第11話 1600年1月18日
あれから2週間。
俺は一度も現代へ戻っていない。
今日は、いよいよ蒸発池の海水を汲み取って煮詰める日だ。
昨日の夜から、なんだかワクワクが止まらなかった。
そのせいか、今日はいつもより早く目が覚めた。
まだ村も静かだ。
俺はテントを出ると、いつものように湯を沸かす。
「さて……今日はどうなるかな」
コーヒーを淹れ、少し離れたところに腰を下ろす。
一口飲んでからタバコに火をつけた。
朝の冷たい空気の中で煙を吐きながら、蒸発池の方を見る。
今日は、あそこから90リットルほど汲んで、ロケットストーブで一日かけて煮詰める。
本当に塩が取れるのか。
どれくらい取れるのか。
頭では分かっていても、実際に見るまではやっぱり落ち着かない。
そんなことを考えていると、村の方から一人の女性が歩いてきた。
マカトのお母さん、カナさんだ。
「カナさん、おはようございます」
「おはようございます」
カナさんは軽く頭を下げる。
俺はコーヒーを置いて立ち上がった。
「今日は塩を煮詰める日ですね」
「はい」
「カナさんには、交代で火の番をお願いします。朝から始めれば、昼と夕方の間くらいには出来上がると思います」
俺はロケットストーブの方を見る。
「昨日で薪の準備はしてあるので、お願いしますね」
「はい! 頑張って塩作りやります」
カナさんは少し嬉しそうに笑った。
「今までも塩は作っていたのですが、今回こんなにたくさん作るのは初めてです」
「いつも通り、焦がさなければ大丈夫です」
俺がそう言うと、カナさんは力強く頷いた。
「分かりました」
俺はカナさんと話し終えると、いったんテントへ戻った。
今日は塩を仕上げるために、現代から持ってきたい物がいくつかある。
ブルーシート。
100均で買った金属製のザルを3個。
それから、ホームセンターで買った服を収納する透明のプラスチックボックス。
「出来た塩はこれに入れればいいな」
さらに、20キロまで量れるアナログ式のはかり。
八百屋なんかに置いてある、上に物を載せて針で重さを見るタイプだ。
俺は必要な物を頭の中でもう一度確認する。
「ブルーシート、ザル3個、プラスチックボックス、はかり……よし」
今回は買い物をするわけじゃない。
アパートに置いてある物を取って、すぐに戻るだけだ。
「3分もあれば十分だな」
俺は周囲に人がいないことを確認した。
――現在に戻りたい。
パッ。
視界が切り替わり、2週間ぶりにアパートへ戻った。
俺はすぐに必要な物を集め始めた。
透明のプラスチックボックスを出し、その中へブルーシートを入れる。
続いて金属製のザルを3個。
さらに20キロまで量れるアナログ式のはかりも入れた。
「よし、全部入った」
俺はプラスチックボックスを両手で抱え、蓋を脇に挟んだ。
最後に時計を見る。
PM9時3分。
「本当に3分だな」
そのままブラックホールへ戻る。
パッ。
再び1600年の村へ戻った。
手にはプラスチックボックス。
中にはブルーシート、ザル3個、はかり。
蓋は脇に挟んだままだ。
「これでいいか」
道具は揃った。
俺はそのままロケットストーブのところへ向かい、タルガニを呼ぶ。
「タルガニー!」
少し離れたところにいたタルガニが振り返った。
「なんだ?」
俺は100リットルの大鍋を指さす。
「この大鍋に、池からバケツ9杯分入れてくれ!」
「9杯か?」
「ああ。全部入れたら、今度は同じ9杯分を海から汲んで池に戻してくれ」
タルガニは池と鍋を見比べてから頷いた。
「分かった」
しばらくして、鍋には池から汲み上げた濃い海水が入った。
これで準備はできた。
俺はロケットストーブの前にしゃがみ込み、薪を入れる。
「よし、始めるか」
火をつける。
しばらくすると、
ゴォォォッ。
ロケットストーブ独特の音を立てながら、火が勢いよく燃え始めた。
鍋の底を強い炎が包む。
俺は火の状態を確認してから立ち上がった。
