31.決戦に向けて
セントライト記念での激闘の結果、なんとか菊花賞への優先出走権がある3着以内に入る事は成功したオレ達リブライト陣営。ホントなら、ここで菊花賞に出られる事を手放しに喜びたいところだったが、とてもそんな気分には成れなかった。
何しろ先着した2頭からは2馬身半を突き放されての3着である。しかも本番では走った事の無い3000mという距離、コレを走破しながら差を埋めるほどの末脚を使わなければいけないのだ。それまでの準備期間もたった4週間と限られている。
それとレースの後、優勝馬以外で引き揚げていく時に優馬から投げかけられた一言もずっと気にかかっていた。
「期待したのにそんなモンか?今のお前がそんな追い方しかできないんだったら、俺と競っていた競馬学校時代のお前の方がまだ良かったぞ」
自分の中ではこれ以上ない絶好のタイミングで、これ以上は無い追い方だったハズなのに、何が足りなかったのか?
レース後の疲労回復を待って、セントライト記念前と同じ『前に馬を置いて差し切る練習』が繰り返されたが結果は何度やっても同じだった。
残り800m付近からのロングスパートが脚を保てるギリギリの距離で、それも追い方を変えてみても最高速度はこれ以上あがらない、それがオレも千葉さんも福山調教師も共通の見解だった。
一方でセントライト記念も優勝したクリアディザスターは、本番を見据えた3000mを単騎で走破する追い切りでは抜群の時計を叩き出し、無敗の三冠に向けて盤石の態勢だという。
ちなみに4着に敗れた優馬のシャドウオブザデイは恐らく2000m以上の距離では実力が発揮できないという事から次走を1800mの東京王冠へ変更、レーヴァテインも幅寄せ恫喝の件で主戦の岩野父が厳重注意の上、長期騎乗停止になった事から次走は未定との事だった。
「うーん……できれば言いたくは無かったんだけど。青葉賞での直線、岩野騎手にぶつけられる前のあんな脚を出せるなら良いんだけどね」
なかなか前に進まない調教のあと、福山調教師がポツリと言う。菊花賞本番まではあと2週間を切っていた。
青葉賞はレースの後でゴタゴタに巻き込まれた事もあってか、暗黙の了解みたいなものでオレの前では二人ともレース名すら口にしないでいてくれたけれど、確かにあのレースから得られたものは沢山あった。数か月経ってようやく落ち着いた今なら、レースの映像を見て得られるものもあるかもしれない。
オレは覚悟を決めて、青葉賞とタイトルのついた動画ファイルを開いてみた。
「……これが、オレ?」
初めて目にする青葉賞での騎乗は、普段自分が乗りながら感じているものとは大きく違い過ぎていて驚いた。馬の背に居ながら、まるでそこに騎手など乗っていないかのような、馬の身体の一部であるかのような人馬一体の動きを再現できている自分が、そこには居たのだ。
「馬が脚を動かす背骨のリズムと、自分が追っている時の動きのリズムが完全に噛み合ってそこで、馬の動きに対して抵抗になるものが何もなくなるとさ、こんな風に騎手が乗っているのすら分からないくらいになる時があるんだよね。
言ってボクもそんな競馬をできたのは20年以上やってもほんの一握りのレースしか無いし、滝さんですら『毎回は無理』って言っていたけれど。これは、まさにそれを出来てる時の乗り方だと思う」
福山さんが出来るだけ分かりやすいように言葉を選びながら説明してくれる。あの不思議な感覚は、リズムが完全に噛み合って初めて出来るものなのか。とは言っても、自分が必死で追いながらも馬のリズムも感じ取って完全にシンクロさせるなんて芸当は狙ってできるとは思えない。
「ボクでも狙って出来るわけじゃ無い事だから、今の加賀君にコレを出来るようになれなんて言えるはずはないんだけど、でも……」
そこで少し言い淀んだ福山調教師の言葉を、千葉さんが続ける。
「現段階で全く隙が無い、完成系ともいえるクリアディザスターの競馬に風穴を開けられるとしたら、この乗り方を目指す以外に勝ち目はない。そういう事、ですよね?どうだ、やれそうか?加賀」
