8.
「貴様っ! 親の目を盗んで!」
「ハハッ、まさかそんな愚かな真似はいたしませんよ。都度、訪問のための手紙を当主宛に送っておりました。まあ、なぜかいつも返信は当主代理である奥様からでしたが」
それもそのはず。旦那様は屋敷にはいらっしゃらないのだ。返信の仕様もない。
旦那様が言葉を重ねれば重ねるほど、己の醜態が浮き彫りになっていく。その逃げ場のない事実に、苛立ちを隠せないようだ。
一瞬、声を荒げようとしたのだろう。大きく口を開け、──慌てて伯爵夫妻を振り返り、言葉を呑み込んだ。
「子爵様は、なぜランディ様の行動を気になさるのです?」
お嬢様が、さも不思議そうに小首を傾げ問いかけた。
「な、なぜだと……⁉ 私はこの屋敷の主で、お前の父親だ!」
「まあ。そんなことを言うだなんて、どうなさったの? もしや、昨夜のおままごとがとても気に入ってしまわれたのかしら」
くすくすと、愛らしい笑い声を響かせながら、お嬢様が楽しげに笑った。
「でも困りました。私ももう十五歳でしょう? いつまでも雛遊びに興じていてはいけないと思うのです。──子爵様はどうお考えになりますか?」
その言葉に、旦那様は完全に顔色を失われた。
「……すまん。……本当にすまない、シャーロット」
旦那様からの謝罪の言葉に、お嬢様は首を傾げ、ほうっと軽く息を吐き出すと、その前を通り過ぎた。
「大変失礼いたしました。このように玄関先で長話をするなど不調法な私をお許しくださいませ」
お嬢様は伯爵夫妻に向け、頭を下げると、
「どうぞ、お母様にお会いになってください」
そういって、二階への案内を指示したのだ。
「シャーロット嬢」
ランディ様がお嬢様の名を呼ぶと、お嬢様は自然な様子で彼の手を取った。
その慣れた仕草は、まるで長い年月を連れ添った番のようだ。
旦那様が悔しそうに、でも、二人を引き離すこともできずに、その重い足を踏み出し、あとに続いた。
部屋に入ると、伯爵夫妻は奥様の眠る寝台へと駆け寄られた。
「クリスティアナ……」
「こんなにもやつれてしまって……」
昨夜のうちにドレスを着付け、丁寧に髪を梳かし、生前のような美しさに近づけるようにと化粧を施してはいた。
だが、長く患っていたその衰えだけは隠すことができなかった。
「ああっ、だからもっと早くに離縁しなさいと言ったのに……っ!」
伯爵夫妻が冷たくなった我が子を前に、崩れ落ちるように涙を流された。
「お祖母様、そんなにもお嘆きにならないでくださいませ。……だって、お母様はそれでも幸せそうでしたわ」
お嬢様が咽び泣く夫人のそばにそっと寄り添い、震える背中をなだめる。
「……幸せだなんて……、そんなはずあるわけないでしょう……っ!」
夫人の悲痛な叫びが部屋に響いた。
伯爵は悲しみに震える妻の肩を抱き寄せ、静かに、けれど有無を言わせぬ重みのある声で遮った。
「やめなさい。救えなかった悲しみを抱いているのは皆同じ……いや。家族なら当然のことだ」
伯爵はその目に涙を浮かべながらも、冷えきった眼差しで旦那様を見据えた。
「……ありがとうございます、お祖父様。ですが、嘘偽りなく、母は本当に幸せそうでしたよ?」
お嬢様はおもむろに立ち上がると、奥様の告解を諳んじたのだ。
「すごいですよね。これまではずうっと愛されることを待つばかりでしたのに」
旦那様を見つめ、『あなたもそうお思いでしょう?』と言わんばかりに微笑みかけるお嬢様の姿は、まるで可愛らしいいたずらが成功したかのように、いっそ無邪気にすら見えた。
伯爵が震える声で問いかけた。
「……待ってくれ、シャーロット。……その、今のは本当にクリスティアナの告解なのか? 最期の言葉が……そんなにも救いのないものだったのか?」
伯爵の瞳から、とうとう堪えきれなくなった涙が溢れ落ちた。
愛する娘が最期に遺したものが、祝福ではなく呪いだったことが、あまりにも悲しかったのだろう。
そんな伯爵の姿を目にして、お嬢様の表情がほんの少しだけ歪んだ。
笑っているのに、どこか泣いているような痛みを湛えた儚い微笑。
「……君は知っていたのか」
伯爵の低く、怒りの滲む問いかけが旦那様に突き刺さる。
「あ、……その、つい先程、初めて……」
その瞬間だった。
伯爵の拳が、旦那様の頬を容赦なく撃ち抜いたのだ。




