紡ぎ車の記憶
ぽうっ、ぽうっ……
綿毛灯が、ふたつ浮かぶ。
蛍のようにさまようは、柑子色。
さながら、蜉蝣のような儚さを感じる灯り。
だから、であろうか。
ソノラは、蜜梅の根元で泣き伏せる子を見つけた時、その子が、綿毛灯のように消えてしまうのではないかと思った。
綿毛灯は、竹籠をかぶせても、消えてしまう。
(知らない子……)
肩をすぎた、若草色の髪が、野分に揺れる。
勁風は、少女であるソノラの顔を隠す。
薄暮に昇った綿毛灯は、風車に当たると、ぱっと散って消えていった。
カラカラカラカラ──……
風車の、音がする。
ふと、強く思い出されることがあった。
「──人間っていうのは、めでたい生きものなんだ」
ソノラがまだ七つで、糸繰りの才がないとわからなかった頃だった。
養い親のミハヤはそう言ったのだ。
「気になることを目にしたとしても、面倒だと感じたら、気のせいですませてしまう」
ソノラは、紡ぎ車と苦闘していた。どんなに気をつけても、ソノラの紡いだ糸は、どうしてもほどけてしまう。かんしゃくを起こしたソノラを、ミハヤがあやすように語ったのだ。
「こわい話がある」
怪談の語り部のように、ミハヤは声を低くした。
カラカラカラカラ──……
紡ぎ車の、音がする。
「隣の、隣の、ある里で起きたほんとうの話なんだがね。ある夜、親の言いつけを守らずに夜歩きをしていた娘が、里の中心で野盗に襲われた」
ソノラは、見習いになったばかりだった。こわくなって、ひっ、とすぐに声をあげた。日中なのに、その時は蜩が鳴いている気がした。
「娘は、ずっと、助けてって声を上げていたんだけど、里の皆はだれも助けに来なかった。なぜだと思う?」
「その娘が、親の言いつけを守らない悪い子だったから?」
ミハヤは首を振って、さらに声を低くした。
「みんな、だれかが、見に行くだろうと思ったからさ」
ひゅっ、と息を呑んだ。
「聞こえて、いたんだよ。悲鳴が聞こえる気がするなって。でも、夜更けで、みんなが寝る準備をしていた。きっと、だれかが見に行くだろうと、みんなが思って、みんなが行かなかったんだ」
「…………」
「その娘は殺されてしまった」
ソノラは、呆然と言葉を失う。
だからね、とミハヤは声音をいつものように戻して言った。
「人間とは、めでたい生きものなんだ。気になっても、どうにかなる。めんどくさかったら、明日でいい。そうやって生きてるのが人間ってものなんだよ」
ソノラは、子ども心に、悲しくなった。自分も含めて、人間という生きものがどうしようもない生きものな気がして、目と鼻の奥が、ぎゅっと染め布で絞られたみたいになった。
そんなソノラの心境を知っているように、ミハヤはつづける。
「ただ、これは悪いことじゃないよ。そうやって生きたほうが楽だからね。全部を真面目に、事件かもしれないと思って生きていたら、疲れてたまんないだろう?」
ミハヤの確認に、ソノラはこくんと肯く。
「だから、生きやすいように、神さまがそう仕組んでいるんだ。めでたい生きものとして、ね」
「……でも、そのままだったら、死んじゃった娘みたいなことが起きるよ?」
「だから、〈もつれ〉を見逃しちゃいけないんだ」
ミハヤは、床板の上でぐちゃぐちゃになった糸のなりかけを手に取った。
「気になったら、気のせいで終わりにしない。気になる、ということは、なにかあるってことだ。もしかしたら、すでに〈もつれ〉ているかもしれない」
「……〈もつれ〉」
「──糸繰りの匠ミハヤは、決して、〈もつれ〉を見逃さない」
にっと、ミハヤは笑みを引く。
糸のなりかけを手に取りながら、親指と人差し指で縒っていく。指先から不思議な力が流れているように、もつれていた糸が、ほどけていきながら、今ひとたび真っ直ぐな糸になっていく。
「なぜ、〈もつれ〉てしまったのか、見定めるんだよ、ソノラ」
かこんっ、と音がすると、ミハヤは近くに綛枠を置いた。縒り直した糸を、今度は枠に張っていく。
「お前には、その力がある。だから、うまく紡げなくて、いらだったんだろうね。〈もつれ〉を見逃していない証拠だよ。さすが、あたしの子だ」
そうして、一束、ミハヤは綛を作り上げた。
「めでたい生きもので収まるんじゃないよ、ソノラ」
カラカラカラカラ──……
耳の奥で、母さんの声が反響する。
──わたしは、めでたい生きもので終わらない。
ソノラは、一歩、足を踏み出した。
「どうしたの?」
ぴくっ、とソノラと同じ若草の頭が動く。
「どこか痛い?」
次第にゆっくりと、おずおずと、顔が上がった。見上げた目が、ソノラと重なる。
「え……?」
「え……!」
そうして、ふたりは驚いて、互いを見やった。
同じ顔。同じ色。同じ線。
若草色に、琥珀色の瞳、顔立ちまですべてが、鏡映しのようにそっくりであった。ちがうのは髪の長さだけで、泣いていた長い髪の子は、驚きで涙を引っこめ、肩より少し長いだけのソノラは、ぽかんと口を開く。
指をさして尋ねた。
「あなた……だれ?」
「──……スオノ」
ソノラと同じ顔の娘は応じる。
「私は……スオノ」
あなたは? と尋ねられて、ソノラは名乗る。ふたりは、驚きのまま、時を忘れる。
ソノラと、スオノ。
ふたりは、出逢うべくして巡り合った。




