人が忙しそうに荷物を運んでいる。
俺たちは程なく港へ着いた。
「ウミトゥ、サブロウ、タルー。悪いけど、ここで船と荷物を見ててくれ」
「分かった」
売り物を全部持って歩き回る必要はない。まずは町の様子を見て、情報を集める。
俺は陶器入りの泡盛と、塩を一斤だけ持った。
「タルガニ、行こう」
「ああ」
二人で港を離れ、那覇の町へ入っていく。
「おお……」
思っていたより、ずっと人が多い。
塩屋とはまるで違った。
道には荷物を担いだ男や籠を持った女が行き交い、あちこちから人の話し声が聞こえてくる。港から運ばれてきた荷物が積まれ、魚や野菜、布、陶器などを扱っている場所もある。
服装も塩屋とは少し違う。
琉球の人間だけじゃない。明から来たと思われる人間も混じっていて、聞き慣れない言葉まで飛び交っている。
俺は自分の作務衣を見下ろした。
「これなら思ったより目立たないな」
もちろん、この時代の服そのものじゃない。
それでもこれだけいろんな格好の人間が歩いているなら、いつもの現代服で来るよりは遥かにマシだ。
タルガニは周りを見ながら普通に歩いているが、俺にとっては見るもの全部が初めてだった。
四百年以上前の那覇。
本当に俺は今、1600年の町を歩いているんだ。
俺たちはそのまま町を歩きながら、米を扱っている商人を探した。
しばらく歩いていると、米俵がいくつも積まれている場所を見つけた。
「ここだな」
俺はタルガニと一緒に中へ入り、米商人に声をかけた。
「ちょっといいか?」
商人が俺を見る。
俺は持ってきた塩一斤を取り出し、商人の前に置いた。
「これと同じ塩が、あと五十斤ある」
商人は塩を手に取り、指先で少しつまんで確かめる。
「これを米と交換してくれないか?」
そこから交渉が始まった。
最初から俺の希望通りというわけにはいかなかった。向こうも商売人だ。塩の質を確かめながら米の量を提示してくる。
俺も簡単には譲らない。
タルガニは隣で黙って俺と商人のやり取りを見ていた。
しばらくああでもない、こうでもないと話した末、ようやく条件がまとまった。
塩一斤につき、米三合。
「それでいい」
商人も頷いた。
これで塩五十斤なら、米百五十合になる。
「じゃあ、あとで塩を持ってくる」
俺は米商人にそう告げ、タルガニと店を出た。
次に探すのは鶏だ。
せっかく米百五十合が手に入るなら、そのまま村へ持って帰るより鶏と交換した方がいい。村で増やせれば、いずれ卵も肉も手に入る。
町を歩きながら人に聞いて回ると、ほどなくして鶏を扱っている商人を見つけた。
近づく前から鳴き声が聞こえてくる。
籠の中には何羽もの鶏が入れられていて、雄鶏も雌鶏もいる。
俺は商人に声をかけた。
「鶏が欲しいんだけど、米と交換できるか?」
「米?」
「ああ」
商人は少し考えてから頷いた。
「どれくらいある?」
「百五十合」
それを聞くと、商人は鶏の入った籠を指さした。
「雄なら一羽で五合。雌なら十合だ」
「雌の方が倍か」
卵を産むことを考えれば当然か。
俺は籠の中を見ながら考える。
どうせなら繁殖させたい。雄ばかりいても仕方がないし、雄は最低限でいい。
「雄二羽と、雌十四羽」
商人が指を折りながら計算する。
「雄二羽で十合。雌十四羽で百四十合……百五十合だな」
「ちょうどだ」
これで米は全部なくなる。
商人は俺とタルガニを見て少し驚いたような顔をした。
「十六羽もどうする?」
「村で増やす」
俺が答えると、隣にいたタルガニが俺を見る。
「増やすのか?」
「そう。雄と雌がいるんだから、うまく飼えば増えていくだろ」
タルガニは籠の中の鶏を見てから、納得したように頷いた。
商人とは、米百五十合と引き換えに雄二羽、雌十四羽、合わせて十六羽で話がまとまった。
ただ、俺はまだ米を持っていない。
さっき米商人と、塩一斤につき米三合で話をつけたばかりだ。船にある塩五十斤を持ってくれば、ちょうど米百五十合になる。
だったら一度俺が米を受け取る必要もないな。
「なあ、今から一緒に来てくれないか?」
「どこへ?」
「米商人のところ。俺が塩と交換する米を、そのままあんたに渡してもらう」
養鶏商人は少し考えてから頷いた。
「それなら構わない」
俺とタルガニは養鶏商人を連れ、鶏十六羽の入った籠と一緒にさっきの米商人のところへ戻った。
「戻ったか」
「ああ。ちょっと頼みがある」
俺は養鶏商人を指した。
「塩五十斤と米百五十合の交換はさっきの約束通り。それで、その米は俺に渡さず、この人に直接渡してほしい」
米商人は俺と養鶏商人を交互に見る。
「この人から鶏を買うことにしたんだ。雄二羽と雌十四羽で、ちょうど米百五十合。だから俺が米を受け取って運ぶより、そのまま渡してもらった方が早い」