「ん……やってみます、としか今は言えませんが」
青葉賞での直線、失速するまでの僅か300m分の画像を何日も食い入るように見ては調教に挑んでみたが、何度試してみてもあの時の感覚を掴むことは出来なかった。
そうしてついに菊花賞まで1週間を切った全休日、福山厩舎の事務所に意外な人物が訪れた。
リブライトのオーナー・桜さんと関西でお世話になった増田調教師、それに昨日・東京で重賞レースを勝った川原騎手だ。特にオーナーの桜さんは春以来久しぶりに顔を合わせるがそれもそのハズ、夏前から入院してずっと静養していたらしい。春の頃より一回り小さく見える姿と、日々の点滴で注射痕だらけになった腕が痛ましかった。
「菊花賞本番は医者に体調次第と言われとってな。ここが最後の見送りになるかもしれんと思って来たんじゃ。加賀君、少し話せるかの?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「そうしましたら私達は事務所の方で調教や輸送について等、相談をしていますので後ほど、また」
そう言って福山調教師は他の2人を伴い事務所に入っていき、オレと桜オーナーがその場に残された。
おぼつかない足取りで杖をつく桜オーナーが転んでしまわないようにと、手を取りながらリブライトの馬房へと案内する。久しぶりに見るであろう愛馬との対面に屈託のない満面の笑みで再会を喜び、一呼吸してから言った。
「加賀君。ワシはもう、長くはない。もって年末までかどうかじゃと家族には伝えられておる。知らんフリをしておるが自分の身体じゃ。自分が一番わかっておるわ」
そんなに酷い状況だったのかと知って絶句する。もしそうだと分かっていたなら、ダービーに出走する為だけに余計な事には何1つ構わず、権利を獲りに行く事だってできたはずなのに……オレが、この人のダービーに関わる唯一だったチャンスを潰してしまった。そう思い下を向くと両肩をガシっと掴まれる。それは病人の力とは全く思えない程、力強いものだった。
「加賀君、ワシがこの馬に期待を抱いてるような事を言ったばっかりに、君には大変な思いをさせてしまったと思っている。本当に済まなかった」
「そん、な……こちらこそ、ダービーに出られるかもしれないチャンスを……」
「大丈夫じゃよ。君はあの場で出来得る限りの正しい判断をした。その結果の今なんじゃ。何も間違ってはいない。
ただ、1つだけ言わせてくれんか?レースに出てしまえば騎手は1人きり、誰にも相談する事も手伝ってもらうことも出来ん。じゃが、ワシらもそこに行きつくまでは出来る限りの事をして一緒に戦っておるつもりじゃ。レースでどんな局面に陥っても、君は決して1人きりで戦って藻掻いておるわけじゃ無い。それだけは、覚えておいて欲しいんじゃ」
桜オーナーはそこまで一気に話し終えると急に肩を掴んでいた力が抜け、倒れ込みそうになるのをオレが腕で支える。そう、今この瞬間だってこの人は必死に自分の想いを伝えたくて、戦っている。そう思うと、この人のために勝たなければいけないと強く感じた。いや、オーナーだけじゃない。
増田調教師だって明日も早朝から自厩舎の仕事もあるのに、関西での滞在でリブライトに負担がかからないようにこうして綿密な打ち合わせに来てくれているし、先週から武田厩舎は逃げ粘る能力に優れた馬を、上杉厩舎からはリブライトと同等に近い差し脚を持った馬を出してくれて3頭併せでの調教が始まっている。
千葉さんは他の厩舎での調教があったりレース出走もあるオレの為に、リブライトの日々の様子を事細かに見て教えてくれているし、新堂さんもライバル陣営の動きや調教の様子を伝えて来てくれている。
最後にバトンを受け継いで馬と一緒にゴールまで駆け抜けるのは、騎手という役割のオレだけしか居ないけれど、そこには沢山の人たちの想いも繋がっている。そう思えるだけで打開策の見つからないこの状況でも、心強いと感じる事が出来た。
いよいよ次回!運命の一戦、菊花賞に向かいます。
本編完結まであと数話!どうか応援よろしくお願いします。




