ex-story5-2 夢の続き
騎手・調教師・厩務員……この日本で競馬に携わる全ての関係者が目標にすると言われているレース、日本ダービー。その栄冠を手にするチャンスの前に誰もが緊張に満ちた面持ちを浮かべ、騎手控え室で整列の合図がかかるのを待っていた。一人の男を除いて。
「加賀サァン! ちゃんと俺のリクエストに応えてその馬で挑んできてくれたんデスね! マジ感激っス!」
ニヤニヤしながらフレンドリーな態度で近付いてきたのは天才新人と呼ばれる若手騎手・綾野豪蘭。母は日本人ながらフランス人調教師である父の下で子供時代から過ごし、フランスで騎手デビューして5年のキャリアを積んだ後、2年前に日本へと移籍してきた異色な経歴の持ち主だ。
すでにフランス時代に幾つかのG1を勝っており、移籍して早々に重賞、G1を立て続けに勝利。天才と祭り上げられる自身の状況に謙遜する事もなく、自信に満ちた態度を放っている。
そして彼が今回ダービーで乗る馬、ネオパンデミックは凱旋門賞を2連覇し欧州で近代最強と謳われるオーギュストスタークの産駒。
馬主もその馬を所有する世界的に有名な大馬主が、わざわざ日本の G1で欧州の愛馬を活躍させようと選抜した馬を日本へ送り込む為に作られた法人所有で、彼はそのグループの専属騎手としてすでに多くの有力馬の手綱を任されていた。
そんな彼らがダービーと同じ距離、同じ舞台である青葉賞をレースレコードで圧勝した後、ダービーでの芝2400mの世界レコード更新と共に宣言した言葉が話題になったのだ。
『この馬に勝てる馬と騎手が居るとしたら、無敗だった彼の父馬オーギュストスタークを凱旋門賞で1馬身差まで追い詰めた日本馬とその走りを再現できる騎手だけデス。まあ、そんなコンビが今も居るとしたらの話ネ♪』
豪蘭のその言葉を全く意識しなかったわけでもないが、だからってそれがウィルを選んだ理由の全てでは無い。その事をちゃんと伝えておこうかと思ったのだが。
「自分が主役で思い出の仮想ライバルしか眼中にないとでも言うのか。気楽なもんだな」
苛立ちを全く隠さない様子で優馬が割って入る。振り返ればその後ろに川原さん以下、ダービーに出走する騎手たちが鋭い視線を送っているのが分かった。恐らくは誰もがこんな『海外から来たパっと出の新人騎手』に栄光あるダービージョッキーの称号を渡すものかと思っているのだろう。
それと同時に『もう何年もG1戦線では主役級の馬には乗れてない、皐月賞勝ち馬での出走機会をみすみす手放すような間抜け騎手には』とも。
「優馬、落ち着け。豪蘭、ここに居る18人の騎手全員、自分の馬こそが一番強いとそう思ってやってきてるんだ。こんな場所で優劣を言い合っても仕方ないだろ。レースに向けて集中させてくれ」
そう言って優馬を宥めたのはオレの代わりにブルーシュトルムで挑む事となった川原さん。皐月賞ではファストストーリー産駒のサードストーリーに跨っていたが、レース後に軽度の骨折が見つかってダービー回避を決めた事で依頼が回ってきたらしい。
「ハイハイ、おとなしくしてますよ……ただし、スタートまではネ♪」
一応静かにする事は承諾したものの、最後にあっかんべーをして舐めた態度は崩さない豪蘭。張り詰めた空気がさらに悪化したのを誰もどうにも出来ないまま整列の声がかかり、パドックを終えて順番に本馬場へと向かう。
〈さあついに本場馬入場。同じ年代に生まれた約6200頭の中から選ばれた18頭が世代の頂点を目指します! 2番人気のネオパンデミックは一番乗りでの馬場入り。父オーギュストスタークの産駒がイギリス・アイルランド・フランスに続いて4か国目のダービー制覇なるか!?〉
〈対して1番人気ブルーシュトルムは落ち着き払って堂々の馬場入り。鞍上は日本のエース川原風雅、2冠へ導くことができるか!? 3番人気プラチナムシップは父トレジャーシップを皐月賞とダービー2冠に導いた横浜優馬がエスコートします〉
各馬の名前がアナウンスされる度に地鳴りのような大歓声が響く中、地下馬道を抜けようとするところで千葉調教師と最後の言葉を交わす。
「ハハ、ここまで来ても『やれる事は全部やった』って堂々と送り出すなんて出来ねぇモンだな。もっとアレで来たかもとか、コレももう少しとか……そんなんばっかりだわ」
「千葉さん……そんなの、オレだっていつもそうですよ。絶対の万全なんて事は一度も無いです」
「でもよ。だからこそ一生を掛ける価値がある仕事なのかもな、競馬ってのは」
そこで豪快に笑い飛ばすと、ウィルの太ももをポンと叩く千葉さん。
「いや、こんな時にするような話でもねぇな。行ってこい! あとは信じて待ってるだけだ!」
「はい。この馬を選んだ意味を、このレースにどうしてもって掛けた意味を、レースで見せてきます!」
そう告げて千葉さんに背中を向けると、光に満ち溢れた地下馬道の出口へと向かう。これが栄冠へと続く道である事を信じて。
〈そして最後に登場するのは新潟2歳ステークスからなんと9カ月ぶりの出走! 父リブライトの立てなかったこの舞台で陣営の意地を示せるか!? 18番ブライトネスウィルと加賀流星!〉
アナウンスにやはり地鳴りのような大歓声が響く。
パドックで見かけた『父の叶わなかった一番に輝く夢をもう一度 ブライトネスウィル』と書かれた横断幕。オレがこの馬の背中にもう一度戻る事を、誰よりも望んでくれていた光希と輝希。
オレとこの馬を、リブライトと叶えられなかった夢の続きを、待ってくれた人たちがまだ居てくれた。
その事への感謝を噛みしめながらウィルと向かっていく。ライバルたちが先に待っている、レースの始まるゲートへと。




