【下剋上編】 第十七段 安芸・毛利元就
【下剋上編】 第十七段 安芸・毛利元就
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尼子経久について、以前一段を割いて書いたことを覚えておいでだろうか。あの謀将の影が、実は別の国人の家督相続にも及んでいたと知り、我は少なからず驚かされた。安芸国の毛利元就という男について、今回は書いておこうと思う。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
安芸国の毛利家、もとより国人領主の一に過ぎず、東の大内、西の尼子、この二大勢力に挟まれ、いずれかに従属せねば立ち行かぬ小勢力にて候。元就、二十歳の初陣にて、安芸武田氏の当主・武田元繁を討ち取る大功を挙げ、武名を高め~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
安芸国の毛利家は、もともと国人領主の1つに過ぎず、東の大内、西の尼子、この2つの大勢力に挟まれて、どちらかに従属しなければ立ち行かない小勢力です。元就は20歳の初陣で、安芸武田氏の当主・武田元繁を討ち取る大きな功績を挙げて、武名を高めました。
大永3年(1523年)、家督を継ぐはずだった幸松丸が、9歳で病死しました。次の当主を巡り、家中の一部の者たちが元就の異母弟・元綱を擁立しようと画策しましたが、この裏には、あの尼子経久の意向があったそうです。以前書いた、あの城を芸人に扮して奪い返した男が、まさかこんな形でまた私の目に留まるとは思いませんでした。
ですが、志道広良をはじめとする多くの重臣が元就を推挙し、元就はこれを受けて家督を継ぐことになりました。こうして当主となった元就は、当初は尼子に従いましたが、家督相続の際の尼子の介入を快く思わず、次第に大内方へと鞍替えしていきました。
大内・尼子、どちらの言いなりにもならず、両者の間で巧みに立ち回りながら着実に力を蓄えていく元就の身の処し方は、私にはどこか、あの朝倉貞景のような抜け目なさを思わせるものがあります。
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尼子経久という男、城を一つ奪い返しただけの謀将かと思っていたが、遠く離れた安芸の家督相続にまで手を伸ばしていたとは、その野心の広さに我は改めて驚かされた。だが、その経久の思惑をものともせず、したたかに立ち回る元就という若者もまた、只者ではない。小勢力が大勢力の間で生き残るための知恵、これもまた一つの下剋上の形なのだろう。




