【下剋上編】 第六段 天変地異・明応地震と大津波のこと
【下剋上編】 第六段 天変地異・明応地震と大津波のこと
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人の企みや野心を、まるで洗い流すかのような出来事が起きた。伊豆や相模で人が城を奪い合っていたその同じ土地に、天が容赦のない一撃を下した。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
明応七年八月二十五日の朝、東海道一帯、大いなる地震に見舞われ候。紀伊より房総に至るまで、太平洋沿いの国々、いずれも激しき揺れに襲われ候。
これに続き、巨大なる津波、沿岸の村々を次々と飲み込み~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
明応7年(1498年)8月25日の朝、東海道一帯が大きな地震に見舞われました。紀伊から房総に至るまで、太平洋沿いの国々はいずれも激しい揺れに襲われました。
これに続いて、巨大な津波が沿岸の村々を次々と飲み込みました。伊勢の大湊では家屋1000戸あまりが流され、5000人あまりが溺死したそうです。遠江国では、これまで陸地に隔てられて淡水を湛えていた浜名湖が、津波によって陸地が切れて海と繋がってしまいました。この切れた場所は、下界では早くも「今切」と呼び習わし始めているそうです。
鎌倉では、津波があの大仏殿にまで達して、御堂を押し流してしまいました。あの大仏は、御堂を失って、剥き出しの姿で座っておられるそうです。
この大災害は、まさに伊豆で盛時と茶々丸が争いを続けていた、その同じ土地を襲いました。人の企みも、城の奪い合いも、天の一撃の前には何ほどのものでもないのかと、見ていて思い知らされました。
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城一つを奪うために、人はあれほど知恵を絞り、謀を巡らせる。だが天は、そんな人の営みなど一顧だにせず、一夜にして万余の命を奪い、土地の姿形さえ変えてしまう。鎌倉の大仏が、御堂もなく雨風に晒されているという今の有様は、何やら象徴的な話に思える。人の作った秩序というものも、この先どうなっていくか知れたものではない。




