ex-story5 The Brightness Will
本作スピンオフもついにこれが最終話となります。
今回も前後編の予定ですがもしかしたら長さ的に
前中後編になる可能性もあります。
リブライトがターフを去ってから、7年半近い月日が流れた。
だからと言ってオレ達は誰一人歩みを止めることなく、新たに入厩してくる馬や現役を続ける馬たち1頭1頭と向き合いながら、試行錯誤の日々を続けている。
そんな中で長らく日本の騎手界を支えてきた滝さんや同期である優馬の父・横浜徳幸さん、海外からの名手ラ・メールが引退。川原騎手と優馬は日本競馬の騎手を代表する後継として、数々のスターホースの手綱を任されていた。
光希は妊娠を機に騎手を引退。今は子育ての傍ら、調教師免許を取った父親の厩舎を手伝いながらオレの健康管理を引き受けてくれている。そのきっかけになったオレと光希の息子、輝希も今年でもう5歳になる。
そして、オレはというと……
「せっかくの恩を無下にするような形で本当に、申し訳ないと思っています!」
小さな窓から朝の光が差し込むだけの薄暗い事務所の中で、せめてもの気持ちが伝わるようにと垂直に精一杯頭を下げる。目の前で難しい表情を崩さずに顔を見合わせるのは、長年お世話になってきた福山調教師と馬主の青野さんだ。
「頭を上げてください、加賀騎手」
「……キミは、本当にそれでいいんだね?」
温厚な雰囲気を崩さずに顔を上げろと声をかけてくれる青野馬主とは対照的に、厳しい口調の福山調教師。
「福山さん、まあまあ……」
「これはいち調教師としてでもあるけど、同じような場面で何度も選択を迫られてきた『元騎手の先輩』として言わせてもらうよ。ちゃんとプロの騎手として考えた時、ウチの馬よりも加賀君の選んだあの馬の方がダービーに近いとはボクには到底、思えないけれど?」
福山調教師の言う事はもっともだと思う。3歳初め頃から頭角を現し、無敗で皐月賞を勝った青野馬主のブルーシュトルム。これだけの有力馬の主戦を降りてまで他の馬でダービーを目指す理由は無いだろう……この状況がオレ以外の騎手だったとしたら。
「確かに、現状ブルーシュトルムと対戦経験がある馬の中ではダービーで他に勝てる可能性を持った馬はいないと思っています。だけど……」
だけど、オレには違う理由がある。
「あの馬の力をオレが最大限に引き出すことができるとしたら。その時はブルーシュトルムとも互角の戦いが出来るハズです。それに何より、オレにはあの馬と一緒に戦わなければいけないんです。俺という騎手人生にかけて」
薄暗い部屋にしん、とした静寂が訪れる。しばらくのそれが続いた後、ずっと厳しい表情をしていた福山調教師が口を開いた。
「Brightness Will……光り輝く未来を、切り開いていく意思、か。確かに今の加賀君にはピッタリと合う名前を付けたもんだ。そこまで言うからには、意志は固いんだね?」
「はい。皐月賞前から……むしろ、初めて跨った時からここまでも、ずっと」
葛藤ならとっくに散々味わってきた。皐月賞から今日までの1週間はほぼ毎日数時間しか眠れず、自分の選択が本当に正しいのか纏まらない時間を過ごしてきた。そして覚悟を持ってようやく、導き出した俺の答えがコレだ。
「加賀騎手。私も初めてのダービーをプレゼントしてくれたセレスティアルの血を残したい一心で、後継種牡馬となってくれたブループラネットに期待をかけてきました。その結晶がこのブルーシュトルムですから、君があの馬に賭ける気持ちも理解できます。でも……この馬がダービーを勝つとしたらその背中には、君に乗って居て欲しかった」
「あの馬の所に行くんだろう? じゃあ……次に会うのは府中だね」
「青野馬主、福山調教師……ありがとうございました」
もう一度、深々と頭を下げて厩舎を出ると、向かうべき場所へと足を向ける。オレが運命を託した相棒の待つ場所へ。
「来たか。こっちはようやく明日からお前を乗せて調教を始められると思う」
福山厩舎から数ブロック離れた、閑散とした厩舎にある馬房。そこでオレを待っていてくれたのは2年前に福山厩舎から独立して調教師となった千葉さんと、1頭の馬だ。
ブライトネスウィル。
去年の8月にデビューすると新馬戦、新潟2歳ステークスと連勝して一躍、今年のダービーに一番近い馬と言われていた馬……だったのが自身の持つスピードに身体は耐え切れず、脚に不安を抱えて長期休養していた。それがトレセンへ帰ってきたのが桜の頃、皐月賞の2週間前。
2歳の頃に比べて2回りぐらい骨格も立派に成長したこの馬と、その出自の事情を踏まえて千葉調教師は無理だという声を押し切って次走を8週間後のダービーに決定した。その鞍上にと指名されたのが2歳でのレースで跨っていたオレだったというワケだ。
「でも、お前には随分と迷わせちまったな。福山厩舎の馬、それも皐月賞まで獲っちまったのにさ」
「それは……正直ものすごく迷いましたけど。でもオレはこのダービーをこの馬で挑まなければ、きっと一生後悔すると思ったので」
「まぁな。俺が無理を承知でダービーの舞台にって決めたのも同じようなもんだからな」
この馬の父・リブライトでは挑めなかったダービーの舞台にこの馬で、俺たちのチームで立つ。それは去年、この馬が競走馬としてデビューした時に千葉さんと誓った約束。それからの8カ月でこの馬が長期戦線離脱してしまった事も含めて状況は変わってしまっていたけれど……オレの中ではずっと生き続けていた約束だったんだ。
「まあともかく、やるとなったら明日からの調教メニューやら決めないといけない事が山積みだな。休んでる暇なんてねぇぜ!」
「はい。オレにとっても、10年越しの夢ですから!」
だけど実際のところ、8カ月というブランクを埋めるのはなかなか難しい話だった。1頭だけで走らせていても何処までの負荷なら耐えられるのか、逆に言えばどこまで負荷をかけてしまうとリスクを抱えた足元に負担になってしまうのかが分からない。
さらに他の馬との折り合いや追い越しの加速をかけるタイミング――所謂レース勘と呼ばれるものは、8カ月前に2戦走っただけでそれ以外にキャリアが無いこの馬には身についていないので、それも日々のトレーニングの中で教え込んでいかなければならない。
全てが手探りの中で時間だけはあっという間に過ぎていき、ついに運命の日、6月1日が訪れた。
20xx年6月1日日曜日、東京競馬場 11レース
G1 日本ダービー 芝2400m
1番人気 ブルーシュトルム 川原 主な勝ち鞍:弥生賞・皐月賞
2番人気 ネオパンデミック 綾野 主な勝ち鞍:青葉賞
3番人気 プラチナムシップ 横浜 主な勝ち鞍:京成杯・共同通信杯
9番人気 ブライトネスウィル 加賀 主な勝ち鞍:新潟2歳ステークス




