8 小学校へー空色のアン…ーでの旅
試合の余韻が残る放課後のグラウンド。外野のすみに広がるシロツメクサの緑の中に、高瀬銀河は一人寝転び、どこまでも澄み渡る空を見上げていた。
「おめでとう、高瀬くん」
声をかけてきたのは、物部杏だった。杏の手元には、白い小さな花を集めて編み上げたシロツメクサの花冠がある。
「これ、よかったら」
「ありがとう……!」
銀河が起き上がり、杏から受け取った花冠を慈しむように見つめていると、草むらの奥からかすかな足音が近づいてきた。
「……にゃあ」
少し低く、澄んだ鈴のような鳴き声。
ふたりが視線を落とすと、そこには見事な白地に黒と茶の模様を持った一匹の三毛猫がちょこんと座っていた。鍵型に曲がった短い尻尾をパタパタと揺らし、黄金色の大きな瞳でふたりをじっと見上げている。
「あ……猫ちゃんだ。どこから入ってきたんだろう?」
杏が目を丸くして、そっと膝をついた。
「首輪は……ついてないな。野良猫かな? でもすごく毛並みが綺麗だ」
銀河も花冠を手に持ったまま屈み込むと、三毛猫は警戒する素振りをみせるどころか、トコトコとふたりの間へ歩み寄ってきた。そして、杏の指先に自分の頭を「ごん」と愛おしそうに押し当ててくる。
「ふふっ、すごく可愛い……! 全然怖がらないね」
「本当だ。……っていうか、杏が花冠編んでるときから、ずっとあそこの草むらで見てたのか?」
「にゃあ」
三毛猫は「当たり前でしょ」と言いたげに短く鳴くと、今度は銀河の足元へ擦り寄り、銀河が握りしめているシロツメクサの花冠にそっと鼻先を寄せた。
「お名前、なんていうのかな?」
杏が柔らかく尋ねると、三毛猫は胸を張り、誇らしげに鳴いた。
「ミャア」
「えっ……? 今、『ミャア』って言った……?」
銀河が驚いて顔を覗き込む。
「ミャア」
もう一度、はっきりと自分の名前を主張するように鳴く三毛猫。
「あはは! ミャアちゃんっていうんだ! すごいね、自分で名前が言えるんだね!」
杏が嬉しそうに目を輝かせると、ミャアは「ゴロゴロ……」と心地よさそうに喉を鳴らし、二人の手を交互に鼻先でちょんとつついた。
「ミャア……か。なんだか、すごく不思議な雰囲気がある猫だな。……あ、そうだ」
銀河は手に持っていたシロツメクサの花冠を、そっとミャアの頭の上にのせてみた。
「うわぁ……! 高瀬くん、すっごく似合ってる!」
「だろ? なんか、幸せを運んでくる妖精みたいだな」
ミャアは頭の上の花冠を落とさないように、少しだけ誇らしげに首をかしげ、「にゃーん」と愛らしく鳴いてみせた。
「あのね、ミャアちゃん」
杏がミャアの目線に合わせて微笑みかける。
「私ね、試合中、心の中で『打て!』って願ってたの。そうしたら、高瀬くんが本当にすごいヒットを打ってくれて……」
「杏……」
照れくさそうに耳を赤くする銀河に、杏は言葉を続けた。
「シロツメクサの花言葉はね、『約束』や『幸運』……そして『私を思って』なんだよ。この花冠を渡せたのも、ミャアちゃんがこうしてそばにいてくれたおかげかも」
「……ありがとう、杏。俺、この花冠をもらえて……開かなかった自分の心の扉が、すーっと開いた気がしたんだ。杏の応援があったから、最後まで諦めずに打てた」
銀河が真っ直ぐに杏の瞳を見つめて伝えると、杏も頬をぽっと赤く染めながら、しっかりと深くうなずいた。
ふたりの間に流れる、甘酸っぱくも温かな静寂。
ミャアはふたりの顔を交互に見つめ、満足そうに「ゴロゴロ……」と喉を大きく鳴らした。
「ミャアちゃんも、応援してくれてたんだよね?」
「にゃあ」
「ふふ、合格点もらえたみたいだな。……でも、ミャアちゃんはどこから来たんだろう?」
銀河が遠くのグラウンドのフェンスを見やると、ミャアはスッと立ち上がり、頭の上の花冠をちょんと銀河の手に戻した。
「あれ……? ミャアちゃん、行っちゃうの?」
杏が名残惜しそうに声をかけると、ミャアはふたりの足元をくるりと一周した。
「そっか。お前も『旅の途中』なんだな」
銀河がさとったように優しく微笑む。
「旅人さんなのかな……?」
「ああ。きっとこのミャアは、色んな場所を歩いて、素直になれない誰かや、踏み出す勇気が欲しい人の心に寄り添ってきたんだと思う。俺たちみたいにな」
ミャアはふたりに向かって、最後にもう一度「ミャア」と短く愛おしい声を残すと、夕日に照らされたシロツメクサの原っぱを軽やかに歩き出した。
「ミャアちゃん、ありがとう! 花冠、大切にするね!」
杏が手を振ると、ミャアは振り返り、鍵型の尻尾をフリフリと揺らしてみせた。
そのままフェンスの隙間をすり抜け、茜色の夕空の下へと吸い込まれるように去っていく。
ふたりはそっと手を重ね合いながら、ミャアの小さな後ろ姿をいつまでも愛おしそうに見送った。
校門を出た先の交差点。
そこには、全国を巡る大きな配送トラックが信号待ちで停まっていた。
ミャアはしなやかな身のこなしで荷台の隙間へと飛び乗ると、段ボールの温かな隙間に丸くなった。
2次元が大好きな少女と、思いを寄せるリアルな少年。
頑なだった心の扉が開き、シロツメクサの花言葉とともに未来への『約束』が結ばれた美しい瞬間。
たくさんの物語と、愛おしい想いを見届けてきたミャアの旅。
トラックのエンジン音がブオンと響き、車体がゆっくりと走り出す。
日本を飛び出し、時空をも超えて——遥か南米アンデスの山並みや、世界中のどこかへ。
誰かの心に小さな幸運を届けるため、旅する三毛猫ミャアの気ままな大冒険は、これからも静かに続いていくのだった。