「じゃあ、あとはカナさんよろしくね」
「はい」
「塩作りは、4日作って1日休みにしようと思います」
近くにいたタルガニにも声をかける。
「タルガニ、ちょっと来て」
「なんだ?」
俺は蒸発池を指さした。
「今日から4日間は、毎日池からバケツ9杯分取って塩を作る」
「毎日か?」
「ああ。その代わり、取った分と同じだけ海から池に戻す」
タルガニが頷く。
俺は続けた。
「でも、新しい海水を毎日入れると少しずつ池の海水が薄くなる。だから4日作ったら、5日目は塩作りを休む」
「休むのか?」
「そう。その日は池から汲み取らない。太陽と風で水だけ減らして、また海水を濃くする」
俺は池の水面を指さした。
「それが終わったら、また4日作って1日休み。その繰り返し」
タルガニは池を見ながら何度か頷いた。
「なるほど」
「俺がいなくても出来るように、やり方を覚えておいてくれ」
「分かった」
カナさんにも改めて説明する。
「火の番も交代でお願いします。水が減って塩が出てきたら、最後まで強火にしすぎないようにしてください」
「はい」
「鍋の底に少し水分が残って、塩が湿った状態になったら火を止めます。その後はブルーシートに広げて乾かす」
俺は持ってきたザルとプラスチックボックスを見せた。
「乾いたらこれで塊を崩してふるって、最後にこの箱へ入れます」
カナさんとタルガニが頷く。
これで、塩作りについては俺がいなくても回せるはずだ。
「じゃあ、よろしく」
俺は二人に任せると、その場を離れた。
次に向かうのは村の畑だ。
この2週間で、畑の方もかなり進んでいる。
畑へ着くと、男たちが朝から作業を続けていた。
木の根を掘り返し、石をどけ、土を均している。
その中で周りに指示を出している男が一人いる。
村の農作業をまとめているシンガだ。
「シンガー!」
俺が呼ぶと、シンガが作業の手を止めた。
「なんだ、ユウマ?」
俺のところまで歩いてくると、シンガは畑を見渡した。
「今日でほとんど開墾は終わりそうだが、次はどうする?」
「次は畝を作ろう」
「うね?」
俺はしゃがみ込み、地面の土を両側から寄せる。
「こうやって、真ん中を少し盛り上げるんだ」
シンガもしゃがみ込み、俺の手元を見る。
「ここを高くするのか?」
「ああ。両側を少し低くして、真ん中を盛る」
俺は立ち上がり、畑の端から反対側を指さした。
「これを端から端まで、まっすぐ作ってくれ」
「何本だ?」
「50本」
シンガが畑を見渡した。
「50本か……」
「そう。なるべく同じ間隔でな」
俺は地面に一本の線を引くように手を動かした。
「畝が全部出来たら、いよいよ種を蒔く」
「分かった」
シンガは頷くと、すぐに男たちのところへ戻っていった。
俺はそのままテントへ戻る。
次に必要なのは肥料だ。
今、村では人糞や落ち葉、残飯、灰を集めて堆肥を作っている。
ただ、まだ使える状態にはなっていない。
「それまでの繋ぎだな」
俺はブラックホールを開き、アパートへ戻った。
持ってくるのは、現代で用意していた粒状の化成肥料。
20キロ入りを5袋。
全部で100キロだ。
「正直、あの畑に100キロじゃ全然足りないんだけどな……」
50メートル×50メートル。
2,500平方メートルもある。
全面にしっかり肥料を入れるには、とても足りない。
でも、俺一人で運べる量にも限界がある。
「これでも5往復だぞ」
20キロの袋を一つ抱え、1600年へ戻る。
テントへ置く。
また現代へ戻る。
もう一袋。
それを繰り返す。
5往復して、ようやく100キロ全部をテントの前へ運び終えた。
「ふぅ……さすがに重いな」
俺は積み上げた5袋を見る。
「まあ、何もやらないよりはいいだろ」
堆肥が出来上がるまでの繋ぎ。
最初の一作を何とか育てるための肥料だ。
俺は畑へ戻り、シンガを呼んだ。
「シンガ!」
「なんだ?」
「ちょっと手伝ってくれ」
