第46話
奈菜のことは田口に任せた。
今はそれどころではない。
まずは茜音のもとへ行かなければならない。
立ち上がった陸翔に、すぐ田口が声をかける。
「社長、どちらへ」
「茜音のところだ」
迷いのない答えだった。
だが田口は一歩も引かない。
「この後、次の契約に関する会議が入っております。ご出席いただかないと困ります」
陸翔は舌打ちをした。
今はそんなことを言っている場合ではない。
それでも、社長である以上、避けられない現実がある。
「……わかった。会議が終わったら茜音のところへ行く」
そう言い残し、部屋を出る。
会議は想像以上に長引いた。
契約内容の確認、条件の再調整、株主への説明。
頭は働いているはずなのに、意識は別の場所にあった。
終わった頃には、外はすでに夜だった。
田口が車のキーを持って立つ。
「お送りいたします」
「いや、いい」
短く断る。
一人で行きたかった。
茜音の実家に着くと、家の明かりは点いていた。
呼び鈴を押す。
インターホン越しに応じたのは春奈だった。
「……陸翔さん」
その声には、警戒が混じっている。
「少しだけ、茜音に会わせてください」
「ごめんなさい。茜音ちゃん、疲れて寝てしまったの。今日は帰って」
柔らかいが、はっきりとした拒絶。
「寝ているなら、その姿を見るだけでいいんです」
陸翔は懇願する。
「少しだけでいいんです、お願いです」
沈黙が落ちる。
「……茜音ちゃんには、ちゃんと時間をあげて。今日は帰って」
優しい言い方だったが、扉は開かなかった。
陸翔は唇を噛む。
ここで話さなければ、取り返しがつかない気がした。
だが、これ以上押し通せば、余計に距離が広がる。
玄関を離れ、車のそばに立つ。
見上げると、二階の窓が見える。
あれが茜音の部屋だ。
カーテンは閉まり、灯りは消えている。
本当にここにいるのだろうか。
そんな疑問さえ浮かぶ。
再び電話をかける。
無機質な音声だけが流れる。
——電源が入っていないか、電波の届かない場所にあります。
それでも、メッセージを送り続ける。
謝罪も、説明も、うまく言葉にならない。
ただ、「話がしたい」と。
時間が過ぎる。
夜は深まり、空気は冷えていく。
それでも、車のそばから動けない。
明け方、ヘッドライトが近づいた。
近づいたタクシーから降りたのは、田口だった。
「社長、いつまでここで待つつもりですか」
「……茜音に会えるまでだ」
声は低いが、揺らがない。
「一度戻りましょう。体も万全ではありません」
田口の言葉を、陸翔は聞き流した。
「私がお送りします」
田口はそう言うと車の運転席に乗り込んだ。
そのときだった。
二階のカーテンが、わずかに揺れた。
ほんの少し、隙間ができる。
息が止まる。
やがて、玄関の扉がゆっくり開いた。
中から出てきたのは——
茜音だった。
夜明けの淡い光の中で、静かに立っている。
陸翔の心臓が、大きく鳴った。