「なるほど」
養鶏商人も頷く。
「こちらはそれで構わない」
「分かった」
これで話はまとまった。
「じゃあ二人とも、ここで待っててくれ。塩を取ってくる」
俺はタルガニと一緒に港へ戻った。
船ではウミトゥ、サブロウ、タルーの三人が留守番をしている。
「お、戻ってきたか」
「ああ。塩が全部売れた」
「全部?」
「五十斤全部。ちょっと運んでくる」
俺は船に積んでいた塩の入ったプラスチックボックスを見る。
問題はこの箱だ。
塩屋ではみんな見慣れているが、これをそのまま那覇の町中で持ち歩くのはさすがに目立つ。
俺は布を取り出して、箱全体を覆った。
タルガニがそれを見て首を傾げる。
「なんで隠すんだ?」
「この箱、ここじゃ珍しすぎるだろ。変に目立ちたくない」
「そういうものか」
「そういうものだ」
塩五十斤で約三十キロ。
俺とタルガニは布をかぶせた箱を二人で持ち上げた。
「重いな」
「三十キロくらいあるからな。行こう」
そのまま港を離れ、さっきの米商人のところへ戻る。
「持ってきたぞ」
俺たちは箱を地面に下ろした。
米商人と養鶏商人はちゃんと待っていた。
「これが五十斤か?」
「ああ」
俺は布を少しめくって蓋を開ける。
ところが米商人は、中の塩より先に箱へ目を向けた。
「……その箱は何だ?」
やっぱり気づくよな。
商人は箱の縁を触り、不思議そうに眺めている。
「木ではないな」
「まあな」
「何でできている?」
そんなこと聞かれても、プラスチックなんて説明できるわけがない。
俺は少し考えてから答えた。
「明の箱だ」
「明の?」
「ああ。向こうの品らしい。俺も詳しいことは知らない」
もちろん適当だ。
だが明の人間が出入りしている那覇なら、下手な説明をするよりその方が誤魔化しやすい。
「明にはこんな箱まであるのか……」
米商人は感心したように何度か箱を触っている。
まずい。箱の方に興味を持たれてる。
「箱はいいから、塩を見てくれ」
俺がそう言うと、ようやく商人は中の塩へ目を向けた。
指先で少しつまみ、さっき俺が見せた塩と同じものか確かめる。
「確かに同じだな」
「五十斤ある」
米商人は量を確認し、約束通り塩を受け取った。
これで俺と米商人の取引は成立だ。
次は米商人と養鶏商人。
米商人が百五十合の米を量り、それを俺には渡さず、そのまま隣で待っていた養鶏商人へ渡していく。
養鶏商人も量を確認して頷いた。
「確かに百五十合」
これでこっちも終わり。
養鶏商人が鶏の入った籠を俺たちの前へ出した。
「雄二羽、雌十四羽だ」
俺とタルガニで籠の中を確認する。
十六羽。
ちゃんといる。
「よし」
俺は籠を受け取った。
これで全部の取引が終わった。
俺が渡したのは塩五十斤。
米商人から受け取るはずだった米百五十合は、そのまま養鶏商人へ。
そして俺の手元には、雄二羽と雌十四羽、合わせて十六羽の鶏が残った。
結果だけ見れば、塩五十斤がそのまま鶏十六羽に変わったようなものだ。
タルガニが籠の中を覗き込む。
「塩が鶏になったな」
「本当にな」
俺は思わず笑った。
村へ持って帰って飼えば卵が取れる。うまく繁殖して数が増えれば、いずれ肉としても使える。
食べてなくなる米より、今はこっちの方がいい。
さて、これで鶏は手に入った。
後は通訳を探すだけだ。
せっかく目の前に那覇で商売をしている人間が二人いるんだから、聞いておいた方が早い。
「そうだ。ちょっと聞きたいんだけど、この辺で明の言葉が分かる通訳っていないか?」
俺が尋ねると、米商人と養鶏商人は顔を見合わせた。
「ああ、それなら……」
二人から話を聞くと、明の人間と商売をする者が集まる辺りへ行けば、通訳のできる人間を見つけられるらしい。
大体の場所を教えてもらい、俺は頭の中で位置を確認する。
「分かった。ありがとう」
これで当てもできた。
ただ、この鶏十六羽を連れたまま通訳を探して歩き回るわけにもいかない。
「タルガニ、とりあえずこいつらを船に置いてこよう」
「ああ」
俺たちは二人の商人に礼を言い、鶏の入った籠を持って港へ戻ることにした。
籠の中では十六羽の鶏が騒がしく鳴いている。
さっきまで持っていたのは塩だったのに、今は鶏十六羽。
物々交換というのも、やってみるとなかなか面白い。
俺とタルガニは籠を抱え、来た道を港へ向かって歩いていった。
しばらくして双胴船まで戻ると、ウミトゥたちがこちらに気づいた。
そして俺たちが抱えている大きな籠を見て、三人とも目を丸くした。
俺は鶏の入った籠を船へ積み込んだ。
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