10-4. 思案する主従
前話のジフン視点です。後半にちらっとソユン視点も入ります!
唇を離して、ジフンは窓の外に視線を遣った。
じゃり、と砂を踏みしめる音も、もう遠い。
「……行ったか」
視線除けの行為の、効果は覿面だった。
例の女官が誰かに言いふらすと疑うわけではないが、今の状態はなるべく人に知られたくない。
幼馴染の首裏から手を離すと、すぐに心配そうな顔を向けられた。
「お怪我の治療をしなくては。少しお待ちください」
「ああ」
さすがに身体がだるく、寝台へ俯せになる。
肩の矢傷が、少し痛む。
子供を抱えて移動したから、負担がかかったようだ。
簡単に止血をしたが、また出血し始めたのが、匂いと熱で分かった。
元々侍医をしていた使用人を連れて、程なくソユンが戻ってきた。
「血が滲んでいる。早く薬を」
動揺しているらしく、緊張した口調で元侍医をせっついている。
上衣を寛げると、ひゅっと息を呑む音がした。
「……矢傷ですか。一か所は掠めた程度ですが、もう一か所は垂直に入ったのか少し深いですね」
「熱もおありのようだ。……ジフン様、他に痛む箇所はございませんか」
「……ああ、肩の傷だけだ」
首をひねって見上げると、顔面蒼白の幼馴染がいる。
――そういえばジフンは今まで、稽古の怪我ですらこの男には見せてこなかった。
「……ふん、俺よりもよほど具合が悪そうに見えるぞ」
「無理な姿勢をとってはいけません。安静にしていてくださらないと」
ちくちく言いながら慌てて頬に当ててきた手も、ずいぶんと冷えている。
もしくは自分が発熱しているせいか。
「軽い怪我だ、すぐ治る。……少しだけ、寝る」
安心させるようにその手を擦ると、強い眠気に身を任せた。
ふと、意識が浮上した。
寝台から澄んだ甘い香りがして、肩は傷む。
ジフンは今の状況を思い出した。
瞼を持ち上げると、視線の先にはソユンがいた。
床に座り込み、寝台に上体を委ねるようにしてうたた寝をしている。
その肩にはふんわりと薄い毛布が掛かっていて、部屋は十分に暖められている。
何年見ても飽きの来ない綺麗な顔を眺めながら、ジフンは物思いに耽った。
――――この男は、少し変わった。
感情を、少し分かりやすく表現するようになった。
女子供が喜びそうな話題に、以前より興味を示すようになった。
(さっきは、去った女官のことを気にするそぶりを見せたくらいだしな……)
ジフンの背後へ視線を向けたその刹那、僅かに瞳が揺らいだ。
ほんの一瞬とはいえ、自分と共にいて他に意識を向けるなんて、今までにないことだ。
逢引の最中に乱入してしまったようだから、当然のことかもしれないが。
普段この男が着けないような意匠の飾りが目に留まり、そっと耳朶をなぞる。
いつもは揺らしてもすぐには起きない美しい男は、身体をぴくりと揺らすと、はっと上体を起こした。
重たげに一度瞬きをして、それからすぐにこちらを見上げる。
迷いなく、その瞳には自分だけが映し出された。
「はっ、そなたは本当に俺のことが大事なんだな」
不意に、肩の力が抜ける。
身体を起こして寝台に座り直すと、あわあわと背中へ手を差し伸べられた。
「当然のことです。それより体調はいかがですか。熱や痛みは……、吐き気などはないですか」
立て続けに質問してくる男が可愛く見えて、ジフンは艶めく白茶の髪をくしゃくしゃにかき混ぜた。
肩の傷に響きます、と叱られる。声を出して笑ってしまった。
「行政府には一報を入れました。あの子供たちは少し前に隣国から連れてこられ、先日までは報酬を貰って宮廷前で騒いでいたとか」
寝台横で資料を確認する幼馴染は、もう大方の内容を把握していた。
ジフンが連れてきた子供たちからも、話を聞いて書類にまとめているらしい。
それを頼もしく思いながら、やれやれと頭を振る。
「助かった。訛りが隣国の言葉に似ているとは思ったが、大層なことだ」
「宮廷は人の目もありますから、子らはしばらくこちらで匿いましょうか」
「そうしてくれ、……痛。ったく、単純に二国の問題ではなさそうだな。男たちはとりあえず治安隊の出張所に放り込んだが……」
ソユンが持つ書類へ手を伸ばすと、久方ぶりの傷が悪さをして、つい顔をしかめる。
心配性な幼馴染はまた顔を白くして、さっと書類を遠ざけてしまった。
「私がこれから報告を受けてまいりますので、ジフン様はどうか休んでいてください」
そう言って信頼のおける者をそばに残すと、ソユンは足早に去った。
部屋には柔らかな白檀の香りが漂い始める。
ソユンが手配したのだろう、視界の隅に小さな香炉があった。
その香りに心を緩めて、ジフンはもうしばらく寝ていることにした。
◇ ◇ ◇
自室を後にしたソユンは廊下を抜け、慌ただしく馬車に乗り込んだ。
行先は、夕刻に主と集うはずだった北部の行政府。
馬車の小窓を開けると、冷たい風がびゅうと音を立てて吹き込んできた。
空は重そうな雲で覆われ、枯葉が荒く舞っている。
ついその様子を自分の心情と重ね、ソユンはため息を吐いた。
(お怪我を負われた当のジフン様は冷静でいらっしゃるのに……)
今まで目にしていたのはうっすらした古傷のみで、こうも鮮烈な赤は見たことがなかった。
調査不足への後悔、主を傷つけられたことへの怒り、主が感じているだろう痛みへの不安。
色々な感情がソユンの中で渦巻き、眉間に皺が寄る。
そうして考え込みながら、おもむろに耳朶に手を遣った。
――先ほど主が触れていた物、今日買った赤色の耳飾り。
(たぶん、目が合ったことに気づいていたな。あの娘はどう思ったんだろう……)
一回、二回とそれに触れ、それから手を離す。
馬車が止まったのだ。
走り去る足音は、動揺しているようだった。
傷つけてしまったのだろうか。大切にしてあげたいのに。
(それでも僕は――)
馬車を降りて、一瞬立ち止まる。
それを振り切るようにして、ソユンは足早に建物へ入っていった。




