【下剋上編】 第十一段 天変地異・摂津河内地震のこと
【下剋上編】 第十一段 天変地異・摂津河内地震のこと
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三好之長・澄元方が、如意ヶ嶽の合戦に敗れて阿波へ落ち延びた、その翌年のことだ。人が戦い続けているその同じ土地に、また天が容赦のない一撃を下した。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
永正七年八月八日の未明、摂津・河内両国、大いなる地震に見舞われ候。京にても強き揺れ感ぜられ候由に候。摂津の四天王寺にては石の鳥居崩れ、金堂の本尊も大破いたし候。河内の常光寺、剛琳寺、藤井寺、いずれも建物潰れ候由に候。圧死せし者も少なからずと聞き及び候。この後も、余震七十日あまり続き~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
永正7年(1510年)8月8日の未明、摂津・河内両国が大きな地震に見舞われました。京都でも強い揺れが感じられました。摂津の四天王寺では石の鳥居が崩れ、金堂の本尊も大破しました。河内の常光寺、剛琳寺、藤井寺、いずれも建物が潰れました。圧死した者も少なくないとの事です。この後も余震が70日あまり続きました。
こういう災害が起きた土地は、まさに前回書いた、之長・澄元方が勢力挽回を図って何度も兵を動かした、まさにその一帯です。人がいくら城や領地を奪い合おうとも、地そのものが揺らいでしまえば、そこに何が築かれていたかなど、天にとっては何の意味もないことなのだろうと、見ていて思い知らされました。
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戦場となった土地に、追い打ちをかけるように地震が起きる。人が城を奪おうとしていたその足元で、地面そのものが崩れてしまうのだから、皮肉としか言いようがない。天は人の争いの勝敗になど、はなから興味がないらしい。