俺はシンガと何人かの男たちに、テント前に置いてある肥料を畑まで運んでもらった。
俺自身は、さっき塩作り用に現代から持ってきた20キロまで量れるはかりを持って畑へ向かう。
畑に着くと、肥料の袋を一つ破った。
中から細かい粒状の肥料が出てくる。
シンガが不思議そうに覗き込んだ。
「これは何だ?」
「畑の肥料」
「これが?」
「ああ。土に混ぜると、作物が育つ助けになる」
俺ははかりを地面に置き、肥料を量り始めた。
2キロ。
量った分を地面に一山作る。
また2キロ。
その横へもう一山。
それを繰り返していく。
全部で100キロ。
畝は50本だから、一つの山が畝一本分になる。
俺は並んだ肥料の山を見ながら苦笑した。
「畝一本に2キロしかないけど、しょうがないな」
シンガを呼ぶ。
「シンガ!」
「なんだ?」
俺は2キロずつ分けた肥料の山を指さした。
「畝を作りながら、畝一本につきこの山を一つ使ってくれ」
シンガが肥料を手に取る。
「全部まとめて入れるのか?」
「いや、少しずつ」
俺は指で摘まむようにして見せた。
「畝の端から端まで、なるべく均等になるように薄く撒いてくれ」
「これ一山で一本か?」
「ああ。50本畝があるから、一畝に2キロしかない」
俺は畑全体を見る。
「本当はもっと入れたいけど、今はこれで我慢だ」
シンガは肥料の粒をしばらく眺め、それから頷いた。
「分かった」
「畝を作る時に土と一緒に混ぜ込んでくれ」
「任せろ」
シンガはそう言うと、一つ目の肥料の山を持って男たちのところへ向かった。
俺は畑を離れ、塩を煮ている場所へ戻った。
ロケットストーブに火を入れてから、もう1時間ほど経っている。
近づく前から、鍋の中で海水が沸いている音が聞こえてきた。
「お、結構きてるな」
100リットルの大鍋を覗くと、海水はしっかり沸騰している。
ロケットストーブの火も安定していて、勢いよく鍋底を炙っていた。
カナさんはその前に座り、火の番をしながら時々長い棒で鍋の中をゆっくりかき混ぜている。
「順調ですか?」
「はい。ずっと沸いてます」
カナさんは鍋の底をこするように、もう一度ゆっくり混ぜる。
「底が焦げつかないように、たまに混ぜてます」
「それで大丈夫です」
俺も鍋を覗き込む。
まだ塩の結晶が出てくるような段階ではない。
ここから何時間もかけて、水だけを飛ばしていく。
「まだまだ長いですね」
「そうですね」
カナさんは笑いながら、また薪を一本ロケットストーブへ差し込んだ。
畑の方も任せた。
塩の方も今のところ問題ない。
急にやることがなくなった。
「……暇だな」
俺はしばらく考えたあと、海の方を見る。
「釣りでもするか」
最近はルアーばかりだった。
今日は少し違うことをやりたい。
「タマン狙いで打ち込みでもするかな」
空を見る。
もう日はかなり高い。
条件としてはあまり良くない。
ただ、海を見ると潮は動いている。
「まあ、潮は動いてるし、やってみるか」
俺は釣り道具を持って海岸へ向かった。
まずは餌だ。
岩場を歩きながら探していると、すぐにヤドカリが見つかった。
「いたいた」
何匹か確保して、餌に使うことにする。
ふと沖を見る。
少し離れたところでは、村の漁師3人が小舟に乗って刺し網をしていた。
舟をゆっくり動かしながら、海へ網を入れている。
「向こうも仕事中か」
俺は適当な場所を決め、竿を準備する。
針にヤドカリを付け、重りを確認した。
「よし」
一投目。
仕掛けを振りかぶって投げる。
ポチャン。
20メートルほど先に仕掛けが落ちた。
糸を張り、竿を固定する。
竿先には鈴を付けた。
「これで待つだけだな」
俺は釣り用の小さな椅子を持ってきて、その場に腰を下ろした。
タバコを一本取り出して火をつける。
煙を吐きながら海を見る。
沖では漁師たちの小舟。
目の前には、鈴を付けた竿。
「さて……来るかな」
俺は椅子に座ったまま、のんびり竿先を眺めた。




