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2話 おにゅぎり



 日本から戻って三日。


 王女ミューシの頭の中は、味噌汁のことでいっぱいだった。


「……違いますわ」


 王宮の厨房。


 ミューシは料理長が作った味噌汁を一口飲み、首を傾げた。


「やはり、あのお店でいただいた味とは違います」


「申し訳ございません、殿下!」


「謝らなくてもよいのです。これは料理長の腕の問題ではありませんわ」


 ミューシは真剣な顔で椀を見つめる。


「日本には、まだ私たちの知らない何かがあるのです」


「何か、と申しますと……?」


「……ダシですわ」


「だし?」


「ええ」


 ミューシは日本で聞いた言葉を思い出していた。


 料理人が話していた。


 味噌汁の美味しさには、出汁が大切なのだと。


「ダシとは、一体何なのでしょう?」


「存じ上げません……」


「ならば!」


 ミューシは勢いよく立ち上がった。


「もう一度、日本へ参りましょう!」


「またですか!?」


 料理長の声が厨房に響いた。


     


 境界の扉。


 王家に伝わる古代魔法によって、一度開いた扉はしばらくの間、自由に行き来できるようになっていた。


「では、行ってまいりますわ!」


 ミューシは青と金のドレスを整え、扉の前に立った。


 護衛騎士がため息をつく。


「殿下。本日の目的は出汁の調査ですからね」


「もちろんですわ」


「寄り道は?」


「いたしません」


「本当ですか?」


「……たぶん」


「殿下!」


 ミューシは笑って扉をくぐった。


     


 再び日本。


「まあ……!」


 ミューシは目を輝かせた。


 街には、前回とは違う匂いが漂っている。


「殿下、目的をお忘れなく」


「分かっていますわ」


 そう言いながら、ミューシは匂いのする方向へ歩いていく。


「……これは何の香りでしょう?」


 辿り着いたのは、小さな商店だった。


 入口には、たくさんのお弁当や食べ物が並んでいる。


 そしてミューシの目に、一つの食べ物が飛び込んできた。


「……!」


 三角形。


 白いご飯。


 海苔。


「これは……?」


 店員が答える。


「おにぎりですよ」


「おにゅぎり……」


 ミューシはじっと見つめた。


「三角形ですわ」


「はい」


「なぜ三角なのです?」


「握りやすいから……ですかね」


「握る……?」


 ミューシは不思議そうに首を傾げた。


「お米を握るのですか?」


「そうですね」


「なるほど……」


 ミューシはおにぎりを手に取った。


 そして、一口。


「…………」


 またしても沈黙。


「殿下?」


「……これ」


「はい?」


「すごく美味しいですわ!」


 ミューシの顔がぱっと明るくなる。


「白いお米なのに、海苔の香りが加わるだけで、こんなに美味しくなるなんて!」


 さらに一口。


「それに、この中に何か入っていますわ!」


「鮭ですね」


「鮭……!」


 ミューシの瞳が輝いた。


「魚とお米を一緒に……!」


 しばらく夢中で食べていたミューシは、ふと気づいた。


「……これなら」


「何でしょう?」


「異世界でも作れるのでは?」


 護衛騎士が目を丸くする。


「おにぎりを、ですか?」


「ええ」


 ミューシはおにぎりを大切そうに見つめた。


「お米なら、我が国でも作っていますもの」


「確かに」


「鮭もあります」


「はい」


「ならば……」


 ミューシは嬉しそうに笑った。


「作りましょう!」


     


 その日の夕方。


 王宮の厨房。


「では、まずお米を炊きますわ」


「承知しました」


「次に、塩を少々」


「はい」


「そして、こうして握るのです」


 ミューシは両手で炊き立てのご飯を包む。


「あつっ!」


「殿下!」


「だ、大丈夫ですわ!」


 ミューシは涙目になりながらも、必死にご飯を握った。


 ぺたん。


 少し歪んだ三角形が完成する。


「……できましたわ!」


 料理長たちが拍手する。


「おお……!」


「殿下、見事です!」


「ふふっ」


 ミューシは誇らしげに胸を張った。


「これが日本のおにぎりですわ!」


 そして一口。


「…………」


「殿下?」


「…………何か違いますわ」


 ミューシは眉を寄せた。


「やはり、日本のおにぎりのほうが美味しい……」


「具材でしょうか?」


「それもありますわ」


 ミューシは考える。


「海苔もありませんし……」


「海苔?」


「黒い紙のようなものです」


「黒い紙を食べるのですか!?」


「わたくしも最初はそう思いましたわ」


 ミューシはくすりと笑った。


「でも、とても美味しかったのです」


     


 翌日。


 再び日本。


「海苔をくださいませ!」


 店員が驚く。


「え、海苔ですか?」


「はい!」


 ミューシは大量の海苔を購入した。


 そして鮭。


 昆布。


 梅干し。


 さらに米用の道具まで。


 気がつけば、両手いっぱいの荷物になっていた。


「殿下……」


「何でしょう?」


「出汁の調査は?」


「もちろん覚えておりますわ」


 ミューシは真面目な顔で答えた。


「これは、その途中で必要になった物です」


「……本当に?」


「本当ですわ」


 そう言って、ミューシはおにぎりをもう一つ購入した。


「……これは必要です」


「なぜです?」


「研究のためですわ」


     


 異世界へ戻ったミューシは、王宮の厨房でおにぎり作りを始めた。


「鮭おにゅぎり!」


「昆布おにゅぎり!」


「梅おにゅぎり!」


 次々と完成していく。


 料理人たちも夢中になった。


「殿下、こちらの具材はいかがでしょう?」


「それも良いですわ!」


「では、肉を入れてみては?」


「それも試しましょう!」


 気がつけば、厨房には大量のおにぎりが並んでいた。


 そして――。


「おお……!」


 料理人の一人が感嘆する。


「これは保存もしやすく、持ち運びにも便利です!」


 ミューシは頷いた。


「そうでしょう?」


「旅人にも兵士にも良いのでは?」


「……兵士」


 ミューシは少し考えた。


 そして、ぽんと手を打つ。


「そうですわ!」


「何か思いつかれましたか?」


「遠征する兵士たちに、おにゅぎりを持たせましょう!」


「それは素晴らしい!」


 ミューシは笑顔になった。


「これなら、いつでも温かい……いえ、冷めても美味しいお米が食べられますわ!」


 料理長が感心する。


「殿下は本当に日本の料理がお好きなのですね」


「ええ」


 ミューシは満足そうにおにぎりを眺めた。


「日本には、まだまだ私たちの知らない料理があるのでしょうね」


 その目は、もう次の料理を探していた。


「次は……何を食べましょう?」


     


 その夜。


 ミューシは自室で日本の料理本を読んでいた。


「ヤキザカナ……天ぷら……スシ……うどん……」


 ページをめくるたびに、目が輝く。


「まあ……こんなにも……」


 そして最後のページを閉じた。


「決めましたわ」


 ミューシは窓の外を見ながら、力強く宣言した。


「日本の料理、全部食べますわ!」


 まだ彼女は知らない。


 次に出会う料理が、彼女の食生活を大きく変えることを。


 そして――。


 やがて彼女が日本の食文化だけではなく、日本の言葉や仕草まで覚えてしまうことを。


「……明日は何を食べようかしら」


 その夜も、王女ミューシは日本の夢を見た。


 夢の中で彼女が握っていたのは――


 一本の箸だった。

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