【下剋上編】 第九段 細川政元、暗殺さるること
【下剋上編】 第九段 細川政元、暗殺さるること
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京の中枢で、また大きな崩壊が起きた。今度は将軍ではなく、その将軍を意のままに操ってきた男自身が、我が子とも頼む養子の手にかかって命を落とした。しかも、そのあとに続いた家督争いの決着のつき方が、あまりに速く、あまりに凄まじいものだった。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
細川政元、かねてより不思議なる人物にて候。生涯、女人を近づけず、修験の道に打ち込み、天狗の術を修めんと日々に励み候由に候。かかる性分ゆえ実子なく、三人の養子――澄之、澄元、高国――を迎え候えども、これが後々、家中を二分する火種と相成り~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
細川政元は、以前から不思議な人物でした。生涯女性を近づけず、修験の道に打ち込んで、天狗の術を修めようと日々励んでいたそうです。そのため実の子がなく、3人の養子――澄之、澄元、高国――を迎えましたが、これが後々、家中を二分する火種になってしまいました。
永正4年(1507年)6月23日の夜、政元は行水の最中を、澄之派の家臣である香西元長、薬師寺長忠らに襲われて命を落としました。管領家の当主が、天下の権を握っていた者が、自分の家臣の手にかかって死ぬというのは、下界でもまれに見る出来事だと思いました。
翌24日、澄之方はすぐさま澄元の屋敷を襲い、澄元は三好之長とともに近江国青地城へ逃れました。7月には澄之が将軍から正式に家督を認められ、誰もが澄之方の勝利で決着かと思われたその時、澄元は近江で力を蓄え、静かに巻き返しの機会をうかがっていました。
そして、およそひと月半後の8月1日、体勢を立て直した澄元は、細川高国、三好之長と合流して京へ攻め込み、澄之とその一党を討ち取りました。翌8月2日、澄元は将軍・足利義澄に拝謁し、細川京兆家の家督を正式に継承しました。政元の死からわずか1ヶ月あまりの間に、当主の座は政元から澄之、そして澄元へと目まぐるしく入れ替わってしまいました。
追われた者が力を蓄え、討った側を今度は討ち返す。この下剋上の速さには、恐ろしいものを感じました。
あの明応の政変で将軍を意のままに操っていた政元が、家督争いの果てにあっけなく討たれてしまう。人を操っていた者が、いつしか操られる立場に転じ、そしてまた新たな争いの種を蒔いて世を去る。追われて逃げていた澄元が、わずかひと月あまりで京に攻め入り、家督を奪い返す。本当に、この目まぐるしさこそが、下剋上の時代の本当の姿なのかと、思い知らされました。
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天狗になろうとしていた男が、家臣の刃には敵わなかった。あれほどの権勢を誇った政元も、身を守る術は持ち合わせていなかったらしい。そして、追われる側だったはずの澄元が、わずかな間に立場を逆転させてしまう。将軍を意のままに動かした男の最期と、その後の当主交代の速さに、我はどこか皮肉なものを感じずにはいられない。




